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★ 「原告と共に」No40  2022年7月発行 

● コンテンツ

国の責任否定した最高裁判決 ひどすぎて下級審の
 範たり得ず

 
 最高裁弁論に代表派遣

 4月から5月にかけて、最高裁に上がっていた4つの賠償訴訟の弁論が開かれました(4/15千葉訴訟、4/22群馬訴訟、4/25生業訴訟、5/16愛媛訴訟)。この弁論を踏まえて出される、国の責任についての最高裁判決が他の賠償訴訟にも影響を与えるということで、京都訴訟からも代表派遣を決め、原告2名と支援スタッフ3名が参加しました。

 4訴訟弁護団は、役割を分担して弁論に臨み、○国には規制権限があったのにそれを行使しなかった、○津波対策を実施しておれば事故は防げた、○規制権限は、万が一にも原子力災害が起こらないようにするためにある、○技術基準を定める省令には津波を含む自然現象によって原子炉が損傷を受けるおそれがない状態の維持が義務づけられていた、○保安院は、公表された「長期評価」に基づいて福島沖の津波地震のシミュレーションを実施するよう東電に求めたものの、東電の言い訳や引き延ばし工作を受け入れ、結局規制権限を行使しなかった、○防潮堤や重要機器室・タービン建屋等の水密化により事故回避は可能だったと主張しました。どう考えても、国の責任を認める判決以外にはありえない状況でした。

 筋の通らない不当判決

 そして判決の6月17日。京都から参加した原告2名と支援スタッフ1名は全国からの仲間と共にいい判決を期待して待ちました。ところが最高裁判決は、想定された津波と実際に到来した津波は規模も方向も違うので、想定津波に対する防潮堤を造っていたとしても事故は回避できなかったとして国の責任を免罪するという筋の通らない不当判決でした。判決は全員一致ではなく、3人の賛成、1人の反対だったようです。判決書54頁のうち判決本体(多数意見)はわずか11頁、逆に29頁を費やした反対意見は一読に値します。判決の評価と京都訴訟への影響などについては6面に田辺弁護士の寄稿があります。

 未成年だった原告が陳述

 6月8日には、京都訴訟の控訴審第14回弁論がありました。開廷前に、久しぶりで街頭署名を行ない、その足で公正判決署名を提出しました。

 法廷では、事故当時未成年だった原告が意見陳述をしました(3面に全文を掲載)。今回で原告側の主張は終わり、控訴審もいよいよ大詰めを迎えます

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●6/8 控訴審第14回期日報告

         
 
 6月8日に、大阪高裁で京都訴訟の控訴審弁論がありました。
 開廷前の12時半から原告と支援者が淀屋橋南詰(東側)に集まり、傍聴を呼びかけるチラシ撒きと「公正な判決を求める署名」を集めました。そのあと原告と大阪高裁別館の前に集合していた支援者の方で第12民事部の書記官室に第3次分の署名を提出しました。

 今回提出したのは、5291筆。その半分以上の2867筆が関西よつば連絡会が宅配会員から集めていただいたものでした。これで大阪高裁に提出した署名の累計は1万筆を超えました。
 そのあと入廷行進に移りましたが、裁判所の正門前ではたくさんの支援者の方たちが迎えてくれました。

 これまで新型コロナ感染症の影響で制限されていた傍聴席が解禁となり、この日は記者席と特別傍聴席を除く81席が使えることになりました。直前の解禁で、十分周知もできなかったこともあり、残念ながら抽選にはなりませんでしたが、約9割にあたる71名が傍聴しました。お蔭で、いつもは一般傍聴者に譲って傍聴席に入ったことのないスタッフは「初めて傍聴席で聞けた」と喜んでいました。

◆原告の意見陳述

 法廷では、原発事故当時未成年だったAさんが意見陳述を行ないました。その内容については、3面に囲みで紹介しています。
 意見陳述が終わると傍聴席から大きな拍手が起こりました。

 続いて、弁護団が2つのプレゼンを行ないました。以下、その要旨を事務局の責任でまとめました。

◆「避難の相当性」判断と「最適の原則」 (鈴木順子弁護士)

