TOP 裁判資料 会報「原告と共に」 げんこくだより ブログ リンク | |
目 次(←最終準備書面(相当因果関係)の目次に戻ります) 第6 連名意見書の問題点 1 はじめに 2 連名意見書における個別論文批判に対する反論 3 連名意見書におけるその余の問題点 第6 連名意見書の問題点 1 はじめに 本準備書面の第3・5で述べた,低線量被ばくの危険性に関する崎山意見書及び崎山証言に対し,被告らから反論・批判がなされており,その批判根拠として,被告国から連名意見書(丙D共36)が提出されている。 しかし,連名意見書は,複数の科学者が集まって真摯に議論した結果をまとめたものとは評価できず,かつ,その内容は,崎山意見書2が引用する論文の些末な部分や崎山氏の表現の仕方を殊更に問題視するものであって,およそ科学的な批判とは言えない。 むしろ,主として連名意見書のチェックを担当していた柴田義貞氏は,疫学の専門家と言えるのかどうかについても疑問があり,少なくとも,放射線被ばくの危険性を重視する論文には厳しく,危険性を軽視する論文なら(その論文にも今後継続して調査していく必要性が存していても)高く評価するなど,ある一定の立場に立って論じている可能性が高いとさえ言える。連名意見書が,低線量被ばくの危険性を低く「見積もる」ホルミシスモデルについては触れつつ,その危険性を高く「見積もる」バイスタンダー効果やゲノム不安定性については一切触れていないという点からも,その偏頗性がうかがえる。 重要なのは,崎山意見書2が引用する個々の疫学論文が,科学的に100パーセント正しいと断言できるかどうかという視点から「ケチをつける」ことではない(そもそも,そのような判断がなしえるのか,誰がなすのか自体も大いに疑問である。)。低線量被ばくの危険性を述べる論文(もちろん査読を経て公表されるに至った論文)が集積され続けているという事実こそが重要なのである。 しかし,連名意見書は,この重要な事実から目を背けている。 以下,連名意見書の問題点について具体的に論じる。 △ページトップへ 2 連名意見書における個別論文批判に対する反論 (1)連名意見書の個別論文に対する批判手法の問題点 連名意見書は,崎山意見書2において「低線量被ばくの危険性を一層明らかにした調査報告である」として紹介した各々の論文に対して,批判を行っている。 しかし,その批判は,「重箱の隅をつつく」ようなものである。些末な部分を過大に問題であるかのように論じて否定するものであり,科学的とは言えない。確かに疫学調査としては更に調査を継続して精度を高める必要があるものも存するが,そうであっても,論文として一定の評価をされているものである。 すなわち,疫学論文としてさらに調査を加える部分があるという事実のみをもって,その論文を引用する崎山意見書自体を批判することはできない。 以下,個別論文について述べる。 (2)小笹晃太郎ほか「原爆被爆者の死亡率に関する研究第14報」(「LSS14報」。甲D共136号証の1)について 連名意見書は,LSS14報の筆頭著者である小笹氏が「崎山氏のような解釈が誤りであると明確に述べている」と述べる。しかし,以下のとおり,小笹氏は,崎山氏の具体的な解釈について述べたことはない。 また,LSS14報に関連して,連名意見書はFurukawa論文に言及するが,同論文には後述のとおり問題がある。 ア 東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議第6回における小笹発言 小笹氏が同会議で述べたのは,次の3点である。
小笹発言1ないし3は,低線量域のリスク推定値には不確実性があり(丙D共5・28ページ),LSS14報の記載から0.20Gy未満の低線量域のリスクについては有意差があるわけではないと指摘しているものと理解される。 しかし,崎山氏は,この点を取り違えているわけではない。 低線量域では,過剰相対リスクの信頼区間の下限がゼロを下回ることも事実であるが,崎山氏は,統計的有意性がないことは認識しつつ,各線量で全体的には点推定値も95%信頼区間もゼロより上にあることが見て取れることを指摘している(甲D共162・崎山意見書4・9ページ)。 P値,すなわち統計的有意差の有無だけで因果関係を判断することは誤りであることは,既に原告ら準備書面(51)5ページ以下において詳述したとおりであり,崎山証人も,自ら作成したスライド(以下「スライド」という。甲D共171)26頁において説明している。 たとえば,スライド26頁にあるようにオッズ比に関する確率分布をみてみると,区間推定値の下限がオッズ比1よりも下にあれば(グラフでは左側),統計的有意差はないと言われる(検定)。 しかし,オッズ比=1と信頼区間下限との間に含まれるデータは全体からみれば少なく,大部分のデータがオッズ比=1よりも大きいことが分かる。したがって,この状態を指して「リスクがない」といえないことは明白である(崎山主尋問調書21頁)。 ウ Furukawa論文について 連名意見書は,しきい値モデルを示唆するとして,Furukawa論文を指摘する。しかし,同論文は,LSS13報のデータを用いたものである。 先に述べたとおり,疫学研究は新たなデータの蓄積に伴って新たな知見が得られる。わざわざ旧いデータを用いた研究に意味はなく,ためにする反論と言うほかない。 エ 柴田証人に対する反対尋問の結果 連名意見書では,LSS14報に対する崎山氏の評価が誤りであると述べている(丙D共36・8頁)。具体的には,連名意見書8頁の12行目以降において,「イ 崎山氏の指摘の当否」という表題で始まる部分が存するところ,そこにおいて,崎山氏が,LSS14報の要約欄に「ゼロ線量が最良の閾値推定値であった」との記載があることなどを根拠に「放射線に安全量はない 閾値なし直線モデルが最も調査結果にあっている,ということである」と指摘しているのは,明らかな誤りであると強く批判しているのである。 