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★ 京都地方裁判所 判決書 事実及び理由
 第3章 当裁判所の判断  第4節 争点④(避難の相当性)について 
(2018年3月15日)

事実及び理由

第3章 当裁判所の判断


第4節 争点④(避難の相当性)について

目 次】(判決書の目次に戻ります)

 第1 認定事実
 第2 判断



 第2 判断


  5 避難の相当性の判断について(各論)

   (1) 原告番号1

 【1】は,平成23年3月12日から13日にかけて,政府の避難指示に基づき,当時居住していた福島県双葉郡富岡町(警戒区域,居住制限区域(平成29年4月1日解除))から京都市へ避難した(甲D1の1,1の2の1,原告【1】本人)
 したがって,避難基準アに該当するから,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (2) 原告番号2

 ア 【2-1,3,4】は,平成23年3月14日から15日にかけて,当時居住していた福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から大阪府へ避難した(甲D2の1の1,2の2の1,原告【2-1】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当するから,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ 【2-2】は,平成25年4月,福島県郡山市から京都市へ避難しているところ,これは,家族状況からして,先に避難した【2-1,3,4】と同居するためもあって京都市へ避難したものである(甲D2の1の1,2の2の1,原告【2-1】本人)
 しかし,避難時期からして,避難基準イ(イ)に該当せず,当該避難は本件事故と相当因果関係があるとは認められない。

   (3) 原告番号3

 【3-1,2】(避難時55歳,59歳)は,平成23年3月16日,当時居住していた福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(甲D3の1の1,3の2の1,原告【3-1】本人)
 同避難は,いずれも子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)ただし書からすると,避難時期の考慮が必要であるが,避難時期は,本件事故当初であるから,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (4) 原告番号4

 【4-1】(避難時32歳)は,平成23年7月4日,【4-2】(避難時32歳)は,同月19日,それぞれ当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(甲D4の1,4の2の1,4の2の2,原告【4-2】本人)
 同避難は,いずれも子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)ただし書からすると,避難時期の考慮が必要であるが,いまだ自主的避難者が増えていた平成23年7月であることからすると,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (5) 原告番号5

 【5】は,平成23年3月16日,当時居住していた福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から,京都市へ避難した(甲D5の1,原告【3-1】本人。)
 同避難は,子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)ただし書からする.と,避難時期の考慮が必要であるが,避難時期は,本件事故当初であるから,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)本文に該当するから,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (6) 原告番号6

 ア 【6-1,2】は,平成23年3月19日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から,埼玉県へ避難した(甲6の1,6の2の1,原告【6-1】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当するから,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ 【6-3】は,【6-2】が妊婦で,前記避難時に出生していなかったのであるから(甲6の1,6の2の1,原告【6-1】本人),避難したという評価をすることはできず,避難の相当性を判断する必要がない。

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   (7) 原告番号7

 ア 【7-1~6】は,平成23年3月17日,当時居住していた福島県いわき市(自主的避難等対象区域)から神奈川県へ避難し,同月26日,福島県いわき市へ戻った(甲D7の1,原告【7-1】本人)
 これは,本件事故当初の移動であり,短期間であっても避難したものと認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,【7-1~4】は,平成23年5月にも,神奈川県へ避難したと述べるが(上記各証拠),これは数日間であり,しかも本件事故発生当初の期間を過ぎているから,短期間のうちに戻ってくる前提のもとでの移動といえ,避難とは認められない。

 イ また,【7-2~6】は,平成23年6月8日,当時居住していた福島県いわき市から秋田県へ避難し,【7-2,3】は,平成24年2月頃,福島県いわき市へ戻った(上記各証拠)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当するから,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。なお,【7-1】も,秋田県へ避難したと述べるが(上記各証拠),翌々日に戻っていることからすれば,子である【7-2,3】の避難に同行したものとみられ,【7-1】自身の避難行動とは異なるから,避難とは認められない。

 ウ 【7-1~3】は,平成24年3月29日,当時居住していた福島県いわき市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当するから,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (8) 原告番号8

 【8-1~3】は,平成23年10月17日,当時居住していた福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(甲D8の1,8の2の1,原告【8-1】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当するから,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (9) 原告番号9

 ア 【9-1,3,4】は,平成23年3月12日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から福島県会津若松市へ避難し,同月14日,福島市へ戻った(甲D9の1,原告【9-1】本人)
 これは,本件事故当初の移動であり,短期間であっても避難したものと認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,【9-3,4】は,平成23年3月,再び福島県会津若松市へ避難したと述べるが(上記各証拠),これは数日間,一旦福島市へ戻った後に行われた移動であり,短期間のうちに戻ってくる前提のもとでの移動といえるから,避難とは認められない。

 イ 【9-1,3,4】は,平成23年8月3日から同月4日にかけて,当時居住していた福島市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 ウ 【9-2】は,平成23年8月21日,当時居住していた福島県会津若松市から,京都市へ避難した(上記各証拠)。当該避難は,自主的避難等対象区域外からなされた避難であり,避難基準ウの該当性が問題となる。
 当該避難については,居住場所から福島第一原発までの距離が約99kmで自主的避難等対象区域が概ね含まれる福島第一原発80km圏内を越えること(乙D9の3),当該避難の時期(平成23年8月)の近くのモニタリングポスト(会津美里町役場高田支所)の空間線量は,0.10~0.14μSv/hであること(乙D共208の6)が認められる。そのほかにも,当該避難が,本件事故当初ではなく,当初の混乱期を脱した平成23年4月23日以降に行われたものであること,【9-2】の妹弟である【9-3,4】は当時それぞれ18歳,16歳で未成年者であったが,母である【9-1】と同居しており,【9-2】は,当時24歳であり,本件事故当時,仕事のために【9-1,3,4】とは別居しており,【9-3,4】の日常生活上の世話をしていたわけではないこと(甲D9の1,原告【9-1】本人)といった事情が認められる。
 これらの事情を総合勘案すると,本件記録に表れた他の事情を考慮しても【9-2】が自らのためとしても,【9-3,4】の監護の補助者としても,その避難が,個別具体的事情によっても,避難基準イの場合と同等の場合又は同場合に準じる場合とまではいいがたい。したがって,【9-2】の上記避難は,本件事故と相当因果関係があるものと認めることはできない。

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   (10) 原告番号10

 ア 【10-1,3】は,平成23年3月19日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から千葉県へ避難し,同年4月3日,福島市へ戻った(甲D10の1,10の2の1,原告【10-2】本人)
 当該避難については,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ また,【10-1,3】は,平成23年4月11日,当時居住していた福島市から長野県へ避難した(上記各証拠)
 当該避難についても,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (11) 原告番号11

 ア 【11-1~4】は,平成23年3月16日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から山形県へ移動し,【11-1】は,同月18日に福島市へ戻り,【11-4】は同年4月8日に,【11-2,3】は同月24日に,それぞれ移転先の北海道から福島市へ戻った(甲D11の1の1~3,原告【11-1】本人)
 これらの各移動のうち,【11-1】については,短期間であるものの,本件事故直後の移動であることからして,避難したものと認められるし,【11-2~4】については,本件事故直後の移動で,一定期間避難場所に滞在しているから,避難であることが明らかであり,いずれの避難も,避難基準イ(ア)本文に該当し,本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ 【11-2,3】は,平成23年5月10日,福島市から福島県喜多方市へ避難し,同年7月24日,福島市へ戻った(上記各証拠)
 この避難は,避難基準イ(ア)本文に該当し,本件事故と相当因果関係があると認める。

