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★ 「原告と共に」No.47 2024年3月発行 

● コンテンツ

         

 5/22の結審期日は大阪高裁へ! 300人パレードに参加しよう!
 (会報 1面)

 3月1日は、原発賠償京都訴訟の第21回控訴審(大阪高裁)でした。原告と支援する会スタッフは11時に裁判所向かいの公園に集まり、裁判所一周パレードで使う風船を膨らませプラスチック棒に括りつける作業を行ないました。風船には「原発事故は国の責任です!」「牧裁判長! 勇気を持って判断を!」の文字が印刷されています。

 集まって来る人たちに本日のスケジュールや替え歌の歌詞を書いた紙やプレゼンと一緒に風船を渡していき、12時30分にアピール集会開始。原告が順番に挨拶に立ち、「最高裁判決に追従する高裁判決が続く流れを京都から変えていきたい。そのためには世論の力が必要です」と訴えます。椎間板ヘルニアで入院して前回期日には来られなかった橋本宏一さん(支援する会共同代表)も参加し、「5月に結審、わたしの回復が早いのか、判決が早いのかという状況で痛いのなんのって言っておれない。法廷の外から声をあげるのが大事」とあいさつ。田辺弁護士は「最高裁の不当判決には専門家からもおかしいという声が上がっている。国連特別報告者ヒメネス=ダマリーさんは報告書の中で、日本政府が福島は今も緊急時被ばく状況だと言ったという。本来は帰還していいよという状態は1?20㍉Svの下半分から選ぶべきだと書いている。避難を続ける権利を認めさせないといけない」と発言。それらの合間には、最近大阪高裁前の宣伝行動で歌っているという替え歌も披露されました。

 途中で同じ日に開催されていた避難者住宅追い出し裁判の応援に行く人もいて、残る100名弱の参加者たちは風船を手に持ち、「権限不行使 違法です」「忖度判決 お断り」などとコールし、時々替え歌を歌いながら裁判所の周りをパレードしました。


●3/1控訴審第21回期日報告
(会報2~5面)

 法廷にはここ数年で最も多い15名の原告が出廷しました。
 原告15名が、裁判官の真正面(本人尋問の際に順番を待って座る待機席)にずらりと並んだ姿は傍聴席から見ていて圧巻でした。
 今回は原告側の森田弁護士と田辺弁護士によるプレゼンが行われました

◆ 森田弁護士のプレゼン要旨

①森田基彦弁護士のプレゼンは、最高裁判決(2022年6月17日)ついての「吉村教授、下山教授による評釈」に基づいて、最高裁判決(以下、最判)の責任論部分の問題点を指摘するというものでしたが、かなり長い「はじめに」がありました。

 まず、京都訴訟の訴状の冒頭を引用し、◇環境汚染は今後数十年は続く、◇破壊されたコミュニティは元には戻らない、◇避難により別居した家族の時間は取り戻せない、◇健康被害の不安は計り知れない、◇こうした被害は金銭賠償によって解消されるものではない、◇この状況は今も継続しており、裁判が終わっても続くことを指摘。

 さらに、東電だけでなく国を被告として提訴した理由を訴状から引用し「損害の完全なる賠償を求める」と共に、国が「本件事故の被害者全員に対して個人の尊厳を回復する措置」を求めることを改めて強調。その上で、6?17最判についての両教授の評釈の紹介に入られました。

 こうしたプレゼンを作った理由について、森田弁護士は報告集会で「最高裁が判決を出すと高裁が全て右倣えをしている現状を考えて、裁判所に対して裁判所の責務とは何なのか、原告の苦しみとは何なのかを誠実に判断して頂きたいとの思いから枠を超えたものになった」という趣旨の説明をされました。

 (プレゼンに戻ります)立命館大学の吉村教授は国家賠償請求訴訟で争点となる①予見可能性②国等の規制権限の内容③結果回避可能性のうち、6?17最判は①と②を明示していないとし、特に②が不明確である結果、因果関係の判断が曖昧になる。「ここに多数意見の重大な欠陥がある」と評されている。早稲田大学の下山教授も、本来は規制監督者(経産大臣)に課すべきであった「高度の安全義務」、加えて「最新の科学的技術への即応義務」を課さなかったどころか、「どのような規制権限行使が必要であったか」についての判示がないのは「致命的欠陥」と指摘されている。

