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★ 最終準備書面(相当因果関係)
 第8 避難の相当性を根拠づける事情(事故後の事情を中心に) 
平成29年9月22日

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第8 避難の相当性を根拠づける事情(事故後の事情を中心に)
 1 放射線被ばくの歴史
 2 事故後の国の対応
 3 グローバー報告



第8 避難の相当性を根拠づける事情(事故後の事情を中心に)


 1 放射線被ばくの歴史

  (1)はじめに


 以上に述べてきた放射線被ばくによる健康被害については,これまでの歴史のなかで十分に認識されてきた。市民は,放射線被ばくの危険性を身をもって体験し,語り継いできた。そして,これに対する恐怖も植えつけられてきた。
 更に,それらの重大な被害は,低線量被ばくの危険性を裏付けるデータ等を我々に提供し続け,いまだ十分には解明されていない放射線被ばくによる被害の内容・実態を明らかにしてきているのである。
 そこで,以下では,本件事故以前に発生した主な放射線被ばく事故等を振り返り,それぞれの被害の概要を紹介するとともに,一般市民にどのような影響を与えてきたかを概説する。

  (2)原子爆弾の投下

  ア 被害の概要

 1945年アメリカが広島と長崎に投下した原爆は,広島では14万人,長崎では7万人と推定される人々を筆舌に尽くしがたい苦悶のうちに短期日に死亡させ,生き延びた人々にも,脱毛,下痢,発熱等の急性症状のみならず,がんや悪性新生物などの晩発障害をもたらした。発病に怯え,故なき差別に苦しむ「ヒバクシャ」は,その後の人生さえも奪われた(甲D共15・21頁,甲D共16・85~96頁)。

  イ 被ばくの範囲
 原爆は,従来の火薬爆弾とは異なり,爆発と同時に透過力の強い放射線(ガンマ線や中性子線)を放出するため,爆心地付近の大地が一面に放射線物質と化し,いわゆる「死の灰」と呼ばれる核分裂生成物により,広い範囲が長期間にわたって放射線被ばくにさらされた。
 この点,いわゆる原爆症認定訴訟において,被告国は,原爆放射線の影響を受けるのは,爆心地から2キロメートル以内で直爆した人に限られるとし,爆心地から2キロ以上離れたところにいた遠距離被ばくや,爆発後市内に入った入市被ばく等は,放射能の影響を受けるはずはないと主張していた。
 しかし,多くの判決において,遠距離被ばく者及び入市被ばく者にも急性症状が生じている事実及び国の線量評価が過小であることが明らかとなっている(甲D共5・62頁。甲D共16・87~88頁)。

  ウ 内部被ばくによる放射線量
 また,原爆症認定訴訟において,被告国は,被ばく者の被ばく線量評価するにあたって内部被ばくを考慮する必要はないと主張していた。
 しかし,多くの判決において,被ばく線量の評価にあたっては,当該被ばく者の被ばく状況,被ばく後の行動・活動内容,被ばく後に生じた症状等に照らして,誘導放射化物質及び放射線降下物を体内に取り込んだことによる内部被ばくの可能性がないかどうかを十分に検討する必要があること,内部被ばくによる身体への影響は,一時的な外部被ばくとは異なる特徴があり得ることが明らかとなっている(甲D共5・67~68頁)

  エ LSS14報(甲D共56・13頁)
 LSS14報では,全固形がんについて過剰相対危険度が有意となる最低線量推定線量範囲は0~0.2Gyであり,定型的な線量閾値解析(線量反応に関する近似直線モデル)では閾値は示されず,ゼロ線量が最良の閾値推定値であったと述べられている。すなわち,ゼロ線量以外はリスクがゼロの線量は推定されず,放射線被ばくに安全量はないことが明らかとなった。

