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★ 最終準備書面(被害総論)
 第1 本件事故による被害の実態について 
平成29年9月22日

目 次(←最終準備書面(被害総論)の目次に戻ります)

第1 本件事故による被害の実態について
 1 はじめに
 2 被害実態の概要
 3 健康被害への不安
 4 各世帯類型に特徴的な被害
 5 被告らの反対尋問について



第1 本件事故による被害の実態について


 1 はじめに

 本件事故により原告らが受けた被害は,極めて多様かつ複合的なものであり,それぞれの被害が複雑に絡み合うことで,より一層深刻な損害を原告らに与えている。以下では,被害実態の概要を述べた上で,証拠調べの結果を踏まえ,原告らが抱え続けている健康被害への不安,各世帯類型に特徴的な被害について順に述べる。
 なお,被害実態の詳細については原告準備書面(5),各世帯の具体的な損害の内容については個別の準備書面をそれぞれ参照されたい。


 2 被害実態の概要

  (1) 放射性物質の拡散に伴う被害

  ア 健康被害への不安

 本件事故により大気中に放出された放射性物質は,政府による避難指示区域にとどまらず,風に乗って県外にまで拡散し,雨等により地表に沈着して土壌,池沼及び河川を汚染した。その結果,原告らは外部被ばくや内部被ばくの危険に晒された。
 証拠調べの結果,多数の原告の体調に異変が生じていることが明らかになった。甲状腺の異常(のう胞や結節,ガンの存在)を指摘され,又は,本件事故前にはなかった体調不良(鼻血や抜け毛,吐き気,下痢,微熱,視力低下等)に悩まされ,原告らはみな,被ばくによる現在ないし将来の健康被害に強い不安を抱えながら過ごしている。特に,子どもに体調不良が生じた親は,皆,「子どもを被ばくさせてしまった」と自身を責め続けている。

  イ 生活上の支障
 避難元(帰還先)での生活は,除染が不十分である中,更なる被ばくを避けるための対策(マスクや長袖の衣服を着用する,食品の生産地を逐一確認する等)に神経をすり減らす毎日で,成長著しい時期の子どもたちを屋外で自由に遊ばせることもできない状況である。
 原告らの多くが家庭菜園を営み,あるいは近隣住民から無償ないし安価に食材を分けてもらっていたが,土壌汚染により不可能となった。

  ウ 生業の喪失
 農業やこれに関連する事業を営んでいた原告は,土壌汚染によって生業を失った。

  (2) 避難行為に伴う被害

  ア 避難行為そのものの苦痛

 原告らの多くは,情報が錯綜する本件事故後間もない混乱の中,どこに避難すればよいのか,いつ戻れるようになるのかも分からないまま避難を余儀なくされた。
 しかし,いざ避難所に到着するとスペースがなく,あるいは,国の情報開示の遅れが原因で逆に放射線量の高い場所へ避難してしまう等で,避難を繰り返した者もおり,その肉体的・精神的・経済的負担は非常に大きかった。

  イ 苦渋の決断を経ての避難
 苦渋の決断を経て避難をした原告も多数いる。家計を支える者は避難に伴う失職に悩み,長年避難元で生活を築いてきた者は故郷を離れることに悩み,思春期の子どもを持つ親はその友人関係を引き裂くことに悩んだ。
 家族や親族の間で避難に対する考え方が異なることにより,良好だった関係が悪化してしまった原告も少なくなく,今では修復不可能な状況にまで陥ってしまった世帯もあることが,証拠調べの結果,明らかになった。

  (3) 避難生活に伴う被害

  ア 経済的な苦しさ


 大半の原告が避難に伴って失職し,苦労の末に得た転職先は期間雇用,あるいは,従前の収入の半分にも満たないという者も多く,避難生活は経済的に不安定なものである。そのような中で,避難者に対する行政の支援まで打ち切られる事態となっている。
 一方で,避難元で築いた大小様々な財産の全てを避難先に持ち込むことはできず,処分を余儀なくされるため,家財道具や生活用品を買い揃えるのにも費用がかさんだ。避難元の住宅ローンと避難先の家賃の二重払いに苦しみ,住宅を売却した者もいる。

  イ 世帯分離に伴う苦しさ
 仕事や家庭の事情で世帯分離が生じた原告らは,家賃や光熱費等の二重払いが家計に重くのしかかり,その経済的負担と物理的な距離から,家族間の交流も十分に図れない状況が続いて,親子双方が寂しさに苦しんでいる。また,幼い子どものいる世帯は,祖父母の協力も得られない中で,夫婦の一方に育児の負担が大きくのしかかった。
 避難生活中に夫婦の関係性が悪化し,やむなく離婚に至った夫婦も少なくない。

  ウ コミュニティの喪失・分断・変容,避難生活における孤独
 原告らは皆,住み慣れた土地,先祖代々受け継いできた土地に住み,家庭菜園や畑で作った野菜を親戚や友人と交換し合うなど地域社会の中で互いに助け合いながら,自然豊かな環境の中で充実した生活を送ってきた。
 しかし,政府による避難指示区域内から避難した原告は,全住民の避難によりコミュニティそのものを喪失した。
 避難指示区域外から避難した原告らは,避難によりコミュニティから物理的に引き離されたうえ,その多くが,被告国や自治体による帰還政策の中,「国が大丈夫と言っているのに」,「故郷を捨てるのか」と避難自体を咎められる等,地域社会や家族から精神的にも分断されている。このようなコミュニティからの分断は,たとえ帰還しても解消されず,「避難できた者」と「避難したくても避難できなかった者」との間では精神的な溝が生じたままであり,コミュニティそのものが変容している。
 一方で,言葉や文化の違いから避難先の地域社会にも馴染めず,孤独感に苛まれる原告も少なくない。とりわけ子どもは,学校でいじめを受けるなど,その被害は深刻である。

  エ 帰還の目途が立たない状況に対する苦痛
 証拠調べの結果,避難生活における様々な精神的苦痛から,原告の大半が何かしらの体調不良や精神疾患を抱えるに至っていることが明らかになった。それと同時に,原告らが皆,除染が不十分で,廃炉過程におけるトラブルで更なる放射性物質の飛散等も有り得る中,帰還したくてもできないと考えていることも明らかになった。帰還の目途が立たない状況もまた,原告らの苦しみを一層大きくしているのである。

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 3 健康被害への不安

  (1) 不安が切迫したものであること

  ア 放射線感受性の高い子ども

 原告らの多くは幼い子どもを家族に抱えているところ,放射性感受性は年少者ほど高いと言われており,こうした原告らの健康不安は大きい。例えば,原告番号2の1は,本件事故直後に避難したが,その後初めて福島に帰った際,カーテンレールの埃取りをしただけで子どもたち2人が連日,何度も鼻血を出すという事態に遭遇している(原告番号2の1尋問調書2頁)。