 ③の結果回避可能性について吉村教授は、6?17最判が仮に規制権限を行使していたとしても「本件事故と同様の事故が発生するに至っていた可能性が高い」として国を免責するなら、それは原告側に同様の事故は防げたという「高度の蓋然性の証明」を要求する(=不可能を強いる)ことになるため妥当ではないと評されている。下山教授も、国は「調査義務」を行使すれば関係証拠類を入手できる立場にあるので、最高裁は国に同様の事故は回避できなかったことを立証させるべきであると述べている。こうした問題点を踏まえて下山教授は、6?17最判は「見直されるべき」と述べている。

 以上を踏まえて森田弁護士は、本件では6?17最判を参照すべきではなく、伊方原発訴訟判決の規範(原発規制においては、深刻な災害が万が一にも起こらないようにするため、最新の科学技術への即応が求められる)をもとに国の作為義務を認定し、それに基づいて因果関係及び結果回避可能性の有無を認定すべきであると主張されました。

 今回のプレゼン内容は、法廷外での「規制権限 何のため」「権限不行使 違法でしょ」「忖度判決 お断り」「勇気を持って 判断を」というコールとピッタリ一致し、それを根拠付けるものでした。

◆ 田辺弁護士のプレゼン要旨
 □ 溢水勉強会についての補足(要点だけを記します)

・国は、溢水勉強会立上げ前、電力会社に津波に対するAM(アクシデントマネジメント)対策を講じさせる方針であった。
・国は、東京電力の圧力に屈して、IAEA(国際原子力機関)のセイフティガイドを逸脱した指導を溢水勉強会で行なった。
・電力会社が加わった溢水勉強会において、規制の方向性まで定められるという異常な経過を辿った。
・国の当初の方針どおりであれば、本件事故の発生が回避できた。
・以上に鑑みると、長期評価による敷地高さを超える高さの津波が予見可能であることを前提とすると、水密化措置を講じさせなかったことには、国賠法上の違法要素としての結果回避義務違反が認められる。
・プラントを水密化していないことは、IAEAセイフティガイドを逸脱しており、施設として有するべき通常の安全性を欠いた状態であるから、その状態を放置することは津波の予見可能性に関係なく国賠法上の違法性を有する行為である。

 □ 国内避難民の権利に関する国連特別報告者の報告書について
 国内避難民の権利に関する国連特別報告者は、2022年9月26日から10月7日まで日本で調査を行ない、昨年5月24日に報告書を国連人権理事会に提出した。日本政府は、「国連や人権理事会としての見解ではない」とか、「その勧告に法的拘束力はない」などと言っているが、特別報告者は人権理事会がもうけた特別手続きという制度のひとつであり、人権理事会から個人の資格で任命された独立の専門家だ。

 国際人権は、条約に基づく権利であり、その条約を締結した国の政府にはその人権について尊重し、保護し、充足する義務がある。特別報告者は単なる一私人ではなく、国際人権を擁護するための制度であり、特別報告者から勧告を受けた国の政府は真摯に受け止め、その見解を尊重するべき関係にある。
 今回、訪日調査をしたダマリー報告者は、国内避難民の権利についての特別報告者で、国内避難民の権利については、「国内避難民に関する指導原則」が存在する。条約そのものではないが、国際人権及び国際人道法を反映しているものだ。

 その訪日調査報告書は、権利に基づくアプローチによって、合計12の権利ごとに勧告をしている。今日は、ポイントとなる点に絞って説明する。
 まず、権利そのものではないが、避難指示解除基準について、ダマリー報告者は大切な点を指摘している。ここでは、空間線量率についての指摘を説明する。日本政府は、ダマリー報告者に対して、「福島は緊急時被ばく状況であるから、その参考レベルの下限である年20ミリシーベルトを選んだ」と説明したそうだ。ダマリー報告者は、2020年に公表されたICRP(国際放射線防護委員会)の最新の勧告146について触れている。この勧告に基づけば、避難指示を解除される地域は、緊急時被ばく状況ではなく、現存被ばく状況となる。そして、現存被ばく状況における参考レベルは、年間1ないし20㍉Svのバンドの下方部分から選択することを求めている。日本政府が説明した緊急時被ばく状況の参考レベル(年間20~100㍉?)よりもずっと低い基準になることが分かる。