  (3)第五福竜丸事件

  ア 被害の概要
 1954年3月1日,アメリカは太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で水爆実験「ブラボー実験」を行い,当該実験によって,ビキニ環礁東海域を航行していた「第五福竜丸」は乗組員23人全員が被ばくして急性症状を起こし,無線長の久保山愛吉氏は放射能症の悪化により半年後に亡くなった。2007年までに亡くなった乗組員は計12名で,うち10名の直接の死因は,晩発障害と思われる肝臓がん,あるいは肝機能障害によるものであったとされている。
 後にアメリカは危険区域を拡大し,第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなり,周辺住民含め2万人が被ばくしたと言われている。
 このように,広い範囲に放射性物質を含んだ「死の灰」が降り注ぎ,周辺に住む島民も数多くが被ばくし,今も健康被害を訴える人たちが少なくない(甲D共14・70~74頁,甲D共16・99~113頁)。

  イ 帰還が進まない現状
 ビキニ環礁では,167人の島民が核実験前に別の島へ移住を強いられ,その後,米国はビキニ地方政府と91年から本格的に除染と再定住計画を進めたが,核実験から60年経っても島民らの帰還は実現していない。

  (4)チェルノブイリ原発事故

  ア 被害の概要

 1986年4月26日,ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所で発生した原発事故は,人類史上最大の原発事故であり,地球的規模の放射能汚染を引き起こした。爆発によって放出された大量の放射性物質は,原発周辺のみならず200キロメートル以上離れた場所をも汚染し,数十万人以上の住民が避難を余儀なくされた。
 チェルノブイリ原発事故後,遅くとも,1990年ころから子どもたちの間で甲状腺がんが急増した。爆発により放出されたヨウ素131が子どもたちの甲状腺に取り込まれ,被ばくをもたらしたものである。また,半減期が30年と長いセシウム137については,遠くまで飛んでいき,食べ物に取り込まれやすいという特徴があることから,外部被ばく及び内部被ばくの長期的な影響が問題視されている(甲D共14・183~216頁,甲D共15・60~63頁,甲D共16・20~33頁)。

  イ チェルノブイリ法制
 チェルノブイリ原発事故の被災者を対象とした法律が,ロシア,ウクライナ,ベラルーシの3国で制定されている。
 各法は若干異なるが,基本的には同様の規定を置いており,例えば,1991年5月15日に制定されたロシア連邦のチェルノブイリ法においては,①どこまでが被災地域であるのか,②チェルノブイリ原発事故の被災者は誰なのか,③誰にどんな補償や支援が認められるか,ということが定められている。
 同法には,喪失財産(家,家畜,家財等)の補償,移住先での就職支援,職業訓練,就職までの月額給付金,引っ越し一時金,移住先での就学支援など様々な補償や支援策が定められている。

  ウ チェルノブイリ事故の健康影響(甲D共56・19頁)
 チェルノブイリの事故に関するロシアの調査(2004年)によれば,公式に「病気」と認定された事故処理者は,事故後0年で0%,5年で30%,10年で90ないし92%,16年で98ないし99%となっている。
 パリのウクライナ大使館でも,事故後19年には事故処理者の94%が何らかの病気を抱えていると発表している。ここで増加が報告されているのは,悪性腫瘍のほか,消化器系,内分泌系,神経・感覚器系・泌尿器系などの疾患である。
 ウクライナ政府からの事故後25年の報告書でも,悪性腫瘍のみならず,心臓血管系,消化器系,内分泌系,免疫系,神経系など多数の非がん性疾患の増加が報告されている。さらには,被ばくした父親あるいは母親を持つ子どもに染色体異常や形態異常が増加することも報告されている。
 ウクライナ政府が2011年に発表した報告書によると,健康な子どもたちの割合が時とともに減少していることが明らかとなっている。子どもたちは疲れやすく,呼吸器,心臓血管系,消化器系,内分泌系,肝臓,膵臓疾患など多岐にわたる病気に罹患している。通常の体育の授業を受けられる子どもたちは全校生徒の24%であり,その他の生徒は授業内容を考慮し,あるいは授業そのものが免除されていると報告されている。

  (5)東海村JCO臨界事故

 1999年9月30日に発生した東海村JCO臨界事故では,至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中,2名が死亡,1名が重症となったほか,667名が被ばくした(甲D共15・8~12頁)。
 同事故は,日本国内で初めて,原子炉施設における放射線被ばく事故によって急性症状による死者が生じた事故であり,国際原子力事象評価尺度(INES)でレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)とされている。