  イ 甲状腺がんへの恐れ
 そもそも原告らは,その多くが本件事故後に様々な放射線障害に関する情報に触れた者が多いのであるが,たとえばチェルノブイリ原発事故では事故直後だけでなく,事故後にも晩発性障害等が出たと言われており,こうした情報によって,健康不安を切迫して感じたのである(原告番号2の1尋問調書2頁)。
 特に子どもたちに甲状腺がんが多発したことは広く知れ渡っており,その事実による不安感は,子どもを持つ原告らを苦しめている。実際に,多くの原告らが,県民健康調査の結果,子どもたちの甲状腺に何らかの異常が見つかったことに絶望している。原告番号2の1は,自分の子どもについて県民健康調査の結果が出るまでの間の気持ちを「心に嵐が吹き荒れ・・・絶望的になりました。」と述べて,その時の心情を吐露した(同調書8頁)。
 福島県や被告国は,本件事故と県民健康調査によって発見された甲状腺がんとの因果関係を否定しているが,原告らは,そのことにも不信感を有している。原告番号2の1は,「たくさんの子供たちから,どんどん甲状腺がんが見つかっていて,しかも,その理由をはっきりと明確にしないのに,原発事故との因果関係はないっていう結論だけを押しつけられるので,私も周りの人々もとても信じられなくて,みんなで怒っていました。」と原告らの気持ちを代弁した(同調書9頁)。
 また,原告らは,多発の生じている甲状腺がんが単なる過剰診断だという福島県の説明にも納得していない。原告番号2の1は,「(鈴木眞一教授が)甲状腺がんが見つかった子供たちの大部分が,リンパ節に転移してたりとか,周りの組織に浸潤してたりとかがあったって聞いています。それで明らかに何か変だなって思いました。」と述べており,原告らが,こうした情報に接して子供たちの中で異変が生じていることを感じている(同調書10頁)。
 しかも,チェルノブイリ原発事故で公式に甲状腺がん増加が認められたのが,事故から20年も経過してからという事実も原告らには知られている(同調書12頁)。つまり,今,被告国らが否定していても,いつか本件事故と甲状腺がん増加との間に因果関係が認められるのではないかという不安は拭いようがない。

  ウ 食品摂取による内部被ばく
 被ばくは,空間線量からの外部被ばくだけではない。食品摂取による内部被ばくも脅威である。そのため原告の中は,例えば西日本産の野菜以外は購入せず,海産物を一切避けるというように注意をしている者もいる(原告番号2の1尋問調書4頁)。海産物を避けるのは,魚は福島県沖から回遊する上に,福島近辺の海域で捕れた魚が西日本で水揚げされることが広く知れ渡っているからである。
 また,反対に高齢者は,もともとがんを発症するリスクが高い。そうした観点から追加的なリスクを回避しようというのは当然である。
 なお,キログラムあたり100ベクレル以下という食品新規制基準に対する原告らの不信感は根強い。このことを原告番号2の1は,「今の基準値は100Bq/kgですが,それは,低レベル放射性廃棄物の範ちゅうで,厳重に,黄色いドラム缶に入れて,気の遠くなるような年月,保管,管理されなくてはいけないものだったと聞いていますので,ものすごく怖いことだと思っています。」と述べている(同調書5頁)。
 現実に,例えば被告東電が運営する柏崎刈羽原発では,100ベクレル以下でも原発内で汚染されてゴミはすべて低レベル放射性廃棄物として厳重に管理をされている。低レベル放射性廃棄物は,ドラム缶に入れられ,中身が動いたり,漏れ出したりすることを防ぐために砂とセメントを混ぜたモルタルを流し込んで固められる。その上で,ドラム缶は,青森県六ヶ所村の「低レベル放射性廃棄物埋設センター」で厳重に処分されるのである(柏崎刈羽原発における低レベル放射性廃棄物の取扱を報道した朝日新聞の記事。甲D共219)。
 このような汚染レベルの食品を食べても良いとせざるを得ないところが,本件事故の大きな問題点であり,原告らを不安にさせる大きな要因なのである。
 さらに,食品については,検出限界値も高く設定されている。検出限界値を低くしようとすれば測定時間がかかることから,通常は,高めの設定となっている。したがって,原告らは,仮にスーパー等で放射性物質が検出されなかったとの表示があっても,それをもって安全と考えることはできない。さらに言えば,すべての放射線核種が測られているわけではないことも不安材料である。原告番号2の1は,「(測られているのは)ほとんどセシウムで,あと,プルトニウムだかストロンチウムだかも定期的に測ってるっていうのは,行政のホームページで確認しました。」と述べており,その他の人工的放射性核種が測られていないことを問題視している(同調書5頁)。
 なお,被告らは,もともと環境中には自然放射線が存在し,食品中にも自然放射線核種であるカリウムが存在すること等を指摘し,原告らの指摘する不安が過剰であるかのように主張する。
 しかし,放射線はわずかであっても影響を及ぼすと考えて防護を考えること,公衆被ばくの線量限度は年1ミリシーベルト未満であるべきことは,放射線防護を考える上で,日本におけるスタンダードである。
 本件事故以前から環境中に放射線があり,食品に放射性物質が含まれていることは,原告らの健康被害に対する不安を減じるものではないし,法的判断をする上で,全く無関係な事実の指摘と言うべきである。

  エ 吸入による内部被ばくへの恐れ
 被告らは除染が進んでいることを主張しているが,その事実も原告らにとっては何の慰めにもならない。放射性物質の降下物が継続している事実も原告らには知られている。除染についての原告らの評価は,次のようなものである。
 「除染されても,放射能がゼロになるわけではないですし,除染されていない山の方から風が吹いてくれば,すごく肺とか心臓とかにたまって,とれなくなると思うからです。」(原告番号2の1尋問調書13頁)。
 「(除染した後の土は)フレコンバッグに入れられたけれども,中から葉っぱとか枝とかが出てきて破れてきたって言っていました。」,「(そのフレコンバッグは)そのおうちの庭の隅にあると言ってました。」(同調書14頁)。

  オ 体調不調の実態
 原告番号2の1は,野呂美香氏から入手したチェックリストを元に体調確認をしたところ,自分や子供たちに20個以上の症状があることを発見した(原告番号2の1尋問調書3頁)。
 また,実際に病気の発症に至らなくても,体調不良を訴える原告らは多い。例えば,原告番号2の1は,国指定代理人からの質問に答えて,次のように述べた(同調書27,28頁)。
 「(中略)本当に集中力が,前に比べるとすごくなくなってますし,記憶力もすごくなくなってたり,思い出すのがすごく大変だったりしている(後略)」。「(平成25年に作っていた問診票が後の陳述書で急に出てきたのは)それだけ体調が悪いと言うことです。皆さんもそうだと思いますけど,陳述書を書くときに,生活もすごく大変だし,体調も悪かったりとか,あと,精神的にもいろいろ大変だったりとかすると,あれもやらなくちゃ,これもやらなくちゃって,気がついててもできないし,気が付かないときもあるし,だから,それは体調の悪さから来るものなので,気が回らないというのは体調の悪さから来てると思うので,気が付かなかったと言うことですよね。」。
 もちろん,医師がこうした原告らの体調について被ばくとの因果関係があると診断することはあり得ない。しかし,被ばくとの因果関係がないとも診断できないはずである。

  カ 本件事故直後の避難によっても不安は残ること
 原告らの中には,本件事故の後,比較的短期間に避難を開始した者がいる。その中には,大量に放射性物質が放出されたとされる平成23年3月15日よりも前に避難元を去った原告らもいる。しかし,そのような原告らであっても,健康に対する不安感は同様に存在する。
 第一に,たとえ僅かであっても,どの程度,被ばくをしたのかは分かっていない。
 第二に,避難先に移動しても,暫定基準や新規制基準をすり抜けた食品や,基準値以下でも汚染された食品を摂取した可能性は高い。
 第三に,原告らの多くは,避難後も避難元に一時帰宅等をせざるを得ないのであり,その際の被ばくは無視できない。
 したがって,たとえ避難時期が早いと言っても,当該原告らが,健康不安と無関係であるかのような指摘は不当である。