 ICRP(国際放射線防護委員会)が策定する放射線防護の施策は、「最適化の原則」を基礎としている。その原則については勧告のたびに変遷しているが、1986年3月に行なわれた国際原子力機関(IAEA)と経済協力開発機構(OECD)の原子力機関(NEA)による「放射線防護の最適化」をテーマとしたシンポジウムを経て大きく転換した。
 それ以前は、個人の被ばく量を推奨される線量限度に抑えるために必要な防護のコストには制限がないとしていた。ところが先のシンポジウムでの考え方は、放射線防護に要する費用も健康被害(に伴う医療費か)もすべて金銭評価し、防護費用+健康被害に伴う費用が最小化する放射線量を許容するというものだった。

 こうした考え方をベースにチェルノブイリ原発事故以降、ICRPは「現存被ばく状況」(原発事故などで実際に被ばくが生じている状況)では線量限度は適用されないと主張するようになった。その結果、同じ国の中で、占領限度が厳格に守られている住民と線量限度の適用を排除され、「費用便益分析」の観点から高線量の被ばくを余儀なくされる住民とに分断されることになった。
 国や東電も「低線量被ばくによる健康影響は確認されていない」と主張するが、低線量被ばくによる「健康影響のリスク」まで否定することはできない。

 ICRP勧告に基づいて原告への賠償を拒むことは、原因(原発事故)を作り出した東電とそれに大きく寄与した国のコストと原告の「被ばくによる健康影響のリスク」というコストとを天秤にかけ、落ち度の全くない原告ら住民に多大なコストを転嫁することになる。

 公害問題に詳しく、環境経済学の第一人者である宮本憲一氏は、絶対的損失(人の健康障害や自然の再生産条件の復旧不能な破壊)については賠償するという補償原理では社会的公平が達成できないと指摘している。絶対的不可逆的損失が生じる可能性があれば、プロジェクトは変更または中止すべきである。ICRPが費用便益分析を採用したことは、人の健康という絶対的不可逆的損失を生じる可能性があることを無視して、すべてを金銭換算しようとする点からも間違っている。

 
◆国・東電の重過失 (森田基彦弁護士)

 国・東電には単なる過失を超えて重過失があったことを主張する。

 2006年5月11日、第3回溢水勉強会において東電は、福島第一原発5号機の敷地高を超える津波が生じた場合には、海水が浸水し、非常用海水ポンプが使用不能に陥ること、電源設備の機能を喪失する(全電源喪失)可能性があること等を報告した。
 JNES(原子力安全基盤機構)の蛯沢部長の「結局どうなるの」との「質問に「炉心溶融です」と答えている。
 この報告を受けて、保安院は同年6月に現地視察を行ない、福島第一原発が津波に対して脆弱であることを認識していた。

 東電は、地震本部の「長期評価」発表(2002年7月31日)当初は、長期評価の見解を否定する「技術的、科学的説明」が不可能だとして、長期評価を確定論的に取り入れるべきことを強く主張していた。
 ところが、2008年3月18日に東電設計から長期評価に基づく津波高の報告が伝えられ、タービン建屋が設置された10メートル盤を大きく超えて浸水することが判明すると態度が一変する。

 同年8月6日の電力4社との会合で配布した資料には、「推本(地震本部のこと)見解を否定することは不可能」とする一方、「簡単に採用する訳にも行かず、慎重な対応が必要である」と記載されている。
 東電は同年12月10日に阿部勝征・東京大学名誉教授と面談しているが、阿部氏から「福島沖から茨城沖でも起こることが否定できず、どこでも発生する可能性がある」と言われ、浜岡原発で実施した津波対策(壁の設置、水密化等)を「参考に調べておくと良い」とアドバイスされている。

 以上のように、東電は長期評価が当時の最良のエビデンスであることを認識しながら、津波対策に莫大な費用がかかり、かつ、津波対策を行なわないことによる原発の稼働停止をおそれ、そのエビデンスを排斥するよう他事業者や学者等に根回しを行なっていた。これは重過失に該当する。

