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★ 準備書面(22) ―事故後の事情に基づく避難と継続の相当性―
 第2 事故後の国の対応 
平成27年9月25日

目 次(←クリックすると原告準備書面(22)の目次に戻ります)

第2 事故後の国の対応
 1 政府による避難指示等の問題点
 2 学校再開問題



第2 事故後の国の対応


 1 政府による避難指示等の問題点

  (1) 政府避難指示等の経緯

 被告国が,本件事故後に発した避難指示等の経過は,次のとおりである。
  1.  3月11日午後7時03分 国,原子力緊急事態宣言
  2.  3月11日午後8時50分 福島県,大熊町及び双葉町に福島第一原子力発電所から半径2キロメートル圏内に避難指示を要請
  3.  3月11日午後9時23分 国,半径3キロメートル圏は避難,半径10キロメートル圏内は待避を指示
  4.  3月12日午前5時44分 国,半径10キロメートル圏内に避難指示
     (12日午後3時36分 1号機原子炉建屋で水素爆発)
  5.  3月12日午後6時25分 国,半径20キロメートル圏内に避難指示
     (14日午前11時01分 3号機原子炉建屋で爆発)
  6.  3月15日11時00分 国,半径20キロメートル以上30キロメートル圏内に屋内退避を指示
  7.  3月25日 国,前記E地域住民の自主避難促進を地元に依頼
  8.  4月21日,22日 国,警戒区域,計画的避難区域,緊急時避難準備区域を設定
  (2) 避難指示等の問題点

  ア 原子力緊急事態宣言の遅れ
 被告東京電力からの原災法15条該当事象(同法施行規則第21条第1号ロの「原炉・・・の運転中に・・・沸騰水型軽水炉等において当該原子炉へのすべての給水機能が喪失した場合・・・において,すべての非常用炉心冷却装置による当該原子炉への注水ができないこと」)の通報が行われたのは,午後4時45分のことであり,これを受けて経産省大臣から内閣総理大臣に対して,原子力緊急事態宣言の上申を行ったのは3月11日午後5時42分であった。
 この上申を受けて,実際に原子力緊急事態宣言が発出されたのは,午後7時3分のことであったが,本来であれば,直ちに原子力緊急事態宣言が発出されるべきであった。
 なぜなら,原子力緊急事態宣言は,原災法上,原子力災害対策本部,原子力災害現地対策本部(以下「原災本部」という。),原子力災害対策本部事務局設置の前提として必要であり,政府による事故対応を開始するうえで,必要不可欠だからである。
 本件事故の重大性及び進展の急速性を考慮すれば,原災法15条該当事象の通報から原子力緊急事態宣言の発出までの2時間18分が事故対応に与えた影響は非常に大きかったことは明らかである(甲A1・国会事故調・287ページ)。
 また,住民に対しても,事態に対する政府の対応が非常に緩慢であることを強く印象づけるものであった。

  イ 避難指示等の変遷
 被告国は,原子力緊急事態宣言を発出した後も,迅速に避難指示を出すことができず,結果的には,政府から避難指示等が出されないことに危機感を募らせ,独自の判断で福島県が,3月11日午後8時30分,通常の原子力防災訓練で行うこととなっている原発から半径2キロメートル圏内に避難指示を出すこととなった(前記(2))。
 そのわずか33分後,被告国は,半径3キロメートル圏は避難,半径10キロメートル圏内に屋内待避を指示した(前記(3))。
 このように被告国による避難指示が福島県よりも遅れ,さらにその内容も齟齬をしたために,住民には大きな混乱が生じた。
 その後,1号機における原子炉格納容器圧力の異常上昇,1号機及び2号機におけるベントができていないことが判明した。それを受けて避難範囲についての再検討がなされ,12日午前5時44分,前記(4)の避難指示が出された。
ところが,同日午後3時36分,1号機の原子炉建屋で爆発が発生した。この爆発を受けて,12日午後6時25分,避難指示の範囲を半径20キロメートル圏内に拡大することが決定された(前記(5))。
 その後,14日午前11時1分の3号機原子炉建屋の爆発,翌15日午前6時頃の4号機方向からの衝撃音の発生,同日午前8時11分頃における4号機原子炉建屋5階屋根付近の損傷確認,同日午前9時38分の同原子炉建屋3階北西付近での火災発生といった事態が連続的に発生した。
 そこで,15日11時,国は,半径20キロメートル以上30キロメートル圏内に屋内退避を指示した(前記(6))。
 これを住民サイドからみれば,短時間のうちに五月雨式に避難指示の区域が広がる一方で,その具体的な根拠の説明に乏しく,政府が事態を全く掌握できていないという印象を強く与えるものであった。