 次に、権利に基づくアプローチのうち、十分な住居への権利について、報告書の内容を紹介したい。
 現在、福島県外の公的住宅から追出し訴訟を受けている避難者がいることを踏まえ、そのような追出し政策について「この政策の実行をただちに終了し、その基準を満たす国内避難民が、低所得者向け住宅にアクセスできるように措置を拡大すること」を勧告している。

 また、健康に対する権利については、特に子どもに対する 年間20㍉Svの被ばく基準の妥当性を再検討することを勧告するとともに、「強制的」避難者と「自主的」避難者が同じ医療サービスの恩恵を受けられるようにすることを勧告している。

 さらに、報告書の最終章には結論が書かれているが、そこでは「放射線は心配ないとする情報のみを提供し、避難民よりも帰還者に手厚い支援を行い、帰還に十分な条件が整う前に国内避難民への支援を終了することは、国際法の基準に反し、持続性のある解決策の選択と避難の権利を侵害するものである」と指摘されている。それだけでなく、避難が「自発的」であるか「強制的」であるかに関係なく、平等な条件で支援と損害賠償を受けるべきと指摘していることは、本件でも重要な指摘と考えられる。

 最後に牧賢二裁判長から次回期日(5月22日)をもって審理を終結する旨が伝えられました。いよいよ結審です。

◆ 川中宏弁護団長
 今日の皆さんは最終盤に入って、大相撲の立ち合い前のように顔つきが変わって来ている。今日のプレゼンはこの事件の核心を突き、6?17最高裁判決の問題点を分かりやすく陳述するものだった。あの判決を書いた菅野裁判長は定年退職後すぐに巨大法律事務所の顧問になった。東電の代理人を務める弁護士が所属する事務所だ。
 われわれはそれぐらい大きな相手と闘っている。5月22日の結審を迎え、年末に判決が出るだろうから、追及の手を緩めることなく大きな運動をお願いしたい。

◆ 橋本宏一さん(支援する会共同代表)
 12月の期日は椎間板ヘルニアで入院していて歯がゆい思いをしていた。今日は何とか参加できて喜んでいる。皆さんの闘いを見ていると「痛い」だの言ってられない気持ちになる。法廷では森田先生と田辺先生の本当に力のこもった弁論を聞いて元気をもらった。避難する権利は国際的に認められた普遍的な人権なんだ、最高裁判決なんか気にするんじゃないぞという強いアピールを感じた。命と暮らし、特に人権を守るのが本当の国益なんだということを裁判所に知らせる運動を最後までやっていきたい。

◆ 森田基彦弁護士
(今回なぜプレゼンの枠を超えるようなものにしたのかを説明されました。プレゼン要旨を参照のこと)

◆ 田辺保雄弁護士
 私たちは強大な権力と13年間がっぷり四つに組んで闘って来ている。今日のプレゼンは、1つは国の担当者はきちっとしないといけないと思っていた。それを掘り起こしてくださったのが添田孝史さんなどジャーナリストの方々だった。2つめが国際人権について。国連特別報告者のヒメネス=ダマリーさんは2018年に来たいと言ったのに国は放ったらかしにしていた。そこで「実現する会」を作り、多くの方々の協力を得て訪日調査を実現した。報告書が出てからも国は翻訳をしないので、今日も来ておられる小橋さんなど英語のできる方に協力いただき、「反げんぱつ新聞」の仮訳を提供してもらい、それを市民自ら翻訳して裁判所にも提出できた。
  一人ひとりは小さな存在だが、こんな事は許せないという正義感が結集することでこの裁判が成立している。次回ようやく結審を迎えることになった。判決は恐らく11月か12月くらいに出るだろう。結審した後も世論に訴えかけていかないといけない。弁護団も頑張るのでご支援をお願いしたい。
 
◆ 原告団の活動報告(堀江さん)
 この間、大きく分けて3つの活動をやってきた。①各地の訴訟の応援、②大阪高裁前での宣伝行動と各集会でのアピール、③署名活動。高裁で立て続けに「国に責任なし」の追従判決が出たのを受けて、これまで月に1回だった大阪高裁前での行動を1月から月2回に増やして取り組んでいる。
 京都訴訟では原弁支三位一体で取り組んできた。京都で勝てなくてどこで勝つんだという気持ちでやっている。3月は12日と26日にやる。署名は5月22日に提出するが、その後も続けるのでご協力をお願いしたい。

◆ 原告団全国連の動きについて(支援事務局・上野)

