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★ 「原告と共に」No.45  2023年10月発行 

● コンテンツ

  
  

大阪高裁で勝利判決をかちとるために

 支援する会事務局長・奥森祥陽

昨年6月17日の最高裁不当判決はあまりにもずさんで不当なものであり、法律家からも批判されていますが、腐っても最高裁判決なんです。それ以降、下級審では「国に責任なし」という判決が続いています。

 そうした中で私たちは、大阪高裁の裁判官に「国に責任がある」という判決を書けと言っています。裁判官はそう易々とは書かないと思います。書くためには、裁判官は大きな飛躍をしなければなりません。そのためには私たちが飛躍する必要があります。

弁護団にはこれまでも努力して頂きましたが、より説得力のある弁論を展開して頂きたいと思います。原告がいつもの顔ぶれでは勝てません。いま運動から離れている人、裁判に来れない人、帰還している人、そういった原告と心を一つにして本人尋問、結審に向けて今まで来なかった原告が顔を見せる、そうしたことが必要です。原告団はすでに全世帯への働きかけを開始し対話運動をやっています。ここに飛躍のカギがあります。

では支援する会はどうするのか。文字通り裁判所を包囲し埋め尽くす、そういう大きな世論を作り出すこと。私たちは本気で、大阪高裁で「国に責任あり」の判決をとろうと思っています。そのために今回「200人パレード」と銘打ちましたがまだそこに到達していません。次回、本当に200人集まって、4人の原告の本人尋問を盛り上げましょう。3月には300人集めて、「これでも書けないのか」と力を見せつけ、勝利判決を取って最高裁闘争に臨んでいきたいと思います。 


      

●大阪高裁前アピール行動 裁判所一周200人パレード

前回(6月6日)は小雨まじりでしたが、今回はカンカン照りの秋晴れ。12時前から集合場所である西天満若松浜公園(裁判所正面の向かい)に参加者が集まり始めます。参加者は受付で本日のスケジュールとひと言メッセージボード、コールを印刷した丸うちわ、日射病対策の飴ちゃんをもらいます。そのあと「原発事故は国の責任です」と書いたメッセージボードの裏側に、それぞれが大阪高裁判事に言いたいひと言を書き、裁判所側の歩道に移動します。

12時15分からのアピール行動が始まる頃にはかなり人が増えていました。普段あまりお見掛けしない顔もちらほら。

司会者の開会宣言のあと、京都原告が「本気を出して闘っていかねばならない」「大阪高裁の判事のみなさん、三権分立を守ってください」「被害を被った私たちが負けるなんて考えられない」「子どもたちの未来のためにも勝利判決をかちとりたい」「京都に避難した直 後は、東京や福島に行って帰ってくると子どもたちが鼻血を出すので行けなくなった。つい最近10年以上ぶりに福島にいる父親に会いに行ったが認知症が進んでいた。原発事故さ えなかったら、もっと親孝行ができた」など次々に訴えました。前回、小林旭の「自動車ショー歌」の替え歌を歌った福島さんは「イエローサブマリン音頭」と題して「原発事故は 国の責任です、国の責任です、国の責任です」という替え歌を披露しました。

 弁護団の田辺事務局長は「みなさんがずっと関心を持ち続けていることが大事」と参加者を激励。

他訴訟の原告からは、だまっちゃおれん愛知岐阜訴訟原告団の岡本団長、生業訴訟原告団の服部事務局次長、かながわ訴訟原告団の村田団長がアピール。

支援者では、ひょうご訴訟ぽかぽかサポーターの松本さん、守田敏也さん、「はんげんぱつ新聞」の末田編集長、つながろうフクシマつながろう避難者の会の山下さんがアピール。 

今回は、サックス奏者のSwing Masaさんと松島さん(アマ)が参加して、南米チリで生まれた「不屈の民」とSwing Masaさんオリジナル「Don`t Kill」の演奏で場を盛り上げてくれました。アピールタイムで二人が「不屈の民」を演奏すると、最後のところでこの曲を知っている参加者から「エル プエブロ ウニド ハマ セラ ベンシード」というコールが起こりました。 

