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★ 「原告と共に」No.48 2024年7月発行 

● コンテンツ

         
「6・17判決を正す」共同行動は成功 最高裁を千名の人達が包囲! 

 (会報1面)

 6月17日、最高裁第2小法廷が「国に責任なし」の不当判決を出してから2年。この日、京都訴訟も所属する原発事故被害者訴訟原告団全国連絡会の呼びかけで結成された実行委員会による最高裁包囲行動が行なわれ、京都訴訟からも原告5名と支援スタッフ2名が参加しました。予想の700名を大きく上回る約千名の人が集まり、最高裁に向けて抗議のコールを叫び、3回にわたって手を繋ぎヒューマンチェーンを成功させました。

 午後からは衆議院第一議員会館大会議室で報告集会&シンポジウムを開催しましたが、興奮冷めやらぬ人たちがそのまま集まり会場に入りきれなくなったため、急きょ第2会場を用意しましたが、それでも入りきれず、やむなく帰る人も出るという状態でした。

 会場では、実行委員会に参加した団体が紹介され、大島堅一・龍谷大学教授の講演では、原発は時代遅れになり衰退していること、原発事故を軽視し、原発推進へと舵を切るきっかけとなった6・17判決を覆さなければならないことが確認されました。

 集会ではこれから高裁判決を迎える訴訟を代表して、原告団共同代表の堀江さんが京都訴訟の取り組みを紹介し、「1万枚ハガキ大作戦」への協力を訴えました。最後に、「司法よ 本来の姿を取り戻せ」と題する集会宣言が採択されました(8面に掲載)。

●関西でも共同行動

 こうした首都での共同行動に呼応して、6月15日には大阪で関西共同行動を実施しました。京都訴訟、関西訴訟、ひょうご訴訟、全交反原発実行委員会の4団体で「最高裁の不当判決をただす6・15関西行動実行委員会」を立ちあげての行動で、時間のない中ではありましたが、各団体の呼びかけで、60人程の参加者がありました。

大阪高裁前で集会をしたあと、西梅田までのパレードに出発。各団体が順番に傍聴の訴えやコールを行ったり、その合間に京都訴訟の替え歌を歌いながら歩きました。これまでの裁判所一周のパレードと違い、交通量も多く、声がかき消されそうになることもありましたが、6・17行動へ繋がる活気ある行動となりました。

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●5/22控訴審は結審しました。300人風船パレード大成功

(会報2~5面)

5月22日に原発賠償京都訴訟の控訴審が結審しました。その日、朝10時過ぎから大阪高裁の南向いにある公園に原告と支援スタッフが集合し、11時30分から開催するアピール集会の準備が始まりました。机を並べ、横断幕を張り、のぼりを立て、パレードで使う風船に空気を入れる。その合間を縫って、18日までに集まった第2次公正判決署名を第12民事部に提出に行きました。今回提出したのは団体署名46団体、個人署名4,000筆で、累計226団体、10,932筆となりました。

◆新しい替え歌を披露

 これまでの支援への感謝をこめて、原告団から参加者に勝鬨もなかとクリアファイルが渡されました。11時過ぎにはすでにいつもより多い人が集まって来て、アピール集会のスタートを飾りプロのサキソフォン奏者であるSwing MASAさんとアマチュアの松島さんが演奏で雰囲気を盛り上げてくれました。原告団からはパレードでも歌いながら行進するという替え歌が紹介されました。メロディはザ・ブームのヒット曲「風になりたい」で、高揚感あふれるサンバのリズムが特徴です。

 歌詞は、「大きな決断で あなたの手を引いて 荒れ狂う原発から まっすぐ西へ行きたい」で始まり、「住宅追われても 半数帰っても あなたに会えた幸せ 感じて勝っていきたい 勝って最高裁行こう!」で終ります。