しかし,この批判は,的外れも甚だしい。 この点,柴田氏は,法廷において,崎山氏が「明らかな誤りを犯している」と述べた理由について,概ね以下の通りの証言を行った。 まず,柴田氏は,「原爆被爆者の死亡率に関する研究第14報」(甲D共136の1)の1頁の要約の欄の3行目以降において,「LSSコホート構成者でDS02での線量推定が行われている86,611人のうち58%が1950~2003年の期間に死亡した。追跡期間を6年間延長したことにより,放射線被曝後の長期間の死亡状況を関する実質的に多くの情報が得られ(がん死亡の17%の増加),特に被爆時年齢10歳未満の群で増加した(58%増加)」と記載されていること(柴田反対尋問調書13頁~14頁),更に,そこに続く部分において,「重要な点は,固形がんに関する付加的な放射線リスク……は線形の線量反応関係を示し,生涯を通して増加を続けている」と記載されていること(同調書14頁),下から4行目では,「定型的な線量閾値解析……では閾値は示されず,ゼロ線量が最良の閾値であった」と記載されていることを(当然ながら)全て認めた(同調書14頁)。 続いて,LSS14報の本文11頁7行目に「全線量範囲について線形モデルが最良のモデルとして選ばれた」と記載されていること,同じ頁の下から2行目では,「線量閾値の最大尤度(ゆうど……「もっともらしさ」という意味である)推定値は0.0Gyで(すなわち閾値はない),デビアンスを最小化して求めた95%CI(信頼区間)の推定上限は0.15Gyであった」と記載されていることも認めている(同調書14頁)。 以上を前提に柴田証人が述べる「明らかな誤り」とは何であるか,であるが,それは本文中に書かれている「線量閾値の最尤推定値はゼロだった,しかし,その95%信頼区間を作ると,その上限が0.15Gyであった」という文言を,そっくりそのまま冒頭の要約に記載しなければならない,「ゼロ線量が最良の閾値であった」という文言は正確ではない,というだけのことである。 最尤とは,最も「もっともらしい」という意味である。それを「最良の」と言い換えただけで,柴田証人は,「正確に記載しなければならない。それは明らかな誤りである」と述べているわけである。 しかし,そのようなまとめ方をしたのは,小笹氏であって,崎山氏ではない(この点は柴田証人も認めている。柴田反対尋問調書17頁)。 しかも,小笹氏の要約の仕方自体も,誤りと評価されるべきものではなく,ましてや,崎山氏が,LSS14報をまとめ,自らの意見書において,評価したとして,それが科学的に誤っているというものではありえない。 要は,殊更「明らかな誤り」などという過剰な表現を用いることで「印象操作」をしているに過ぎないのである。 また,柴田証人は,崎山意見書において,小笹氏らのLSS14報を踏まえ,「放射線に安全量はない」と評価・加筆した部分を批判しているが(柴田反対尋問調書18頁),結局同人の述べるところは,「0,0がベストだということだけで,そういうふうに,何と言うか,安全量がないんだということを言われたから,それはおかしいと。そもそも安全量なんてないわけですよ。最初から。」(柴田反対尋問調書18頁)というものであって,「そもそも安全量はない」としながら,「安全量がない」とする崎山氏を批判するものであって,およそ批判足り得ておらず,「安全量がない」と記載したから「明らかな誤り」をした等とは到底評価できないものである。 △ページトップへ (3)Krestininaほか「テチャ川流域住民コホートの放射線被ばくと固形ガン死リスク」(「Krestinina論文」甲D共137号証の1)について ア スラブ系住民とタタール系住民の分布状況は書かれていないこと 連名意見書は,タタール系住民とスラブ系住民の死亡リスクの差に着目した。その上で,スラブ系住民が上流に,タタール系住民が下流に住んでいるならば,放射線の影響がなくても,線量の高いところでガン死リスクが高いという結果が出る可能性があると指摘する。 しかし,テチャ川論文には,スラブ系住民とタタール系住民のテチャ川の流域における分布状況は何も書かれていない。 すなわち,連名意見書の批判は,論拠のない指摘であり,憶測に基づく推論というほかない。 イ 交絡因子についても考慮していること また,連名意見書は,民族の居住実態,生活習慣,遺伝的要因などの様々な交絡因子を考慮した上でリスク調整をすべきと指摘する。 しかし,この調査でも「年齢,性別,エスニシティ,出生コホートの影響を考慮した」と記載されており,「性別,エスニシティ,出生コホートに依存することを示すものはない」と結論づけられている。つまり,この研究でも,性や民族等についても交絡因子と位置付けたうえで検討していることは明らかである。 なお,この点についての法廷での柴田証人の供述は,「こういう変数だけについては考えている。……考慮していない変数はあると。」というものに過ぎない。交絡因子を一切考慮しない,本質的欠陥を有するものではないことは明白である。 結局,柴田証人の供述や連名意見書の指摘は,「粗捜し」の域を出ないものである。少なくとも,考慮していない変数が他に存在するからと言って,当該調査・論文の価値が著しく低下するというものではない。こうしたできる範囲のリスク調整をして論文審査に通っているのであるから,学術的な価値が認められることは明らかである。 ウ Davis論文について 連名意見書は,Krestinina論文の後に公表されたDavisらの論文を引用して50mGy以下の低線量域ではリスクがないとも指摘する。 この点,Davis論文(甲D共181の1)は,Krestinina論文に比して,コホートの大きさが2/3足らずである。