13時15分から、1列3人で隊列を組み、裁判所の周りを時計回りにコールしながらパレードをしました。前回は70~80人でしたが、今回はほぼ100人の参加でした。このことは、傍聴席83席が埋まり、出廷した原告が9人、模擬法廷には約10人、パレードまでで帰った人もいたことから確認できます。 

アピール行動・裁判所一周パレードについての感想を少し紹介します。「期日に向け多くの方が集まられていることに感銘を受けました」、「参加者が声を合わせて行動をすることの意義を感じることができました」(以上2人は初参加)、「元気が出ました」、「多くの方の参加で、力強いパレードになったと思います。よく考えられたコールだと思いました」、「みんなで声を合わせ裁判所の周りでシュプレヒコールも良いですね」、「今日もパレードが進行協議に聞こえていたということで、よかったなと思います」、「次々とアピールを聞けて良かったし、裁判所一周はにぎやかにできたし、程良い距離でした。ただ老体には暑い中1時間立ちっぱなしはきつかったです」

 法廷では、原発事故当時未成年だった原告Aさんの意見陳述と森田基彦弁護士による「津波評価技術の信用性に関する補充主張」のプレゼンが行なわれました。

弁論が終わった後、原告側が申し入れていた原告の本人尋問と専門家証人尋問の扱いについて裁判長が結論を述べました。

・専門家証人のうち本行忠志証人(大阪大名誉教授)については、同じ内容について争っている関西訴訟(大阪地裁)での尋問調書を提出してもらえば済むので、採用しない。
・竹沢尚一郎証人(国立民族学博物館名誉教授)からは意見書が出ており、それで判断できるので採用しない。
・本人尋問については原告4名を採用する。1名に付き、主尋問20分、反対尋問(国と東電を合わせて)20分。主尋問、反対尋問それぞれ80分の中で時間を割り振ることは構わない。

 12月12日(木)に本人尋問をやりたいが、「開廷前の進行協議は必要ないでしょう」ということで、開廷はいつもより1時間早く13時30分となりました。次々回は来年3月1日(金)で14時30分開廷。これが結審なのかどうか、裁判長は明言しませんでした。 
  
     

     


●原告側プレゼン要旨

◆津波評価技術の信用性に関する補充主張
― 一審原告準備書面(57)の弁論要旨(森田基彦弁護士)

 一審原告準備書面(57)は、1999年11月から2001年3月まで土木学会原子力委員会第Ⅰ期津波評価部会の委員を務めた文部科学省防災科学技術研究所(当時)の岡田義光氏の聞き取り結果より、土木学会原子力土木委員会津波評価部会における議論状況が明らかになったため、これを引用し、一審原告らの予見可能性に関する主張を補強するものです。

 一審原告らの予見可能性の根拠とする資料は「長期評価」です。他方一審被告国の根拠とする資料は「津波評価技術」です。両者は、日本海溝寄りの領域の南側を地震空白域と考えるか否かで大きな差異があります。これが予見可能性判断に影響を与えます。

 一審被告国は第5準備書面において、①津波地震は特定の領域で発生する、②福島沖領域でM8地震の可能性は低い、③津波評価技術は当時の科学的知見を踏まえている、ことを理由として、④三陸沖と福島県の海溝寄り領域を同一とする科学的知見は皆無であったと主張しています。

 しかしながら、岡田義光氏は真っ向からこれを否定しています。

●地震の最新知見は長期評価だった

 まず、土木学会原子力土木委員会津波評価部会は、電力会社の社員、関係者が参加していて、学会というよりも電力会社を含めた研究会、勉強会でした。そしてそこで検討されてきたのはもっぱら津波の計算方法でした。そのため岡田氏が所属していた第Ⅰ期津波評価部会では、歴史地震の議論はありませんでした。当時からさらに十年ほど前に作成された、既存の地震地体構造区分図を参照するのみでした。岡田氏の認識としては、地震の発生可能性に関する検討は長期評価を作成する「地震本部」の仕事であったとのことです。