  (2) 原告らの不信

  ア 安全宣伝への不信

 本件事故後,福島県の子供たちに鼻血が出るようになったという報道が広くなされたが,政府は,調査もせず,本件事故との因果関係を否定した。しかし,実際には原告らは日常的に体調不安を感じており,それは,被ばくによるのではないかと不安を募らせている。そのような中で被告国らによる安全宣伝の一翼を担ったのが,山下俊一教授であるが,その山下教授の説明にも原告らは不信感を募らせている。
 原告番号2の1は,「遺伝的影響がないとか,はっきりした根拠を示さずに影響がないと言っていたので全く信じられなかったです。」と山下教授の不誠実な説明内容に怒りを覚えたことを証言している(原告番号2の1尋問調書9頁)。
 山下教授は,何も知らない一般市民に自分の言いたい結論だけを押しつけようとしたのであるが,実際には,本件事故まで放射線の健康影響について何も知らなかった一般市民も本件事故を契機に様々な情報を自ら収集したり,情報交換したりすることによって,様々な情報を得るようになっていたのである。こうした知識ある一般市民にとって,山下教授の発言は許容できなかったのである。
 山下教授は,「ニコニコ笑っている人には放射線の害は来ません。くよくよしている人には放射線の害は来ます」などと欺瞞に満ちた発言をしたばかりでなく,その専門性を疑われる発言もしている。すなわち,山下教授は,平成23年3月21日,「福島県放射線健康リスクアドバイザーによる講演会」という講演会で次のように発言している。
 「100ミリシーベルトは大丈夫。毎時10マイクロシーベルト以下なら外で遊んでも大丈夫」。
 「科学的に言うと,環境の汚染の濃度,マイクロシーベルトが,100マイクロシーベルト/hを超さなければ,全く健康に影響及ぼしません。
ですから,もう,5とか,10とか,20とかいうレベルで外に出ていいかどうかということは明確です。」。
 この「100マイクロシーベルト/hを超さなければ」という部分は,後に10マイクロシーベルトに訂正されたが,訂正したから良いという問題ではない。しかも,山下教授の発言は言い間違いの点を除いても2点で明らかな欺瞞を含む。
 第一に,低線量被ばくの健康影響(確率的影響)が異論なく認められている線量は100ミリシーベルトであるが,毎時10マイクロシーベルトは年間87.6ミリシーベルトの被ばくとなるのであり,わずか1年余りで確率的影響が確認されている累積100ミリシーベルトを超える被ばくとなる。これでは大変危険な状態というほかない。
 第二に,「全く健康に影響を及ぼしません。」と断言するのは誤りである。科学的には,せいぜい健康影響が確認されていないに過ぎない(それも近時の疫学研究で確認されつつある)。
 原告らの多くは,自ら知識を求める中で,こうした山下教授らによる欺瞞的説明に気付いている。そして,原告らは,こうした被告国らによるあからさまな安全宣伝によって,自分たちの健康被害が無視されようとしていることに懸念を持っているのである。

  イ 被告らに対する不信感
 こうした切迫した不安感は,被告らに対する根強い不信感がある。
 原告番号2の1は,復興副大臣らが支援情報説明会において,すべての放射性核種を測りようがないと答えて,測定に消極的な姿勢であり,すべての放射性核種が人体に与える健康影響ははっきりと分からないなどと無責任な回答をしたことに不信感を覚えた(原告番号2の1尋問調書6頁)。
 また,被ばくしても健康に全く危険がないと保証してくれる人もおらず,低線量被ばくで健康へのリスクが全くないと保証する医師もいない(同調書7頁)。被告らの対応は,健康にリスクがないことを保証しないにも関わらず,無責任に事態を放置するものである。

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 4 各世帯類型に特徴的な被害

  (1) 避難指示区域からの避難者

  ア 事故直後の混乱の中で強制避難

 区域内避難者は,本件事故直後に強制的に避難を強いられた。自己決定が働く余地はなく,恐怖と緊張の中で避難した(甲D1の1 4頁)。
 また,原告番号2は,本件事故直後の混乱の中,どこへ避難すればよいのかという情報を得ることができなかったため,放射性物質が飛散した方向へ避難してしまった(甲D18の1 6頁)。

  イ 財産の喪失
 本件事故直後に避難指示が出されたため,十分な準備はできず,まさに着の身着のままで避難した(甲D1の1 5頁,甲D18の1 7頁)。また,いつまで避難を継続しなければならないかも分からないため,避難元で築き上げた大小様々な財産の全てを持ち出すことはできなかった。
 そして,避難が長期化する中,一定の財産を持ち出すために一時帰宅をするも,避難元に置いてきた財産は刻々と放射性物質に汚染され,あるいは,避難先のスペースとの関係で処分せざるを得ないものも多数存在した(甲D1の1 6,7頁,甲D18の1 7,11頁)。
 したがって,避難先での生活のため,新しい日用品や家財道具の購入も,相当な経済的負担となった(甲D1の1 5頁)。

  ウ 被ばくによる健康被害の恐怖
 区域内避難者は,みな福島第一原子力発電所に近い場所で暮らす者である。当然ながら,本件事故直後に少なくない被ばくをしているおそれがあり,現在及び将来における健康被害に怯える日々を送っている(甲D1の1 7頁,甲D18の1 11頁)。

  エ 不十分な賠償
 避難指示によって避難し,帰還できない中,安定した収入を得られる正社員の地位を失い,大切な同僚を失い,人生設計は大きく変更を余儀なくされた。避難先での再就職にも,それぞれ大変な苦労があった(甲D1の1 2,5,6頁,甲D18の1 9頁)。地域コミュニティも住民らの強制避難によって解体させられており,再構築の目途は立たない(甲D18の1 13頁)。にもかかわらず,その賠償は十分ではない(甲D1の1 8頁,甲D18の1 15,16頁)。

  オ 帰還できない
 避難指示区域は,除染が十分になされていないうえ,廃炉過程におけるトラブルで更なる放射性物質の飛散も有り得る原発事故に近い場所である。現在も避難を継続している者が多く,地域コミュニティが失われたままの避難元へ帰還することはできない(甲D1の1 3,4頁,甲D18の1 13頁)。

  (2) 区域外避難者(自主避難区域外,福島県外からの避難者)

  ア 区域外でも放射線量の高いところが少なくない
 自主避難区域外や福島県外でも放射線量の高いところが少なくない。避難区域や自主避難区域が,必ずしも放射線量の多寡で線引きされていないからである。
 例えば,福島県外からの避難者である原告番号52の避難元は,福島県いわき市の南側に隣接する茨城県北茨城市の福島県境から1km程の場所であるが(乙D52の1,同2),本件事故直後,15.8μSv/hの線量が測定されている(2011年(平成23年)3月16日,甲D52の9の7)。

  イ 「ある」のに「ない」ことにされる
 上記アのとおり,いわゆる自主避難区域外,特に福島県外でも,被ばくを避ける必要や被ばくの健康への影響の危険性が「ある」と考えられるのに,自主避難区域外,特に福島県外であることを理由に,ことさらにそれらが「ない」ことにされたり,「ない」ことを前提に必要な行政サービスが行われなかったりする実態がある。
 例えば,原告番号52の1は,北茨城市に対して「いわきの子どもたちはマスクをさせられている,部活は禁止,体育はしない,それなのに,どうして北茨城市は3.11前と同じことを子供たちにさせるのか」と尋ねたところ,北茨城市からは「ここは茨城県だ,福島県じゃないから安心だ」と,茨城県からも「ここは福島県じゃないから安心だ」と回答された(原告番号52の1尋問調書3,4頁)。また,原告番号52の世帯の子どもが通う学校は,保護者宛に,地震や津波に関するお知らせをするばかりで「放射能に関するお知らせとか注意喚起は全く」行われず(同調書11頁),小学校は事故後2か月弱で地元食材を使用した給食を再開し(同調書8頁),運動会では運動場で昼食を食べさせ(同調書10頁),中学校は本件事故後初めてのプール掃除を生徒にさせようとした(同調書10頁)。
 このように,本件事故の被災者として被ばくを防ぐ,あるいは軽減するための適切な援助とケアを行うべき行政や学校が,自主避難区域外,特に福島県外の場合は,無理解と極めて不十分な対応しかしなかったため,区域外避難者は避難区域や自主避難区域からの避難者とは異なる苦労を強いられることとなった。

  ウ 事実上,賠償がないこと
 区域外の住民は,加害者である被告東電から理不尽にも一方的に賠償の対象から除外され,未だに一銭の賠償金も受け取ることができないでいる。
 このように,区域外避難者は,事実上賠償の対象から除外され,経済的,精神的に多大な苦痛を被っている。