◆連帯のあいさつ

そのあと遠方から駆けつけてくれた人を中心に連帯の挨拶を受けました。「最高裁判決を目の前で聞いた。あの悔しさは忘れられない。闘いの場を福島に移して頑張っている」(群馬訴訟の丹治杉江さん)、「あんなのが最高裁の判決だなんて認めることはできない」(だまっちゃおれん愛知岐阜訴訟の岡本早苗さん)、「京都の皆さんの訴えを裁判官が受け止めればまともな判断が出ると思う」(かながわ訴訟の村田弘さん)、「あきらめる訳にはいかない。長い闘いが続くと思うが頑張っていこう」(生業訴訟の遠藤さん)、「司法が頭から腐っているということで6月17日に最高裁包囲行動を予定している」(支援全国ネットの吉川方章さん)、「いま日本の社会に必要なのは勇気と決断だ」(グリーン・アクションのアイリーン・スミスさん)、「避難者を先頭にした私たちの闘いで原発を止めてきた」(フリージャーナリストの守田敏也さん)などの発言がありました。

◆270人超で風船パレード

12時15分に風船パレード出発。明らかにこれまでより隊列が長い。1列3人で90列、270人は超えていたでしょう。「300人パレード」は9割方、達成したことになります。ピンクの風船を片手に持ち、音楽隊の演奏に合わせて「風になりたい」の替え歌を歌い、これまでも叫んできたコールを繰り返しながら、裁判所の周りを一周しました。後ろを振り返ると最後尾が見えないくらいで、参加者からは「パレードの列が長くてコールが聞こえにくかった」という感想も出ていました。裁判所もパレードにどれくらいの人が参加しているかを建物の中から見ていたに違いなく、いつもの3倍近い隊列には驚いたことでしょう。

         

       

◆傍聴券を求めて204人が並ぶ

その人数の威力が発揮されたのは抽選券の交付の時でした。これまで「200人パレード」と言いながら実際には100人程度だった経験から、「300人なんて来るわけがない」と思ったのでしょう。用意された抽選券は150枚ほどだったようで、途中で配布する抽選券が無くなってしまい、職員が急遽追加の抽選券を作りに行きました。結局配布された抽選券は204枚。この出来事は、裁判所の職員に、この裁判が社会的に注目されていることを強く印象づけたに違いありません。


       

◆原告の意見陳述

 今回の結審期日では28名の原告が出廷し、裁判官の真正面に2列に並びました。

 法廷では5人の原告が意見陳述しました。母子避難した川﨑さんは、家族全員そろっての団らんという当たり前の日常がないまま12年が過ぎたが、自分の生まれ育った国によって存在を消されることの悲しみ、悔しさとそれに向き合い続けることの苦しみを語り、この裁判で国の責任を認めて頂くことが国連からの勧告で指摘されている医療保障や住宅支援などの制度化につながる、裁判官には憲法・法律と良心に従った判決をお願いしたいと述べました。

 夫と長女を残して避難した齋藤さんは、家族がバラバラになり、きょうだいや友だちと引き離してしまった自分を何度も責めたが、大人になった長女から「じいちゃんとばあちゃんを置いて行きたくなかったから残ったが、本当はママたちと一緒に避難したかった」と告げられたと明かし、国が被ばく限度量を引き上げ被害を矮小化したことが引き金となり、その影響が今も続いていると指摘。裁判官に対して、国民にこれ以上要らない被ばくをさせないで欲しい、未来の命を守るために正しい判決を望みますと語りました。

 続けて共同代表の3人が意見陳述しました。

 Hさんは、精神的に不安定になり今も療養中の次女について触れ、安全だという情報だけをまき散らし、自主的避難者をおとしめてきた東電と国が子どもたちの未来を奪ったと述べ、少しでも被ばくの影響を抑え免疫力を上げるための施策を国に作ってもらいたい。そのためには国の責任が認められることが大前提だと訴えました。

 堀江さんは、原発事故により自分たちの生活や人生は大きく変わってしまった。自分たちが感じた喪失感や健康被害への不安はこれからも消えることはない。東電と国はその責任を引き受けてほしいと述べ、裁判官に対しては最高裁判決をまねることなく、良心に従って公正な判決を書いて頂きたいと話しました。