 2月27日に全国連(原発被害者訴訟原告団全国連絡会)が呼びかけて、「6・17共同行動」相談会が開かれた。これは「6・17判決を正し、国の法的責任を認めさせる」の一点で結集し、逆流への反転攻勢に集中する」という全国連の活動方針の具体化だ。相談会には東電刑事裁判、株主代表訴訟、子ども脱被ばく裁判、避難者住宅追い出し裁判、ノーモア原発公害市民連絡会、ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)、支援全国ネット(福島原発被害者訴訟支援全国ネットワーク)、避難の協同センター、全国避難者の会など多くの団体が参加し、6月17日に共同行動を行なうこと、そのための実行委員会をつくることで合意した。そこまででいったん持ち帰り、全国連の拡大役員会で確認した上で、実行委員会の体制についての提案を行なうことになった。京都からも代表派遣をすることと共に、関西の地でも東京の動きと連携した行動をすることになると思うので協力してほしい。

◆ 原告の発言

 今回は12名の原告が報告集会に参加し、前に出て発言しましたが、初めての方が3人おられたので、その方たちの発言を中心に紹介します。

・ Oさん(夫)
 妻と1歳の子どもが先に避難して、1年後に私が京都に来て一緒に住むことになった。会社を辞めて引っ越して来て、京都で働き始めたが、放射能の恐怖だったり、避難に当たっての親とのやり取りだったり、福島と違う京都の文化に精神的に参ってしまい、会社にも馴染めずうつ病を発症してしまった。4回会社を変え、今が5社め。いまはなんとかましになり、治療を続けながら仕事をしている。前に出て訴えられない状態だが、原告団の共同代表の方々や弁護士先生や支援の方が代わりに訴えて頂いたお蔭でここまで来れた。感謝の思いで一杯だ。
 自分自身が駄目なのかと考えたこともあったが、今日の田辺先生の国際人権の話を聞いて、放射能の恐怖が発端であり、自分の命を守るために「避難の権利」があることを実感した。

・ Oさん(妻)
 大阪高裁に来たのは初めて。こんなに多くの支援者の方が席を埋めて下さっていることに驚いた。避難当時1歳8か月だった長男は4月から中3になる。川俣町に夫の両親を迎えに行った時、「この子の命だけは」と思った経験は昨日のことのように思い出すし、トラウマになっている。(原発事故がなかったら)しなくてよい体験だった。健康を守るために必要な権利、それを認めさせることが大事だと思う。

・ Kさん(娘)
 なかなか裁判や原発反対の運動に参加できていないが、今日参加できたことは良かったと思っている。避難当時7歳で、今年20歳になる。13年は長かったようでも短かったようでもあるが、事故があったことは変わらないし、繰り返してはいけないことなので、成長するにつれて若者なりにできることをやっていきたい。
    
◆ 他の原告からは、
・今日は原告がこれだけ本気で集まって来た。
・「自立できてるんだから、もういいでしょ」と言われることがあるが、それはそれで別の話。責任は責任として追及しなくてはいけない。
・来たくても来れない原告も一杯いると思うが、その人らも暮らしのため、子どものために頑張ってるんだなと思う。私たちの主張が裁判長に届くことを願っている。
・体調を崩して以前のように活動できない状態が続いている。いま中華統一をめざす〝キングダム〟にはまっているが、京都原告団の熱い思いはそれに負けないくらいだ。
・13年を振り返ると、自分の力以上に頑張ることができたのかなと思う。これも支援の皆さまのお蔭だ。
・3・11以前は当たり前だったこと―子どもを外で遊ばせたり、洗濯物を外に干したり、安全な食べ物を食べたり―を取り戻したい。なかったことには絶対させたくない。
・結審の案内チラシは私の娘に作ってもらった。最初はバックの色がベージュだったが、皆が明るい気持ちになるようにグリーンにしてもらい、原告や事務局メンバーからいろんな意見をもらって完成した。
・かながわは勝つと思っていた。かながわからバトンを受け取った。なんとか完全勝利をかちとりたい。
・いま無職なのであちこちの応援に行っている。関東の仇は関西で取ると誓ってきたので、勝たないといけない。
などの発言がありました。

 会場には、関西訴訟で証言台に立たれた本行忠志・大阪大学名誉教授も参加しておられました。本行先生は「国は、被ばく線量は非常に少ないので甲状腺がんができるはずがないと主張している。それはUNSCEAR(国連科学委員会)が推定した数値を根拠にしている。しかしUNSCEARの報告書には問題点が130くらいあった。低線量でも個人差があって放射線に弱い人もいる。誰が見てもおかしいことはしっかり言っていかないといけない」と述べられました。