  ウ 計画的避難区域設定が大幅に遅延したこと
 モニタリングデータ等から,3月23日の時点では,原災本部は,飯舘村,川俣町山木屋地区,浪江町津島地区周辺の積算線量が高いことを認識していたはずであるが,それらの地域が実際に計画的避難区域となったのは,それから1ヶ月後である4月22日であった(前記(7))。
このように計画的避難区域の設定が大幅に遅れた理由は,(1)関係する組織間の意見調整及び(2)新たに避難区域を定める際に参照すべき基準の議論のために時間がかかったことと指摘されている(甲A1。国会事故調354ページ)。
 すなわち,(1)については,保安院から避難指示区域の変更について慎重に判断すべきという意見上申を行っていた。また当事者である飯舘村や福島県が避難区域の拡大を望んでいなかった。さらに原安委も当初は避難区域見直しの検討の必要性に言及していたのに,3月20日以降は,避難区域見直しの検討の必要性を否定するようになり,意見調整に苦慮していた原災本部に対して助言機関としての役割を果たせなかった。こうした事情の結果,原災本部は,関係者の意見調整に時間を要した。
 また(2)の避難区域の設定についても,最終的にはICRPが定める緊急時の介入の参考レベル実効線量20ないし100mSvの最小値である20mSv/年の積算線量の基準が採用された。
 しかし,3月21日の時点でICRPは緊急時の防護措置は20mSvから100mSvを基準に行うべきであるという2007年勧告を踏まえた措置を取るべきであるという日本政府に対して通知を発していた。したがって,この勧告に従って避難指示をすることは可能であったし,そもそも運用上の介入レベルとして予め避難指示を出すべき空間線量を定めておけば,基準を超えれば自動的に避難指示を出せるのであるから,新たな避難指示の策定のために時間を浪費することもなかったのである。
 このような状態について,国会事故調は,「このような原災本部の迷走は,住民の安全を第一に考えていなかったと評価せざるを得ない。」と厳しい評価を下している(甲A1。355ページ)。
 長期間,本来避難すべき地域に居住を継続していた当該地域の住民らにとっては,政府に対し,ぬぐいきれない不信感を覚えるものであった。

  エ 避難区域設定が合理的根拠を欠き,説明不足だったこと
 半径3キロメートル圏内の避難指示は,斑目原安委委員長,平岡保安院次長などから,過去の原子力総合防災訓練の経験,事故以前に関係各省庁で検討されていた防災指針の見直し作業をもとにした助言などに基づいて設定されていた。
 ところが,その後の半径10キロメートル圏内,同20キロメートル圏内の避難区域設定は,こうした知識に基づいて設定されたものではなかった。
 すなわち,半径10キロメートル圏内の避難区域は,ベントが一向に実施されず,このまま格納容器の圧力が上がっていくとすれば,半径3キロメートル圏内の避難区域で十分かどうか不明であるという理由のみから決定されたものであった。半径10キロメートル圏内としたのは,それが防災計画上定められた防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲(EPZ)の最大域であったためにすぎず,何らかの具体的計算や合理的根拠に基づく判断ではなかった。また,半径20キロメートル圏内の避難区域は,1号機の水素爆発を含む事態の進展を受け,半径10キロメートルを越えた範囲として半径20キロメートルという数字が挙げられ,一部の者が個人的知見に基づき大丈夫だろうと判断した結果決定されたものにすぎず,これも,合理的根拠に基づく判断とは言い難い(甲A1。国会事故調320ページ)。
 避難区域の設定が合理的に設定されていないこともあって,住民にはなぜ避難するのか,という理由の説明も詳細にはなされず,混乱の中で避難を迫られた住民の中に被告国に対する不信が芽生えた。