しかも,Davis論文のコホートの中にはテチャ川流域住民とチェリャビンスク市住民の両者が含まれ,21パーセントが調査地域の外に住んでいる。さらに,テチャ川論文が報告しているのは,白血病なども含むがんであり,しかも死亡率だから,そもそも比較の対象となり得ないものであり,この点については,法廷で柴田証人も認めているところである。 連名意見書は,Davis論文中の図1を引用し,「線量効果カーブは,実測値ベースの曲線が青色波線で示されており,50mGy以下の低線量域では,むしろリスクがないことを示している」と指摘する。 しかし,Davis論文には,このような記載はない。 連名意見書における当該記載の根拠は,Davis論文における図1の青の太い破線,すなわち,ノンパラメトリック平滑である。 ここでノンパラメトリックとは,母集団分布に関して,正規分布などのある特定の分布を仮定しないで統計的検定を行う方法である。そして,図1では,この外側に青の細い破線が上下に描かれており,近似値(点別)±標準誤差限界を示している。 標準誤差とは,そのデータの平均値のありそうな幅であるところ,ノンパラメトリック平滑の標準誤差限界の上限は,0.1Gy未満であってもERRがゼロより上にあることが図1からみてとれる。 つまり,ノンパラメトリック平滑とその標準誤差から分かるのは,せいぜい0.1Gyより低線量になるとERRがゼロ未満かもしれないという程度のことでしかない。標準誤差の上方は常にゼロより上であるから,むしろリスクはあるかもしれないことが図1から読み取れる。間違っても,「50mGy以下の低線量域では,むしろリスクがない」と断言することは,図1からはできないのに,連名意見書は,「リスクがないことを示している」と表現しているのである。明らかな誤りであり,当該部分の筆者が,図1の意味を全く理解していなかったことを直接に示している。 実際には,Davis論文は,「結果」欄の「固形がんに対する放射線の過剰相対リスク」という段落において次のように述べている。 「喫煙調整線形線量応答モデルに,新たな線量推定値と追跡調査情報を用いると,グループとしての全固形がんに統計学的に有意な線形線量応答が認められた(P=0.002)。100 mGy当たりのERRの推定変化は0.077であり,95%CIは0.013~0.15だった。」すなわち,Davis論文は直線モデルが統計的に有意であると指摘している。 (4)Cardisほか「原子力産業の放射線従事者のがんリスクに関する15カ国研究」(「Cardis論文」甲D共138号証の1)について 連名意見書は,「この論文の著者がカナダのデータを除くと有意な過剰死亡リスクは認められなかったと述べていたことやその後の経緯,CNSCの上記報告書が公表されたことについては触れていない」と記載している。 あたかも崎山氏が不誠実な論文の引用をしたかのような表現であるが,誤りである。連名意見書の上記指摘のうち後半部分は,Cardisらが2005年に公表した論文に関するものであるが,崎山意見書4で指摘されたCardis論文は,2007年に公表されたものであり,2005年公表論文以降に蓄積されたデータによって,新しい知見を明らかにするものであり,Cardis論文自体には連名意見書が上に指摘したような事実は記載されていない。 Cardis論文は,「考察」欄の「白血病を除く全てのがん」の5段落目において次のように結論づけている。 「カナダのERRは,異常に高く,信頼性境界の下限は,総合推定値を含んでいないが,これまでの線量測定の実施報や記録を精査しても,このことを説明するものは得られていない。カナダを除外して解析しても,ある特定の1カ国だけを除外して解析しても,全て,原爆解析からのリスク推定やBEIR VII推定より一貫して高いリスク推定が生じたが,それらは全て統計的には合致していた;そのため,本研究は,低線量の長期間被曝によるがんのリスクについての重要なエビデンスをもたらすものである。」また同論文は,「考察」欄の「放射線防護に対する意義」の1段落目において次のように述べている。 「放射線産業従事者が受ける長期間の低線量照射から生じるリスクに関するエビデンスを示した本論文の結果は,BEIR VIIの結論と合致している。」すなわち,Cardis論文は,BEIR VII等のほかの研究成果(BEIR VIIは「電離放射線へのばく露とヒトでのがんの発症との間に,線形の閾値を持たない線量-応答関係があるという仮説に合致している」としている)との整合性に基づいて,低線量被ばくの健康影響についてのエビデンスたりうることを主張しており,その点に意義がある。 単に統計的有意差だけで判断するのは,Cardis論文の指摘を曲解するものであり,連名意見書によるCardis論文への指摘は不正確かつ不誠実なものであるというほかない。 (5)仏英米3ヶ国の労働者の後ろ向きコホート研究(INWORKS)(Richardson DB et al.「Richardson論文」甲D共139号証の1)について 連名意見書は,放影協の見解について,同協会がRichardson論文について「INWORKS調査の対象者に核実験や核兵器製造の業務に関わる者が含まれているために問題となる中性子被ばくの状況が適切に考慮されていない可能性があることへの懸念が示されている」と述べる。 しかし,放影協は,この点について「中性子被ばく状況の調整の有無によっては,がん死亡リスクの有意性が変わるという結果が得られている状況下で,積極的にがん死亡リスクを述べた論文であるので,その主張に影響を与える中性子被ばく状況に関しては更に注意深い検討が必要ではないだろうか。」と指摘するにとどまる。 