 福島さんは、国が権力を駆使して司法を懐柔していること―春の叙勲で、あの6・17最高裁(第2小法廷)不当判決を書き、巨大法律事務所に天下りした菅野博之元裁判長が旭日大綬章を受章していたのです―を告発。私たちは憲法12条の規定にあるように人権を守るためにたゆまず努力し、原発事故の責任を取ろうとしない国の在りようを変えなければならない。裁判官としてのご自身の良心とのみ対話し、原告一人ひとりの命と向き合って判断してほしいと訴えました。

◆弁護団の最終陳述

 最後に田辺弁護士が、裁判所が判断するにあたって留意してほしいことを述べました。

原告はなぜ国を訴えているのか。それは、真の被害回復には金銭賠償だけでなく、住居提供等の避難継続への支援、継続的な健康管理、自主的避難者に対する差別的取り扱いの解消等が必要だからだ。

最高裁判決の不当性はすでに述べたが、IAEA(国際原子力機関)のセイフティガイドラインの持つ意味合いについては納得できる判断を期待する。

自主的避難者の避難継続については原賠審の中間指針追補でも2011年度中しか認められていないが、現在でも避難を継続している原告も多い。権利擁護という観点から判断してほしい。

損害については、避難者が自らの損害を言語化するのは極めて困難だということを踏まえて、避難者の労苦を掬い取ってほしい。

「いつまで避難しているの」―これこそが避難者が被っている被害の本質であり、被害が忘れ去られ、なかったことにされている。避難者がこの13年間、支援も賠償も謝罪も受けることなく、過酷な日々を過ごしてきたことを忘れないでほしい。

以上の原告側の意見陳述をもって控訴審は結審し、判決申し渡しは12月18日(水)11時と決まりました。

【報告集会】  閉廷後は、意見陳述した原告5人と弁護団が記者会見を行なうのと並行して、中之島図書館3階の多目的スペース2で報告集会が始まりました。

 最初に井関弁護士から損害論ではどういう立証をしてきたかについて説明があったあと、原告の小林さんからこの間の原告団の活動報告として、やれることはすべてやろうと全国の訴訟への応援、月2回の大阪高裁前での宣伝行動、京都原告3人が出演している映画「決断 運命を変えた3・11母子避難」の上映館での舞台挨拶などに取り組んだことが報告されました。

◆勝つまで闘う

 そのあと各地から応援に駆けつけてくれた方々から連帯の挨拶。原告の意見陳述に対しては「素晴らしかった。親として胸がつぶれる思いで聞いた」(だまっちゃおれん愛知岐阜の岡本さん)、「私たちの訴えたかったことを話してくださった。素晴らしい陳述だった」(関西訴訟の森松さん)などの声がありました。生業訴訟の遠藤さんは「悔しくて落胆もしたけども、負ける訳にはいかない。勝つまで闘う」と述べ、支援全国ネットの吉川さんも「状況は厳しいが闘いが続く限り展望は開ける」と語る中、 かながわ訴訟の村田さんは「陳述を聞いて、13年経って怒りが熟成していると思った。この熟成した怒りはこれからきっといい香りを発するだろう」とやや文学的な表現で希望を語られました。

◆原告20名が前に

 そのあと20名の原告が前に出て並び、一人ずつ発言しました。中には避難時3歳でいま16歳になった若い原告もいて、「私が暖かい気持ちで暮らせているのは支えてくださる皆さんのお蔭だと思っている。…判決に向けて自分にできること、それ以上のことを頑張ってやっていこうと思う」と述べました。

        

 また故鈴木絹江さんの遺影を手に持って並んだ原告もいました。個々の発言を取り上げることはしませんが、「多くの原告が顔を出してくれたことを誇りに思う。一人ではやれないけど、みんなでカバーし合っていける関係になって来たのが嬉しい」という発言が印象に残りました。 