したがって、地震の当時最新の知見は長期評価であったことが更に裏付けられました。

●「福島県沖で津波は起きない」という考え方は主流ではなかった

 また、岡田氏は、当時の津波地震の知見については、海溝軸付近で生じていることは認識していたが、海底の付加堆積物などの海底構造が寄与するという説は知らなかったとのことです。つまり,谷岡・佐竹論文の見解(海底構造で海溝軸を南北で分ける説)は、津波地震のメカニズムに関して数ある仮説の1つに過ぎなかったということが言えます。さらに、岡田氏は、岡田氏の個人的見解ではなく、津波評価部会として、福島県沖から茨城県沖にかけて津波が起きないという考え方を採用してはいないと断言しています。以上より、三陸沖から房総沖の日本海溝沿いの領域を南北で分ける考え方は、地震学においては主流ではなかったことがわかります。

 次に岡田氏は、福島県沖から茨城県沖の海溝沿いでM8クラスの津波地震が発生しうるという長期評価の見解について「特に違和感はありませんでした」と述べています。これは海溝沿いにおいては等しくプレートの歪が蓄えられている可能性があることを根拠とするものであり合理的であると考えられます。

●津波評価技術の限界

 なお、岡田氏は、津波評価技術は、理学的な津波の高さの計算のみを行い、工学的な余裕(尤度)をどう設定すべきかという議論がなされなかったことを指摘しています。これは、津波評価技術を元に計算を行ったとしても、現実に津波対策のための構造物を作成するときは不確実性を加味した尤度をもたせるのが通常であることを前提としています。これは津波評価技術の限界を示すものです。

土木学会に所属していた岡田氏の聞取結果書からも、津波評価技術を根拠に予見可能性を否定することはできないということが更に一層明らかになったといえます。

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●原告団意見陳述(原告A)

放射能の「能」という字を、頭脳の「脳」に書き換えて「放射脳」。頭の中で放射線のことばかりを考え、過度に怖がる人達のこと。この単語をSNSで初めて見たとき。

京都の大学に入学して、自己紹介をした際、「出身は福島県だよ」というと、「原発!?」という言葉が相手から返ってきたとき。

 「あなたは親と生活しているから楽で良いね」と東日本出身の友人に何気なく言われたとき。 

いわきに残る父親と、大好きだった祖母に会いに帰省して、あちこちにモニタリング・ポストが設置され、強制避難を強いられた人々の新しい家が建てられていったふるさとを見たとき。

 放射能を怖いと思う私と、地元で生活をするしかない友人とで原発への考え方が違って、喧嘩となってしまったとき。

 そして京都駅に着いて、福島の状況など何も無かったかのような人々の賑わいを見たとき。

そうした一つひとつのことで、私の心にはパキパキと、ヒビが入っていったように思います。とても辛い気持ちが続いた日々でした。

けれど、その時も私は、「避難生活が辛いから、皆で大好きな故郷に戻ろう」とは、絶対に両親に言いませんでした。

高校の世界史の授業中、教師は私たちに言いました。「日本は戦争で原爆を体験した国だけれども、あなた達が座っている40㎞先くらいには原発というものがあって、そこで何か起きたらあなた達はここに座っていることもできなくなるよ」と。それだけが、2011年当時の私の唯一の原発への知識で、「放射能が怖いから避難をして欲しい」と両親に言ったのは、当時未成年だった、私だったのです。建屋が爆発している映像を観て、避難指示が出されていないところは大丈夫だといくら国に言われても、直感的に感じてしまった放射能への恐怖をどうやっても忘れることができず、自分の本当の居場所はどこなのか分からない歳月を重ねています。

その年月の中で、「放射性物質である」というその一点を同じくして、様々な出来事が起き、明るい将来像を描くことが難しい状況が続いています。

8月24日、汚染水の海洋放出が始まってしまいました。「地元の同意を得るまでは放出はしない」と国が約束をしていたのに、その約束を反故にし、最後まで放出を拒んでいた地元の漁師たちやマーシャル諸島などの、海とともに生きてきた国内外の人々の悲痛な叫びが届いているはずなのに、見て見ない振りをしています。彼らの叫びは、私の叫びでもあります。小さい頃、祖父母に連れられて行った、いわきの、故郷の海なのです。その思い出の残る海から、トリチウムという放射性物質を環境に放出し始めた行為は、未来に対してそれを止めることが出来なかった一人という意味でも、私の心を蝕みます。