 ウ また,【11-2,3】は,当時居住していた福島市から,青少年支援プロジェクトに参加するため沖縄県に一時滞在した後,平成23年8月23日,京都市へ避難した(上記各証拠)
 上記移動のうち,福島市から沖縄県への移動は,短期間であり,その目的からして避難とは認められないが,京都市へ移動したことについては,福島市から避難したとみることができるため避難にあたるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,本件事故と相当因果関係があると認める。

   (12) 原告番号12

 ア 【12-1,2】並びに【12-1,2】の長男及び次男(以下,(12)においては,それぞれ「長男」「次男」という。)は,平成23年3月14日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から京都市へ移動し,同年4月1日に【12-2】が,同月5日に【12-1】と次男が,それぞれ福島市へ戻った(甲D12の1,12の1の2・3,原告【12-1】本人)
 これは,本件事故直後の移動であり,短期間であっても避難したものと認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。なお,【12-1】と次男は,平成23年7月頃にも,京都市へ避難した旨述べるが(上記各証拠),夏休みの間のみの移動であることからすれば,居住地へ短期間のうちに戻る前提での移動であるといえ,避難とは認められない。

 イ 【12-1】と次男は,平成23年9月25日,福島市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 これは,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難には本件事故と相当因果関係があると認める。

   (13) 原告番号13

 ア 【13-1~3】は,平成23年5月26日,当時居住していた茨城県つくば市から京都市へ避難した(甲D13の1,13の2の1・2,原告【13-1】本人)
 当該避難は,平成24年4月1日までになされた避難であり,自主的避難等対象区域外からの避難であるから,避難基準ウの該当性が問題となる。

 イ 【13-3】は避難当時4歳であり,年少者で,【13-1,2】と同居していた(上記各証拠)。もっとも,【13-1~3】の自宅から福島第一原発までは約172kmの距離があり(乙D13の1),上記避難時に近い平成23年5月27日時点の【13-1~3】の自宅近くのモニタリングポスト(二の宮幼稚園)における空間線量は,0.20μSv/h(地表から100cm)~0.27μSv/h(地表付近)であったこと(乙D共210の1),同年6月20日以降の測定においてはさらに減少傾向がみられること,本件事故の前後でつくば市の人口は増えており,【13-1~3】の周囲でも【13-1~3】のほかに自主的避難をした者はいなかったこと(乙D共210の2,乙D13の3~5,原告【13-1】本人)が認められる。

 ウ 以上の事情を総合勘案すると,個別具体的事情によっても,【13-1~3】の上記避難は,避難基準イの場合と同等の場合又は避難基準イの場合に準じる場合とまではいいがたい。当裁判所としては,長年不妊治療を続けて【13-3】をもうけることができたことから,【13-3】を守りたかったという【13-1,2】の心情(甲D13の1,【13-1】本人)は十分理解するものであるが,諸事情を総合勘案した際の上記判断は,やむを得ないものであると考える。
 したがって,【13-1~3】の避難が,本件事故と相当因果関係のある避難であるとは認められない。

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   (14) 原告番号14

 ア 【14-1】は平成23年5月12日,【14-2,4】は同月13日,それぞれ当時居住していた福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(甲D14の1,14の2の1・2,原告【14-1】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ なお,【14-3】は,【14-2】が妊婦で,前記避難時に出生していなかったのであるから,避難したという評価をすることはできず,避難の相当性を判断する必要がない。

   (15) 原告番号15

 ア 【15-1,2】は,平成24年2月24日に,【15-3,4】は,同年4月5日に,それぞれ当時居住していた福島県大沼郡会津美里町から京都市へ避難した(甲D15の1の1・2,15の2の1~3,原告【15-1】本人)
 【15-1,2】の避難は,平成23年4月23日以降平成24年4月1日までになされた避難であり,自主的避難等対象区域外からの避難であるから,避難基準ウの該当性が問題となる。【15-3,4】についても,上記期間から4日経過した後の避難であるが,これに準じるものとして,同様の検討をする。

 イ 【15-2】は当時10歳であり、【15-1,3,4】と同居していたところ,【15-2】は,【15-1】の子であり,【15-3,4】は,【15-1】の妹である(上記各証拠)。自宅から福島第一原発までは約105kmの距離がある(乙D15の1)。そのため,自宅は,自主的避難等対象区域全部が含まれる福島第一原発100km圏内の外にあることになる。自宅近辺の空間線量については,本件事故直後である平成23年3月20日,モニタリングポスト(会津美里町役場高田支所)において0.53μSv/hを観測したものの(乙D共208の1),翌月には最大0.21μSv/hと減少傾向となり(乙D共208の2),避難時に最も近い平成24年2月時点では,最大で0.10μSv/hを観測しており(乙D共208の12),同町内における他のモニタリングポスト(会津三里町役場本郷庁舎)を見ても,平成24年4月前半の時点では,最大で0.13μSv/hであった(乙D共117の2)。また,【15-2】は,平成24年4月,甲状腺障害の一種である橋本病であるとの診断を受け,当初は2か月に一度,平成29年5月段階では1年に一度検査を受け続けており,医師から今後も長期間の検査が必要と言われている。(甲D15の1の1・2,原告【15-1】本人)

 ウ 以上の事情を総合勘案すると,個別具体的事情によっても,【15-3,4】の上記避難は,避難基準イの場合と同視できる場合又は同場合に準じる場合とまではいいがたい。したがって,【15-3,4】の避難は,本件事故と相当因果関係のある避難であるとは認められない。

 エ 他方で,【15-1,2】については,【15-2】について,特殊な事情があり放射線の影響を特に懸念しなければならない特別な事情がある可能性があるので,さらに検討する。【15-2】は,上記のとおり,避難直後の平成24年4月,甲状腺障害の一種である橋本病であるとの診断を受けており,本件事故との因果関係は明らかではないものの,4歳の頃に病気になり,毎年検査を受けており,避難前から体調不良を感じていたこと(甲D15の2の1~3,原告【15-1】本人)からすれば,本件避難は橋本病の悪化を直接懸念したものではなかったものの,体調不良の悪化を避ける理由もあったと推認され,橋本病が判明してからは,その悪化を避けるために避難を続けたものと認められる。そうすると,前記事情があるところ,一般的に被ばくをした場合に,甲状腺に影響を及ぼすことが知られており,【15-2】の橋本病が本件事故によるものと断定されていないとしても,そのようなリスクを持つ者が,居住地に帰らないと判断することは,当事者のみならず,一般人から見てもやむを得ない面があるから,全体としてみると,【15-1,2】が避難した判断は,社会通念上相当であり,合理的な理由に基づく避難と認められる。もっとも,上記イで述べた事情もあることから,個別具体的事情によって,避難基準イ(ア)の場合と同等とまではいいがたいが,その場合に準じる場合ということはできる。
 したがって,【15-1,2】の避難は,本件事故と相当因果関係のある避難と認めることができる。