実際には,Richardson論文の「結果」欄の最終段落には,中性子線量に関する報告のなかった労働者に限定して分析結果を検討したところ,その結果は,1Gyあたり0.55(90%信頼区間0.17-0.95)だったとの記載があり,同論文の「結果」欄第2段落には,「全てのがんについては,1Gyあたりの過剰相対リスクは0.51(90%信頼区間0.23-0.82)であった」との結果が記されている。 すなわち,中性子被ばくをした労働者を除いて検討すると対象となるデータが少なくなることから信頼区間は広がるのであるが,ERRの点推定値は全労働者を対象とした場合より高くなり,有意差をもってERRが観察されている。 この点でも連名意見書の当該部分の指摘は,不正確かつ不誠実である。 △ページトップへ (6)核施設労働者の白血病,リンフォーマによる死亡と放射線被ばく―国際コホート研究―(INWORKS)(Leuraud K. et al.)「Leuraud論文」について論文」甲D共140号証の1)について 連名意見書は,90パーセント信頼区間が1を含んでいることから有意差がないと指摘する。しかし,統計学的有意差だけで因果関係を判断するのは誤りである。 同論文は,「線量を300mGy未満に限定しても,また100mGyに限定しても,CLLを除いた白血病のERR(過剰相対リスク)は少なくならなかった(図);しかし,線量範囲を限定したデータをもとに解析すると90%CI(信頼区間)がはるかに広くなった」ことを報告している(CLLとは,慢性リンパ球性白血病。遺伝的要因によって発症すると言われており,放射線との因果関係は認められていない。)。 確かに100mGy未満の累積線量の場合,相対リスクの90%信頼区間の下限が1.0を下回る(有意差が認められないことを意味する)。しかし,300mGy未満に範囲を広げると相対リスクの90%信頼区間の下限が1.0を上回り(有意差がある),全範囲で見ても,相対リスクが1.0を超えることが,有意差をもって観察されている。また90%信頼区間の上限と下限を比べれば,相対的に上限値の方が高いことがみてとれる。 これは,有意差がないとはいうものの,真の値がどちらかといえば,1.0を超えている可能性が高いということを示しているのである。 連名意見書が「有意差がない」と言って切り捨てるのは,統計学的検定の考え方に基づいているからであり,これは,0-1ないし○×の評価に過ぎない。 次に連名意見書は,累積線量だけで解析していることを批判するが,累積線量でリスクを予測するのは当然であり,放射線影響協会が日本国内で行っている原発労働者の追跡調査も累積線量で調べられている。 また,低線量率の定義は,UNSCEAR2000年報告では0.1mGy/分以下,すなわち144mGy/日以下である。 したがって,年平均12mGyで10年間従事した作業員も1年間だけ50mGy被ばくし,その他の35年間は年間2mGyの被ばくであった作業員も低線量率被ばくであることに変わりはない。 また,動物実験でから線量率を下げるとリスクが小さくなるとの指摘があるが,ここで問題になっているのは人間におけるリスクであって,かかる指摘が持つ意味合いは限られている。 (7)イギリス高線量地域における小児白血病(Kendall GM et al.「Kendall論文」。甲D共141号証の1)について 連名意見書は,線量測定の不確実さがあることと社会経済状態について貧困指数の五分位数を用いていることを批判する。 これらは,Kendall論文に情報バイアスがあることを指摘するものである。しかし,そのバイアスは,非差異誤分類であって,過小評価をする結果となることが数学的に証明されている。つまり,非差異誤分類にもかかわらず,リスクがあると評価されれば,その評価結果は,過大評価ではなく,過小評価となるのであるから,リスクがあるとの結論を左右するものではない。非差異誤分類については原告ら準備書面(51)でも主張したが,詳細は,甲D共174・93ページを参照されたい。 また,交絡因子の調整について十分でないとの指摘がなされているが,具体的に何が問題になっているのかも不明であり,およそ批判と言えない。 (8)バックグラウンド電離放射線と小児がんのリスク:スイス国勢調査ベースの全国コホート調査(Spycher et al.)「Spycher論文」。甲D共142号証の1)について 連名意見書は,「これらの交絡変数を含めても結果に大きな変化はなかったと述べているが,これらの交絡変数だけでは説明できなかった,とは述べていない。」と指摘する。 しかし,Spycher論文は,交絡因子について十分な検討をしたことを記載している。 交絡因子について十分に検討したことは,Spycher論文に批判的なレターを寄せたScottに対するSpycherのコメントにおいても,次のとおり,明確に指摘されている(甲D共186の1)。 「暴露測定における偶然誤差(またはスコットの用語では「統計的」誤差)は,非差異誤分類につながり,結果的に,過大評価ではなく,過小評価を過小評価する結果となります(Keogh and White 2014)。関連性の過小評価または過大評価につながる可能性のあるばく露の差異誤分類は,研究の設計および曝露の推定に使用される地理的モデルを前提にすると起こりそうもありません。交絡因子は完全には測定されていないかもしれないが,実際に交絡因子であれば,不完全な測定でさえ用量応答の推定に影響を及ぼすはずです。交通関連の大気汚染,ラジオやテレビの送信機や高電圧の電力線からの電磁場,統計モデルにおける都市化の度合いや地域の社会経済的地位を含めても,我々の推定は事実上変わりませんでした。」(9)R. Doll et al.Risk of childhood cancer from fetal irradiation.(胎児期の被ばくによる小児がんのリスク。