 福島で350人以上もの人々が甲状腺がんに罹患してきたのに、法廷で声を挙げている原告はたったの7人で、それも皆子どもたち。手術をした彼ら・彼女たちが法廷にどのような気持ちで臨んでいるのかは私には想像を絶するところがありますが、放射能の「能」を頭脳の「脳」に書き換えて揶揄する風潮がなくなってはいない中で、病を抱えた身体の上にどのような気持ちの面での負担があるのだろうと、そしてそれも、甲状腺がんに罹患するという点では明日の私の姿でもあると思っています。

 東京電力が公開した、福島第一原発の1号機のペデスタルがボロボロとなっている映像を観て、次に起こる大きな地震や台風などの自然災害によって建屋が倒壊してしまうのではないかという恐怖は、今日たった今の私の気持ちです。

このような故郷で、どうして安心して生活を続けることができるというのでしょうか。

 あの時からずっと、大切なものを奪われ続けて、人権も尊厳も踏みにじられるような社会に、どうしたら大切な我が子を産み落とすことができるというのでしょうか。

2022年6月17日、最高裁判所は、「原発事故で国の責任は無かった」との判決を下しました。そしてやがて、我々市民には見えないところにおける、司法の公平性が担保されていない事実が明らかとなってきて、大変な驚きとともに落胆の念を感じています。

京都地方裁判所へ提訴してから、10年の年月が流れました。

10年前から、私たちは、藁にも縋る思いで司法に救いを求め続けて今日に至ります。

 私たちは、自分たちが奪われたものに対する根本的な責任の所在をはっきりとし、その賠償をして欲しいという気持ちはもちろんありますが、将来誰かを同じ目に遭わせるわけにはいかないとの願いも込めてここにいます。この想いが伝わるまで、私たちは諦めるわけにはいかないのです。私たちを取り巻く社会の環境がどんどん過酷なものとなっていこうとも、被ばくを強要され続けている自分たち、そしてまだ見ぬ誰かのために、法廷の内外で訴え続けて参ります。

裁判官の皆様には、それぞれの裁判所で矢継ぎ早に出されている判決に惑わされることなく、時間がかかったとしても確実な判決の内容を出してくださいますよう、どうか心よりお願いを申し上げます。

           

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●9/26控訴審第19回期日報告集会

・あいさつ(川中弁護団長)

 みなさんのコールはクリアに聞こえていた。Aさんの学者の卵らしい理知的な意見陳述と森田弁護士のプレゼンは引き締まっていて良かった。竹沢先生の証人尋問が却下されたのは残念だが、原告本人尋問について、裁判長は、「前回証言してから7年以上経っているので、もう一回聴きます」と言った。東電は前回の証言以降のことは原発事故とは関係ないと主張してきた。私は、東電の主張を否定したものと受け取った。
   
・弁護団報告(田辺事務局長)

 東電代理人の岡内さんが「想定外だ」と言ったのはある意味本音だと思う。彼の想定を覆す判断を裁判所から引き出したのは皆さんの強い思いだと思っている。
 専門家証人は採用されなかったが、これは意見書で勝負ということだ。被害者の声を聞くという姿勢が裁判所にあったのは嬉しい。裁判所に響くような本人尋問をしたい。
 4人のうち1人は避難の相当性を認められなかった方。仙台にも京都の鴨川のような場所がありそこで土壌を採取したが、第一原発の敷地で見つかったら、黄色いドラム缶に入れて保管されるような放射能レベルだった。だけど誰も騒がない。東京か京都だったら、黄色いテープを貼られて、全部土壌を入れ替えるまで誰も入れなくなるはずだ。これは被災地に対する差別だ。そういうことも訴えていく。

・プレゼンの補足説明(森田基彦弁護士)