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   (16) 原告番号16

 ア 【16-1,2】は,本件事故当時,福島県二本松市(自主的避難等対象区域)に居住していたが,地震のため帰宅することができず,福島市に一時滞在し,平成23年3月19日,福島市から新潟県へ移動した(甲D16の1の1,16の2の1・2,原告【16-1】本人)
 新潟県への移動は,地震のために福島県二本松市に帰宅できなかったという側面もあるものの,同市に近い福島市にとどまらずに,新潟県へ移動したのであるから,本件事故による避難とみることができる。したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ また,【16-1,2】は,平成23年11月9日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(上記各証拠)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,【16-1,2】は,平成23年5月から10月にかけて,多数回,東京都や青森県などの複数の地域に避難した旨述べるが(甲D16の1の1,原告【16-1】本人),いずれも,滞在先における滞在期間が短く,居住地へ短期間のうちに戻ってくる前提のもと,移動したものか,避難先を探すための移動である.から,避難と認めることはできない。

   (17) 原告番号17

 【17-2】は,平成23年7月20日,【17-1】は,平成24年3月14日,それぞれ福島市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した。【17-1】は,子である【17-2】と同居する目的もあった。(甲D17の1の1,17の2の1・2)
 したがって,【17-2】の避難は,避難基準イ(ア)本文に,【17-1】の避難は,避難基準イ(イ)にそれぞれ該当し,いずれの避難も本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,【17-1,2】は,平成23年5月,福島県会津地方に避難した旨述べるが(甲D17の1の1),その時期が本件事故当初ともいい難く,期間も2日という短いものであり,居住地へ短期間のうちに戻る前提での移動であるといえるから,避難とは認められない。

   (18) 原告番号18

 【18】は,【18】の子ら2名(当時9歳と8歳)及び両親とともに,平成23年3月12日,福島県南相馬市(緊急時避難準備区域,平成23年9月30日解除)から福島市(避難所)へ避難し,同年4月2日,【18】は,その子ら2名とともに,福島市から京都市へ避難した(甲D18の1の1,18の2の1・2,原告【18】本人)
 これらの避難は,緊急時避難準備区域に指定された場所からの避難であり,避難基準アに該当するから,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

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   (19) 原告番号19

 ア 【19-1,3,4】は,平成23年4月20日,当時居住していた福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(甲D19の1の1,19の2・2の2,原告【19-1】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ 【19-2】は,平成27年4月,事業を整理して,【19-1,3,4】と同居するために福島県郡山市から京都市へ避難した(甲D19の1の1,19の2・2の2,原告【19-1】本人)
 これは,【19-1,3,4】の避難から約4年が経過していることを踏まえると,避難基準イ(ア)本文又は同(イ)に該当しているとはいえず,本件事故と相当因果関係のある避難であるとは認めることはできない。

   (20) 原告番号20

 ア 【20-1,3~6】は,平成23年3月24日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から埼玉県へ移動し,同年4月5日,福島市へ戻った(甲D20の1の1,20の2の1・2・5,原告【20-1】本人)
 これは,本件事故直後の移動であり,短期間であっても避難したものと認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 イ 【20-1,4~6】は,平成24年1月4日,当時居住していた福島市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 これは,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (21) 原告番号21

 ア 【21-1,3,4】は,平成23年3月19日,当時居住していた福島県二本松市(自主的避難等対象区域)から神奈川県へ避難し,同年4月2日,福島県二本松市へ戻った(甲D21の1の1,21の2の1,原告【21-1】本人)
 これは,本件事故当初の移動であり,短期間であっても避難と認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,【21-2】も,避難した旨述べるが(甲D21の1の1,原告【21-1】本人),【21-1,3,4】の避難に同行したにとどまり,直後に帰宅したものと認められ,【21-2】自身の避難行動とは異なるし,子らとの同居のためともいえないから,避難とは認められない。

 イ 【21-1,3,4】は,平成23年5月20日,当時居住していた福島県二本松市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 これは,避難基準イ(ア)本文に該当・し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 ウ【21-2】は,平成24年7月12日,【21-1,3,4】と同居するためもあって,福島県二本松市から京都市へ避難した。【21-3,4】は,【21-1,2】の子らであり,避難時6歳と2歳であった。(上記各証拠)
 【21-2】の避難は,【21-3,4】の避難から2年以内の避難であるから,その目的からして,避難基準イ(イ)に該当し,当該避難は本件事故と柞当因果関係があると認める。

   (22) 原告番号22

 ア 【22-1,2】は,平成23年3月17日,福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から,茨城県へ避難し,同年3月21日,福島県郡山市へ戻った(甲D22の1の1,22の2の1,原告【22-1】本人)
 これは,本件事故当初の移動であり,短期間であっても避難と認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ 【22-1,3】は,平成24年2月3日,福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(上記各証拠)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (23) 原告番号23

 【23-1~5】は,平成23年3月28日から29日にかけて,当時居住していた福島県いわき市(自主的避難等対象区域)から,京都市へ移動し,【23-3】は,平成23年4月3日,【23-2】は,平成24年5月2日,それぞれ福島県いわき市へ戻った(甲D23の1の1,23の2の1,原告【23-1】本人)
 【23-3】の移動は,短期間であるが,本件事故当初の移動であり,避難したと認められ,【23-1,2,5】の移動は,避難であることが明らかである。これら避難は,避難基準イ(ア)本文に該当するから,本件事故と相当因果関係があるものと認める。
 【23-4】は,平成23年4月から進学のため,京都に居住する予定だったこと(甲D23の1の1,原告【23-1】本人),移動した時期が同年3月28日であることからすれば,その移動は進学のためであって避難と認めることはできない。

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   (24) 原告番号24

 ア 【24-2,3】は,平成23年3月15日,【24-1】は,同月22日,それぞれ福島市(自主的避難等対象区域)から新潟県へ避難し,【24-1~3】は,同月24日,福島市へ戻り,【24-2,3】は,同月31日,福島市から新潟県へ避難し,同年4月14日,福島市へ戻った(甲D24の1の1,24の2・2の2,原告【24-2】本人)
 これらは,いずれも本件事故当初の移転であり,短期間であっても避難したものと認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,【24-2,3】は,平成23年4月から7月にかけて,山形県及び宮城県へ避難したと述べるが(甲D24の1の1,原告【24-2】本人),一旦避難から戻ったあとに,いずれも1日から数日の間であることからすれば,短期間のうちに戻ってくる前提のもとでの移動といえ,避難とは認められない。また,【24-4】は,【24-2】が妊婦で,前記避難時に出生していなかったのであるから,避難したという評価をすることはできず,避難の相当性を判断する必要がない。

 イ 【24-2~4】は,平成23年7月14日,福島市から京都市へ避難した(甲D24の1の1,24の2・2の2,原告【24-2】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 ウ 【24-1】は,平成24年10月6日,【24-2~4】と同居するためもあって,福島市から京都市へ避難した。【24-3,4】は,【24-1,2】の子らであり,上記イの避難時2歳と0歳であった。(上記各証拠)
 【24-1】の避難は,【24-2~4】の各避難から2年以内の避難であるから,その目的からして,避難基準イ(イ)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (25) 原告番号25