  オ 自主避難について
 被告国は,屋内退避の長期継続による住民の生活レベルの低下,物資の搬入の困難が生じていることから,屋内退避指示区域における自主避難の促進を地元市町村に依頼した。防災指針では,屋内退避を10日にもわたって継続することは想定されていないにもかかわらず,屋内退避指示は,上記の3月25日の官房長官記者会見まで漫然と継続される形となっていた(甲A1。国会事故調347ページ)。
 すなわち,防災指針上は明示されていないが、屋内退避指示が最適とされる日数について防災指針が参考とする国際的な合意では最長2日程度を想定している。
 住民の視点に立つと、屋内退避が長期化する見通しとなった時点で、住民の生活基盤を確保するための措置を講じることが求められる。または、屋内退避指示の時点であらかじめ退避期間の見通しを示すことが望ましい。しかし、本事故では、3月15日の20キロメートルから30キロメートル圏内屋内退避指示が出された際には、帰還の見通しは全く示されなかった。この結果、物流・商業の停滞から住民は十分な生活基盤を失った。原災本部事務局による屋内退避区域の被災者への支援が、遅くとも3月21日からは開始されたが、物資支援は十分に行き届いてはいなかった。こうしたことからみても、政府の住民生活への視点は全く足りていなかったといえる。
 加えて,避難の判断を住民に任せたことについては,被告国に住民の健康を自ら守るという自覚に欠如したものと言わざるを得ないし,このような場当たり的な対応によって住民はさらに大きな混乱に巻き込まれた。
 特に3月25日の時点で原災本部は,4月22日に設定された計画的避難区域の基礎となる情報を確認していた。したがって,3月25日に自主避難を求めたことは,屋内退避の解除か避難区域の拡大化という判断を先送りにし,避難を住民の判断に委ねるという対応をしたものであり,被告国は,国民の生命,身体の安全の確保という国家の責務を放棄したものと評価される(甲A1。国会事故調350ページ)。
 また不安な中で長期間,屋内退避によって不自由な生活に甘んじていた住民にとって,このような政府の対応はきわめて無責任と写ったのである。

  カ SPEEDI問題
 SPEEDIとは、原子力施設から外部へ放射性物質が放出される事故が生じた際に、放出源情報及び気象予測等をもとに、周辺環境における放射性物質の拡散状況や住民の被ばく線量等を予測計算し、その結果を主に地図上に図形として表示するシステムである。
 SPEEDIは,事故時に住民の被ばくを避けるためのシステムであり,アメリカで1979年に発生したスリーマイル島原発事故をきっかけに開発された。
 SPEEDIの整備,維持,管理と機能拡充は,文科省の所管事項とされ,予測計算の実施を含むSPEEDIの運用については,財団法人原子力安全技術センター(以下「原安技センター」という)が行っている。
 SPEEDIが正常に作動するためには,前提として緊急時対策支援システム(ERSS)が必要である。
 ERSSは,原子力発電所から送信されるプラント等の情報に基づいて,原子力発電所のプラント状態を監視し,また事故の進展を予測して外部への放射性物質の放出状況を予測計算するシステムである。
環境放射線モニタリング指針(以下「モニタリング指針」という。)は,ERSSとSPEEDIの具体的運用を次のようにしていた。
  1.  事故発生後の初期段階では,一般に,放出源情報を把握することは困難なため,1Bq/h(単位量放出)等の仮定値を入力してSPEEDIでの計算を行う。この計算結果をもとに,大気中の放射線量等を測る緊急時モニタリングの計画を策定する。
  2.  ERSSによる予測計算によって放出源情報が入手できた場合,これをもとにSPEEDIでの計算を行い,防護対策の検討のために早期入手が望まれる外部被ばくによる実効線量の分布等の図形作成,配信を行う。
  3.  緊急時モニタリングの結果が得られた場合には,その結果とSPEEDI による予測計算の結果を踏まえて,防護対策の検討,実施に活用する各種図形を用意する
 本件事故直後から,ERSSは原発のプラント情報を把握する機能を停止した。
 そこで,原安技センターは,文科省の指示により,3月11日午後4時40分に単位量放出(1Bq/hがあったと仮定)による予測計算を開始し,その結果は,1時間ごとに保安院をはじめとする関係機関に配信された(定時計算)。
 定時計算の結果は,放射性物質の拡散方向や相対的分布量を予測するものであるから,少なくとも避難の方向を判断するためには有用なものであった(甲A2。政府事故調中間報告259ページ)。
 しかしながら,SPEEDIの計算結果は,直ちには国民に公表されなかった。
 確かに,ERSSによる放出源情報が得られない場合には,SPEEDIのみをもって,初動における避難区域の設定の根拠とすることができるほどの正確性を持つものではなかった。しかし,避難の方向を判断するのに有用であったと言える以上,被告国は,積極的にこの定時計算の情報を公表するべきであった。
 このSPEEDIの定時計算がなかったために無用の被ばくを強いられた住民は,数多い。
 たとえば,浪江町では,3月15日朝方,町長の決断で二本松市へ避難することが決まり,住民に伝達した上で,避難を実施した。また,南相馬市においては,3月15日以降,希望者に対し,市外への避難誘導を実施した。この市外への避難路については,市が調整し,多くの住民は飯舘・川俣方面に避難した。
 これらの避難経路は,結果的には,放射性物質の飛散方向と重なることとなった(甲A2。政府事故調中間報告278ページ,280ページ)。
 SPEEDIの情報が開示された際にも政府から納得のいく説明はなされず,住民らに対し,政府が放射性物質の飛散について情報を隠匿しているかのような印象を強く与えることとなった。