  (6)小括

 これらの事故・事件等は,放射線被ばくがいかに甚大かつ不可逆的な被害をもたらすものであるか,また,とりわけ原子炉施設の事故による放射線被ばくがいかに危険であるかを端的に示している。
 また,発生した事故・事件について実施された各種の研究によって,低線量被ばくの危険性をも明らかになってきており,被ばくの危険性は,一般市民にも様々な媒体を通して行き渡っている。
 一般市民は,これまでの経験から放射線は危険であり,被ばくは何としてでも避けなければならないということを教訓として学んできたのである。
 したがって,福島原発事故という未曽有の大事故にさらされた市民が,被ばくを避けるために避難行為に出ることは,動機として十分に了解可能であり,行動として極めて合理的である。

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 2 事故後の国の対応

  (1)政府による避難指示等の問題点

  ア 政府避難指示等の経緯
 被告国が本件事故後に発した避難指示等の経過は,次のとおりである。

 ① 3月11日午後7時03分 国,原子力緊急事態宣言
 ② 3月11日午後8時50分 福島県,大熊町及び双葉町に福島第一原子力発電所から半径2キロメートル圏内に避難指示を要請
 ③ 3月11日午後9時23分 国,半径3キロメートル圏は避難,半径10キロメートル圏内は待避を指示
 ④ 3月12日午前5時44分 国,半径10キロメートル圏内に避難指示(12日午後3時36分 1号機原子炉建屋で水素爆発)
 ⑤ 3月12日午後6時25分 国,半径20キロメートル圏内に避難指示(14日午前11時01分 3号機原子炉建屋で爆発)
 ⑥ 3月15日11時00分 国,半径20キロメートル以上30キロメートル圏内に屋内退避を指示
 ⑦ 3月25日 国,前記⑥地域住民の自主避難促進を地元に依頼
 ⑧ 4月21日,22日 国,警戒区域,計画的避難区域,緊急時避難準備区域を設定

  イ 避難指示等の問題点

  (ア)原子力緊急事態宣言の遅れ

 被告東京電力からの原災法15条該当事象の通報が行われたのは,午後4時45分。原子力緊急事態宣言が発出されたのは,2時間18分後の午後7時3分であった。本来であれば,通報後直ちに原子力緊急事態宣言が発出されるべきであった。
 なぜなら,原子力緊急事態宣言は,原災法上,原子力災害対策本部,原子力災害現地対策本部(以下「原災本部」という。),原子力災害対策本部事務局設置の前提として必要であり,政府による事故対応を開始するうえで,必要不可欠だからである。
 本件事故の重大性及び進展の急速性を考慮すれば,原災法15条該当事象の通報から原子力緊急事態宣言の発出までの2時間18分が事故対応に与えた影響は非常に大きかったことは明らかである(甲A1・国会事故調・287頁)。
 また,住民に対しても,事態に対する政府の対応が非常に緩慢であることを強く印象づけるものであった。

  (イ)避難指示等の変遷
 被告国は,原子力緊急事態宣言を発出した後も,迅速に避難指示を出すことができず,結果的には,国より先に独自の判断で福島県が,3月11日午後8時30分,原発から半径2キロメートル圏内に避難指示を出すこととなった(前記②)。
 そのわずか33分後,被告国は,半径3キロメートル圏は避難,半径10キロメートル圏内に屋内待避を指示した(前記③)。
 その後,1号機における原子炉格納容器圧力の異常上昇,1号機及び2号機におけるベントができていないことが判明した。それを受けて避難範囲についての再検討がなされ,12日午前5時44分,前記④の避難指示が出された。
 ところが,同日午後3時36分,1号機の原子炉建屋で爆発が発生した。この爆発を受けて,12日午後6時25分,避難指示の範囲を半径20キロメートル圏内に拡大することが決定された(前記⑤)。
 その後,14日午前11時1分の3号機原子炉建屋の爆発,翌15日午前6時頃の4号機方向からの衝撃音の発生,同日午前8時11分頃における4号機原子炉建屋5階屋根付近の損傷確認,同日午前9時38分の同原子炉建屋3階北西付近での火災発生といった事態が連続的に発生した。
 そこで,15日11時,国は,半径20キロメートル以上30キロメートル圏内に屋内退避を指示した(前記⑥)。
 これを住民サイドからみれば,短時間のうちに五月雨式に避難指示の区域が広がる一方で,その具体的な根拠の説明に乏しく,政府が事態を全く掌握できていないという印象を強く与えるものであった。