  エ 住民意識
 行政や学校,そして被告東電の不十分で不当な対応のため,住民に被ばくを避けるための必要な知識が周知されず,あるいは彼らの不十分な対応に諦めてしなうなど,住民意識を規定されている面がある。
 例えば,原告番号52の1は「事故直後から,正しい数値や,危険かもしれない,少しでもリスクがあるという報道や政府からの情報は一切なく,どんな数字が出ても,プルトニウムが飛散されても,ストロンチウムが出ても,水から100.以上の汚染が出ても,何があっても,安全,安心だと言われ続け,だんだん要望したり抗議したりする力も奪われ,疲弊していき,もういいやっていう投げやりな気持ちで,多分,信用はしていないけれども,もう仕方がない,ここで生きていくしかないと思っているのだと思います」と述べ,問題意識を持つ住民が,声を上げることもできなくなっている現状があると指摘している(原告番号52の1尋問調書13頁)。
 そして,このような住民意識の地域から避難することは,住民,親族・家族からの孤立無援,避難にたいする非難とバッシング,関係の断絶さえ伴う過酷な選択であった。

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  (3) 世帯分離

  ア 家族が一緒に暮らせないこと

 家族は,単身赴任や進学の下宿など特別な理由がなければ,一緒に生活する。一緒に暮らすことは,家族が家族であるための大前提だからである。ところが,本件事故に伴う避難は,多くの原告ら世帯から,この一緒に暮らすこと,を奪った。約半数もの原告ら世帯が一緒に暮らせなくなった(平成28年12月14日付上申書のとおり,原告らのうち33世帯が世帯分離となっている。)。まず,世帯分離の重大性と,その割合の大きいことを申し述べたい。
 例えば,原告番号45の1は「事故前は,残業もなるべくすることなく,真っ直ぐうちに帰って,育児をともにしたり,家事を手伝ったりしてきました。……(事故後,母子避難により)本当に大事にしている娘と一緒に過ごす時間を奪われてしまったということが一番悔やまれます。」,「(妻も)やはり家族は一緒に住むべきだし,早くそうしたいという風な思いは持っています」(原告番号45の1尋問調書4頁)と述べている。

  イ 夫婦関係を育むことの困難性,離婚
 夫婦関係は,元々他人である男女が,助け合いながら日々生活し,愛情を育み,子ができれば父母として一緒に子育てをする。しかし,世帯が分離すると,これら営みを十全に行なうことができなくなる。そのため,夫婦関係にすきま風が吹き,ヒビが入り,冷え込んで,夫婦関係が崩壊したり,離婚のやむなきに至ったりする場合もある。原告らのなかにも,こうした困難に直面させられた者が少なからず存在する。
 夫婦関係は,人生に大きなウエイトを占めている。夫婦関係にかかる影響が出てしまった原告らの被った損害は,文字どおり筆舌に尽くすことができない。
 例えば,原告番号7の1は「(離婚の原因は)避難の相違と長引く別居生活です」(原告番号7の1尋問調書2頁)と述べ,原告番号32の2は,「なかなかそちら(夫が避難した千葉)にも行けず,そして,すれ違いが重なり,離婚に至りました」(原告番号32の2尋問調書4頁)と述べている。

  ウ 子育ての困難性
 親子が日々交わすコミュニケーションのつみ重ねは,子の人格の形成に重要な影響を及ぼす。ところが,世帯分離を伴う避難の場合には,この日々のコミュニケーションが奪われ,さらに両親の相談・協力も難しくなり,子育てに大きな困難がある。
 例えば,原告番号45の1は「妻にすると,2人で一緒に子育てをする中で助け合って家族というものを成り立たせることができていたのに,それを暴力的に引き離されてしまったという思いが強いと思います」,「(妻は)子育て,家事が集中していますので,恐らく大変疲れているだろうと思います」,「娘も成長の過程によっては,男親,母親から,それぞれの影響を受けながら育っていくのが通常だと思いますが,それができないということになっています。」(原告番号45の1尋問調書3,4頁)と子育てに影響が出ていることを述べている。

  エ 滞在者の孤独と負担
 世帯分離によって避難元に残らなければならない夫は,孤独である。夫婦や家族で分担してきた家事や近隣とのつき合いなどを,独り担わなければならなくなる。食事は弁当や出来合の物で済ませることが多くなり,健康を害する原因となりやすい。

  オ 面会交流の負担
 世帯分離となった夫の多くは,妻子に会うため,面会交流を繰り返した。しかし,経済的,時間的,体力的に大変な負担である。例えば,福島京都間だけでも,夜行バスで片道10時間以上,新幹線を利用しても4時間以上かかる。さらに,面会交流の時間を確保するため,仕事や家事を平日に済ませておかなければならない。面会交流では,毎回,つらい別れを経験する。面会交流を繰り返した夫の中には,これらの負担が原因となって過労状態となった者も少なくない。
 例えば,原告番号45の1は,「土,日なく仕事をして,休みをためて,月に1回程度,4,5日間,帰るようにしています」,「(娘は)私が福島に戻る際には,次はいつ来るのという風に寂しそうに聞く姿が,いつも頭にこびりついています」(原告番号45の1尋問調書3,4頁)と述べている。
 また、原告番号25の1は、「家族に会えない寂しさ」(甲D25の1の2 3頁)に加えて「京都へ行く時間を確保するために,本件事故後,平日は遅くまで残業するようになり,さらには,移動費用を節約するために,連日の残業による疲労状態にもかかわらず夜行バスを利用し」たため(甲D37の1 6頁)、「帯状疱疹」が発症するほどの過労となった(甲D25の1の2 4頁)。

  カ 経済的負担
 世帯分離は,二重生活に伴って生活費が増加する。通信費,水光熱費,無償住宅を利用していない限り住居費が増加する他,食費や日用品などの出費もかさむ。これらは明らかな事実であり,全て立証することは不可能であるから,適切に損害を認定されたい。

  (4) 世帯全員での避難

  ア 避難による生業の喪失

 世帯全員での避難者は,家族で共に生活するということを重視したものであるが,家計を支えている就労者の中には,避難元での仕事を失うことになった者が多数存在する。避難先で就職しても,避難前に得ていた収入よりも低い収入しか得られないことも少なくない。
 職業は,単に世帯の経済的な基盤となるだけでなく,やりがいを実感することや仕事を通じて成長することで,個人が自己の人格を形成し,発展させる基盤でもある。また,仕事の発展についての見通しは,個人や世帯の人生設計にも密接に関連する。このような職業の役割を踏まえると,避難前に従事していた仕事を避難により失うことは,生活の基盤を失うだけでなく,やりがいや生きがいを失い,人生設計をも狂わされることにもつながっている。
 例えば,原告番号27の世帯で,夫は,避難により不動産管理会社からの給与の支払いを受けなくなり(甲D27の1の1 4,5頁),京都での就職後も新しい勤務先での給与額は従前の給与額から約3分の1程度減少した(原告番号27の2尋問調書11頁)。また,その妻は,避難により電気製品販売会社及び親族の経営する不動産管理会社での仕事がなくなり,一切の収入を失った(甲D27の1の1 5頁)。一家全員が避難したことにより,避難先でも家族が一緒に過ごせるものの,夫婦の本件事故当時の仕事に対するやりがいや誇り,収入が失われた。
また,夫は,避難前には不動産管理会社のほかに父が経営する洋服店で経理事務,採寸,販売等の仕事もしており,昔ながらのテーラーで人生を穏やかに暮らしてゆきたいと考えていたが,本件事故によって福島から遠く離れた京都に避難せざるをえなくなり,本件事故以前のような暮らしも人生設計も失ってしまった(甲D27の1の1 17頁)。京都への避難後,夫は,抑うつ状態の診断を受けている(甲D27の7の14)。