「Doll論文」甲D共143号証の1)について 連名意見書は,LNTモデルの科学的根拠を与えている訳でもないと否定的な評価を下している。 しかし,Doll論文は実証された論文を集めてレビューしたものであり,エビデンスの価値としては非常に高いカテゴリーの論文である。 (10)Pearce et al. Radiation exposure from CT scan in childhood andsubsequent risk of leukemia and brain tumors: a retrospectivecohort study.(小児CT検査による白血病と脳腫瘍のリスク:後ろ向き調査「Pearce論文」甲D共144号証の1)について 連名意見書は,ガンが疑われたためにCT検査が施行され,その結果としてCT検査を受けた患者でガンが多かったのであり,CT検査がガンを誘発したのではない可能性(逆の因果関係)を指摘する。 しかし,論文著者のPearceらも当然その可能性は考えており,それを避けるために初めてのCT検査から白血病の場合は2年,脳腫瘍の場合は5年以内に発症した患者は調査集団から除いている。 なお,崎山証人意見書4にある「1mGy被ばくすると白血病罹患率が1.036倍」という記述は,字義通りであり,誤解の生じる余地はなく,この点の連名意見書の指摘は意味不明と言うほかない。 (11)オーストラリアにおける680,000人のCT検査と小児,青年の発がんリスク(Mathews JD et al.「Mathews論文」甲D共145号証の1)について 連名意見書が指摘する「逆の因果関係」については,Pearce論文と同様に,最初のCT検査から1年後までに発症した症例はコホートから除かれており,さらにその期間を5年あるいは10年に延長しても有意にリスクが上昇することが報告されている。つまり,もともとあったがんを見つけているのではないことは明らかである。 連名意見書は,照射部位と発がん部位との相違についても指摘する。しかし,Mathews論文は,照射部位と発がん部位との関連性については,「CTスキャンの実施部位別のがんのリスク」欄において,「全てのがんを一つにまとめたものについては,無被曝群と比較した被曝群のIRRが,検討したCTスキャンの実施解剖部位全てについて有意に増加していた」ことを報告しており,どの部位に照射してもがんリスクの増加が見られたことを指摘している。 Mathews論文はCT検査を受けた約68万人を平均9.5年も追跡したものであり,そのデータサイズの大きさから,従前,観察できないと言われていた低線量被ばくの健康影響を直接,確認したという意味で大きな意義がある。 △ページトップへ (12)高線量放射線地域住民の疫学調査(「ケララ論文」甲D共172号証の1)について 連名意見書では,高自然放射線地域住民の疫学調査である「ケララ論文」において低線量の被ばくでは影響がないかのような結論が出ている,という点が過大に評価されている(連名意見書では,「近時ますます注目が集まっている」と表現され,最大限の評価がなされている)。 しかし,その過度な評価,「持ち上げ」自体に問題があることが,柴田証人に対する尋問によって明らかになったと言える。 以下,具体的に述べる。 まず,第1に問題なのは,調査対象人数についての(価値を高めるための)ごまかしである。 この点,連名意見書では,ケララ調査について,「当該論文が研究対象とするこの調査は」で始まる文章の④で,集団の規模が10万人を超えていて,観察人年も150万人を超えている,と記載している(丙D共第36・18頁14行目以降)。 しかし,実際の論文を見ると,それをうかがわせる数値は全くなく,むしろアブストラクトには「69,958名を平均10.5年追跡して,736,586人年の観察結果が認められた」と記載されているのである(甲D共第172の1・1頁13行目以降)。 それゆえ,この点について,柴田証人について尋ねたところ,同人の証言は以下のとおりであった。 以上の柴田証人の証言から明らかなことは,被告国の提出した意見書は,何ら根拠資料も添付せず,別のところから数値を引用したと言い放ち(言うだけで,本当に引用した元データ・数値があるのかさえ分からず,かつ,述べている数字が本当に正確なのか否か等の検証をさせる余地を与えず),一方的な意見を述べている,ということである。そして,その点を指摘されても,柴田証人は,食い違うのは当然だと開き直り,かつ「今は,付けていないですね」と強弁するのである(ちなみに,その後も,この「この調査にずっと関わっていた先生がまとめられたもの」なるデータは一切開示されていない)。 次に問題なのは,「調査対象」を選択・限定したことについての評価である。 この点については,崎山氏が,この研究が30歳未満及び85歳以上の集団を除外しているので対象者の選択バイアスがかかっていると批判していたところである。すなわち,ケララ論文のコホートからは30歳未満の低年齢の住民は除かれている。これらの30歳以下の低年齢者は放射線に関する感受性が高いのであるから,がんになりやすい。その結果,ケララ論文には選択バイアスが生じてしまっている。選択バイアスは,修正が不能な誤りであり,選択バイアスが存在する状態でいくら集団(コホート)を大きくしても,結論に含まれる誤りを修正できない(崎山主尋問調書37頁)。 またケララ論文には85歳以上の老人も排除されている。高齢になるほどがん死率は高くなるのであるから,こういう人たちをコホートから除くこともバイアスを生じさせるものである(崎山主尋問調書38頁)。 これに対し,連名意見書は,「バイアスの最小化は疫学研究において重要であるが,対象者の年齢を限定して分析しても直ちに選択バイアスが生じる訳ではない。」と反論している(同意見書18頁)。 