 国も福島第一原発が津波に脆弱であることを認識しながら、そして「最新の科学的知見について…規制当局として判断する」という内規があるにもかかわらず、津波バックチェックにおいて長期評価を採用するよう指示することなく、事故を招いた。これも重過失に該当する。

 阿部教授は、刑事事件の供述調書で本件事故について「東北地方太平洋地震発生前の当時においても、様々な対策を講じることはできたと思っております。ですから私としては、東京電力がこのような対策を講じる費用等を出し惜しんだのではないかという思いがあり、遺憾に思っております」と述べている。


 この日で、原告側の主張はいったん終わり、国や東電の反論を待って、再反論を行なうことになります。次回はすでにご案内のとおり9月9日(金)、12月7日(水)のいずれも14時30分開廷と決まりました。
  
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●第14回控訴審 意見陳述書 原告Aさん

 私は、福島県いわき市を生まれ故郷に持ちます。
 京都で歴史を勉強し、いずれ地元に帰るつもりで大学生活への準備をしていた時に、福島第一原子力発電所の事故を経験しました。

 一号機の建屋が爆発している映像を観た瞬間から、見ることも触れることもできない、得体の知れない放射能が今でもこわくて仕方ありません。

 「原発事故がこわい。このままここに皆でいてもいいのかな」と、当時母に訴えた事を昨日の事のように覚えています。

 ネットでみると国際社会の動きは早く、諸外国は大使館機能を大阪に移転させ、自国民に出国も含めた被災地からの避難を勧告しました。一方、我が国では㎞圏内に避難指示が出されましたが、いわき市に避難指示は出されず、避難するしないを自分で判断するしかありませんでした。近所の人々、親戚、友人は次々と避難し、その人達から「何故避難しないのか」と電話で言われました。

 避難の決断を私達に背負わせ、屋内退避指示が出されている中、安定ヨウ素剤や水や食料等は自分で確保しに行けということは、とても矛盾していると思いました。

 やがて、余震と見えない放射性物質の恐怖から、妹がとうとう体調不良を訴えはじめ、今は亡き祖母も連れての避難を、私の父母は決めました。区域外・自主的避難者と呼ばれても、この時の両親の決断を、私は今でもありがたく思っています。

 妹は京都の学校で中学3年生となりました。福島で高校受験に向けて頑張っていた中、友達と離され、言葉遣いも環境も全てが違う学校になじめず、家族と本人が力を合わせてようやくのことで高校合格を勝ち取りました。

 原発事故後、私は全てのものがまるで灰色や黒色に見えます。あの日を境に、全く違う場所に映ります。国や東京電力は公衆被ばく線量限度の年1mSvを毎時0.23SμSvと言っていますが、2014年時点でも私の線量計は、いわき市の自宅玄関で0.44μSvを計測しました。ホールボディカウンターの検査を終え、その日初めて会った医師に、「何の問題もありません。結婚して健康な赤ちゃんを産んで、幸せになる事ができます」と突然言われ、放射能が人体に及ぼす影響は甚大である事を改めて痛感し、かえって母体としての自分を否定するようになりました。

  原発事故後、国際人権法に照らして、国連から日本へ沢山の勧告が出されています。例えば、早期に自国民の避難を勧告したドイツからは、「年間1mSvへ回復、避難者と住民への支援を継続。福島地域に住む人達、特に妊娠した女性と子どもの最高水準の心身の健康に対する権利を尊重すること」との勧告が出されています。
 
 原告に名を連ねる子ども達、或いは父母らが原告となっている子ども達の声を代読致します。

 「住宅支援がなくなり、また避難先が変わり友達ができなかった。イベント等も、疲れるから行きたくなかった」
 「福島にいた時の一千万分の一の元気しかなかった」
 「京都のアルバイト先で、客と接客中に、福島出身である事から「放射能を浴びたような顔をしているな」と言われた」
 「大好きなおじいちゃんとも離れ、寂しく、悲しかった。名前の響きから、学校で「ふくしまげんぱつ」と言われた。未来の子ども達のため、この裁判を見守りたい」
 「母子避難により父親と生活することができない事が悲しいが、京都に来て自分の人生の核となるものを得られた。大人として伝えていきたい」