 そのあと、千葉県原発訴訟の原告と家族を支援する会の小丸さん、ひょうごのぽかぽかサポートチームの松本さん、関西訴訟の白倉弁護士、グリーン・アクションのアイリーンさんと京都大学に留学中のハワイ大学生、大飯差し止め訴訟の吉田事務局長から連帯の挨拶を受けました。

 最後に支援する会の奥森事務局長が訴えました。

◆ 奥森事務局長の訴え
 本日は原告15名が参加し、風船パレードでわれわれの本気度を示した。勝ち筋の取り組みをしていることを確認したい。京都の裁判が〝最後の砦〟と言われている。高裁レベルでは国の責任を認めないだけでなく、区域外の賠償額を減額するという判決も出ている。一審で勝っているから大丈夫という状況ではない。京都地裁判決は、国と東電の責任を認め、原賠審の「自主的避難等対象区域」を大きく超えて福島県の県南地方・会津地方、茨城・栃木・千葉についても「避難の相当性」を認めた。避難期間も避難開始から2年間と他所の判決と比べても非常に踏み込んでいる。しかし他方で仙台などの避難の権利が認められなかった。そして賠償額が少ないということで大阪高裁に控訴して闘ってきた。法廷内でやるべきことはやってきた。

 勝利判決をかちとるためには、これからの闘いが重要だ。結審期日には多くの原告の出廷が必要だ。原告が少なければ、裁判官は正面から向き合おうとはしないと思う。
 そして裁判所を埋め尽くす傍聴参加。今日も抽選になるかならないかという感じだったが、見ただけで絶対溢れるなというくらいの参加が必要だ。公正判決署名も積み上げなければいけない。結審期日には前回の筆数を超える署名を提出したいので協力してほしい。これまでも挑戦してきたが、今日も100名ほどでまだまだ私たちの本気度を示せていない。5月22日には「勝利をつかむ300人パレード」を本気でやって、「さすが京都」と言われるような判決をかちとろう。

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● 原告団の活動報告
 (会報 6~7面)

 3月9日(土)は、京都の円山音楽堂で「バイバイ原発3・9きょうと」、滋賀県大津市膳所城跡公園では、「びわこ集会」が開催されました。それぞれの集会に原告団が参加しスピーチをさせていただきましたので、ご紹介します(ただし、紙面の都合上、発言の一部をカットしています)。

● バイバイ原発3・9きょうと
◆ 堀江みゆきさん
 私たちは原発賠償京都訴訟の原告と支援者です。皆さまにはいつもご支援いただきまして心より感謝申し上げます。
 2013年の9月に国と東電に損害賠償を求めて京都地裁に提訴して始まった裁判は、2018年3月に京都地裁の判決を経て、現在は大阪高裁で控訴審を闘っています。
 今月1日の21回目の期日では、大阪高裁一周風船パレードを行い、司法に正義を!裁判官に勇気をもって正しい判断をと約100名の参加者で訴えました。

 一昨年6月17日の最高裁判決以降、「国に責任なし」という、国の責任を否定する高裁判決が続いています。私たちの裁判は5月22日で結審となりますが、この最高裁の判決に追従する流れを何としても京都訴訟でくい止めて、国の責任をしっかり認めさせなければなりません。そのために私たちは、毎月の大阪高裁前宣伝行動や署名活動などに取り組んでいます。

 原発事故から13年が経とうとしていますが、あの日を境に私たちの生活は一変してしまいました。どんなに時間が経っても、あの時経験した不安な思いや悲しみ、怒りは消えることはなく、今なお苦しい思いを抱えたままの原告が多くいます。先日、連絡してきた原告は、「自分の生まれ育った場所ではなくとも、心豊かに暮らしていた平穏な場所が奪われ、国や東電は何てことをしてくれたんだ」と今でも怒っていると話していました。
 
 この原発事故は私たちだけの問題ではなく、子どもたちや次の世代、動物や自然など、あらゆるものに影響を及ぼすものです。そして、この裁判で勝ち取る判決は、すべての人の命が守られ安心して暮らせる社会にしていくため、みんなの人権を守るために、絶対に勝ち取らなければならないものです。
 京都訴訟、本当にラストスパートです。大阪高裁での勝利判決を目指し最後までがんばりますので、どうかさらなるご支援をよろしくお願いします。