  イ コミュニティとの分断による苦痛
 世帯全員での避難者は,その全員が故郷を離れたことにより,住み慣れた我が家での暮らし,親族や共同体の相互扶助・共助関係,友人知人と笑って過ごす時間,趣味を通じて人との交流を図る時間等の人生を豊かにする時間を喪失してしまった。
 例えば,原告番号27の世帯では,子どもを産み,育ててきた思い出の詰まった自宅を売却することになってしまい,胸が引き裂かれるほどの苦しみを受けることとなった(原告番号27の2尋問調書8頁)。また,長女及び次女は,避難前は近所の友人と家族ぐるみで良好な関係を築いていたが(甲D27の1の1 3頁),それ関係を失った。長女は,中学生活に慣れ,友人と仲良くなってきた時期に知らない土地への引越しを余儀なくされ,次女も,幼稚園の年少から一緒だった仲の良い友人と別れることに深く傷ついた(甲D27の1の1 12頁)。避難先における住宅確保との関係で,避難が夏休み期間中であったことから,長女と次女は友人に別れを告げることもできなかった(原告番号27の2の尋問調書7頁)。

  ウ 異境の地での生活再建に伴う苦労・苦痛
 世帯全員での避難者は,その全員が,避難先の異境の地で,新たに一からその生活基盤や人間関係を築かなければならず,孤独感や疎外感を感じながら生活し,また,避難前よりも不便・不自由な環境での生活を強いられることによる苦痛も受けている。
 例えば,原告番号27の世帯にとっても,慣れない土地での生活や仕事は,予想するよりもはるかに苦痛だった。前述のとおり,夫は人生設計を失い,抑うつ状態の診断を受けた。長女は,周井の学生からどのように見られているのだろうと不安になり,次第に人と話すことが苦手になり,不安障害や燃え尽き症候群と診断された(甲D27の7の15,原告番号27の2尋問調書9,10頁)。次女は,福島では1クラス20人程度で,皆仲良く,思いやり優しさに満ちた友だち,先生の中で学校生活を送っていたが,京都では,多人数クラスでしかも,方言により言葉が違うことに不安を感じる日々を過ごしている(原告番号27の2尋問調書10,11頁)。
 また,避難後,原告番号27の世帯が入居できた住宅は,戦後それほど経っていないころに建築されたと考えられる古い建物(甲D27の1の1 11頁)で,長らく管理されていなかったことが原因と考えられるカビが浴室全体を覆っていた等,非常に不衛生な住環境であった(甲D27の1の1 11頁)。部屋も狭く,家族4人分の布団を敷くことすらできず(原告番号27の2尋問調書9頁),収納や家具を置くと生活スペースはほとんどない状態だった。一家はこのような環境で生活しつつも,他方では,避難後,地元に残した持ち家の売却ができるまでの1年10か月の間,誰も住まない家のローンを月額約7万円強,合計154万円強を支払わなければならなかった(甲D27の1の1 15,16頁)。

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  (5) 障がい者を含む世帯

  ア 避難の選択・実行の困難さ

 原告のうち障がいを抱える者(原告番号42,原告番号43の3)は,いずれも独力では生活や避難が出来ない1種1級の認定を受けている(原告番号42尋問調書1頁,原告番号43の1尋問調書2頁等)。
 物理的に外出・移動が困難な者は,避難の開始から避難先までの移動に介助者が必要であり,その確保が出来なければ避難を選択することすらできない。また,避難に伴う長距離移動による心身への負担は,健常者の比ではなく,命にすら関わることもある。排泄,体調管理,食事,寝所について,障がい者に対応できる一般の避難所はほとんどなく,移動中に寝泊まりする場所を独自に確保しなければならない。
 例えば,原告番号42は,本件事故数日後から,雪が数メートルも積もる寒い中で避難生活を送ったが,最初の福島県内の避難先で役所に避難支援を要請したところ,障がい者の対応ができないから早く他の土地に移って欲しいとまで言われた(甲D42の1 9頁)。
 被ばくの危険や避難することの意味を認識できない精神に障がいのある者であっても,長期間の移動や環境の変化は,大きな精神的なストレスを伴う。
 例えば,原告番号43の3は,環境変化への適合能力が低く,言語の理解も不能な程度の障がいを有するため,突然の急激な環境変化が理解できず,大きな精神的負担を受けている(甲D43の1 7頁)。

  イ 避難先での生活環境・支援環境を確保することの難しさ
 障がい者は,各人の性質,障害の程度に対する周囲の人々や施設や職員の理解を前提に,相当の時間を費やして,教育環境や施設や介助者の支援環境が整えられる。そのような多くの人の理解を得てはじめて,障がい者が日常生活を送り,社会と関わりを持つことが出来るのであるところ,新たに避難生活を始めるにあたり,本人及びその家族は,本人及びその周囲の努力・協力で築いてきた「社会での居場所」を捨てて,避難先でゼロから新たな環境を作る苦労を負うことになる。
 そのため,原告番号43の世帯は,原告番号43の3の養育環境を考えて,一旦避難した米沢市から京都市へと段階的に避難先を移している(甲D43の1 7頁~8頁)。

  ウ 経済的負担
 支援環境の変化により福祉サービスの利用頻度が上がれば,経済的負担も増える。障害者総合福祉法の制限により公的保障の範囲は一定時間に限られており,それを上回った介助費用は自己負担となる(原告番号42尋問調書4頁)。
 例えば,原告番号43の1は,原告43の3の避難に伴う精神的負担が大きく,育児負担が増えたが,避難により補助してくれる祖父母と離れたため,ヘルパーを頼んだり,放課後預りサービスを利用したりする頻度が高くなり,費用負担が増加した(原告番号43の1尋問調書9頁)。

  エ 家族の苦労
 障がい者の家族は,障がい者の健康状態,精神状態に配慮しつつ,避難の選択,避難の実行,避難先での生活の再構築に努めており,そこには経済的・精神的に大きな負担がある。
 また,原告番号43の1及び2の夫婦は,自分達の生きているうちに少しでも娘を成長させ,本人と後に残される長男(原告番号43の4)に苦労を掛けないように,教育環境を慎重に整え,長女が生活しやすい家を建てた(原告番号43の1尋問調書3頁)。本件事故は,このように家族が一つ一つ築き上げてきた努力や思いを無にしてしまったのであり,家族が被った精神的苦痛は察するに余りある。

  (6) 高齢者を含む世帯

  ア 長年培って来た環境を離れたことによる苦悩

 高齢の原告は,いずれも人生の殆んどの期間を福島県内で生活し,仕事・育児・親戚付き合い等を通じて社会とつながりを持ち,住み慣れた土地で過ごす生活の喜びを見出してきた。本件事故により避難を余儀なくされたことで,高齢原告らは,数十年間に培ったつながりや環境を失い,その多大な葛藤や苦痛は計り知れない。
 例えば,原告番号5は,避難の決断にあたって,同居する二女と地元に残る長女の意見が対立したために,その板挟みになって辛い思いをした。苦渋の決断で避難するも,避難先では一緒に避難した夫を看取ることとなり,かつ,殆ど弔問客のいない葬儀で亡夫を送らなければならなかった。遺骨の埋葬に関しても,放射線物質の残る福島県内に埋葬することについて家族の同意が得られず,分骨を余儀なくされた(甲D5の1 4~7頁)。このように,本件事故に伴う避難により,良好だった家族関係ですら亀裂が入り,人生の最期という局面でも埋められない溝となっている。
 また,原告番号28は乳幼児の育児相談事業などを長年行い(原告番号28尋問調書1,2頁),原告番号42は福祉関係の事業所を理事長として主宰し(甲D42の1 3頁),両者とも,避難後も遠距離出張を行って事業継続に努めてきた。しかし,いずれも体力的・経済的負担等から,原告番号28は,事業継続を断念し(原告番号28尋問調書3,4頁),原告番号42も,業務内容の一部を現地職員に委譲せざるを得なくなった(原告番号42尋問調書13頁)。

