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イベント控訴審第2回学習会
★ 「避難の相当性をどう考えるのか? ~リスクの社会的側面からの考察~」 
  平川秀幸さん(大阪大学COデザインセンター教授・科学技術社会論) 

 昨年11月10日に開催した「控訴審にむけた第2回学習講演会」での平川秀幸さんの講演要旨をまとめました。 平川秀幸さんプレゼン
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リスク認知の社会的・規範的意味
  • リスク認知(人びとがリスクをどのようにとらえるか)は大きく、恐ろしさ因子と未知性因子という2つの因子に分けられる。たとえば、放射線は目に見えず、その被害も十分わかっているとは言えないため、リスクも大きく感じてしまう。これは未知性因子に含まれる「観察可能性」がなかったり、「科学的理解」が不足していることによるものである。
  • 通俗的には、一般人のリスク認知は主観的・心理的・感情的で不合理・歪曲があると考えられており、科学的なリスクの認識によって矯正されなければならないものと思われている。政府が言う「リスクコミュニケーション」は、その矯正のための「教育」と考えられている。「リスコミでなくスリコミ(刷り込み)」と批判する人もいる。
  • 環境省の『平成12年度リスクコミュニケーション事例等調査報告書』でも、リスクを、「年間死亡率など科学的データで判断する専門家(またその意見を参考とする行政、事業者)」と「感情で判断する住民」とが対比され、感情的な要因として、破滅性、未知性、制御可能性・自発性、公平性といったリスク認知の因子が挙げられていた。
  • しかしながら、これらの要因は「感情的」で「科学によって矯正すべきもの」と切り捨てていいわけではない。リスク認知を左右する要因には、単に個人の主観的なものだけでなく、個人の価値判断や権利、社会正義に関わる社会的・規範的な意味合いをもつものがたくさんあるからだ。
  • たとえば公平性は、リスクは自分たちにばかりで、便益は他の人びとにといった不公平や不公正がないかに関わっている。自発性は、自分の人生を自分で決められるかという自己決定権の問題であり、人工性は、リスクの背後にある人為的要因を含意し、リスクについて責任が果たされているか、果たされると期待できるかという問題につながっている。未知性は、性質がよく知られているリスクかどうかということだが、これが意味しているのは素人のとっての未知だけではない。科学者にとっても未知のことはたくさんあり、科学が間違ったり、不確実なことがたくさんあるということも意味している。このような科学自体の限界によってリスク対策が失敗した過去の経験から予防原則(事前警戒原則)は生まれた。破滅性は、被害の規模や世代をまたぐ影響を受忍できるかどうかということであり、原発事故裁判でも問題となっている「ふるさと喪失」はまさにその問題だ。行政や企業にいったん不信感を持つと、たとえ正しいことを言っていてもなかなか信じられないなど、信頼性の問題もリスク認知を大きく左右する。
  • これらの問題は、個人の主観や気持ちの問題として片付けられず、リスクを受け入れるか受忍するか、どう管理していくかなどについて「参加と対話による民主的な合意形成や政策決定」が求められる。またいずれの要因でも感情が伴うが、それは個人の権利の侵害や不正義があることへの怒りや不満、そうした問題を解決したいという熱情であり、そうした感情なしには、わたしたちが何かを問題だと感じたり、解決するために理性を働かせることもなくなってしまう。
  • 個人が抱く不安の原因はちゃんとした知識がないからといわれるが、それだけではない。不安の背後には、①不確実性(未知のリスクや認識・行為・技術が間違う可能性)、②不可逆性(取り返しのつかない被害への恐れ)、③不信(行政等の能力・誠実さへの不信)、④不能(自己効力感=自分で周りの環境や人間関係に対してうまく対処できているという自信の低下)、⑤不満(声を聞いてもらえない、決定に参加できないことに対して)という5つの「不」がある。