 ア 【25-2~5】は,平成23年3月15日,【25-1】は,平成23年3月18日,福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から福島県会津若松市へ移動し,同月25日,福島県郡山市へ戻った(甲D25の1の1・2,25の2の1,原告【25-2】本人)
 これは,本件事故直後の移動であり,短期間であっても避難したものと認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ 【25-2~5】は,平成23年7月26日,福島県郡山市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 ウ 【25-1】は,平成25年3月29日,【25-2~5】と同居するためもあり,福島県郡山市から京都市へ避難した。【25-3~5】は,【25-1,2】め子らであり,上記イの避難時6歳,3歳,0歳であった。★(上記各証拠)
 【25-1】の避難は,【25-2~5】の避難から約1年8か月後の避難であり,2年以内の避難であるから,その目的からして,避難基準イ(イ)に該当しており,本件事故と相当因果関係があると認める。

   (26) 原告番号26

 ア 【26-1~5】は,平成23年3月13日,当時居住していた福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から神奈川県へ移動し,【26-1】は,同年3月18日,【26-2~5】は,同月27日,それぞれ福島県郡山市へ戻った(甲D26の1の1)
 これは,本件事故直後の移動であり,短期間であっても避難したものと認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,【26-2~5】は,平成23年4月から5月にかけて,静岡県及び京都府へ避難したと述べるが(上記各証拠),いずれも数日間であることからすれば,短期間のうちに戻ってくる前提のもとでの移動といえるか,又は避難のための下見の移動であるから,避難とは認められない。

 イ また,【26-2~5】は,平成23年6月2日,福島県郡山市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 これは,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 ウ 【26-1】は,平成25年5月頃,【26-2~5】と同居するためもあって,福島県郡山市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 これは,【26-1】が【26-2~5】と同居するためもあるから,【26-2~5】の避難から2年以内の避難であり,その目的からして,避難基準イ(イ)に該当しており,本件事故と相当因果関係のある避難であると認める。

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   (27) 原告番号27

 ア 【27-2~4】は,平成23年8月30日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(甲D27の1の1,27の2の1,原告【27-2】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認められる。
 なお,【27-1~4】は,平成23年5月から8月にかけて,群馬県や宮城県等へ多数回避難した旨述べるが(甲D27の1の1,原告【27-2】本人),いずれも,滞在先における滞在期間が短く,居住地へ短期間のうちに戻ってくる前提のもと,移動しているものとみ得るものか,又は避難先を探すための移動であるから,避難と認めることはできない。

 イ 【27-1】は,平成24年8月19日,【27-2~4】と同居するためもあって,福島市から京都市へ避難した。【27-3,4】は,【27-1,2】の子らであり,上記アの避難時13歳と7歳であった。(甲D27のIの1,27の2の1,原告【27-2】本人)
 【27-1】の避難は,【27-2~4】の避難から2年以内に避難したものであり,その目的からして,避難基準イ(イ)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (28) 原告番号28

 【28】(避難時77歳)は,平成23年3月15日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から京都府へ避難した(甲D28の1の1,28の2の1,原告【28】本人)
 同避難は,子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)からすると,避難時期の考慮が必要であるが,避難時期は,本件事故当初であるから,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (29) 原告番号29

 ア 【29-1,2】は,平成23年3月15日,当時居住していた福島県いわき市(自主的避難等対象区域)から東京都へ移動し,同年4月1日,福島県いわき市に戻った(甲D29の1,29の2・2の2,原告【29-1】本人)
 これは,本件事故当初の移動であり,短期間であっても避難したものと認められるから,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ また,【29-1,2】は,平成23年7月23日,福島県いわき市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (30) 原告番号30

 ア 【30-1~3】は,平成23年3月18日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難し,【30-1】は同月19日,【30-2,3】は同月28日,それぞれ福島市に戻った(甲D30の1,30の1の2,原告【30-2】本人)
 これらは,本件事故当初の移動であり,短期間であっても避難したものと認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,【30-1~3】は,平成23年6月にも京都市へ避難した旨述べるが(上記各証拠),滞在期間が短く,居住地へ短期間のうちに戻る前提のもと,移動しているものといえるから,避難と認められない。

 イ また,【30-2,3】は,平成23年7月30日,当時居住していた福島市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,同日,【30-1】も避難した旨述べるが(上記各証拠),【30-2,3】の避難に同行したにとどまり,翌日には帰宅しており,【30-1】自身の避難行動とは異なるから,避難とは認められない。

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   (31) 原告番号31

 【31-2,3】は,平成23年8月5日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(甲D31の1の1,31の2の1~3,原告【31-2】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (32) 原告番号32

 【32-1~5】は,平成23年3月14日から18日にかけて,当時居住していた福島県いわき市(自主的避難等対象区域)から滋賀県へ避難した(甲D32の1の1,32の2の1~3,原告【32-1】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (33) 原告番号33

 ア 【33-2,3】は,平成23年3月18日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から京都府へ避難した(甲D33の1,33の2の1~2,原告【33-2】本人)
 したがって言避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,【33-1】も,避難した旨述べるが(甲D33の1,原告【33-2】本人),【33-2,3】の避難に同行したにとどまり,2日後に帰宅したものであり,【33-1】自身の避難行動とは異なるから,避難とは認められない。

 イ 【33-1】は,平成24年1月24日,先に避難していた【33-2,3】と同居することも目的として,当時居住していた福島市(自主由避難等対象区域)から京都府へ避難した。【33-3】は,【33-1,2】の子であり,上記アの避難時1歳であった。(甲D33の1,33の2の1~2,原告【33-2】本人)
 【33-1】の避難は,【33-3】の避難から2年以内の避難であるから,その目的からして,避難基準イ(イ)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (34) 原告番号34

 ア 【34-1~4】は,本件事故当時福島県白河市に居住していたが,【34-1】が【34-4】を出産した後に,【34-1】の実家のある福島県西白河郡西郷村に移転した。【34-2】は平成24年2月24日,【34-1,3,4】は,同月25日,それぞれ福島県西白河郡西郷村から京都市へ避難した(甲D34の1,34の2の1~3,原告【34-1】本人)
 当該避難について,避難基準ウの該当性がそれぞれ問題となる。

 イ 本件事故時,【34-1】は【34-4】を妊娠中であり,事故後出産した子(【34-4】)及び上記アの避難時4歳の【34-3】と同居していたこと,【34-1~4】が居住していた福島県白河市から福島第一原発までは約82kmの距離があり,同原発80km圏内に近いこと,事故後転居した福島県西白河郡西郷村の自宅からの福島第一原発までの距離もほぼ同じであること,上記白河市及び同西郷村は,いずれも被告東電の賠償基準で,県南地域として賠償の対象区域となっていることが認められる(乙D34の1,原告【34-1】本人,乙D共35)

 ウ 以上を踏まえると,上記避難は,自主的避難等対象区域からの平成24年4月1日までの避難と同視することができるから,避難基準イ(ア)の場合と同等の場合ということができる。【34-1~4】は,本件事故後にいったん転居しているが,転居先でも同様の状況であったといえ,そのことが避難の相当性を判断するにあたって影響を及ぼすものとは認められないから,結局,【34-1~4】の避難は本件事故と相当因果関係があると認められる。

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   (35) 原告番号35

 【35-1~5】は,平成23年3月12日から16日にかけて,当時居住していた福島県いわき市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(甲D35の1の1,原告【35-1】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (36) 原告番号36