  (ウ)計画的避難区域設定が大幅に遅延したこと
 モニタリングデータ等から,3月23日の時点では,原災本部は,飯舘村,川俣町山木屋地区,浪江町津島地区周辺の積算線量が高いことを認識していたはずであるが,それらの地域が実際に計画的避難区域となったのは,それから1ヶ月後である4月22日であった(前記⑦)。
 このように計画的避難区域の設定が大幅に遅れた理由は,①関係する組織間の意見調整及び②新たに避難区域を定める際に参照すべき基準の議論のために時間がかかったことと指摘されている(甲A1・国会事故調・354頁)。
 ②の避難区域の設定については,ICRPが定める緊急時の介入の参考レベル実効線量20ないし100ミリシーベルトの最小値である20mSv/年の積算線量の基準が採用されたものであるが,3月21日の時点でICRPは緊急時の防護措置は20ミリシーベルトから100ミリシーベルトを基準に行うべきであるという2007年勧告を踏まえた措置を取るべきであるという日本政府に対して通知を発していた。したがって,この勧告に従って避難指示をすることは可能であったし,そもそも運用上の介入レベルとして予め避難指示を出すべき空間線量を定めておけば,基準を超えれば自動的に避難指示を出せるのであるから,新たな避難指示の策定のために時間を浪費することもなかったのである。
 このような状態について,国会事故調は,「このような原災本部の迷走は,住民の安全を第一に考えていなかったと評価せざるを得ない。」と厳しい評価を下している(甲A1・国会事故調・355頁)。
 長期間,本来避難すべき地域に居住を継続していた当該地域の住民らにとっては,政府に対し,ぬぐいきれない不信感を覚えるものであった。

  (エ)避難区域設定が合理的根拠を欠き,説明不足だったこと

 半径3キロメートル圏内の避難指示は,斑目原安委委員長,平岡保安院次長などから,過去の原子力総合防災訓練の経験,事故発生以前に関係各省庁で検討されていた防災指針の見直し作業をもとにした助言などに基づいて設定されていたが,その後の半径10キロメートル圏内,同20キロメートル圏内の避難区域設定は,こうした知識に基づいて設定されたものではなかった。
 避難区域の設定が合理的に設定されていないこともあって,住民にはなぜ避難するのか,という理由の説明も詳細にはなされず,混乱の中で避難を迫られた住民の中に被告国に対する不信が芽生えた。

  (オ)自主避難について

 被告国は,屋内退避の長期継続による住民の生活レベルの低下,物資の搬入の困難が生じていることから,屋内退避指示区域における自主避難の促進を地元市町村に依頼した。防災指針では,屋内退避を10日にもわたって継続することは想定されていないにもかかわらず,屋内退避指示は,上記の3月25日の官房長官記者会見まで漫然と継続される形となっていた(甲A1・国会事故調・347頁)。
 すなわち,防災指針上は明示されていないが,屋内退避指示が最適とされる日数について防災指針が参考とする国際的な合意では最長2日程度を想定している。
 しかし,本事故では,3月15日の20キロメートルから30キロメートル圏内屋内退避指示が出された際には,帰還の見通しは全く示されなかった。この結果,物流・商業の停滞から住民は十分な生活基盤を失った。原災本部事務局による屋内退避区域の被災者への支援が,遅くとも3月21日からは開始されたが,物資支援は十分に行き届いてはいなかった。こうしたことからみても,政府の住民生活への視点は全く足りていなかったといえる。
 加えて,避難の判断を住民に任せたことについては,被告国に住民の健康を自ら守るという自覚に欠如したものと言わざるを得ないし,このような場当たり的な対応によって住民はさらに大きな混乱に巻き込まれた。
 特に3月25日の時点で原災本部は,4月22日に設定された計画的避難区域の基礎となる情報を確認していた。したがって,3月25日に自主避難を求めたことは,屋内退避の解除か避難区域の拡大化という判断を先送りにし,避難を住民の判断に委ねるという対応をしたものであり,被告国は,国民の生命,身体の安全の確保という国家の責務を放棄したものと評価される(甲A1・国会事故調・350頁)。
 また不安な中で長期間,屋内退避によって不自由な生活に甘んじていた住民にとって,このような政府の対応はきわめて無責任と写ったのである。