しかしながら,そもそも本件は,当該地域に居住している人たちに対しどのような影響を及ぼすのかを調査し解析しようとしたものである。そうすると,標的集団は,全住民にすることが望ましいことは言うまでもない(この点,柴田証人は,目的がそうであっても,標的集団が全住民ということには「必ずしも」ならないとごまかしているが,更に追及され,全年齢層で行う方が望ましいこと自体は認めるに至っている。同人反対尋問調書26及び27頁)。更に,すでに指摘しているように,連名意見書では,「集団の規模が10万人を超えている」と,当該調査を高く評価しようとする場合には,30歳から84歳までに限定せず,それ以外の範囲の人たちも含まれるかのように論じているのである(実際には標的集団は30歳から84歳までに限定しているのであって,ここにもごまかしが存在する)。 この点に関する柴田証人の証言は以下のとおりである。 以上の柴田氏の証言で明らかなことは,「バイアスではない」という反論の形で崎山氏の批判が恰も科学的にも誤っているかのようにごまかしている,ということである。 年齢層が限定されていることによって,当該調査が不十分なことは,柴田証人自身も認めざるを得なかったところである(この点,LSS14報では,当該死亡調査の強みとして「すべての年齢群から層化抽出された」点を挙げている(甲D共136の1・18頁))。 しかも,当該研究ではデータが示されておらず,かつ,コホート研究の対象集団としては小さく,調査期間も短いことも柴田氏は認めており,国際的な評価も定まっていないことさえ認めているのである(柴田反対尋問調書28頁)。 以上から明らかなとおり,柴田証人及び連名意見書にみられる姿勢は,同じく不十分な部分があっても,低線量被ばくの危険性を裏付ける方向に働く論文,報告については,それが根本的な欠陥を有していなくても「重箱の隅をつつく」形で論難し,他方,低線量被ばくがさほど危険ではないという趣旨の論文については,同じような不足部分があり国際的には評価が定まっていなくても「近時ますます注目されている」という形で恣意的に高い評価をする,というものである。 しかし,疫学研究の関連から冷静に評価するなら,これらはいずれも,これからも不足部分を補う必要(継続して調査を行う必要)はあるものの,根本的な欠陥を有するものではない,ということである。観察に基づくサイエンスは,コントロールされていない条件下での日々の生活が生み出したデータに基づいているのであって,科学的に完全なものはなく,その調査研究の不備を指摘することはたやすいと言える。 しかしながら,「この点が足りない,この条件が不十分だ」等と不足部分を指摘できるということと,それらの調査研究が虚偽であり,およそ信用できず意味をなさない,ということとは,全く別のレベルのことである。 そうであれば,重要なのは低線量被ばくの危険性を述べる論文が集積されているという事実であって,その点を連名意見書が黙殺していることこそ重要である。 △ページトップへ 3 連名意見書におけるその余の問題点 (1)はじめに 上記2においては,連名意見書が述べる,崎山意見書2引用の個別論文に対する批判(ケララ論文については評価)が科学的には大きな意味を有さないことを述べたが,本項においては,その余の問題点,連名意見書の作成過程の問題や,そもそもの姿勢等について簡単に触れることとする。 (2)連名意見書の作成過程について 連名意見書は,複数の科学者が集まり真摯に議論した結果をまとめたものとは評価できない。 この点に関連する柴田証人の証言は以下の通りである。 (3)連名意見書を「チェックした」とする柴田義貞氏が疫学の専門家と言えるのかについて疑問があること 連名意見書は,崎山論文を批判する場合,主として「疫学的知見」の視点から批判を行うという体裁をとっているが,その部分をチェックしたのが柴田義貞氏であった由である。 ところが,法廷での尋問の結果,同人が本当に疫学の専門家であるかについては疑義が存するように思われた。 ア 疫学の基本概念における「独自の立場」 まず,柴田義貞氏は,いわゆる基本書・成書類は著しておらず,しかも疫学における「バイアス」の定義などが,他の文献での考え方と異なることが明らかになっている(柴田反対尋問調書7~8頁) イ 疫学研究結果におけるβエラーの捉え方 (ア)疫学的研究の結果におけるβエラーについて 柴田義貞氏は,主尋問において,p値に頼りすぎた信頼性検討には警鐘が鳴らされているとして,アメリカ統計学会の声明を引用し,ある疫学的研究の結果,p値が0.05を下回る場合や有意差があるとされた場合であっても誤り(偽陽性)である可能性があるから,直ちに,科学的結論や政策決定に結びつけるべきではない旨を証言した。 しかし,これは,専門家証人らしからぬ極めて恣意的な主張である。 すなわち,アメリカ統計学会の声明等で問題とされているのは,柴田氏が証言したような「偽陽性」への警鐘(αエラー)だけではなく,それと同等かそれ以上にβエラーと呼ばれる,研究結果が「偽陰性」,すなわち本当は影響があるのに影響がないように誤解してしまう誤りである。ある疫学研究の結果,p値が0.05を上回ったり,統計的有意差がないとされることによって,原因物質への曝露と疾病には因果関係がないかのように判断することの誤りも問題とされているのである。 柴田氏は,反対尋問において,この点を指摘され,サンプルサイズや交絡因子の影響によって,疫学的調査による検出力には実際上の限界が存することがあるため,疫学研究の結果,有意差がないとされても,一定の傾向が示されているような場合には,実際には影響があるという可能性を見落としてはならないことを認めた(柴田反対尋問調書38~40頁)が,極めて不誠実な証言態度であると言える。 (イ)100ミリシーベルト以下の低線量被ばくによる健康影響リスクについて この点,連名意見書(丙D共36・6頁)には,低線量被ばくの健康影響について,「国際的なコンセンサスは,100ミリシーベルト以下の低線量域においては疫学データの不確かさが大きく,放射線によるリスクがあるとしても,放射線以外のリスクの影響に紛れてしまうほど小さいため,統計的に有意な発がん又は死亡リスクの増加を認めることができない,というものである」として,100ミリシーベルト以下の被曝リスクは無視できるものであるかのような記載がある。 しかし,ここでも,統計的に有意な増加が認められないということは,健康影響がないことを結論づけるものではなく,疫学調査による検出力の限界(βエラー)を踏まえて理解する必要がある。統計的に有意でないことは,リスクがないことを意味しない。 柴田氏も,この点を認め,上記の記載は,LNTが科学的にも疫学的も証明されているということはないですよという趣旨であり,100ミリシーベルト以下の低線量被曝に「リスクがないとは言えないですよ。リスクがないなんていうのは言ったことないですよ。」と述べた。さらに被告国指定代理人も,これらのやりとりを踏まえて,「100ミリシーベルト以下でリスクがないなんていう主張は,国は一切していないと。有意なリスクの上昇が検出できないと言っているだけなんです。」と述べている(柴田反対尋問調書41頁)。 これらの証言を通じ,被告国との間では,LNTが科学的にも疫学的も証明されたと言えるか否かについて争いがあるだけであり,100ミリシーベルト以下の低線量被曝に健康影響のリスクがあること自体には争いがないことが確認された。 以上のとおり,全体的にみて,柴田氏が尋問で述べた疫学総論部分については,独自の立場に基づき論じるところがあり,恣意的なまとめ方がされているのではないかと評価できるところである(柴田反対尋問調書7~12頁)。 △ページトップへ (4)連名意見書が非差異誤分類について検討していないこと 連名意見書には,日本における著名な研究者が17名も名を連ねているが,その内容は,「見解の相違」では済ませられない程度の誤り,偏向を含んでいる。 すなわち,連名意見書は,疫学論文について情報の誤りを指摘するが,他方,それによってリスク評価が過小評価されることは指摘しない。そのことから2つの可能性が言える。 一つの可能性は,連名意見書の当該箇所の執筆者は,非差異誤分類の意味を理解していないというものである。 この場合,同意見書の信用性は著しく欠けるものとなる。なぜなら,非差異誤分類については,疫学の初歩的テキストにすら,明確に説明がなされているからであり,連名意見書は疫学論文の是非を判断する能力を欠く者によって執筆されたことになるからである。 もう一つの可能性は,連名意見書の当該箇所の執筆者が,非差異誤分類がリスクの過小評価となることを知っているにも拘らず,情報の誤りだけを指摘し,そのリスク評価に対する影響をあえて記載しなかったというものである。 この場合,同意見書の誠実性,客観性に極めて重大な疑義を生じさせる。なぜなら,情報の誤りが持つ意味を知らない一般人には,あたかも疫学論文によって指摘されるリスク評価そのものが誤っている,すなわち過大評価されているとの結論を連名意見書が提示しているように受け止められるからである。 いずれの可能性によっても,連名意見書に基づいて疫学論文を判断することは,誤った結果に結びつく危険性がある。 (5)安全性の視点-安全目標について 連名意見書には100ミリシーベルト被ばくの発がんリスクは運動不足,野菜不足のリスクよりも低く,受動喫煙と同じレベルと記載されているが,そもそも,その根拠となる論文も,そのリスクの程度も示されていない上,高い低いの基準について説明を怠っている。 安全かどうかは印象によって決められる問題ではなく,少なくとも原発事故に起因して放射線防護について述べる場合,2003[平成15]年に策定された安全目標に基づいて検討されるべきである。 原子力安全委員会の設置した安全目標専門部会は,2003[平成15]年12月,「安全目標に関する調査審議状況の中間とりまとめ」を策定している(甲D共170)。 これによると,定量目標は,「原子力施設の事故に起因する放射線被ばくによって生じ得るがんによる,施設からある範囲の距離にある公衆の個人の平均死亡リスクは,年あたり百万分の1程度を超えないように抑制されるべきである。」とされていた(甲D共170・7ページ)。 そこで連名意見書が他のリスクに隠れるほど小さいとされる100ミリシーベルト被ばくした場合の増加リスクが安全目標において定められた定量目標に反しないかを検討する。 LSS14報は,ERRを0.42/Gy,すなわちがん死リスクが1グレイ当たり0.42(42パーセント)増加すると指摘しているので,0.1グレイ(≒100ミリシーベルト)の被ばくによるがん死リスクの増加は,0.42パーセントとなる。 悪性新生物(がん)による年あたりの個人死亡率は,2.4×10-3であるから(甲D共170・9頁),これに上記によって計算されたがん死リスクの増加率を掛ければ,100ミリシーベルトの被ばくによるがん死増加リスクが推定される。 2.4×10-3×4.2×10-2≒10-4 これに対して,前述の通り,安全目標は定量目標として事故からの被ばくによるがん死のリスクが抑制される水準として,年当たり百万分の一,つまり10-6という数値を設定している。 両者を比較すれば,100ミリシーベルト被ばくした場合,安全目標の100倍ものがん死リスク増加があることとなる。 定量目標について安全目標は,次のように説明している。 「このように安全目標を健康被害の発生確率の抑制水準として定めるのは,実際にそうした健康被害が生じることを容認するものではなく,安全目標をこのように定めることによって様々な原子力利用活動に係るリスク管理者それぞれの分野で健康被害の可能性を抑制するために行うべき活動の深さや広さを共通の指標で示すことができるからである。」