 ア 【36-2】(避難時63歳)は,平成23年3月17日,当時居住していた福島県田村郡三春町(自主的避難等対象区域)から東京都へ避難したが,同年6月10日,福島県田村郡三春町へ戻った(甲D36の1,36の2の1,原告【36-2】本人)
 同避難は,子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)ただし書からすると,避難時期の考慮が必要であるが,同避難は,本件事故当初の避難であることからすると,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 また,【36-2】は,平成23年6月から平成24年3月までの間,東京都へ避難していたと述べるが(甲D36の1,原告【36-2】本人),その間の東京都における滞在日数はわずか7日であり,避難していたという実態が認められない。

 イ また,【36-2】,は,平成24年3月6日から10日にかけて,当時居住していた福島県田村郡三春町から東京都を経由し,大阪府へ避難した(甲D36の1,36の2の1,原告【36-2】本人)
 同避難も,子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)からすると,避難時期の考慮が必要であるが,同避難は,平成24年3月になっており,避難はやむを得ないものとまではいえない。したがって,避難基準イ(ア)に該当せず,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認められない。

 ウ 【36-1】(避難時67歳)は,平成24年5月1日,【36-2】と同居するためもあって,当時居住していた福島県田村郡三春町から京都市へ避難し,同年11月23日,福島県田村郡三春町へ戻った(上記各証拠)
 しかし,上記避難が,【36-1】自身の避難とみても,本件事故から1年以上が経過した後の避難であるし,【36-2】と同居目的の避難とみても,上記のとおり,【36-2】は避難当時63歳で,子ども又は妊婦を伴わず,その大阪府への避難に避難の相当性は認められないから,いかなる意味でも,【36-1】の避難は避難基準イに該当しない。したがって,当該避難は,本件事故と相当因果関係があるとは認められない。

   (37) 原告番号37

 ア 【37-1,2】(避難時67歳,65歳)は,平成23年3月14日,当時居住していた福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から福島県会津若松市へ避難し,同年3月21日,福島県郡山市へ戻った(甲D37の1,37の1の2,37の2,原告【37-1】本人)
 同避難は,子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)ただし書からすると,避難時期の考慮が必要であるが,同避難は,本件事故当初の避難であることからすると,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ また,【37-1,2】、は平成25年4月26日,先に避難していた娘家族【25-1~5】との実質的な同居(同じ団地での居住)のためもあり,福島県郡山市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 当該避難は,時期からして,避難基準イ(ア)本文に該当しないし,娘家族との同居は,両親としてではなく,祖父母としての子どもとの同居であることから,避難基準イ(イ)にも該当しない。したがって,本件事故と相当因果関係のある避難であると認めることはできない。

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   (38) 原告番号38

 ア 【38】は,平成23年3月15日,同居していた長男(当初避難時8歳)とともに,当時居住していた福島県大沼郡金山町から広島県へ避難し,同年4月5日,福島県大沼郡金山町へ戻った(避難①,甲D38の1の1,38の2の2,原告【38】本人)。また,同年8月27日,当時居住していた福島県大沼郡金山町から京都府へ避難した(避難②,上記各証拠)。
 なお,平成25年4月,イギリスへ渡航したことについても避難である旨述べるが(甲D38の1の1,原告【38】本人),本件事故によって海外へ避難しなければならないとはいえないし,一旦避難した後の移転であることからすれば,避難とは認められない。避難①②は,自主的避難等対象区域外からの避難であるから,避難基準ウの該当性がそれぞれ問題となる。

 イ 本件事故時,【38】は,当時8歳の子と同居していた(甲D38の1の1,38の2の2,原告【38】本人)。【38】の自宅から福島第一原発までは約134kmの距離がある(乙D38の1)。また,自宅近辺の空間線量については,本件事故当初である平成23年3月20日,モニタリングポスト(金山町役場)において0.31μSv/hを観測し(乙D共208の1),翌月には最大0,14μSv/hと減少傾向となり(乙D共208の2),避難②時に最も近い平成23年7月から8月の時点では,0.11μSv/h前後の値を観測したことが認められる(乙D共208の5,6)。そして,【38】は,本件事故当初に,イギリス人の夫が,海外での情報を入手したため,国内の報道とは落差を感じ,また,英国大使館からは,関東以北への立入りを原則しないように警告があったなどの情報に接し,これらの情報もあって,【38】は,避難①をしたことが認められる(甲D38の1の1,原告【38】本人)

 ウ 以上を踏まえると,避難①については,上記のとおり,避難①から5日後の平成23年3月20日に,0.31μSv/hを観測していることからすれば,避難①時点においても同程度の空間線量であったことが推認されるから,避難時までに0.23μSv/h以上を観測したものとみることができる。そして,避難①は,情報が混乱していた本件事故当初の避難であり,夫から得ていた海外での情報も併せて勘案すると,その情報の正確性はともかくとして,同居する子のために避難したことは,【38】の立場においては,福島第一原発からの距離を考慮しても,当事者のみならず,一般人からみてもやむを得ないものであって,少なくとも,避難基準イに準じる場合であるということができる。したがって,避難①は,本件事故と相当因果関係があると認められる。

 エ しかし,避難②については,【38】の自宅が福島第一原発から約134kmと離れていること,避難②前後においては空間線量の値が低下していること情報の混乱期を脱した平成23年4月22日以降の避難であることその他放射線の影響を特に懸念しなければならない特別な事情を有していると認めるに足りる証拠はないことからすれば,【38】の避難②が,当事者のみならず,一般人からみてもやむを得ないものであるとまではいえず,個別具体的事情によっても,避難基準イの場合と同視できる場合又は同場合に準じる場合とまではいいがたい。したがって,避難②が本件事故と相当因果関係のある避難であるとは認めることはできない。

   (39)原告番号39

 ア 【39】(避難時46歳)は,平成23年3月14日,当時居住していた福島県田村郡三春町(自主的避難等対象区域)から新潟県へ移動したが,同月20日,福島県田村郡三春町へ戻った(甲D39の1・1の2,39の2の1~4,原告【39】本人)
 これは,本件事故当初の移動であり,短期間であっても避難したものと認められる。そして,同避難は,子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)ただし書からすると,避難時期の考慮が必要であるが,同避難は,本件事故当初の避難であることからすると,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,から,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ また,平成23年4月4日,【39】は,当時居住していた福島県田村郡三春町から実家のある中国へ渡航し,その後は2度帰国しているが,その間ほとんどを中国で過ごしており,福島県田村郡三春町に帰国した際も,1か月を超えて滞在することはなかった(上記各証拠)
 以上を踏まえると,本件事故によって海外へ避難しなければならないとはいえず,たとえ【39】の実家が中国にあったとしても,中国は,損害賠償の相当因果関係を認めるべき避難先としては,相当とは認められないものの,平成23年4月4日以降,平成24年3月2日に福島県田村郡三春町へ戻るまでの間,【39】が避難の意思を有した上で,避難を実行していたことは認められる。

 ウ さらに,【39】は,平成24年5月1日,福島県田村郡三春町(自主的避難等対象区域)から京都市へ転居したことも避難であると述べるが(甲D39の1・1の2,原告【39】本人),福島県田村郡三春町へ一度帰国しているとはいえ,上記のとおり,一旦,長期にわたって避難した後に実施された転居であることから,新たな避難ではなく,実質的には移転と認められる。