  (カ)SPEEDI問題

 SPEEDIは,事故時に住民の被ばくを避けるためのシステムである。SPEEDIが正常に作動するためには,前提として緊急時対策支援システム(ERSS)が必要である。
 ERSSは,原子力発電所から送信されるプラント等の情報に基づいて,原子力発電所のプラント状態を監視し,また事故の進展を予測して外部への放射性物質の放出状況を予測計算するシステムであるが,本件事故直後から,ERSSは原発のプラント情報を把握する機能を停止した。
 そこで,原安技センターは,文科省の指示により,3月11日午後4時40分に単位量放出(1Bq/hがあったと仮定)による予測計算を開始し,その結果は,1時間ごとに保安院をはじめとする関係機関に配信された(定時計算)。定時計算の結果は,放射性物質の拡散方向や相対的分布量を予測するものであるから,少なくとも避難の方向を判断するためには有用なものであった(甲A2・政府事故調中間報告・259頁)が,SPEEDIの計算結果は,直ちには国民に公表されなかった。
 このSPEEDIの定時計算がなかったために無用の被ばくを強いられた住民は,数多い。
 たとえば,浪江町では,3月15日朝方,町長の決断で二本松市へ避難することが決まり,住民に伝達した上で,避難を実施した。また,南相馬市においては,3月15日以降,希望者に対し,市外への避難誘導を実施した。この市外への避難路については,市が調整し,多くの住民は飯舘・川俣方面に避難した。
 これらの避難経路は,結果的には,放射性物質の飛散方向と重なることとなった(甲A2・政府事故調中間報告・278頁,同280頁)。
 SPEEDIの情報が開示された際にも政府から納得のいく説明はなされず,住民らに対し,政府が放射性物質の飛散について情報を隠匿しているかのような印象を強く与えることとなった。

  (2)本件事故の初期段階において,どの程度被ばくしたのかについては,正確には分からないこと

 更に指摘しておかねばならないのは,本件事故の初期段階において,どの程度被ばくしたのかについては正確には分からない,という点である。
 そもそも,周辺住民らは,本件事故の初期段階において,自身がどの程度被ばくしたのかについて,正確な判断ができない状況にあった。
 何故なら,国自身,当初どの程度の放射線量が拡散したのかについての調査を行っておらず,そのため正確な情報を有しておらず,また,住民らは,放射線被ばくの危険性を国から知らされず,かつSPEEDIで得られていた情報も隠されたままであったからである。住民らは原発が爆発をした後も漫然と屋外での行動を続けていたのであり,被ばくの危険性を知った後にも,むしろ放射線量の高い地域に避難するなどの行為をとってしまったのである(それによって,妊婦も乳児・幼児も同様に被ばくしたことは論を待たない。)。
 特に,内部被ばくについては,「正確なことが分からない」という傾向が顕著である。例えば,UNSCEAR2013報告書(1)(丙D共15・67項(25頁))では,「これらの測定値が示すのは,モニタリング時において被験者の体内に存在する放射性核種からの内部被ばくである。限られた数の人々と場所でしか測定されておらず,福島県の住民あるいはその他の都道府県の内部被ばくを直接推定するには不十分であった。」と述べている。更に,公益社団法人日本アイソトープ協会は,「放出量,大気拡散・沈着モデルの不確かさが大きいため,実測値を基にする外部被ばく線量の推定に比べ,推定の不確かさが大きくなっています。」と記載している(甲D共178・「語りあうためのICRP111」・43頁)。
 それゆえ,住民らは本件事故の初期段階において,どの程度の放射線を被ばくしているのか分からない状況にあったのであり,そのような状況において,少しでも線源から離れようという判断は決して不合理とはいえない。
 これに対して,被告らは,あたかも当初から被ばく線量が低かったことが自明の事実であるかのように論じ,安全性が確保されているかのような主張も行っているが,何ら具体的なデータや事実,科学的知見に基づくものではない。