 主張はほぼ出し尽くしているが、8月に株主代表訴訟の弁護団が津波評価部会に参加していた方から聞き取った内容を聞き取り報告書という形にまとめられた。
 津波評価部会は、震源がここなら津波高はどれだけになるかという計算をやっただけで、地震に関してはそれほど先端的なことはやっていなかったという言質が取れたのが良かったと思う。
 もう一つは、海溝軸の北と南で地質が違うので津波の発生の仕方も違うというのが被告側の主張だが、1つの説としてあったかも知れないが、定説とはなっていなかったということが当時の地震学の第一人者の口から語られたことが非常に意味がある。
 われわれには、当時の学会の中で何が定説だったかということはわからない。国はこういう論文もあった、こういう論文もあったと言って相対化しようとするが、そういう逃げ口を閉ざすという点で意味のある証拠になったと思う。

・この間の原告団の取り組み(原告・小林さん)

 今年は全国各地の原発賠償訴訟が結審を迎えているため、原告団として各地の裁判や関連する裁判の応援に行っている。また4月から大阪高裁前で第2次署名と街宣活動を行ない、繁華街での街頭署名集めや労組・団体まわりもしている。
 提訴から10年経ち、原告を取り巻く環境は変わった。それに伴い原告同士の交流の機会も減る中で、共同代表・運営委員が全世帯に連絡を取り、期日参加、宣伝行動、メッセージカードの作成をお願いした。
 1つ紹介したい。
 「裁判に参加している原告、支援者の方々は共にお強いです。…もう思い描いていた道には進めなくなった人がいる。原発のせいで人生が壊された人がいることを想像できますか。弱いと笑いますか。」
 期日や活動にはなかなか参加できない人も、国と東電に対する怒り、悔しさ、世の中の不条理さを正して欲しいという気持ちを持ち続けていることを知ってほしい。

      

・原告の思い・決意

◆明智さん
 今日、意見陳述をさせてもらった。言いたいことは言えたと思う。
 最近、原発事故に対する思いとかを書いた本を出した。帯は小出裕章さんに書いてもらった。興味のある方は読んでください。

◆河本さん
 私は次の期日で、本人尋問を受けることになっているので、避難の権利を認めてもらえるように頑張りたい。

◆川崎さん
 この夏は、パレードで何をするか、何を準備するかを考えたり、支援スタッフに引率してもらって署名のお願いに大阪や京都の団体をまわった。どこの団体も暖かく迎えてくれて感激した。街頭で宣伝をしていると素通りされる人も多いが、協力してくれる人がいることを忘れずに最高裁で勝利するまで闘っていく。

◆齋藤さん
 久しぶりに裁判に参加したが、ほかの原告の人の声の大きさに元気をもらえた。
 近く福島に帰ることに決め、荷物を少しずつ運んでいる。子どもたちはこちらに住むことになり、もともと子どもたちだけでも避難させたいという気持ちで避難したので目的は達成したと思っている。
 帰る度に近所の人に「おめえが居なくてどんだけ大変だったかわかってんのか」と言われて、ここに帰るのかと思うと気が重い。京都に戻るとまた気持ちが変わり、自分が二人いるような感じだ。でも、原告として最後まで頑張らなくちゃいけないと思うので、次回も参加する。

◆萩原さん
 私の夫は自分のことはすべて自分でやってくれる。私は食事を作るくらいだが、それでも精一杯だ。でも夫は理解があり黙って送り出してくれるので、今日までやって来れた。
 原告もそれぞれ事情があり、自分の家族を守るために、ここはキープしなくちゃ、でも裁判も頑張らなくちゃいけない。それでも京都の原告さんはやるべきことはちゃんとやってくれるので、ここまで来れた。それは支援の皆さまのお蔭だ。

◆小林さん
 娘が就職して東京に住んでいるので、東京で裁判とかイベントがあると、京都訴訟からは私が結構行くようになった。
 原発事故から12年経って、福島では汚染水を海に流す。住んでいた人ではなく、若い人に補助金を出して避難区域に移住させる。これでいいの?ということばっかり。関電は原発を再稼働。原発を稼働しないと電気料金が安くならないとか、汚染水を放出しないと復興が進まないとか、嘘ばっかり。いま声を上げることが大切だと思う。
 昔の私みたいに無関心な人に「このままじゃ日本、滅びるよ」って気づいてほしいと思う。