  イ 避難生活に順応することの難しさ
 高齢になってから,住み慣れた土地から遠く離れ,福島弁の言葉の壁を乗り越え,避難先の環境に順応して交友関係を作り,生きる張り合いを見つけることは非常に困難なことである。
 原告番号5は,避難前は広い庭で野菜を作り,畑仕事に生きがいを見出していたが,避難後は公営住宅の上階の狭い一室で生活することとなり,言葉の違う土地で交友関係を広げることもできず,認知症が進行している夫とともに閉じこもりがちな生活を余儀なくされた(甲D5の14頁)。

  ウ 健康維持の難しさ
 避難に伴う緊張や慣れない土地での生活再建が,避難者の心身に悪影響を与えることは,多くの避難者の被害実態から明らかである。高齢者については,避難生活がなくても加齢等による健康状態の変化に気を配らなければならないところ,本件事故による避難は,高齢の避難者の健康に多大な悪影響を及ぼした。
 例えば,原告番号5は,閉ざされた住空間・人間関係が影響して夫の認知症が進み,原告自身が老老介護で夜も寝ることが出来ないような過酷な生活を余儀なくされた(甲D5の1の1 4~6頁)。
 また,原告番号28は,避難や慣れない土地での避難生活の疲れ,避難後も継続した山形県内での育児相談のための長距離移動,一時帰宅して行った自宅の片づけなどによる疲労が蓄積して健康状態を損ない,左上肢壊死性筋膜症をはじめとする多数の疾病を発症している(甲D28の1の1 6,7頁)。
 原告番号42も,本件事故前は見守り介護で足りていたところ,ヘルパーの手を借りなければ家の中を這って移動することもできなくなり,吐き気が続き,原因不明の頭痛などに悩まされるなど健康状態が悪化し,甲状腺乳頭がんにもり患した(原告番号42尋問調書11,12頁)。

  エ 避難生活を継続することの困難さ
 高齢の原告は,避難生活に伴う過酷な負担とともに,限られた時間の中で最期をどこで迎えるかという困難かつ差し迫った選択を突きつけられている。
 例えば,現在89歳の原告番号5は,放射線被ばくによる健康被害に対する強い恐怖と故郷で懐かしい人たちに囲まれて最期を迎えたいという望郷の念の間で葛藤の末,平成29年6月に避難元への帰還を決断した(原告3の2尋問調書16,20頁,平成29年9月7日付住所変更の上申書添付書類(住民票))。
 また,原告28は,身体の衰えにより一人で生活することが出来なくなり,長女の避難する新潟県内に避難先を変えた(原告番号28本人尋問調書5頁)。
 これら原告の選択は,高齢の原告が抱える避難生活に伴う負担,身体の衰え,避難により失われたコミュニティへの強い思いなどの事情が,放射線被ばくによる健康被害への恐怖に比肩するほど強いものであることを如実に表している。

  (7) 帰還者

  ア やむなく帰還したこと

 帰還者は,帰還先が安心であることを確信できないながらも,避難が長期化することによって避難やコミュニティ喪失に伴う様々な負担・苦痛を軽減するため,帰還という苦渋の決断をするに至ったものである。望んで帰還する者は一人も存在しない。
 例えば,原告番号8の1は,こつこつ積み立てたお金で長年の夢であったお好み焼き屋を福島県で平成21年11月にオープンさせたばかりであったが,平成23年1月に生まれた子への影響を考慮して,やむなく京都へ避難することとなった。しかし,避難した京都では,「なかなかいい就職口が見付からずに,結局は生活が疲弊してしまった」ため,帰還することとなった(原告番号8の1尋問調書1,2頁)。
 原告番号24の1に至っては,家の35年ローンを組んだばかりで,仕事もすぐにやめられるような状況でなかったことから,いったんは避難を見送っていたものの,先に避難させた妻や2歳の子や新生児と離れて生活することの限界を感じたことから,家の売却までして避難した(原告番号24の2尋問調書2頁)。しかし,原告24の1も,避難先では,仕事が定まらず,先が見えない中,貯金も全て使い果たしてしまい,平成28年3月の避難先住宅の使用期限が迫ってきたこともあり,「とても避難生活を継続することができないという無念の思いの中,福島に帰るしかないという結論」に至った(同調書3,4頁)。
 原告番号31の2も,放射線の影響はないと考えて戻ったのではなく,帰還理由については「生活が苦しくなったから」と述べ,経済的な支援があり,夫の仕事が京都で見つかっていれば「避難は続けていた」と述べている(原告番号31の2尋問調書1頁)。
 他方,原告番号22の1は,当時の夫を福島県に残す形で生後半年ほどの子とともに避難した。避難の判断は苦渋の決断だった(「子どもの健康,家族の時間,仕事,これらのどれを選択するべきか,どれも選択できない中で選ばなければならなかった苦痛がどれほどのものであったか,理解してほしいです」(甲D22の1の1 10頁))が,避難後,「想像以上に主人の鬱症状に似たようなものがひどく,このままでは家庭が崩壊してしまう」(原告番号22の1尋問調書9頁)と述べ,最小単位のコミュニティである家庭を維持したいという切なる思いで帰還した。しかし,帰還にあたっては,「私自身,とても葛藤がありました」(同調書11頁)と述べ,帰還の判断も苦渋の決断だったことを述べている。

  イ 帰還者の避難したことによる疎外感
 帰還者は,避難してしまったことによる疎外感を感じながら避難生活をしている。特に学生は,その頃の友人関係がそのまま末永く続き一生の宝にもなることが多いなど,この時代の友人関係やそのコミュニティとのつながりからの離脱は強い疎外感として現れている。
 例えば,原告番号15の2は,「幼い頃から一緒に過ごしてきた友達と一緒に中学校を卒業したいという強い気持ち」(原告15の1尋問調書3頁)から会津に戻っている。
 原告番号35の4は,「学校では,何か,福島から来た子という,そういう感じで接しられる(調書ママ)ので,あんまり学校へ行かなくなって,高校も途中でやめ」てしまった(原告番号35の1尋問調書4頁)。

  ウ 帰還者にも健康被害の不安があること
 帰還者は,帰還した後も健康被害の不安を抱えながら生活している。
 例えば,原告番号31の3は,帰還後に鼻血を大量に出すなど(原告31の2尋問調書2頁,甲D31の1の1-5頁),その健康に不安を抱えている。原告番号31の2も,放射能による影響を考慮して,帰還後も「野菜は京都から送ってもらい,水も購入し」(原告31の2尋問調書1頁),また,お弁当で食事をすることができることから,小学校に入る子をわざわざ公立ではなく私立に通わせるようにする(同調書3頁)など,健康被害への不安は絶えない。
 また,原告番号24の1は,福島での生活について「放射能がある中での生活というのは,食べ物もそうですし,空気もそうですし,外遊びも,させる,させないなど,一つ一つが気になって,気を付けることもたくさんあります」,「今でも,福島を離れた方がいいんじゃないかというふうに思い込んでしまうときもある中で日々暮らしております」(原告24の1尋問調書4頁)と述べている。
 同様に,原告番号15の1は,帰還した原告番号15の2(長男)について「放射能の不安や長男の被ばくを考えると,心配でなりません」,「健康面では,これからどんな影響が長男に出るかわかりませんので,心配は絶えません」(原告15の1尋問調書3頁)と述べている。
 原告番号8の1も,「線量は今でも気にしながらの生活になっています」(原告8の1尋問調書2頁)と述べ,原告22の1も,「放射能の人体に対する影響というのは今でも不安で仕方がありません」(原告22の1尋問調書11頁)と述べている。