  (3)学校再開問題●

  ア 4月19日通知の内容

 被告国は,平成23年4月19日,文部科学省の4局長から福島県教育委員会,福島県知事らに対して「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について(通知)」(甲D共79。以下「4月19日通知」という。)を発出した。
 4月19日通知は,校舎・校庭の利用判断における暫定的な目安を示すことに主眼が置かれていた。
 そして,生徒が年間20ミリシーベルトを超える被ばくをしないことを目標に,屋外3.8μSv/h,屋内(木造)1.52μSv/hが20mSv/年に達する線量であるとし,校庭・園庭で3.8μSv/h未満の空間線量であれば平常通りに使用して差し支えがないと示した。
 同通知は,平成23年4月以降,夏季休業終了(おおむね8月下旬)までの期間を対象とした暫定的なものとされていた。
 4月19日通知は,「福島県内の学校の校舎・校庭等の線量低減について(通知)(平成23年8月26日)」(甲D共80)によって撤回された。

  イ 国会事故調の指摘
 4月19日通知が発出された経緯については,国会事故調(甲A1。「4.4.4.学校再開問題」427頁)に詳しいが,その内容は驚くべきものである。
 本件事故後,平成23年3月下旬から,福島県の学校は,春休みに入ったが,福島県は,4月からの新学期に向けて,予定通り新学期を開始すべきか否かという問題を検討していた。
 原災本部では,文科省が学校再開問題の判断基準の設定を担当すると決まった。
 文科省は,平成23年4月6日,原安委に対し,福島県内の小学校などの校庭の空間線量モニタリング結果を添付し,福島県内の小学校などの再開に当たっての安全性及び小学校等を再開してよいかについて助言を依頼した(甲D共81の1)。
 原安委は,①福島第一原発から20キロメートルから30キロメートルの範囲内の屋内退避区域については,学校を再開するとしても屋外で遊ばせることが好ましくないこと,②それ以外の地域についても空間線量率の値が低くない地域においては,学校を再開するかどうか十分検討するべきと回答した(甲D共81の2)。
 「空間線量率の値が低くない地域」の具体化を依頼された原安委は,同月7日,文科省が自ら判断基準を示すべきであると示し,参考値として,公衆の被ばくに関する線量限度は年間1ミリシーベルトであるとの助言を行った(甲D共82の1,2)。
 このような原安委からの助言があったものの,文科省は,さらに同日,原安委に対し,同様の学校再開の可否に関する助言を依頼したところ,前回の回答どおり,という回答を得た(甲D共83の1,2)。
 その後,文科省は4月9日,検討すべき問題を学校再開の可否ではなく,学校の再開を前提とした学校の校舎・校庭等の利用判断基準の数値へと変更した。その上でICRPの2007年勧告の定める事故収束後の一般公衆の受ける線量の参考レベルの上限値を参考に被ばく線量年間20ミリシーベルトを目安とすることを原安委に提案した(甲D共84の1)。
 これに対し,原安委は同日,①ICRP2007年勧告の参考レベルの上限値である年間20ミリシーベルトの基準は限定的に用いるべきこと,②仮にこの値を採用するにしても外部被ばくと内部被ばくを併せて上記の値に収めるべきであり,本件のように外部被ばくのみの受忍限度を定めるためには,内部被ばくの寄与を外部被ばくと同等程度に見積もり,この上限値を2分の1程度にしたうえで目安を決めるべきという趣旨のことを助言した(甲D共84の2)。
 その後文科省は,その過程で内部被ばくの寄与度が無視できるほど小さいと独自の計算を行ったうえで,複数回の安全委員会とのやり取りを経て4月19日,被ばく線量年間1~20ミリシーベルトを学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安と決定し,年間20ミリシーベルトという値にこだわった。
 文科省はこの値に基づき,校庭・園庭で被ばく線量年間20ミリシーベルトに相当する空間線量3.8μSv/h以上が計測された学校等についてのみ,児童・生徒の屋外活動の利用を制限することとした。3.8μSv/h未満の学校等については,校舎・校庭等を平常通り利用して差し支えないことを安全委員会ととりまとめ,その旨を原災本部が発表した。これを受けて文科省は同内容を福島県教育委員会に対して通知を発出したのが,4月19日通知である。
 上記の経緯について,国会事故調は,「文科省の検討論点の変更及び20mSv/年への執着は,現状を追認し,最低限の屋外活動の制限をするために行われたものであり,子どもの健康と安全への配慮という点では疑問が残る。」と批判している(甲A1・429ページ)