◆高木さん
 先日は原告や支援スタッフの方たちと今日のパレードの準備をして楽しい時間を過ごした。今日は暑い中だったけど、たくさんの人が集まって元気をもらった。
 明智さんの意見陳述は本当に素晴らしかった。京都に避難した時、中学1年生と小学6年生。明智さんの話を聞いて、「うちの子どもたちもどんな思いだったんだろう」って改めて考えさせられた。
 先ほどの園田さんの報告、こうやって国連で、日本の外で声をあげて海外の人が注目してくれることは大事なことだと思う。園田さんの活動に感謝している。
 次回は本人尋問があるということで、「私たちの方にちょっといい風が吹いているんだな」ということがわかって嬉しく思う。

◆福島さん
 いま原告は「私たちは本気です」ということを前面に頑張っている。
 今日の意見陳述、当時の子ども世代を代表してやってもらった。次回は河本さんが本人尋問に立ってくれる。私は京都地裁判決の後の報告集会での河本さんの涙を心に入れて控訴審を闘ってきた。
 齋藤さんが帰ることを決めたそうだが、一人またひとりサヨナラして、すごく弱ってくる。だけどこの原告たちが、判決が出て笑顔でばらばらになる時が私らの勝利。その時まで私たちは本気で頑張る。

◆園田さん(ZOOM)
 人権理事会が夏に終わった後に一時帰国した。原弁(原告・弁護士)交流会に参加して、久々にみんなと会い、話ができて本当に嬉しかった。いつも海外で一人で行動しているので、みんなの顔を見るとホッとする。
 来月、関西外語大学で英語で授業をさせてもらうので、12月の期日にはぜひ来てくださいと学生さんたちに伝えたい。
 またイギリスで「核は要らない」という集会で登壇するので、京都原告としてみんなの声を伝えていきたい。

・連帯アピール

◆生業訴訟原告団・服部崇事務局次長

 福島の土は汚染されている。県内1600か所で定点観測やっているが、とんでもない値が今でも出る。一番高いのが果樹園だ。
 生業訴訟では第1陣が最高裁で不当判決を受け、第2陣は福島地裁でまだまだ先なので、高裁を中心に全国の支援に回ることになった。次回も駆け付けたい。 また北海道から九州まで全国連の統一署名を集める全国キャラバンをする。この署名を使って「原発だめだよね」と言う声を広げ、国の責任を国民世論でかちとっていきたい。 

◆かながわ訴訟原告団・村田弘団長

 京都訴訟に来るたびに元気をもらって帰る。
 かながわ訴訟は10月6日に結審する。いまの裁判長になったのは去年夏。12月から今年6月まで7か月連続で口頭弁論を開いたので、「これは自分で判決を書く気だな」と思っていたら、8月25日の結審を延ばそうとしたので、「これ以上先送りするな」と申し入れた。その際、裁判長は「肝心なのは判決でしょ。8月結審と遜色ないように考えるから」と発言したので、12月12日に定年退官の予定だが、彼が書くのではないか。結審後は、裁判長宛てに生の声を届けたいと考えているので、協力をお願いしたい。

◆だまっちゃおれん愛知岐阜訴訟原告団・岡本団長

 意見陳述は素晴らしかった。当時未成年だった方がどんな思いでこの裁判を闘っていたか、いまの社会をどう見ているか、改めて大人の責任を感じた。
 人証をどうするかの判断を法廷で言い渡し、専門家証人を不採用にする理由を述べたのは評価できると思った。
 一審で本人尋問を受けた方が控訴審でも尋問を受けられるのはすごいことだ。名古屋高裁では、一審でやっていない原告は採用されたが、一審でやった私は不採用になった。
 各地の裁判を応援に行くと、逆に自分が励まされる。

◆関西訴訟原告・太田さん

 関西訴訟はまだ地裁で、いま本人尋問を全世帯やっている。本人尋問を聞いていると、「みんな人生が変わったんだな」と思い、しんどくなる。国と東電は「そんなこと大したことではない」という態度で人格攻撃のようなことをしてくる。答える原告に勇気をもらいながらも、「しんどいなあ」というのが正直なところ。
 でも、こうやって多くの人が集まり、弁護士の方々が手弁当で関わっておられることに勇気をもらっている。