  エ 破壊・変容されたコミュニティは帰還しても元に戻らないこと
 避難に伴う被害は,帰還すればそれで全て解決かというと全くそうではない。本件事故及びそれに伴う避難により,いったん破壊されたコミュニティが従前のように戻ることはありえず,帰還先が避難前と同様の場所であったとしても,それは避難前とは異質のコミュニティに変容しており,帰還者の帰還後の生活再建は困難となっている。
 例えば,原告番号22の1は,帰還後の生活状況について「避難していたことによって,以前連絡していた友人とも疎遠になってしまいましたし,やはり,仕事を辞めたということで,とても孤独を感じました」(原告22の1尋問調書9頁)と述べ,また,夫婦関係について「別離生活によってできた夫婦の溝は,思ったより深く,うまく行きませんでした」(同頁)と述べた。家庭の崩壊を防ぐための帰還であったが,結果的に離婚という選択を選ぶこととなった。
 また,原告番号30の2は,帰還したものの,「近所には,避難したことは知らせておりませんし,特別,戻ったということも知らせておりません。友人にも戻ったことは知らせておりませんので,私は,今,誰とも付き合いをしておらず,夫としか毎日話をしておりません」(原告30の2尋問調書4頁)と,避難してしまったことによる疎外感から,近隣住民や友人に対して避難前と同様の関わり方ができなくなったと述べている。

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 5 被告らの反対尋問について

 (1) はじめに


 本訴訟では,原則として各世帯から1名ずつ原告本人尋問を実施した。
 代表的な原告7世帯を除いては,いずれも主尋問を5分程度の簡略なものとして,反対尋問に多くの時間が費やされた。
 被告らは,この反対尋問において,執拗に当該原告以外に周囲に避難した者が殆どいないことを確認し,あるいは,体調不良を訴える原告に対しては,医師からの事故との因果関係を認める所見があるか等を尋問した。
 こうした被告らの反対尋問は,それ自体,無意味であり,原告らの損害を検討する上で,斟酌すべきでないことを以下に述べる。

 (2) 避難世帯数の多寡、家族間での見解の相違の有無について

  ア 避難世帯の数が少ないことは、原告らに損害がないことを意味しない

 被告らは、反対尋問の中で、原告らが避難を選択することは特異なことだと言わんばかりに、原告らのコミュニティー内で避難した世帯の数や、原告らの親族の中で避難した世帯の数を問う質問を繰り返していた。
 しかし、避難とは単なる場所的移動ではない。生活そのものの全面的放棄であり、多くの当事者にとって極めて困難な選択である。また、避難できるか否かは、仕事や家庭の条件次第である。避難を希望する全ての人が避難できる訳ではない。加えて、こうした事態に責任のある被告らの賠償に対する姿勢が明確でなければ,多くの住民にとって取り得ない選択である。現在,本件事故によって放射性物質による汚染をされた地域は福島県全域を超えて広大な場所的地域に広がっているが、避難に対して実質的な賠償がなされているのは,避難指示が出た極めて狭い区域に限られている。このような見通しの不安定な状態で生活全部を放棄するという決断を迫られるのは多くの住民にとってあまりに過酷である。誰もが,現状に満足して避難しないのではない。避難に対して明確な責任の所在が明らかでないこと,避難後の生活に対して何の支援もないことが,避難を思いとどまらせているだけである。本件訴訟で避難をしなかった原告らは,多くの場合,父親である。幼い子供たちの健康を守り、家族の生活を支えるために、自らは犠牲となって滞在を続けているのである。また,避難をやめて避難元に帰還した原告らもいるが,これらの原告らも,決して安全を確信して帰還したのではない。
 原告らのコミュニティー内や親族の中で避難した世帯がない、あるいは少ないからといって、原告らの避難の相当性が否定され、賠償されるべき損害がなくなる訳ではない。むしろ、原告らが大きな損害を被っているからこそ、数少ないとされる避難者となったことを直視すべきである。

  イ 家族間で避難への消極的意見の有無は、損害の有無には関係しない
 また、家族間で避難に対する消極的意見があることを聞き出す質問も繰り返し行われていたが、これも避難の相当性を否定しない。
 避難(しかも、いつ帰ることができるか分からない)は、生活の本拠を移すということである。家族の構成員それぞれの条件次第で、避難することができるか否かは異なる。一方で、家族が一所で生活をともにしたいと考えることは当然のことである。結果、避難をめぐって見解の相違が生ずることは何ら不思議なことではない。だからといって、避難した原告の避難の相当性が否定され、賠償されるべき損害がなくなる訳ではない。

  (3) 原告らの体調不良は損害の評価にあたって考慮されなければならない

 被告らは、原告らの様々な体調不良の訴えについて、医師からの診断書がないことや、原発事故や放射線の影響であると診断されていないこと等を聞きだし、損害の評価にあたって考慮されるべき事情ではないという趣旨の主張を行うようである。
 しかし、原告らは放射線による健康被害を理由として避難の相当性を訴えている訳でも、慰謝料の支払いを求めている訳でもない。いずれの原告も、放射線による健康影響をおそれて避難し、避難を継続する中、環境の変化によって従前にはなかった体調不良をきたしているのだから、放射線による影響であるとの医師の診断があるか否かに関わらず、慰謝料額を検討する上で考慮されなければならない。

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  (4) 漠然とした不安感で避難している訳ではない

  ア 避難選択の判断指標となるのは国や自治体の発表が全てではない

 被告らは、原告らが低線量被ばくによる健康影響や放射線量に関する国や自治体のホームページを調べていないことや、原告らの接した情報源が専門家でないことを問う質問を繰り返していた。これは、原告らが放射線について国や自治体の見解を調査することなく、あるいは、専門家でない者の見解を根拠に、漠然とした不安感で避難しているだけだから、避難に相当性がなく、賠償されるべき損害もないとの趣旨であると考えられる。
 しかし、放射線に関する情報は、国や自治体の発表が全てではない。
そもそも、場当たり的に何の根拠もなく避難指示の範囲を拡大させていったのは他ならぬ国である。また、速やかにSPEEDIを公開することなく、情報を隠蔽しているかのような印象を抱かせたのも国自身である。原告らが、このような国の発表に懐疑的になり、インターネットやテレビ、ラジオ等、原告らが自らアクセスできる情報をもとに判断したのであれば、それは何ら責められるべき行動ではない。

  イ 自らが接した情報を元に避難を選択することは不合理ではない
 また、被告らは、原告らの接することのできた情報の中に、放射線による健康影響を否定する見解もあったのではないかと問う場面もあった。
 そもそも、低線量被ばくの健康影響がもはや否定できないものであることは、多数の疫学調査結果が示すところであり、健康影響を肯定する見解に依拠して避難したことは何ら責められるべきものではない。
 仮に、低線量被ばくによる健康影響はないとする被告らの立場に立ったとしても、専門家の意見が分かれる中、一般人である原告らが、自らが接することのできた情報をもとに、身体・生命の安全を最優先に考え、避難という選択をすることは、何ら不合理ではない。かかる避難によって生じた損害については、賠償されなければならない。

  (5) 今も避難を継続していることによる損害も賠償されなければならない

  ア モニタリングポストの数値が全てではない

 被告らは、除染によって原告らの避難元のモニタリングポストが示す空間線量が低下していることをもって、これ以上の避難継続は必要なく、賠償されるべき損害もないと主張するようである。
 しかし、モニタリングポストは成人の身長を前提に設置されており、子どもの健康にとって安全とは言えない線量であるものもある。また、モニタリングポスト周辺は優先的に除染されており、当該地域全体の線量が低下しているということを示している訳ではない。さらに、除染できない山林から降下する放射性物質や、処分方法の定まらない汚染土からの放射性物質で、除染の効果は一時的である。モニタリングポストの数値は放射線量を語るうえで全てではない。