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 2 学校再開問題

  (1) 4月19日通知の内容

 被告国は,平成23年4月19日,文部科学省の4局長から福島県教育委員会,福島県知事らに対して「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について(通知)」(甲D共79。以下「4月19日通知」という。)を発出した。
 4月19日通知は,避難区域を除き,学校を再開することを大前提としていた。
 すなわち,4月19日通知は,校舎・校庭の利用判断における暫定的な目安を示すことに主眼が置かれていた。
 そして,生徒が年間20ミリシーベルトを超える被ばくをしないことを目標に,屋外3.8μSv/h,屋内(木造)1.52μSv/hが20mSv/年に達する線量であるとし,校庭・園庭で3.8μSv/h未満の空間線量であれば平常通りに使用して差し支えがないと示した。
 同通知は,平成23年4月以降,夏季休業終了(おおむね8月下旬)までの期間を対象とした暫定的なものとされていた。
 その上で,4月19日通知は,福島県や県教育委員会に対し,「所管の学校及び域内の市町村教育委員会並びに所管の私立学校に対し,通知の趣旨を十分周知させ,必要な指導等をすることを求めていた。

  (2) 8月26日通知の内容

 4月19日通知は,「福島県内の学校の校舎・校庭等の線量低減について(通知)(平成23年8月26日)」(甲D共80。以下「8月26日通知」という。)によって撤回された。
 すなわち,8月26日通知は,4月19日通知と同様に文部科学省の4局長から福島県教育委員会,福島県知事らに対して発出されたが,同通知も学校での授業を行うことを大前提として,改めて線量低減の考え方を示したものである。
 8月26日通知の特徴は,生徒の受ける全体の線量ではなく,学校における線量だけに着目した点にある。
 その上で,8月26日通知は,学校において生徒が受ける線量を原則年間1mSvとして,かつ,児童生徒等の行動パターンを通学年間200日,1日あたりの滞在時間を6.5時間(うち,屋内4.5時間,屋外2時間)と仮定して,校庭・園庭の空間線量率の目安を1μSv/hとした。他方,1μSv/hを超えることがあっても,屋外活動を制限することはないとした。