◆九州訴訟原告・内藤さん(ZOOM)

 最近ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」について考えている。「凡庸な悪」とは、本当に怖い悪というのは、悪意をもって何かを仕掛けてくる政府とか当時であればヒトラーではなく、ごく平凡な人が人を虐殺してしまうようなこと。
 日本でも関東大震災の時、朝鮮や中国の方々が何千人も虐殺された。虐殺したのは普通の人だった。
 原発事故以降も福島県ナンバーの車がボコボコにされたり、「放射脳」とヘイトスピーチをされたり、最近ではわれわれ原告は「風評加害者」にされている。なんでそんな不幸が起こるのかと考えている時に、朝来縷々という女性作家の『黒鹿毛のひと』という小説を読んで、私は泣いた。それは悲しい涙ではなく浄化だった。そして権力に対する怒りを。新たに力をもらうことができた。

 ◆ひょうごサポーター・松本さん

 ひょうご訴訟は5月に結審した。判決は3月21日と決まったが、年末に続けて出る高裁判決を見てから判決を書くんじゃないか。
 世論の力が必要ということで署名を集めているが、裁判所に直接届けるハガキ作戦も始めている。判決まで時間があるので、1月20日に世論向けに原発事故ってこれだけ大変なんだよということを知ってもらう集まりを考えている。

 ◆守田敏也さん

 12年間を振り返って押さえるべきは、私たちはすでに21基の原発を止めたということ。それから原発輸出を全部止めた。もんじゅも止まった。だからもう核燃料サイクルは終わっている。これ非常に大きな成果だ。これだけの成果を作り出したのは避難者の皆さんだと思う。
 そして今起こっていることは、核産業の絶望的な巻き返しだ。GX関連法案の下に原発推進策が出されているが、ほとんど展望のないものばかりだ。次世代原発もほとんど現実性のあるものはない。
 だから、実際には老朽原発を動かすしかない。一つひとつ反論して行けば、この流れを巻き返すことができる。
 そのために裁判にはぜひ勝ちたいので、次は200人パレードを実現しよう。

◆支援する会からの提起(奥森事務局長)
(1面に掲載)

・お礼と閉会あいさつ(原告団・福島さん)

 今日は午前中から多くの人に支えてもらってここまで来た。次回は4人が本人訊問に立つ。
 原告団がばらばらだった時に、かながわの村田さんは2回も京都に来て「原告団が一丸にならないと勝てない」と言ってくれた。そして今がある。原告は本当に頑張るので、ご支援をよろしく。


●国連人権理事会活動報告
 (園田さん)

 夏の人権理事会では避難者に関係するセッションが3つあった。
 1つは、国際民主法律家協会が企画運営をしたサイドイベント。昨年訪日調査に来た国内避難民の権利に関する特別報告者セシリアさんの任期が切れてしまい、報告書に対する日本政府の意見に対して、セシリアさんが反論できないということで企画した。
 イベントでは、さまざまな状況にある避難者と井戸弁護士にメッセージをお願いして、それを編集した動画を流した。京都原告からは高木さんと福島さんと故・鈴木絹江さんのメッセージを入れさせてもらった。各国の政府代表者たちは本当にじっくり観てくれて、私たちの声が伝わったと思う。
 2つめは、報告者が1年間の活動を報告して、それに対して各国政府の代表者が発言し、そのあと市民側が発言し、最後に報告者がまとめをして終わるというセッション(インタラクティブ・ダイアログ)があった。私は運良く1番目に話ができた。日本政府は「ここに避難者が来ているのは知ってる」と言い、「避難者に対する施策をやってきて、避難者の状況は良くなっている」と反論をしてきた。だけど、私もきちっと反論できたと思う。
 3つめが、UPR勧告(4年半に1回、国連加盟国が他の国連加盟国を審査して勧告を出すという仕組み)。今年の1月に日本政府に対して福島原発事故関連の勧告が16出た。そのうち11が汚染水関係、5つが避難者・被害者の人権に関するものだった。
 この時のセッションで日本政府は回答した。16のうち10については「気に留めておきます」、2つは「全部は認めないけど、一部は認めます」、4つは「認めて、実行します」という回答だった。国内でやってることと国連で言うことがあまりに違うので、それは国内で指摘していかないといけない。