  ウ 4月19日通知の社会問題化
 4月19日通知については,内部被ばくが考慮されていない上に大人と同レベルの基準値(年間20ミリシーベルトというのは,男性及び妊娠の可能性,意思のない女性における職業被ばくの限度である)であること等に対して,社会的に大きな批判がわき起こった。
 平成23年4月21日には,「福島老朽原発を考える会」など三団体の呼びかけで,撤回を求めて政府との交渉が行われる等し,「原子力資料情報室」,「グリーンピース・ジャパン」などの六団体も「子どもに年間20mSvを強要するのは非人道的だ」として緊急声明が公表され,賛同署名が開始された。
 この問題は,連日,マスコミでも報道されていたが,最終的には,平成23年5月27日,文部科学大臣は,「今年度,学校において児童生徒等が受ける線量について,当面,年間1mSv以下を目指す」という方針を発表することによって問題は収束していった(甲D共85)。

  エ まとめ
 このように学校再開問題を巡る政府の対応は,原安委からの線量限度の助言を顧慮せずに児童生徒らの健康と安全への配慮を欠くものであった。そのため,社会的に大きな批判を受け,ついには方針の撤回を余儀なくされた。
 学校再開問題は,政府の対応に問題があることが顕著に表れた例であり,住民に混乱を与え,政府に対する不信感を植え付けるものであった。

  (4)避難指示の問題点,学校再開問題に対する被告国の反論について

  ア 計画的避難区域設定の大幅遅延
 被告国は,計画的避難区域の指定経緯につき,長々と経緯を説明しているものの,結局なんの根拠もなく「合理的な期間内に,合理的な検討が行われたうえで,適切な時期になされた」と強弁をしているに過ぎない。
 3月21日の時点で,ICRPは緊急時の防護措置は年間20ミリシーベルトから100ミリシーベルトを基準に行うべきであるという2007年勧告を踏まえた措置を取るべきであると政府に通知を発していたのであるから,同年4月22日の計画的避難区域の設定が,適切な時期であるとは考えられない。

  イ 自主避難について
 これについても,被告国は,法律の規定から,直ちに国が「帰還の見通し」(避難期間)について情報提供義務を負うという事はできないと反論する。
 原告らは,避難の相当性を基礎づける事情を説明しているのであり,被告国らの義務を議論しているのではない。仮に,被告国に情報提供義務がなかったとしても,本件事故後1か月が経過しても,被告国から帰還の見通しが示されない状況下,原告らが避難行為を行うのは,社会的に相当な行為といえる。

  ウ 学校再開問題
 4月19日通知について,被告国は,放射線医学総合研究所の協力を得て原子力安全委員会と協議したうえで,放射線に関する専門的知見に基づく検討の上で取りまとめられたのであるから,その内容は不合理なものでないとしている。また,同通知は夏季休業終了までの暫定的なものであるから,年間20ミリシーベルトまで放射線を受けて良いとの基準ではないと反論している。
 しかし,国が協力を要請した放射線医学総合研究所や原子力安全委員会の検討内容が合理的か不明であるにもかかわらず,それらの機関と協議,検討したから内容が合理的であるとはいえない。
 仮に,それらの機関が合理的な判断をしていたとしても,成人男性及び妊娠の可能性,意思のない成人女性における職業被ばくの限度である年間20ミリシーベルトまでを容認するような通知が発せられるような状況下,原告らが避難行為を行うのは,社会的に相当な行為といえる。
 4月19日通知は,年間20ミリシーベルトまで放射線を受けて良いという基準ではないとの主張についても,「屋外3.8μSv/h,屋内(木造)1.52μSv/hが20mSv/年に達する線量であるとし,校庭・園庭で3.8μSv/h未満の空間線量であれば平常通りに使用して差し支えがないと示した」のであるから,年間20ミリシーベルトまで放射線を受けて良いということとなんら変わりはない。