◆1万枚はがき運動

 そのあと事務局のスタッフ全員が前に並び、一言ずつ思いを語りました。集会の最後に、支援する会の奥森事務局長が「裁判官が判決を書くこの時期が極めて重要」として、今日から8月まで裁判官宛ての「公正判決をかちとる1万枚はがき運動」を開始することを提起し、はがきを毎週金曜日に投函してほしいと呼びかけました。また6・17最高裁包囲行動に合わせて6月15日に大阪市で「最高裁不当判決をただす関西共同行動」を予定しているとして、参加を呼びかけました。

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● 原告団だより

 (会報 6~7面)

◆結審を終えて今思うこと(川﨑安弥子)

長きにわたり、この裁判を闘い支えてきてくださった支援する会の皆様、弁護団の先生方、原告団の皆様に心より感謝申し上げます。

同じ志を持つ仲間が皆無であった避難前の10か月間のことを思うと、「同志が目の前にいてくれる」ことのありがたさに胸が熱くなります。結審の意見陳述では、「法廷内には味方しかいない」という確信が支えとなり、裁判長に思いを届けることができました。

これからは、法廷外での闘いとなります。民意を示すにはどうしたらよいのか。裁判長はもちろん、世間にも目に見える形で訴えていかねばなりません。原発事故をはじめとする大規模災害や政治に対し誰もが希望を失いかけているこの世の中ではありますが、一人ひとりの力は小さくても勇気を出して声を上げ続けつながっていけば、世の中を明るい方へと変えることはできるのだ、という発信ともなりうる行動をしていきたいと思います。

京都訴訟団、勝って最高裁に行きましょう!

       

◆結審から判決へ(堀江みゆき)

結審期日には、これまでにないほど多くの方が参加してくださり、とても嬉しかったのと感謝の気持ちでいっぱいになりました。パレードでは長く続く隊列に感動し涙が出ました。改めて御礼申し上げます。

京都地裁への提訴からこれまで本当にいろいろなことがありましたが、この10年を振り返ると長かったような短かったような複雑な気持ちです。

大阪高裁に移ってからはちょうどコロナ禍の制限の中で、これまで行ってきた活動や交流会等もできず、裁判への気持ちが削がれるように感じたことがありました。

また、原告同士が顔を合わすことも少なくなり、思うような交流が図れず不安になることもありました。しかし、結審期日のように「ここぞ」という時の原告団の団結力をみて頼もしく感じています。

判決まであと半年。私は、悔しいなどという言葉は口にしたくない。だからこれからも声を上げ、最後まで頑張りたいと思っています。これからもご支援よろしくお願いします。

◆故郷への思いを胸に(堀江麻菜美)

 午後のニュースで、福島市のわらじ祭りが取り上げられていた。懐かしいなと感じた反面、実際祭りを見た記憶がほとんど残っておらず、その記憶すら本当にわらじ祭りだったのか…七夕祭りじゃなかったのか…まったく自信がない。

 それでも懐かしいと思うのは、祭りの直前の街の賑わいや、同級生たちが浮き足立つ様子を覚えているからだ。あの土地で暮らしていたからこその懐かしさだと思う。

 京都に避難し13年、生活の基盤は関西へ移った。私にとって福島は、帰る場所ではなく「用事があれば訪れる街」になった。薄情なのかもしれないが、今のこの生活だって13年かけて築いたもので、気に入っている。

 しかしどうしても、「自分は故郷を奪われたのだ」という気持ちが消えない。仕事を奪われ、それまでの人間関係を奪われ、残してきた家族との時間を奪われた。自分の意思で避難したのだという頭があっても、怒りだけが残っている。

 わらじ祭りへの懐かしさの次に思ったのは、この懐かしさがある限りはやはり福島は故郷なのだということだった。そして福島が故郷である限り、原発事故に対して怒り続けなければならない。私たちの生活を奪ったものの原因と責任を明らかにすることが、この優しい記憶への恩返しと思う。

◆原告のひとりとして(A・AKECHI)