  • 統治者視点(社会全体のリスクを俯瞰的にとらえ管理する政策決定者や専門家の視点であり、科学的なリスクについての理解が重視される)とリスクにさらされる当事者視点(1回きりの人生。「万が一でも自分が(子どもが)その一人になったらどうしよう」と考える)を区別することが大事。リスクの問題を、後者を無視して前者のみで扱うことはできないし、逆もしかり。2つの視点はどちらかに還元できないものなので、どちらも尊重することが大事。
リスク認知の社会的・規範的意味から見た避難の相当性
  • 前橋地裁判決(群馬訴訟)は、避難の合理性を認める根拠として、ICRPのLNT(直線しきい値なし)モデルに加えて、「通常人ないし一般人の見地に立った社会通念を基礎」とすることで、リスク認知という言葉自体は判決で使用していないものの、実質的にリスク認知論を採用している。
  • 具体的には、「放射線による健康被害には、発がん等いったん生じれば、治癒困難で死に至りかねない重篤なものが含まれるのであるから」(恐ろしさ因子=被害の重篤さ)、「低線量被ばくにおける年齢層等の相違による発がんリスクの差」「発がんの相対リスクが若年ほど高くなる傾向や、女性及び胎児について放射線感受性が高い」「幼児の平均実効線量が成人よりも大きいものとなる」(恐ろしさ因子=世代間・個人間差)、「放出された放射性物質の量や実効線量等が判然としない中で」(未知性因子=状況の不透明さ)を加味して、「自主的に避難することについても、通常人ないし一般人において合理的な行動というべき」としている。
  • 京都判決でも、科学的判断でも政策的判断でもなく、「法的な判断」として「社会通念」に従うことで、やはりリスク認知論に依拠しているといえる。具体的には、「避難の相当性の判断は、科学的判断そのものではない」「法的な判断であるから、社会通念に従って、低線量被ばくの場合であっても、避難者が放射線に対する恐怖や不安を抱き、放射線の影響を避けるために避難し、その避難が…社会通念上相当といえる場合は、…相当因果関係が認められると解される」など。
  • 一方、京都判決にはLNTに一定の科学的根拠を認めながらも、多数の異なる見解があることを理由に、「LNTが科学的に実証され、100㍉Sv以下の被ばくによっても、がん死や発がんリスクの増加が実証されているとまでいうことはできない」と結果的にLNTの論拠の弱さを強調する傾向がある。異なる見解があることは、「LNTを1㍉Sv避難の十分な根拠とすることの否定」と解釈すべきではなく、リスクに関する知識の「多義性(あいまいさ)」があることの証左とすべきではないか。
知識の〈不定性〉と民主的アプローチ
  • IRGC(国際リスク・ガバナンスカウンシル)では、リスク問題についての知識の「不定性(incertitude)」を「複雑性」「不確実性」「多義性」という三種類に分類し、これに応じてリスク問題そのものも「複雑なリスク問題」「不確実なリスク問題」「多義的なリスク問題」、さらにいずれでもない「単純なリスク問題」に分類している。「リスクについての判断・解釈が複数存在する」ことを意味する「多義性」は、さらに「解釈的多義性」と「規範的多義性」に分けられる。このうち、とくに規範的多義性は、人びとの価値判断の違い・多様性によるものである。また、リスク問題は単純、複雑、不確実、多義的のいずれか1つにいつも分類できるわけではなく、「不確実で多義的なリスク問題」という場合もたくさんある。
  • 単純、複雑、不確実、多義的というリスク問題の性格の違いは、リスクに関する意思決定にどういう範囲の人たちが関与・参加しなければならないかの違いでもある。最も範囲が狭いのは「単純」な場合で、意思決定に関わるのは行政の規制担当者や専門家だけでもよいが、多義的(とくに規範的多義性)な場合は、直接の利害関係者だけでなく一般市民も含まれることがある。