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   (40) 原告番号40

 ア 【40】及び【40】の長男及び長女(以下,(40)においては,それぞれ「長男」「長女」という。)は,平成23年3月15日,当時居住していた福島県いわき市(自主的避難等対象区域)から,栃木県へ移動した(甲D40の1,原告【40】本人)。【40】は,同年4月1日,長男及び長女は,同月23日,それぞれ福島県いわき市へ戻った(上記各証拠)
 これらは,本件事故直後の移動であり,短期間であっても避難したものと認められるから,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ 【40】,長男及び長女は,平成24年6月26日,福島県いわき市から京都市へ避難した(甲D40の1,40の2の1・2,原告【40】本人)
 同避難は,時期からすると,避難基準イ(ア)本文に該当しないし,前記栃木県等への避難からも1年以上経過しており,当時居住していた自宅の建物において火災が発生し住むことができなくなったことも避難を決めた理由の一つであることからすれば(上記各証拠),避難基準イ(ア)本文に準じることもできず,もはや,本件事故と相当因果関係のある避難であると認めることはできない。

   (41) 原告番号42

 【42】(避難時60歳)は,平成23年3月14日,当時居住していた福島県田村市(自主的避難等対象区域)から福島県大沼郡昭和村へ避難した(甲D42の1,42の2の1,原告【42】本人)
 同避難は,子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)ただし書からすると,避難時期の考慮が必要であるが,同避難は,本件事故当初の避難であることからすると,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (42) 原告番号43

 ア 【43-1~4】は,平成23年5月19日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から山形県へ避難した(甲D43の1,143の1の2,43の2の1,原告【43-1】本人)。避難後,【43-3】の学校の関係で,福島市へ定期的に通う形になり,冬期の間は週のほとんどを福島市で過ごしていたとはいえ,生活の本拠は山形県にあった(上記各証拠)。このため,【43-1~4】は,継続して山形県へ避難していたと認められる。
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。なお,平成23年5月8日の山形県への移動,平成23年7月の北海道への移動は,いずれも短期間のうちに戻ってくる前提のもとでの移動といえるから,避難とは認められない。

 イ 【43-1~4】は,平成24年3月22日,福島市から京都市へ避難した(上記各証拠)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (43) 原告番号44

 ア 【44-1~3】は,平成23年3月11日から13日にかけて,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から,山口県へ避難し,【44-2】は,福岡県を経て,同年4月18日,福島市へ戻った(甲D44の1の1,44の1の2,44の2の1,原告【44-2】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ 【44-2】は,平成23年5月,当時居住していた福島市から山形県へ避難した(上記各証拠)
 同避難は,子ども又は妊婦を伴わない避難であるから,避難基準イ(ア)ただし書からすると,避難時期の考慮が必要であるが,本件事故当初の期間から1か月程度しか経過していない避難であるから,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

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   (44) 原告番号45

 【45-2,3】は,平成23年3月20日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から東京都へ避難した(甲D45の1,45の2・2の2,原告【45-1】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (45) 原告番号46

 ア 【46-1~5】は,平成24年2月4日,当時居住していた千葉県松戸市から三重県へ避難した(甲D46の1の1,46の2の1,原告【46-2】本人)
 同避難は,平成23年4月23日から平成24年4月1日までになされた避難であり,自主的避難等対象区域外からの避難であるから,避難基準ウの該当性が問題となる。

 イ 【46-3~5】は,【46-1,2】の子であり,当時同居していた。【46-3】は当時10歳,【46-4】は当時8歳,【46-5】は当時2歳であった。【46-4】は,1歳10か月頃に急性リンパ性白血病を発症し,2年程度治療した上で,本件事故当時は寛解しており,経過観察を続けている状態であった。【46-2は】,医師から,【46-4】の病気が再発すれば,骨髄移植が必要であり,命に関わると聞いていた。(以上につき,上記各証拠のほか,甲D46の7の1~9)。【46-1~5】の自宅から福島第一原発までは約205kmの距離がある(乙D46の1)。また,自宅近辺の空間線量については,最も近い「西ノ下公園」において,平成23年11月1日,約0.25μSv/h(地表から50cm)を観測し(乙D共212の2,乙D46の2),その後,平成24年7月4日,約0.15μSv/h(地表から50cm)を観測している(乙D共212の3)。また,自宅から少し離れた「はすだ公園」においては,平成23年11月2日,約0.41μSv/h(地表から50cm)を観測している(乙D共212の2)。なお,避難時に近い時点においては,「古ヶ崎保育所」において,平成24年2月6日,約0.15μSv/h、(地表から50cm)を観測している(乙D46の5)

 ウ 以上を踏まえると,自宅から福島第一原発までの距離が,自主的避難等対象区域が全部含まれる100kmの距離から2倍程度あることや避難時期が本件事故から相当期間が経過し,平成24年になっていたとの事情がある。しかし,本件では,自宅から最も近い「西ノ下公園」では,避難前後で約0.15から0.25μSv/hが観測されており,それに加えて,「古ヶ崎保育所」より自宅に近い「はすだ公園」においては,それよりもはるかに高い値の約0.41μSv/hが観測されている。これらの計測の高さが地表から50cmであり,1mの位置よりも低い場所における測定であることからすると,高い数値を計測した可能性があるとはいえ,【46-4】の年齢からすれば,高さ50cmでの数値であっても,参考とすることが不合理とまではいえない。また,【46-1~5】の避難時は平成24年2月であり,空間線量は減少傾向であったと見られることを踏まえても,上記のとおり,【46-4】が急性リンパ性白血病に罹患していたことがあり,当時は寛解していたとはいえ,経過観察等の状態にあり,再発すれば命に関わると医師から聞いていたことを踏まえると,確定的に影響を及ぼすような空間線量の値でなかったとしても,前記のような空間線量の上昇を観測している場合に,その影響を懸念して避難したとしても,【46-1~5】の立場においては,当事者のみならず,一般人からみても避難はやむを得ないものである。もっとも,上記のとおり,福島第一原発までの距離や避難時期も考慮すると,避難基準イの場合と同等の場合とまでいうことはできないが,避難基準イの場合に準じる場合ということができ,【46-1~5】の避難は本件事故と相当因果関係があると認められる。

   (46) 原告番号47

 ア 【47】は,【47】の長男(本件事故時には幼稚園児)及び長女(本件事故時1歳。以下,(46)においては,それぞれ「長男」「長女」という。)とともに,平成2.3年9月7日,仙台市太白区からアメリカへ渡航し,同年11月4日,仙台市太白区へ戻った(甲D47の1,原告【47】本人)
 アメリカへの渡航は,避難先として相当とは認められないものの,【47】が避難の意思を有した上で,避難を実行していたことは認められるから,この限度において,平成24年4月1日までになされた自主的避難等対象区域外からの避難として,避難基準ウに該当するか否かが問題となる。
 なお,【47】は,平成24年1月,沖縄県へ避難した旨述べるが(上記各証拠),これは短期間で戻る前提の移動であるから,避難とは認められない。

 イ 【47】は,当時同居していた年少者である長男及び長女とともに避難しているが,自宅から福島第一原発までは約89kmの距離があること(乙D47の1),平成23年6月27日時点の【47】の自宅のある仙台市太白区における空間線量は,最大0.18μSv/h(地表から50cm)が測定されていることが認められる(乙D共214の1,乙D共217の1)。また,避難時期も,平成23年9月7日で本件事故当初とはいえないし,自宅のあった仙台市太白区は,避難指示等対象区域にも自主的避難等対象区域にも接していない。さらに,上記の事情に加えて,その他,放射線の影響を特に懸念しなければならない特別な事情があると認めるに足りる証拠もないことからすれば,【47】の避難が,避難基準イの場合と同等の場合又は同場合に準じる場合とまではいいがたい。年少者2人を抱えて,心理的に負担があったことはうかがえるが,避難基準ウを満たすとまではいえない。