 今は次の第54期が開催中で、今回はジュネーブに行かずにリモートで参加している。一週間前に有害廃棄物の特別報告者主催のセッションがあり、日本政府に「国のサポートがなく苦しんでいる人が一杯いるのに、海洋放棄をすることでさらに追い詰めるようなことはやめなさい」と伝える動画ステートメントを出した。こういう活動を継続していきたい。


●原告だより

「311子ども甲状腺がん裁判」との出会い
(原告 阿部ゆりか)

 いつも京都訴訟をご支援いただき、本当にありがとうございます。
 私は、福島市から母子避難をして、10歳から18歳までを京都で過ごしました。現在は、大学進学を機に東京へ移り、ドイツ哲学を専攻しながら教員を目指しています。そして私は今、「311子ども甲状腺がん裁判」のお手伝いをさせていただいています。今回は、私が東京に移ってから、「311子ども甲状腺がん裁判」の支援者になった経緯や思いについてお話をさせていただきます。

 4年前、人生の半分を過ごした京都を離れました。当時は、新型コロナウイルスの影響から、全く大学に通うことができず、オンラインで講義を受ける日々が2年も続きました。慣れない土地で、友人も作りにくい環境から、京都が恋しくなる日々でした。コロナが明けて、大学に通いはじめられるようになったころ、「311子ども甲状腺がん裁判」の存在を知りました。

 「311子ども甲状腺がん裁判」は、福島原発事故に伴う放射線被ばくと病気との因果関係を立証し、被害者の補償を求める裁判です。私自身、原発事故以降、継続的に福島県が行う県民健康調査を受けています。そして、甲状腺検査をするときは何かあったらどうしようと不安になり、原発事故は自分の人生にずっと付きまとってくることを痛感させられることでもあります。だからこそ、私と同世代の方が声をあげ、闘っていらっしゃることを知り、この裁判は「私ことなのだ」と強く感じ、自分も何かできないかなと思いました。しかし、講義があってなかなか期日に向かうことができませんでしたし、自分に具体的に何ができるのかがわかりませんでした。そんな迷いの中、今年の1月25日に「第四回口頭弁論」に応援に行き、原告の皆さんとご家族が二度と同じ経験をする子どもたちがうまれないようにという思いから声をあげたこと。その思いと覚悟を受け止め、弁護団も全力で共に闘っている姿に、私はこの裁判の「支援者」になりたいと思いました。

 私がそう思ったのは、京都に避難していたころの支援者の方の存在が大きいです。京都にいた頃は、避難の経験からすさんでいた時期がかなり長い期間ありました。でも、私がまた頑張ろうと思えたのは、両親や避難者の存在と、支援者の方々が本当に温かく自分を育ててくれたからだと思っています。支援者の方々は私たち当事者と同じ時間をずっと歩んできてくださいました。そして、東京に出て離れても私のことを気にかけ、京都に帰れば迎え入れてくれます。そんな皆さんにいつか必ず恩返ししたいと思ってきました。「311子ども甲状腺がん裁判」の期日に初めて行ったときも、そこには支援者の方がいました。私は、自分のことを応援し寄り添ってくださる支援者が、どれだけ大きな支えになるかを知っています。だからこそ、私にも原告の方々に寄り添い、応援することはできることに気づかされました。その期日の後、OurPlanet-TVの白石草さんにご挨拶をさせていただくと、白石さんから「次回、報告集会の司会をしませんか」とお声がけいただき現在に至ります。

支援者の皆さまに支えられ、私も支援者になりました。「311子ども甲状腺がん裁判」のことも、ぜひ皆さんに応援していただきますと嬉しいです。私もこれからも寄り添っていきたいと思っていますし、自分にできることはなんでもやりたいと思っています。

最後にはなりますが、改めて京都訴訟をご支援していただき本当にありがとうございます。皆さまと共に歩むことができていますことを心よりうれしく感じています。

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 原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会
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