◆ 堀江麻菜美さん
 私は原発事故当時、福島県の会津若松市で暮らしていましたが、2011年の夏に家族と関西へ引っ越してきました。

 私たちが関西へ引っ越す契機となった東日本大震災から、11日で13年となります。ついこの2月にも、福島第一原発では火災警報器が作動し、水蒸気が発生しているのが確認されたものの、詳しい状況が確認できない状態が続きました。またその少し前には汚染水設備でも事故がありました。13年経ってもなお、とてもコントロールできているとは言えない状況が続いています。

 元日の能登半島地震では、政府の地震被害そのものへの対応も非常に遅いものでしたが、志賀原発への影響についても、情報が出てきたのは二週間ほど経ってからだったと記憶しています。出てきた情報も何度か訂正されました。原発周辺の放射線防護施設のうち、2つの施設は使うことができずに閉鎖したそうです。そのうち1つは被ばくを防ぐ機能を維持できなかったとのこと。

 福島第一原発での大きな事故があってもなお、こうです。その周辺に暮らす人たちの安全なんて、どうせ考えてないんだろうなと思いました。どうでもいいんだろうなと。こんな人たちに原発なんて危なっかしいものを任せておけないだろうと怒っています。仮に必死で対応してくださっていたのだとしたら、必死にやってそれなら今の日本では手に余るので、即刻運用を止めていただきたいものです。暮らしがかかっています。命がかかっています。原発は日本が持つべきではない、すべて廃炉とすべきです。

 それにしても、国や東電の説明責任から逃れ続ける態度はなんなのでしょう?
 そんなやり方を許していては、この先の日本に未来はありません。私たち大人には、次の世代に民主主義のバトンを渡す責任があります。その一歩としても、現在進んでいる裁判では、国や東電にしかるべき責任を取らせる判決を出していただきたく思います。
     
◆ 川﨑安弥子さん
 茨城県からの母子避難を続けて丸12年になりました。避難当初は、3人の子どもを連れてきましたが、長男は、避難から1年9か月後に父親と一緒に故郷で暮らしたいと1人帰郷しました。子どもを被ばくから守りたいという思いで避難を決断したのに、私は、いったい何のためにここにいるのか、と精神的にかなり参りましたが、下の2人の子育ては待ったなしでしたので、気持ちを切り替えて、暮らす場所は離れていても家族は家族、家族の無事を信じきる一念で精神のバランスを取り戻し、今日までの12年間を生活してきました。

 家族のことを思わない日は一日たりともありませんので、震災から13年もたったという実感はありません。時は止まったままです。いつの間にか3人の子どもたちは成人しました。本来であれば、子ども3人を茨城の自宅から巣立たせたかった。

 本当に欲しいものは、返してほしいものは、時間を巻き戻して放射能を消して、普通に暮らせたはずの13年間です。原発がなかったらこんなことにはならなかったのです。
 
 人間には、時間を戻すことは不可能でも人間が作った原発を止めることはできるはずです。原発を止めるためにも原発賠償京都訴訟ではなんとしても国の責任を認めさせます。そのためには、世論の後押しが必要です。どうぞ、力を貸してください。

◆ 萩原ゆきみさん
 私は「政府も学校もマスコミも夫さえも子どもを守ってくれない。私しか子どもを守れないのだ」と感じ続けた絶望の日々を忘れません。

 しかし、それを支え続けて下さった方々が居られた事、絶望の日々に一筋の光があった事、そして今もこうして皆様が様々な形で声を上げ続けて下さっている事も生涯忘れません。その日々の一つ一つを思い出すと今でも涙が溢れてきます。
 私の下の娘は今でも絶望の日々を歩んでいますが、皆様の温かい応援で幾らかの希望が見えて来ています。

 京都訴訟の弁護団と支援の会の皆様は本当にこれでもかと言うほど頑張ってくださって、涙ぐましい程の努力で、申し訳ない位です。

 しかし国と東電を相手にした裁判です。完璧な証拠を突き付ける事は勿論大前提。しかし、それだけでは勝てません。私たちの裁判で完全勝利を掴み取る為には、皆さんの力強い応援が、圧倒的な民意の力が必要です。民意が高ければ高いほど私たちの裁判で完全勝利をする確率が高くなります。
 公正な判決を求める第2次署名に大きなお力添えをお願い致します。ここにいらっしゃる方々がもし、お一人あたり5名分の署名を集めて下さったら、署名の数は一万筆を突破します。
 皆様のお力で世界の脱原発も進んでいます。裁判の完全勝利でさらなる脱原発への大きな一歩としていきましょう!

