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★ 準備書面(22) ―事故後の事情に基づく避難と継続の相当性― 
 第5 一旦避難した者が帰還することは容易ではないこと 
平成27年9月25日

目 次(←クリックすると原告準備書面(22)の目次に戻ります)

第5 一旦避難した者が帰還することは容易ではないこと
 1 はじめに
 2 避難元における人間関係の軋轢
 3 避難先で構築しつつある生活環境を捨てることの難しさ
 4 帰還者を受け入れる環境の整備や支援が不十分であること
 5 避難者の意識調査等
 6 小括



第5 一旦避難した者が帰還することは容易ではないこと


 1 はじめに

 第2から第4に述べたとおり,住民の不信感を招く本件事故発生後の国や被告東京電力の対応,現在も続く放射性物質の拡散と更なる事故発生の危険,放射能汚染が解消されない現状といった放射能汚染をめぐる客観的状況は,いずれも避難を動機付け,また,帰還を妨げる事情となるものである。
 同時に,多くの避難者は,このような放射能汚染をめぐる客観的事情だけではなく,避難元での人間関係の軋轢や,避難の長期化により避難先で構築されつつある生活環境を再び離れて,環境整備が未だ不十分な避難元での生活再建を図ることへの不安といった事情から帰還は選択できないと考えている。


 2 避難元における人間関係の軋轢

 準備書面(5)・25頁以下,準備書面(11)・6頁で主張したとおり,避難者の多くは,避難に対する考え方の違いなどのために,避難元における人間関係に軋轢を生じている。
 国は,低線量被ばくによるリスクについて議論や対話を深めることもしないまま「安全・安心」を押しつけた。本来,低線量被ばくのリスクを論じ,社会が一定の共通認識を得るためには,低線量被ばくにもリスクが存することを示す知見や知識も踏まえ,専門家と社会が双方向で意見交換することが正しいリスク・コミュニケーションである。そうであるにもかかわらず,国は,低線量被ばくのリスクについて国にとって都合のよい知識のみを一方的に伝えることにより不安は解消されるのだという発想のもと,そのような一方的な伝達を「リスク・コミュニケーション」と称して繰り返した。その結果,避難者は,避難元等の住民の一部から過剰な不安を抱く者であるかのような誤解と偏見を持たれてしまっている。
 避難元では,復興に向けた団結(絆)が強調され,郷土愛が高められてもいるから,地元を捨てたかのように言われる避難者は肩身の狭い思いを強いられる。
 これは,事故前には密接な関係をもって共に暮らしてきた家族や親戚,友人の間においてすら生じている軋轢である。
 国は,原発事故の発生後において,放射能汚染によるリスクにつき,より慎重な立場から危険性に関する積極的な情報提供をすることなく,また住民が避難する選択をすることへの支援(こども被災者支援法第2条2項参照)も適切に表明してこなかった。このことが,このような無用な人間関係の軋轢を生じさせ,拡大させたと言える。
 一度生じた人間関係の軋轢は容易に修復できない。避難者にとって,避難元への帰還は,人間関係の軋轢の中での肩身の狭い生活を送らなければならないことを意味している。

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 3 避難先で構築しつつある生活環境を捨てることの難しさ

 原発事故発生から4年以上が経過し,避難者の中には,十分な支援を受けられないながらも,避難先における生活環境を構築し,あるいは構築しつつある者もいる。
 そのような避難者にとって,帰還は,苦しい避難生活の中で築いてきた新たな生活環境を再び失うことを意味する。避難によって一度生活環境を失った避難者にとって,帰還することによって避難先での生活環境をまたしても失い,しかも,帰還先では人間関係の軋轢の中で生活を送らなければならないというのはあまりにも酷である。
 もはや,避難先での生活環境を捨てることが容易でない者も多数存在するのである。