原発賠償京都訴訟大阪高裁、結審しました。

避難者住宅で「国と東京電力を訴える裁判が起こされるらしいよ。とても長い裁判になるみたい」という話を母親から聞き、自分で原告になると決めました。当初は、原告団も弁護団も、避難当時の大人世代が前面に立って裁判を進めてくださっていたと思います。当時の自分では、大人たちの輪には入れませんでした。裁判を通して、こわいことや辛いこともたくさんありましたが、皆様にはたくさんのご支援を賜り、誠にありがとうございました。

原告の一人でありながら、自分のことに精一杯で、訴訟活動に取り組めない時期があって、申し訳ありませんでした。同じ避難者なのに、170名もの原告たちの共同代表を努めてきてくださったお三方に感謝申し上げます。まだまだ京都訴訟団の闘いは続いていきますので、皆々様、引き続きよろしくお願い申し上げます。

◆判決に際して思う事(M・A)

 「お土産は何がいい?」

 「ジューチュ、パンパン」と、生えたばかりの白い小さな前歯を見せて、キャッキャッと笑う姿に、可愛くて愛しくて、親としてこの子が一生幸せであります様にと、願わずにはいられなかったあの頃。

 その娘が18歳の時に、福島に住んでいて、原子力発電所の事故に遭い、「大人は嫌いだ。原子力発電所を誘致、推進してきた大人は大嫌いだ」、「自分は被曝しているかもしれないから、結婚もしないし子供も産まない。人類なんて滅んでしまえばいいんだ」と、言う様になりました。親として、娘の一生の幸せを願っていたのに、とても悲しく辛いものとなりました。

 しかし、12月18日午前11時からの判決で、「司法は生きている!瀕死の状態かもしれないけれど、カッと目を見開いて、私達の権利をちゃんと守ろうとしてくれている!日本はまだ大丈夫!」と、言える様な判決を頂けたなら、生きる事に夢も希望も無くしてしまった娘一筋の光を与える事が出来るのではないかと信じています。

 司法は生きている!そう思える判決を、切に切に願っています。

◆控訴審に参加して(近野貴美子)

 京都桃山の団地に当時小学校2年生だったひとり娘と母子避難し、3年数カ月過ごしました。

 夫の転勤で京都を離れ、3年前に私達夫婦は福島市に戻りました。娘は東京におります。

 戻った福島市は、何事も無かったような日常を感じもしますが、避難レベルの放射能汚染があったことは専門家の方々のお話を聞いて理解しています。私は、戻りましたが、心の中に蓋をしている部分があります。

今回の結審に初めて参加致しました。意見陳述をされました5名の皆様ありがとうございました。

13年前のあの日に遡り、辛さ、悲しさなど思い返しながらも法廷でしっかりと述べられました。私もこみ上げて来る思いでいっぱいでした。

法廷で田辺弁護士が、すべての当事者に思いやりを持ち、正当な権利が守られることを意見陳述して下さいました。

裁判長の良心に届いたと思います。きっと勝てると信じています。12月18日に判決です。大阪高裁の裁判長宛に支援する会からハガキを用意して下さいました。裁判官を動かし国を動かすために!私達も投函します。

たくさんの避難者を受け入れて下さった関西での裁判でコピペ判決を覆す日本の公平な司法の力を願っています。

◆勝訴は間違いなし!(高木久美子)

 5月22日の大阪高裁結審の日。

「原告のみんなが集まる事が大事だ」―そう理解するまでにそんなに時間がかからなかった。

「気づかなかった。そう…その通りだ。勝訴の判決を裁判官に書いてもらうためには高裁で私達原告の本気を伝える最後の場なんだ」―自分の心にスッと入ってきて「負けてたまるものか!」と強く思いました。

パレードの参加者は270人超、コールや替え歌の「風」は大きな声で歌い、歌詞はパレードが終わってもエンドレスで頭の中を駆け周りました。みんなが一致団結した一日。京都訴訟団は勝訴間違いなしです。

◆大きな風に(福島敦子)