 ウ したがって,【47】の避難が,本件事故と相当因果関係のある避難であるとは認められない。

   (47) 原告番号48

 ア 【48-1~3】は,平成23年3月15日,当時居住していた福島県郡山市(自主的避難等対象区域)から福島県会津若松市へ避難し,同月18日,福島県郡山市へ戻った(甲D48の1,48の2の1,原告【48-2】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 イ また,【48-2~4】は,平成23年6月29日,【48-1】は,【48-2~4】と同居するためもあって,同年8月,それぞれ福島県郡山市から京都市へ避難した。【48-3】は,【48-1,2】の子であり,避難時1歳であった。(上記各証拠)
 したがって,【48-2~4】は避難基準イ(ア)本文に,【48-1】は,【48-3】の避難から2年以内の避難であるから,その目的からして,避難基準イ(イ)にそれぞれ該当し,当該各避難はいずれも本件事故と相当因果関係があると認める。

 ウ 【48-5】は,平成26年2月17日,福島県郡山市から京都市へ避難し,【48-6】は,平成27年9月26日,福島県郡山市から京都市へ避難した(甲D48の1,48の2の2・3,原告【48-2】本人)
 【48-5】(避難時34歳)の避難は,平成24年4月1日以降のものであるし,【48-5】は,【48-2】の兄であり,【48-3】の伯父に当たるから(上記各証拠),その避難は,避難基準イ(ア)本文又は同(イ)に該当しているとはいえず,本件事故と相当因果関係のある避難であると認めることはできない。【48-6】(避難時63歳)の避難も,平成24年4月1日以降のものであるし,【48-6】は【48-3】の祖父に当たるから,その避難は,避難基準イ(ア)本文又は同(イ)の条件に該当しているとはいえず,本件事故と相当因果関係のある避難であると認めることはできない。

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   (48) 原告番号49

 【49】(避難時43歳)は,平成23年3月17日から18日にかけて,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から大阪府へ避難し,平成27年7月,福島市へ戻った(甲D49の1の1,49の2の1,原告【49】本人)
 同避難は,子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)ただし書からすると,避難時期の考慮が必要であるが,同避難は,本件事故当初の避難であることからすると,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (49) 原告番号50

 【50】(避難時23歳)は,平成23年3月14日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から新潟県へ避難した(甲D50の1,50の2,50の2の2,原告【50】本人)
 同避難は,子ども又は妊婦を伴わない。そのため,避難基準イ(ア)ただし書からすると,避難時期の考慮が必要であるが,同避難は,本件事故当初の避難であることからすると,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (50) 原告番号51

 ア 【51-2,3】は,平成23年3月15日,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から新潟県へ避難し,同年6月23日,福島市へ戻った(甲D51の1の1,51の2の1・2,原告【51-1】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。
 なお,【51-1】は,【51-2,3】の避難に同行しただけであり,【51-1】自身の避難行動とは異なるから,その同行は,避難とは認められない。

 イ 【51-2,3】は,平成23年7月2日,福島市から山形県へ避難した(上記各証拠)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

 ウ 【51-1】は,平成25年11月19日,【51-2,3】と同居するためもあり,当時居住していた福島市から京都市へ避難した。【51-3】は,【51-1,2】の子であり,避難時1歳であった。(上記各証拠)
 【51-1】の避難は,【51-3】の避難から2年半以上が経過していることからすれば,避難基準イ(イ)に該当しているとはいえず,本件事故と相当因果関係のある避難であると認めることはできない。

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   (51) 原告番号52

 ア 【52-1~4】は,平成24年1月27日,当時居住していた茨城県北茨城市から京都市へ避難した(甲52の1の1,52の2の1・2,原告【52-1】本人)
 当該避難は,平成24年4月1日までになされた避難であり,自主的避難等対象区域外からの避難であるから,避難基準ウの該当性が問題となる。

 イ 【52-2~4】は,【52-1】の子であり,避難当時同居し,【52-2】は当時12歳,【52-3】は当時9歳,【52-4】は当時6歳であった(上記各証拠)。【52-1~4】の自宅から福島第一原発までは約67kmであり,自主的避難等対象区域の多くが入る福島第一原発80km圏内であり,自宅のある茨城県北茨城市は,自主的避難等対象区域である福島県いわき市に接している(乙D52の1,弁論の全趣旨)。また,自宅近辺の空間線量については,最も近い「関本中学校」において,平成23年4月,0.51μSv/h(地表から1m)を,その後の平成24年1月,約0.17μSv/h(地表から1m)をそれぞれ観測している(乙D共211の1)。一方,茨城県北茨木市における可搬型モニタリングポスト(茨城県災害対策本部)では,平成23年3月13日,14日には,0.046~0.053μSv/hを観測していたが,同月15日には,最大5.575μSv/h(最大になって以後の最小は0.612μSv/h),同月16日にも最大15.800μSv/h(最小は0.552μSv/h)を観測し,以後も0.598(同月31日の最小値)~2.530μSv/h(同月23日の最大値)を観測していた(同月16日から31日までは,一日の空間線量は,同月15日,16日ほどの変動はない。甲52の9の1~37)。【52-1】は,同月下旬から,毎日,インターネットで,上記モニタリングポストの情報を得ており,同月16日の最大15.800μSv/hの数値も目にしている(原告【52-1】本人)

 ウ 以上を踏まえると,距離,線量,自主的避難等対象区域との近接性,子どもの存在などから,上記避難は,自主的避難等対象区域からの平成24年4月1日までの避難と同様の避難と評価することができるから,避難基準イ(ア)本文の場合と同等の場合ということができる。したがって,上記避難は,本件事故と相当因果関係があると認められる。

   (52) 原告番号53

 【53】は,平成23年8月24日,当時同居していた長女(避難時11歳)ともに,当時居住していた福島市(自主的避難等対象区域)から京都市へ避難した(甲D53の1の1,53の2の1・2,原告【53】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (53) 原告番号54

 【54-1,2】(避難時32歳,33歳)は,平成23年5月20日,福島県いわき市(自主的避難等対象区域)から京都府へ避難した。【54-1,2】は,放射線を恐れる一方で,もともと農作物で生計をたてようとしていたが,本件事故によって,平成23年の収穫や福島で農業を続けることを諦めざるを得ないと考え,避難を決意した。(以上につき,甲D54の1の1,54の2の1,原告【54-1】本人)
 この避難は,生活面の立直しを図る目的も含むが,恐怖を感じての避難を否定されるものではない。また,子ども又は妊婦を伴わない避難であるから,避難基準イ(ア)ただし書からすると,避難時期の考慮が必要であるが,本件事故当初の期間から1か月程度しか経過していない避難であるから,避難はやむを得ないものと考えられる。したがって,避難基準イ(ア)に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (54) 原告番号55

 ア 【55】は,平成23年12月16日,【55】の子(避難当時0歳)とともに,宮城県仙台市宮城野区から京都市へ避難した(甲D55の1,55の2の1,原告【55】本人)
 当該避難は,平成24年4月1日までになされた避難であり,自主的避難等対象区域外からの避難であるから,避難基準ウの該当性が問題となる。