  (3) 国会事故調の指摘

 4月19日通知が発出された経緯については,国会事故調(甲A1。「4.4.4. 学校再開問題」427ページ)に詳しいが,その内容は驚くべきものである。
 本件事故後,平成23年3月下旬から,福島県の学校は,春休みに入ったが,福島県は,4月からの新学期に向けて,予定通り新学期を開始すべきか否かという問題を検討していた。
 原災本部では,文科省が学校再開問題の判断基準の設定を担当すると決まった。
 文科省は,平成23年4月6日,原安委に対し,福島県内の小学校などの校庭の空間線量モニタリング結果を添付し,福島県内の小学校などの再開に当たっての安全性及び小学校等を再開してよいかについて助言を依頼した(甲D共81の1)。
 原安委は,(1)福島第一原発から20キロメートルから30キロメートルの範囲内の屋内退避区域については,学校を再開するとしても屋外で遊ばせることが好ましくないこと,(2)それ以外の地域についても空間線量率の値が低くない地域においては,学校を再開するかどうか十分検討するべきと回答した(甲D共81の2)。
 「空間線量率の値が低くない地域」の具体化を依頼された原安委は,同月7日,文科省が自ら判断基準を示すべきであると示し,参考値として,公衆の被ばくに関する線量限度は1mSv/年であるとの助言を行った(甲D共82の1,2)。
 このような原安委からの助言があったものの,文科省は,さらに同日,原安委に対し,同様の学校再開の可否に関する助言を依頼したところ,前回の回答どおり,という回答を得た(甲D共83の1,2)。
 その後,文科省は4月9日,検討すべき問題を学校再開の可否ではなく,学校の再開を前提とした学校の校舎・校庭等の利用判断基準の数値へと変更した。その上でICRPの2007年勧告の定める事故収束後の一般公衆の受ける線量の参考レベルの上限値を参考に被ばく線量20mSv/年を目安とすることを原安委に提案した(甲D共84の1)。
 これに対し,原安委は同日,(1)ICRP2007年勧告の参考レベルの上限値である20mSv/年の基準は限定的に用いるべきこと,(2)仮にこの値を採用するにしても外部被ばくと内部被ばくを併せて上記の値に収めるべきであり,本件のように外部被ばくのみの受忍限度を定めるためには,内部被ばくの寄与を外部被ばくと同等程度に見積もり,この上限値を2分の1程度にしたうえで目安を決めるべきという趣旨のことを助言した(甲D共84の2)。
 その後文科省は,その過程で内部被ばくの寄与度が無視できるほど小さいと独自の計算を行ったうえで,複数回の安全委員会とのやり取りを経て4月19日,被ばく線量1〜20mSv/年を学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安と決定し,20mSv/年という値にこだわった。
 文科省はこの値に基づき,校庭・園庭で被ばく線量20mSv/年に相当する空間線量3.8μSv/h以上が計測された学校等についてのみ,児童・生徒の屋外活動の利用を制限することとした。3.8μSv/h未満の学校等については,校舎・校庭等を平常通り利用して差し支えないことを安全委員会ととりまとめ,その旨を原災本部が発表した。これを受けて文科省は同内容を福島県教育委員会に対して通知を発出したのが,4月19日通知である。
 上記の経緯について,国会事故調報告書は,「文科省の検討論点の変更及び20mSv/年への執着は,現状を追認し,最低限の屋外活動の制限をするために行われたものであり,子どもの健康と安全への配慮という点では疑問が残る。」と批判している(甲A1。429ページ)

  (4) 4月19日通知の社会問題化

 4月19日通知については,内部被ばくが考慮されていない上に大人と同レベルの基準値(年間20mSvというのは,男性及び妊娠の可能性,意思のない女性における職業被ばくの限度である)であること等に対して,社会的に大きな批判がわき起こった。
 平成23年4月21日には,「福島老朽原発を考える会」など三団体の呼びかけで,撤回を求めて政府との交渉が行われる等し,「原子力資料情報室」,「グリーンピース・ジャパン」などの六団体も「子どもに年間20mSvを強要するのは非人道的だ」として緊急声明が公表され,賛同署名が開始された。
 この問題は,連日,マスコミでも報道されていたが,最終的には,平成23年5月27日,文部科学大臣は,「今年度,学校において児童生徒等が受ける線量について,当面,年間1mSv以下を目指す」という方針を発表することによって問題は収束していった(甲D共85)。

  (5) まとめ

 このように学校再開問題を巡る政府の対応は,原安委からの線量限度の助言を顧慮せずに児童生徒らの健康と安全への配慮を欠くものであった。そのため,社会的に大きな批判を受け,ついには方針の撤回を余儀なくされた。
 学校再開問題は,政府の対応に問題があることが顕著に表れた例であり,住民に混乱を与え,政府に対する不信感を植え付けるものであった。

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