  イ そもそも事故前の空間放射線量は現在よりも低い値であった
 空間線量の値の意味を考える上で,次に述べる事実を忘れてはならない。
 本件事故前の空間放射線量は、現在とは比較にならないほど低い値を示していた。すなわち、各自治体が実施した平成21年度の「環境放射能水準調査」(甲D共213ないし217。いずれも表3を参照)によれば、本件訴訟の原告らの避難元自治体の空間線量は次のようなものであった(年間値の平均値)。
宮城県 23.4
福島県 41
茨城県 46
千葉県 24
 これらの単位はnGy/hである。すでに原告らの避難元は単位の違う、文字通り次元の違う世界となっている。
 現在、被ばくした地域で用いられている単位時間あたりの線量はマイクロシーベルトを単位としており、たとえば23.4ナノシーベルトは、0.0234マイクロシーベルトに相当する。
 現在、被告国は年間20ミリシーベルト未満になれば帰還を進めている。被告らの計算方法によれば、年間1ミリシーベルトの被ばくは時間当たり0.23マイクロシーベルトを単位に相当する(それ自体不当な計算方法である)。
 これを前提にすれば、年間20ミリメートルは時間当たり4.3マイクロシーベルトとなるが、これは、4300ナノシーベルトである。
 政府が帰還を迫る地域は、本件事故前に比べて100倍を超えようかという高線量地域なのである。

  ウ 放射性降下物の存在
 空間線量の低下のみで避難元が本件事故の影響から免れるようになったと即断するのは大きな過ちである。
 本件事故による影響は、放射性物質の降下が、いまだに継続しており、単純な減少傾向を示していないことからも明らかである。
 たとえば「平成28年度月間降下物環境放射能測定結果(速報)」(甲D共210)によれば、測定地点「No.1 いわき市 川前」では、平成28年11月1日から同年12月1日までの間、前月まであったセシウム134の降下は観測されなかった。
 ところが、翌月以降は、再びセシウム134の降下が観測されるようになった。同地点におけるセシウムの降下は、平成28年4月7日から同年5月9日まではセシウム134が0.99、セシウム137が5.0であったのに対し、それから1年近くを経過した平成29年3月2日から同月31日までは、同じく0.87、6.2であった(単位はいずれもBq/m2)。
 また、本件事故前の環境は、現在とは比べものにならないほどクリーンであった。福島県が文部科学省の委託を受けて実施した「環境放射能水準調査」(甲D共214)の表2によれば、大熊町での放射性降下物は、同年度のセシウム137の最高値は、0.087MBq/km2であった。
 現在、「平成28年度月間降下物環境放射能測定結果(速報)」(甲D共210)によれば、測定地点「No.8 大熊町 大野」では、平成29年2月1日から同年3月1日までの間、セシウム137は3000Bq/m2である。これは、3000MBq/km2に相当する。また、セシウム134の降下物480MBq/km2がさらに加わる。
 避難指示の必要性がないと判断された地域であっても、本件事故前に比較すれば、100倍から1000倍程度の放射性降下物があるのが現状である。
 除染をしても、次から次へと降り注ぐ放射性物質の降下物は、その場所にいる限り防ぐことはできない。したがって,この環境に居住している以上,住民は吸入被ばくによる内部被ばくからのリスクを免れない。
このリスクは定量的には低いと言われているが,その実態は実のところ明らかではない。
 長崎原爆急性被ばく症例では,肺,肝臓,腎臓,骨等の組織標本について非被ばく者に比べて多くの数のアルファ粒子の飛跡が認められたことが報告されている(甲D共7)。この報告では当該アルファ粒子の原因となった放射線核種は,プルトニウムであろうと推測されている。
 本件事故では現在も放射性セシウムを含む降下物が環境中に存在しているのであるから,同様に吸入被ばくによって内部被ばくを引き起こすリスクは無視できない。

  エ 放射性物質によって汚染された食品の摂取による内部被ばく
 放射性物質からの影響は,外部被ばくや吸入被ばくによる内部被ばくだけではない。放射性物質によって汚染された食品を摂取することによる内部被ばくも懸念される。
 被告らは,もともと食品中には放射性カリウム等の自然放射性核種が含まれているのだから,セシウムによるリスクを取り上げることが無意味だと言わんばかりの指摘を反対尋問で行った。
 しかし,追加的な被ばくリスクを避けることは合理的であり,原告らが,本件事故前になかった被ばくを被告らの論理で強要される筋合いはない。そして,本件事故前には,ほとんどセシウムは食品中に含まれておらず,現在の新規制値なるものも,まやかしに過ぎないことを以下に指摘する。
 本件事故後になって、被告国は、食品について放射性セシウムの暫定規制値を設けた。その後、被告国は放射性セシウムの新規制値を設定し、平成24年4月1日から施行している。
 これによれば、一般食品100,乳児用食品50、牛乳50、飲料水10とされている(単位はいずれもベクレル/キログラム)。その設定基準は、放射性物質を含む食品からの被ばく線量の上限を年間1ミリシーベルトに引き下げた(以前は年間5ミリシーベルト)ことによるとされている。
 上記規制値は全国に適用されるものではあるが、実際には、福島県を中心とする被ばく地域の住民のみが上記規制値までの食品摂取による内部被ばくを強要されているとみるべきである。なぜなら、本件事故前には上記のような規制値などはるかに下回る食品しか存在しなかったからである。
 平成21年度に財団法人日本分析センターが環境放射能水準調査の一環として日本各地で採取した試料に基づいて調査した結果が「降下物、陸水、海水、土壌及び各種食品試料の放射能調査」(甲D共212)である。
 これによると、食品中のセシウム137の平均値は次のとおりであった(単位は、いずれもベクレル/キログラム)。
精米  0.0076
牛乳  0.011
粉乳  0.25
根菜類  0.0084
葉菜類  0.045
 0.19
魚類  0.086
貝類  0.0064
藻類  0.030
淡水産生物  0.11
 ちなみに、各自治体が実施した平成21年度の「環境放射能水準調査」(甲D共213ないし217。いずれも表2を参照)によれば、殆どの食品でセシウム137は検出されなかった。
 被告国は、食品新規制値を設定する際、厚労省の公表したパンフレット「食品中の放射性物質の新たな基準値」において、「より一層、食品の安全と安心を確保するために、事故後の緊急的な対応としてではなく、長期的な観点から新たな基準値を設定しました」と説明した。しかし、本件事故前の食品中のセシウム値と比較すれば、現在の食品新規制値が、いかに欺瞞に満ちたものであるかは明らかである。被告国は、本件事故前に比較して1000倍から1万倍もの放射性物質の摂取を、福島県を中心とする被ばくした地域住民に押しつけているのである。

  オ 空間線量の低下をもって避難継続の相当性を否定することはできない
 空間線量が高ければ、外部被ばくが生じる。
 また、それだけでなく、内部被ばくも考慮しなければならない。内部被ばくは、環境中に存在する放射性物質(放射性物質の降下物)を呼吸によって吸入すること、放射性物質を含む食品を摂取すること、傷口からの吸収等が考えられる。
 上記の通り、原告らの避難元は空間線量が高く、放射性物質の降下が絶えず、本件事故前よりはるかに高い食品の汚染が公然と許容されている。
 つまり原告らの避難元は、外部被ばく、吸入による内部被ばく、摂食による内部被ばくという三重のリスクを有しているのである。決して空間線量が年1ミリシーベルト未満の水準だから安全ということではないし、食品の新規制基準が遵守されているから安全ということでもないのである。
 原告らの避難元に居住する以上、公衆被ばくの線量限度を遙かに超える被ばくが現実的になるのである。
 このような地域に避難時まで居住していたこと、滞在せざるを得ないこと、あるいは帰還せざるを得ないことは、原告らに対して、健康不安をもたらす大きな要因である。
 したがって,こうした被ばく影響を無視するかのような被告らの反対尋問は全く無意味である。

  カ 今なお避難を継続していることによる損害は賠償されるべき

 以上とおり、原告らが今なお避難を継続していることは相当であり、それによって生ずる損害についても賠償されなければならない。

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