2018年12月、京都訴訟原告全員の救済を求めて大阪高裁へ訴えた控訴審も、先の5月22日にいよいよ結ばれました。

結審には300名の皆様が全国から駆けつけてくださり、午前中のパレードから盛り上げてくださいました。

「風になりたい」の歌を、区域外避難者の苦悩をイメージにした替え歌でのパレード。参加者が鳴り物や歌うことでそれぞれが大阪高裁へ向けて高らかに公正な判決をと表現しました。参加者の気持ちが「勝って最高裁行こう」の歌で一つになった大阪高裁一周パレードは、沿道に笑顔とノリノリな立ち見が出るほどの盛況ぶりで、抜群なアピール力となりました。

民意を味方に、私たちは避難の権利を認めてもらうよう訴えてまいりました。

裁判官3人には、自身の良心にのみ従い、公正に判決してもらいたいと思います。

6・17最高裁前行動には、1千名を超える人々が、2022年6月17日にあった不当判決を許さないと手を取り合いました。

私たちの声は、確実に大きな風をおこしています。国と東電には、賠償はもちろん、原発事故の原因究明と謝罪、そして被災者の生活再建や医療補償などきちんと施策、支援すること、具現化まであと少しです。

これからもどうか支援してくださいますよう、よろしくお願いいたします。 

       
 

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 ●6・17最高裁共同行動 集会宣言

  司法よ 本来の姿を取り戻せ

  2024 年6月 17 日、私たちは最高裁を取り囲みました。そして声を上げました。

  「司法の劣化は許さない」 「6・17 最高裁判決を正せ」

 これは、全国から参集した原発事故被害、原発差止、安保法制、沖縄反戦などの訴訟に取り組む当事者・支援者だけではありません。能登半島地震、ガザ、ウクライナの日々に心を痛め、いま目の前で展開されているこの国の在り様を憂える多くの人々が、やむにやまれぬ思いで上げた声です。

それは、一言で言えば、「司法は本来の姿を取り戻せ」ということです。

 その象徴は、2 年前のこの日、最高裁第二小法廷が3名の多数意見で下した、生業など原発被害者4訴訟に対する判決です。

 半世紀にわたって膨大な国費を注ぎ込み、数多くの法令を定め、国策として進めてきた原発が事故を起こしました。人々のささやかな日常と人生を奪い、地域コミュニティを破壊し、豊かな自然を汚し、償いきれない負の遺産を次世代に残した東京電力福島第一原発事故です。これに対し、「国に責任なし」とする驚くべきものでした。

 この判決に対する評価は、すでに固まっています。万が一にも事故を起こしてはならないとする規制法令の趣旨・目的に目をつぶり、綿密に積み上げられた下級審の事実認定を覆し、国策に寄り添うがごとき強引な結論は、専門家はもちろん、普通の感覚を持つ誰一人をも納得させ得るものではありません。そればかりでなく、多数意見に関わった裁判官の「公正らしさ」にも重大な疑義を浮かび上がらせています。

  しかし、この判決以降続いた地裁、高裁12 の判決は、「コピペ」ともいうべき結論一色に染め上げられました。裁判官の「判断停止」です。さらに、最高裁第三小法廷は4月10、いわき市民訴訟仙台高裁判決に対する上告を多数意見の決定で門前払いにしました。

 ここに、私たちは拭いきれない「司法の劣化」を実感します。

 言うまでもなく、司法は民主主義を支える重要な基盤です。そのために裁判官は、「良心と憲法・法律にのみ拘束される」(憲法 76 条)と定められています。そして、憲法が保障する基本的人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(同 97 条)とうたわれています。

 今日ここに集った私たちは、これらの原理原則を改めて確認し合い、最高裁をはじめ、各地で進行中の訴訟についての展望を語り合いました。6・17 判決での三浦守、いわき市民訴訟に対する宇賀克也両裁判官の反対意見の存在も確認しました。「絶望からは絶望の判決しか出ません」という樋口英明元裁判長の叱咤もいただきました。

 私たちは、ここで繋いだ手を離しません。司法があるべき姿を取り戻し、かけがえのない人権が守られるまで、闘いを続け、次世代にバトンを繋いでいくことを誓います。

  2024 年6月17日

  6・17 最高裁共同行動 報告集会・シンポジウム参加者一同

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