 家族との関係に葛藤を抱えてしまった苦しみを私に語ってくれた子供たちもいます。

 「福島の友達と残りの高校生活を過ごし、卒業したかった。避難をするのは絶対に嫌だった。私の生活全てをめちゃくちゃにされた。勝手に避難を進めた家族を今でも許せない」というのです。

 本当は家族に避難を選択させた東京電力や国がいけなかったのに、どうして、大切な家族に対して、こんな思いを持たされてしまうのでしょう。

 私が産まれた時、福島第一原発はすでに稼働中で、チェルノブイリ原発事故も東海村JCO臨界事故も起きていました。私は、原発事故を経験してしまった一人として、私よりも若い世代に対しての責任感を感じています。ウクライナでは原発が武力による攻撃の的とされる具体的な事象までもが起きている
 今日、原発への社会通念とは一体何なのでしょうか。

 今、心の中にこだまするのは、唱歌「ふるさと」の一節です。
 「志を果たしていつの日にか帰らん 山はあおきふるさと 水は清きふるさと」

 私の祖母や、判決を聴くことなく亡くなった原告達も含め、どれだけの経済的・心理的な負担を負いながらも避難しなければならなかったのか。これが認められることで、原発による更なる被ばく者がなくなることを心から願い、お願いを申し上げます。

                                       以上


●期日報告集会

 閉廷後、場所を中央公会堂小集会室に移して、報告集会を行ないました。会場には60席用意しましたが、足らなくなり椅子を追加で出したので80人近くおられたと思います。またZOOMで参加された方が約30名おられました。以下、発言順に発言要旨を事務局の責任でまとめました。
 
◆橋本宏一・支援する会共同代表
 傍聴制限が撤廃され、抽選なく入廷してちょっと心配だったが、振り返ってみたらほぼ満席でほっとした。法廷での意見陳述にも感動した。弁護団の条理を尽くしたプレゼンに、なんと言っても原告のふるさとを奪われた悔しさ、悲しさ、失ってたまるかという思いが、みんなの願いであると認識させられ決意を新たにした。裁判もこれからが山場、力を合わせて、法廷の中と外から頑張ろう。
 
◆田辺保雄・弁護団事務局長
 前回に続いて原告の意見陳述をやって良かった。意見陳述をしたいと申し入れたら、裁判所は「なんでするんですか?」という対応だったが、これまで自分たちの被害を語って来れなかった子どもが初めて法廷で自分の意見を言うんだと主張したら、「わかりました」ということで実現した。

 今日のプレゼンは2つだったが、国や東電が依拠しているICRPの考え方は、皆さんの健康を第一に考えているのではない。社会経済的なコストと健康被害のコストを足し合わせて、一番コストがかからないようにしようという考え方だ。東電の代理人は、原告が1ミリ?以上であれば逃げると言うのは「最適化の原則」を忘れていると言うんだけど、「最適化」の中身はいま述べたようなことで、本当にひどい話だ。
 福島県以外では今でも1ミリ?という基準が守られている。1986年3月までは各国の規制機関でも了解事項で、そのためのコストに制限はないと言っていた。そのことを今日は指摘した。

 プレゼンした以外にも準備書面を出している。1つは、辻内先生(早稲田大学教授)の意見書への反論に対する再反論。
 もう1つは、竹沢先生が本を出された(竹沢尚一郎『原発避難者はどう生きてきたか 被傷性の人類学』東信堂)が、なぜ避難しているかを人類学的に明らかにしていただいた。インタビュー形式で気付くことの多い本だと思う。本を証拠として提出し、損害班の弁護士が準備書面を書いた。

 実は今日、東電が分厚い準備書面を出してきたが、中身はUNSCEAR(国連科学委員会)の2020レポートだった。東電は、「低線量被ばくによる健康被害はない」と言いたくてしょうがない。こちらが言っているのは、「健康被害のリスクがある時に逃げるのは当たり前でしょ」ということなのに。