  • リスク問題をどう分類するかはしばしば人・集団・立場によって異なる。リスク問題の分類の仕方そのものが多義的(メタ多義性)だといえる。いいかえれば、いかに分類するか自体が公共的な合意形成や意思決定を必要とするということである。低線量被曝リスクの問題でいえば、国は問題をどちらかといえば「単純」と分類し、被害を訴える住民側は「複雑」「不確実」「多義的」と分類している。
  • IRGC(国際リスク・ガバナンスカウンシル)は、意思決定過程の最初の段階で、関係者(リスク評価者、リスク管理者、重要な利害関係者)による分類に関する合意形成をおこなうことを推奨しているが、日本ではそういうことは全くなされて来なかった。
  • ICRPでも「緊急時被ばく状況に対する準備」として、「計画のすべての側面について、関連のステークホルダー(利害関係者)と協議することが不可欠である。そうでなければ、対応中に計画を実行することはさらに困難になるであろう」「被ばくした個人は自分自身の防護に直接関与すべきである。この移行(緊急時被ばく状況から現存被ばく状況への移行)は、協調的かつ十分に透明性の高い方法で実施され、被災したすべての関係者によって合意され理解されるべきであると勧告する」と、デュープロセス(適正な手続き)としての当事者の「参加」を位置づけている。
  • 「避難する権利」の基礎は、科学の不確実性に由来する予防原則(事前警戒原則)に基づく対応と、自己決定権と包摂的・民主的意思決定にある。何を避けるべき悪影響ととらえるか、どこまでを受忍できるリスクと考えるかは、人それぞれの価値判断であり、多義的であるし、リスク問題の分類に関するメタ多義性もある。そのような「不定性」まで視野を広げて「避難する権利」(あるいは被曝を避ける権利)を考える必要がある。
社会的側面からの検討課題
  • 京都判決は時期の遅い(2012年4月1日以降の)避難を認めていないが、遅い避難の背景には情報への不信があった。自らの意志のみで不信は払拭できない。
  • 「被害」概念も広げる必要があるのではないか。1つは、「当事者の自己決定・参画」(デュープロセス)の不作為による加害性(「そうあるべき」という期待が満たされなかったという「期待権の喪失」という権利侵害)。子ども被災者支援法は「当事者の自己決定・参画」を法的に定めたが、実施されなかった。
  • もう1つは、「帰還」概念の加害性。帰還が回復とは限らず、「新たな喪失」(避難後に築いてきた生活基盤や人間関係の喪失)、「新たな負担増」にもなりうる。
会場からの質問に答えたもののうち、とくに重要と思われる論点

「1mSvを基準として避難する、または避難を続ける相当性をどう正当化するか」という質問に対してのレスポンスは次の通り。
  • まず、LNTモデルによる科学的な正当化は難しい。代わりに手続き論、権利論で考えてみるといいのではないか。具体的にはICRPの「現存被ばく状況」の論理を使ってみるのはどうか。
  • 「現存被ばく状況」の考え方では、最終的に目指されるのは「1mSv」であり、その意味でこの数値は規範的な数値である。これに対して1mSvより上は「参考レベル」で、暫定値であり、終着点の「1mSv」に向かう過程で受忍(我慢)しなければならない線量である。
  • そしてここで重要なのは、リスクを受任するかどうか、すべきかどうかは、当事者抜きでは決められないということである。根本的には当事者の自己決定権に委ねられるべき問題である。実際、ICRP111勧告では、参考レベルの決定に当事者(ステークホルダー)の見解を適切に取り入れることを求めている。
  • ところが日本政府は、参考レベル決定に当事者の見解を適切に取り入れることをやっていない。それどころか、そもそも参考レベルそのものを設定していない。
  • つまりやるべきことをやっていない「不作為」であり、期待権の侵害でもある。当事者には、そのような不正義の状態を同意の確認もなく受忍する義務はないし、むしろ不正義を回避(または正義を回復)する権利があるといえる。
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