 4 帰還者を受け入れる環境の整備や支援が不十分であること

 さらに,避難者が人間関係の軋轢の中での生活や,避難先での生活環境の喪失まで覚悟して帰還しようとしたところで,帰還の環境整備,例えば,帰還先における就労・就学支援や住宅支援なども十分に整っていないため,帰還先で安定した生活を送ることができるという見通しも立たない。
 避難元では近所に暮らしていた知人や友人,親戚等もバラバラになってしまっており,かつてのコミュニティは大きく変容している。生活基盤自体が失われ,あるいは大きく変容してしまっている場合が少なくない。
 帰還によって問題が解決するのではなく,新たな試練が待ち受けているのである。

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 5 避難者の意識調査等

 避難者の実態を調査した報告として,今井照氏による「原発災害避難者の実態調査(1次〜4次)」がある。この内,2013年12月に行われた第4次調査(甲D共118。『自治総研』通巻424号・70〜103頁)では,同一の対象者に対する帰還意思についての継続的な調査により,「戻りたい」が63.9%から24.2%へと激減し,「戻りたくない」が7.6%から21.4%へと3倍弱にまで増えたことが報告されている。このような調査結果にも,避難期間の長期化が,様々な事情により,帰還を困難としている状況が示されていると言える。
 また,原発避難白書(甲D共119。人文書院,2015年9月10日発行)には,避難元との関係や帰還について,避難者達の葛藤が綴られている。
 福島県郡山市から新潟市に避難した女性(40)は,「郡山は20年以上過ごしていたので,顔見知りばかりで,友達もたくさんいたんです。独身のころの友だち,子どもの幼稚園からの友だち,娘の習っていたサッカーの友だち…。だけど,原発事故後の日常を,事故前のまま過ごそうと思っている人たちと,うまく交われなくなってしまって。避難をしたらますます,お互いの生活も変わって,『ああ,もう友だちでいることすらも難しいんだな』と思いました。やっぱりさみしいですね。」と避難元での人間関係の変容を語っている(甲D共119。108頁)。
 福島県白河市から札幌市に避難した女性(48)は,「子どもたちは札幌になじみすぎているぐらいで,娘は友だちと北海道弁を交えて話しています。もう福島は,帰る場所ではなく,祖父母に会いに行くところだと頭を切り替えたようです。今,悩んでいるのは自分の将来のことです。子どもたちが札幌の大学への進学を希望しているので,その間はここで暮らすことになると思うのですが,その後彼らが独立したら,私だけ札幌に残る必要があるのだろうか,と悩んでいます。普通に考えれば,自宅のある場所へ戻ることになるのでしょうが,友人も親戚もいなかった札幌で,ゼロから必死で努力して手に入れた今の仕事や人間関係を捨てて,福島での生活をやり直すのかというと,それは今の自分が望んでいることだとは思えないのです。」と避難先で構築した生活環境を再び捨てて福島での生活をやり直すことへの不安,葛藤を綴っている(甲D共119。111頁)。
 宮城県丸森町筆甫地区から同県大川原町へと避難した男性(38)は,「今すぐ筆甫に戻るという決断はできません。自宅の周りは今でも0.3〜0.5μSv/hと高く,また,子どもたちも今ある暮らしに慣れてしまっているので,もう一度帰ってこようという動機がないのです。子どもたちは,避難先の保育所で子ども同士の繋がりを作り,一緒に同じ小学校に通うと言っています。再び転校し,保育所から続く子どもの人間関係を断ち切ることはできません。」「妻とは,今後についてはあまり話をしません。戻りたいと思いながら葛藤を抱えている私と妻との意見の違いが顕在化してしまうからかも知れません。」と葛藤の中で家族の生活を思いやる気持ちを吐露している(甲D共119。113頁)。

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 6 小括

 このように,避難者にとって,帰還することは,苦しみながら築いてきた避難先での生活環境を失ってしまう一方で,帰還先でも,安定した生活を送ることができるという見通しもないまま,人間関係の軋轢の中での生活を余儀なくされるものである。
 第2から第4に述べた放射能汚染を巡る客観的事情があるなかで,敢えて帰還するという選択をとることは,多くの避難者にとって容易になし得るものではない。仮に第2から第4の客観的事情が解消されて帰還のための環境整備が整ったとしても,避難先での生活環境を失ってまで,帰還して人間関係の軋轢のなかで生活することを容易に選択できるものではない。

以 上

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