 イ 【55】は,当時同居していた年少者である子とともに避難しているが,自宅から福島第一原発までは約95kmの距離があること(乙D55の1),【55】が避難する前の平成23年6月8日から避難した同年12月16日まで,宮城県仙台市宮城野区の自宅から近傍測定地点である「高砂保育所」での空間線量は,0.09~0.13μSv/h(地表から50cm)が測定されていることが認められる(乙D共214の1~5,216の1,乙D共217の1)。また,避難時期も,平成23年12月16日であって,本件事故当初とはいえない時期である。さらに,自宅のある宮城県仙台市宮城野区は,自主的避難等対象区域とも接していないとの事情に加えて,その他,放射線の影響を特に懸念しなければならない特別な事情があると認めるに足りる証拠もないことからすれば,【55】の避難が,避難基準イの場合と同等の場合又は避難基準イの場合に準じる場合とまではいいがたい。

 ウ したがって,【55】の避難が,本件事故と相当因果関係のある避難であるとは認められない。

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   (55) 原告番号56

 ア 【56-1】は,平成23年3月12日,本件地震に不安を感じて,当時居住していた栃木県大田原市から東京都へ移動した。【56-2】は,同年1月頃から,一時的に資格取得のため,東京都に居住しており,同年春には栃木県大田原市の自宅へ戻る予定であった。【56-1】は,【56-2】とともに,同年3月17日,東京都から大阪府へ移動した。(甲D56の1の1,56の2の3,原告【56-1】本人)
 【56-1】の東京都への移動は,本件地震によるものであって,本件事故によるものではないが,【56-1,2】の大阪府への移動は,本件事故による影響を心配し,栃木県大田原市に戻ることができないためにしたものであり,避難と認めることができる。そして,当該避難は,自主的避難等対象区域外の栃木県大田原市に関係する避難であるから,避難基準ウの該当性が問題となる。

 イ 【56-1,2】の自宅から福島第一原発までは約100kmの距離があり(乙D56の1),自主的避難等対象区域の全部が入る福島第一原発100km圏内にある。平成23年5月中旬時点の【56-1,2】の自宅近くの明星館幼稚園における空間線量は,0.37μSv/hが,同じ黒羽小学校における空間線量は,0.33μSv/hが,それぞれ測定されている(乙D56の2・3)。空間線量については避難時の数値ではないものの,避難時も少なくとも同程度の空間線量はあったであろうということが推認されるから,避難時まで0.23μSv/hを超える数値を観測したものとみることができる。そして,避難の時期は,本件事故当初である。

 ウ 以上を踏まえると,距離,線量及び避難時期などから,上記避難は,自主的避難等対象区域からの平成24年4月1日までの避難に準じる避難と評価することができるから,避難基準イ(ア)の場合に準じる場合ということができる。したがって,【56-1,2】の避難は,本件事故と相当因果関係があると認められる。

 エ 【56-1】は,【56-1】の亡父(以下,(55)において亡父という。)の避難に伴う慰謝料を相続した旨主張するので,亡父の避難の相当性についても検討する。亡父は,当時栃木県大田原市に居住しており,避難を実行した旨,【56-1】は述べるが(甲D56の1,原告【56-1】本人),亡父の住所は,住民票上は東京都となっており(甲D56の2の4),その他の証拠を併せてみても,亡父が,本件事故時に栃木県大田原市に居住していたことを裏付けるものはなく,上記供述は信用することができない。したがって,亡父は,当時居住していた東京都から避難しているが,避難基準イの場合と同等の場合又は避難基準イの場合に準じる場合とまではいいがたい。亡父の避難は,本件事故と相当因果関係があるものと認めることはできない。

   (56) 原告番号57

 【57-1~6】は,平成23年3月14日,当時居住していた福島県いわき市(自主的避難等対象区域)から福島県会津若松市へ避難した(甲D57の1の1,57の2の1,原告【57-1】本人)
 したがって,避難基準イ(ア)本文に該当し,当該避難は本件事故と相当因果関係があると認める。

   (57) 原告番号58

 ア 【58-1】は,勤務先の大学で生物学を専攻し,放射線の管理責任者も経験していたが,本件事故直後には,大学のモニターが振り切れ,放射線の線量が高いと認識していた。妊婦である【58-2】には悪阻がみられ,余震を避けるためもあり,【58-2】の実家(京都市)に一時的に避難することとし,【58-2,3】は,平成23年3月14日,当時居住していた千葉県柏市から京都市へ避難した。【58-1】は,同年6月頃,千葉県柏市がホットスポットになっているのを知り,勤務先の大学の放射線量の測定においても,高い値が観測されていたので,本件事故も収束していく様子がないと判断した。このため,【58-2】は,千葉県柏市には戻らないことを決意し,【58-2,3】は京都市での避難を継続した。(以上につき,甲D58の1,58の2の1~4,原告【58-1】本人)
 【58-2,3】の京都市への上記避難は,余震を避ける目的もあったが,【58-1】が,放射線の線量が高いと認識しており,平成23年6月以降も,本件事故が収束しないとして,避難を継続しており,避難当時も,放射線の影響を避ける目的もあったとみるのが自然である。したがって,当該避難は,本件事故による避難と認めることができる。そして,同避難は,平成24年4月1日までになされた避難であり,自主的避難等対象区域外からの避難であるから,避難基準ウの該当性が問題となる。

 イ 【58-3】は,3歳の年少者であり,妊婦である【58-2】と同居していた(上記各証拠)。【58-2,3】の自宅から福島第一原発までは約195kmの距離がある(乙D58の1)。平成23年3月15日時点の【58-1~3】の自宅近くにある東京大学柏キャンパスにおける空間線量は,0.72μSv/hが測定され,その後も同月中に,0.80(21日),0.77(22日),0.76.(23日),0.69(24日,25日),0.52~0.59(28日~31日)各μSv/hがそれぞれ観測されている(乙D58の9の6)。避難継続を決めた頃である平成23年6月8日の時点で,【58-1】の自宅から最寄りのモニタリングポストである田中小学校(地上1m)において,0.30μSv/hが,そのほかの柏市のモニタリングポストでは,0.219~0.439μSv/hがそれぞれ観測されていた(乙D58の2・3)。そして,その避難の時期は,本件事故当初の平成23年3月14日である。

 ウ 以上を踏まえると空間線量については,避難時の数値ではないものの,避難時も同程度の空間線量であったことが推認されるから,避難時までに0.23μSv/hを大幅に超える空間線量を観測したものとみることができ,避難時期も本件事故当初であるほか,【58-2】が妊婦であり,【58-3】という年少者を抱えてもいたのであるから,線量,避難時期及び家族構成からして,【58-2,3】の立場においては,当事者のみならず,一般人からみても避難はやむを得ないものである。もっとも,上記のとおり,福島第一原発までの距離も考慮すると,上記避難は,避難基準イの場合と同等とまで評価することまではできないが,避難基準イの場合に準じる場合ということができる。したがって,上記避難は本件事故と相当因果関係があると認められる。

 エ なお,【58-4】は,【58-2】が妊婦であり,前記避難時に出生していなかったのであるから,避難したという評価をすることはできず,避難の相当性を判断する必要がない。

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