◆ 小林雅子さん
 2022年6月17日の愛媛、千葉、群馬、生業4訴訟に対する判決は、「どんなに安全対策を施しても想定外の事故は起こる。だから国に責任はない」という無茶苦茶な理由による不当判決でした。それ以来、各地の高裁で「国に責任はない」という不当判決が続いています。

 私は昨年の12月22日、東京高裁で行われた千葉訴訟の控訴審判決を傍聴しました。土田昭彦裁判長は判決骨子、要旨も出さず、判決文はたった49ページ。判決文の中身は、6・17最高裁判決の多数意見をコピーしたようなコピペ判決で本当にひどいものでした。その4日後に開かれた東京訴訟控訴審判決も判決理由の要旨は出たものの、やはり、6・17最高裁判決をなぞったコピペ判決、司法の劣化を見せつけられました。

 私は、何としても「関東の仇を京都で討ってやる」と心に誓いました。京都訴訟は、絶対に負けられないのです。裁判所に絶対、国の責任を認めさせなければばらないのです。敵討ちは誓ったものの、国に忖度し、国の責任を認めさせないために無理筋な理由をこじつける裁判所をどうやったら正しい方向へもっていけるのか、司法の独立、公正な判決を裁判官が下すためにはどうしたらいいのか毎日考えています。

 無理筋な理由の最高裁判決、高裁判決は責任逃れの布石なのだと思います。誰も責任を取らず、被曝させられ、被害は矮小化、健康被害がでてもお構いなし、なかったことにされる。声をあげれば、風評加害者扱い、もう、たくさんです。

 先月、元双葉町町長の井戸川克隆さんとお話をする機会がありました。井戸川さんは『6・17最高裁判決は国民に対する背任』そう、おっしゃっていました。これ以上、裁判官が国民に対する背任行為をしないようにするには、みなさんの力が必要です。世論の喚起が必要です。原発事故は、想定外ではない、『事故は防げなかったのではなく、事故を防ぐことをさせなかった国と東電の責任』だと、皆さんも、私たちと一緒に声を上げてください。

 避難の権利、被曝から逃れる権利、この国に住む全ての人々の人権が守られるよう、命と健康が守られるよう、一緒に声をあげてください。お願いいたします。

● びわこ集会
  (会報 8面)
◆ 福島敦子さん
 私は原発賠償京都訴訟の原告、大飯原発差止京都訴訟世話人の福島敦子です。皆さまには発言の機会をいただきまして心より感謝申し上げます。

 さて、能登半島地震。正月に多くの方が被災し、避難生活を余儀なくされています。まだまだ、ライフラインなど不便を強いられています。原発の状況詳細は知らされていません。避難した被災者としては、心落ち着きません。

 福島原発事故では、敷地内からたくさんの放射性物質が大量に放出しました。放射性物質からの被ばくを避けるために福島県や近隣都県から避難する人々が関西を目指しました。ここ滋賀県には、2011年3月のうちに約400名が避難先として避難生活をスタートしていました。

 この13年間、避難者はさまざまな苦しみを味わいました。生活の場であるみなし仮設住宅を復興したからと一方的に追い出されたり、裁判をかけられたり。区域内にのみある医療費減免措置は毎年毎年要請などの行動をしてかろうじて残っている状況です。子どもたちの小児甲状腺がんの実態にもちゃんと向き合わないといけないのに、国と東電は無責任な態度です。

 さて、2013年の9月に国と東電に損害賠償を求めて京都地裁に提訴して始まった裁判は、2018年3月に京都地裁の判決を経て、現在は大阪高裁で控訴審を闘っています。地裁判決では、国の責任をはじめ避難した期間の長さ、避難した区域の広さからかなり勝ち取れたものがありました。ただ、一部の原告は避難の相当性を認められませんでした。

 昨年12月の期日では原告4名の本人尋問も行われました。原告たちは、裁判官に対し、原発事故に関する東電と国の責任を明確にした判決を出してほしい、国の責任を認め原告全員に完全賠償してほしいことを訴えました。

 私たちの裁判にどうか関心を寄せ、支援してくださいませんか。
 5月22日、大阪高裁前。事前のアピール集会から参加お待ちしております!

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