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  3 グローバー報告

  (1)国連特別報告者アナンド・グローバーについて


 国連人権理事会特別報告者アナンド・グローバー氏は,2013年(平成25)年5月2日,「到達可能な最高水準の心身の健康を享受する権利に関する国連人権理事会特別報告者報告Anand Groverの報告」(以下,「グローバー報告」という)を公表した。
 アナンド・グローバー氏の正式な肩書きは,「到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利に関する特別報告者」である。特別報告者という立場については,原告ら準備書面(28)で述べたとおりである。国連のなかで人権について扱う重要な機関である国連人権理事会より選任される。特別報告者の選任にあたっては,専門性,独立性,中立性が考慮されている。その特別報告者が勧告や報告書を公表する特別手続は,国連人権メカニズムでも重要な制度である。このような特別報告者の地位や特別手続きの重要性に鑑みると,特別報告者という立場にあるアナンド・グローバー氏が報告書を公表したことは,事故発生後の事情の中でも重要な事実である。

  (2)グローバー報告の内容

 グローバー報告においては,原告ら準備書面(28)で述べたように,次のようなことが述べられている。
  1.  低線量被ばくの影響について,LNTモデルに立っていることを示している。その上で,1ミリシーベルトを基準に,帰還と避難を自由に意思決定できるよう政府が経済的支援を続けるべきことを勧告している。
    「48 政府は特別報告者に,年間被ばく線量が100mSv未満では癌の過度のリスクはないため,20mSv/年までの地域に住むのは安全であると保証した。しかし,ICRPでさえ,癌や遺伝性疾患の発生が約100mSv未満の被ばく線量の増加に正比例して増加するとの科学的可能性を認めている。さらに,低線量の電離放射線への長期的な被ばくによる健康への影響をモニタリングした疫学研究では,白血病などの非固形癌に対する放射線による過度のリスクについて閾値はないと結論づけている。固形癌に対する放射線の付加リスクは,直線的な線量反応関係で一生にわたって増え続ける。」

    「49 低線量の放射線でも健康に影響を与える可能性があるため,被ばく線量が可能な限り低減されて年間1mSv未満になった場合にのみ,避難者は帰還を推奨されるべきである。政府は一方で,避難者全員に経済的支援と補助金を提供し続け,避難者が自宅に戻るか避難を続けるかを自発的に決定できるようにすべきである」
  2.  避難者が帰還を推奨すべき基準として,国内法の公衆被ばく線量限度を根拠とし「被ばく線量が可能な限り低減されて年間1mSv未満になった場合にのみ」と述べられており,
  3.  被ばく国であるウクライナ法も1ミリシーベルトを基準とした法令を有していることが指摘されている。さらに,
  4.  年間放射線量1ミリシーベルトを超えているすべての地域において,避難者が,避難,居住,帰還のいずれを選択した場合であっても,被災者が必要とする財政支援を提供するよう強く要請する勧告をしている。
    「69 健康に対する権利を守る義務により,国は,とりわけ,健康に対する権利の享受を促す積極的な措置を実施することで,健康の根本的な決定要因を確実に提供する必要がある。特別報告者は政府に被災者支援法の履行措置を採択し,年間線量が1mSvを超える地域からの避難,またはそうした地域での滞在や帰還を選択した人々が必要とする移住,居住,雇用,教育などの不可欠な支援に対する資金を提供するよう求める。これらの措置には,生活を再建する費用を反映した救済措置が含まれるべきである。」
その他にも,グローバー報告では,
  1.  モニタリングポストの数値が必ずしも実際の放射線量を反映していないこと,
  2.  ICRP勧告の参考レベルは健康に対する権利の枠組みに適合しないこと
などが述べられている。

  (3)グローバー報告と避難の相当性

 このように,既に述べたようなグローバー報告の位置づけに加えて,その報告書において国内法における公衆被ばく線量限度年間1ミリシーベルトを基準にした帰還推奨などが勧告されていることは,生活圏に年間1ミリシーベルトを超える地点を含む地域からの避難によって生じた損害と本件事故との間に相当因果関係が存することをより一層明白にするものである。

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