(甲D共170・5頁。下線は原告代理人) したがって,安全目標に照らしても,原告らが避難しない場合に予想される累積被ばく量は,許されないものである。 (6)適応応答,ゲノム不安定性,バイスタンダー効果は,培養細胞のみならずマウス,人間などでも観察されていること 連名意見書は,適応応答,ゲノム不安定性,バイスタンダー効果等の放射線生物学上の知見が「自然界ではありえない条件で維持されている培養細胞において観察された現象」と指摘するが(連名意見書3ページ),これは誤りである。 適応応答とは,細胞(個体)があらかじめ低線量の放射線被曝を受けるとその後の高線量での被ばくの影響が軽減される現象であり,マウスを使った実験も行われている。 ゲノム不安定性は細胞が放射線に曝露されると数十世代の分裂を経ても細胞の突然変異頻度が上昇している現象で,発がん機構として注目されているが,照射した精子の受精で生まれたマウス(個体)の毛色遺伝子突然変異でも確認された。 バイスタンダー効果とは放射線を浴びていない細胞の遺伝子に浴びた細胞から生じる物質によって傷がつく現象をいうが,これは50年以上も前から知られており初めて見つかったのは人間においてである(以上について甲D共162・崎山意見書4)。 (7)疫学を裏付ける理論的,実験的知見について 連名意見書は,「疫学調査により10ミリシーベルト以下の影響を観察することが非常に困難であると考えられている。動物の照射実験でもこれだけの数を照射してその結果を観察することは実際上困難である」と指摘するが,この指摘が誤りであることは,本準備書面の第3で述べたとおりである。 放射線による発がんはDNAの複雑損傷が誤って修復されることによって起きると考えられている。培養細胞を使うことによってその損傷がエックス線,1.3mGy(1.3ミリシーベルトと同等と考えて良い)で誘発され,損傷は線量に正比例して増加するという実験はすでに2003年に発表されている(崎山意見書4・参考文献9)。この実験結果は,その後,多くの人が追試しても否定されていない。 (8)最後に ―連名意見書作成者の「市民蔑視・愚民視」の姿勢,連名意見書の立場― 以上述べてきたとおり,低線量被ばくの危険性,LNT理論の正当性を裏付ける疫学調査が次々と公表されている事実を指摘して同論文を引用する崎山氏に対し,連名意見書は,崎山氏の主張が「明らかに誤っている」と述べ,引用された各疫学調査や論文が恰も無価値のものであるかのように批判している。 しかしながら,連名意見書の当該部分を主として担当したとされる柴田氏(と言っても,そのすべての文章を柴田氏が起案したわけではなく,残りの文章を他の誰が起案したのかは,柴田氏自身にもわからないということである)は,法廷での尋問に対し,前項までに指摘したような内容を証言したのであって,崎山氏の意見書の内容を客観的に評価しようとする姿勢に欠けていると言わざるを得ない。 そもそも,柴田氏は,今回の事故における線量推定に幅があること,内部被ばくには分かっていない点が多いこと,個人によって幅があることなどを全て認めつつ,それでも(私には)リスク評価はできる,それができない市民は,冷静かつ論理的な判断ができず,「一部の専門家」の情報に振り回されている,という姿勢を示したのである(柴田反対尋問調書44頁~48頁)。 結局,柴田氏(及び,柴田氏が主として起案したとされる連名意見書)の崎山論文批判は,低線量被ばくの危険性を述べる論文が集積されているという事実を軽視し,低線量被ばくの危険性を述べる論文や報告のあら捜しをすることで,それらの信用性を低め,他方,同様にあら捜しをすれば問題が存するが,危険性が大きいものではないとする報告についてだけは過大に評価する,というものに過ぎない。 そして,「科学的に立証」されていない段階で当該情報を市民に提供する者は,市民を徒に不安に陥れるものだとして,批判するのである。 そのような対応を柴田氏(及び連名意見書)が採るのは,柴田氏(及び連名意見書も同様であると推測する)が,日本人は確率論も分からず,論理的思考も欠如しているという認識の下(柴田氏は,そのように認識していると法廷でも明言した。柴田反対尋問調書47頁及び48頁),「科学的に完全に証明されない段階で市民にそれらの情報を提供すること自体が悪なのだ」という判断をしているからである。 そうであるからこそ,意見書は,「低線量放射線健康影響のリスクが大きいとみなすごく一部の『専門家』の影響で,必要以上に被ばくを怖れ,不安にかられている人々が大勢でたことは,福島の復興を阻害する不幸な事態である」と述べているのである(21頁)。 情報を自ら収集し,自ら避難すべきかどうかの判断をしようとし,また判断した市民に対し,「そんなことを一般人は出来るはずがない(が,私には出来る)」として,「我々専門家の意見を聴いておけばよいのだ」いう柴田証人の意識,ひいては連名意見書の拠って立つ立場が透けて見えるところである。 △ページトップへ 原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会 〒612-0066 京都市伏見区桃山羽柴長吉中町55-1 コーポ桃山105号 市民測定所内 Tel:090-1907-9210(上野) Fax:0774-21-1798 E-mail:shien_kyoto@yahoo.co.jp Blog:http://shienkyoto.exblog.jp/ |
|
Copyright (C) 2017 原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会 All Rights Reserved. すべてのコンテンツの無断使用・転載を禁じます。 |