 これについては、会場の後ろで売っているパンフ(福島原発事故による甲状腺被ばくの真相を明らかにする会『福島甲状腺がん多発 被ばく原因はもはや隠せない―UNSCEAR2020レポート批判―』)を証拠として提出したい。

 6月17日に国の責任についての最高裁の判決が出る。損害については各高裁の判断になるので、大阪高裁に理解してもらえるよう頑張っていきたい。

◆森田基彦弁護士
 東電刑事裁判で検察官が作成した供述調書(検面調書)とその添付書面がいろいろ出てきた。プレゼンでも触れたが、こんなものがあったんだと思ったのは保安院の内規だ。本件で国は「自分たちには調査権限がない」と主張しているが、その内規には「最新の知見に従ってちゃんと調査をしなさい」と書かれている。にもかかわらず保安院は東電任せで、自分たちで長期評価について調べた形跡がない。この重過失問題については、なぜか国も東電も反論しなかった。

◆意見陳述した原告
 緊張したが、当時子どもだった人たちの声も代読させてもらった。私は、原発事故を経験し、被ばくさせられたことが悔しくて仕方ない。その思いを述べた。唱歌「ふるさと」の3番の歌詞を引用して、未来のみなさんに安心して帰れるふるさとがあればいいなと思って陳述した。これからも応援してほしい。
 
       

◆参加した原告から
(H・Mさん)
 今日の意見陳述は心に響いた。私の娘の声も代読してもらい、ありがとう。森田先生のプレゼンを聞いて、この原発事故は防ぐことができた事故だったんだなと思った。東電が次回反論するというのを聞いて、反論せずに責任を認めろと心の中で叫んでいた。来週の最高裁判決も気になるが、東電も国も責任を認め、きちんと謝罪をしてほしい。先ほど報告されたように、この間たくさんの署名が返ってきているのを嬉しく思っている。

(K・Cさん)
 東電はいったい何を反論するのか。自分たちは悪くないと思っているのだろうか。何も悪いことをしていなければ、こんな事故は起きなかったことは森田先生から話があった。意見陳述は、子どもたちが大きくなって、届く言葉として伝えることができるように成長して、自分に起きたことをわかるようになってきた。その重さを裁判長には知っていただいて、判決を出して欲しいと思う。

(S・Yさん)
 意見陳述の中の「放射能浴びたみたいな顔してんな」と言われたのはウチの息子なんだけど、そういうことがあったことを知ってショックだった。本人は「俺は忘れねえから」「でも前向いて生きていくしかない」って。この事実をどうやって伝えようかと思っていたけど、意見陳述で取り上げてもらって感謝している。
 さっき田辺先生が病気にならなくたって、そのリスクを避けるのは当然だと言われたのは、常々自分が思っていたことで、すとんと胸に落ちた。

(K・Mさん)
 さっき夫から金曜日に入院すると連絡があった。昨日背中に激痛が走って、今日病院に行ったら肝臓の数値が高くて、「即入院しろ」と言われたというので、福島にかえるべきかどうかで悩んでいる。夫は飲兵衛ではないし、食生活の問題はあるんだろうけど、被ばくの影響ではないかと考えてしまう。世帯が離れていると、病気だとかいう時に困る。原発事故がなかったら、私は福島に居たので、こんなことで悩むことはなかった。これも被害かなと思う。この裁判に勝つことで、こういう困ったことが起きないことにつながればいい。

(K・Aさん)
 家族が離れて暮らすというのは、日常生活において「本当だったら、こうなのに」ということの連続で、落ち込む日もあれば、頑張るぞという日もある、浮き沈みの10何年だ。その間、応援してくれる人がいたから、こうして頑張って来れた。応援してくれる人がいなかったら、自分の一人よがりかなと諦めちゃったと思う。

(F・Aさん)
 前回期日から今日までの間に先行する4訴訟の最高裁弁論があり、私は4月15日の千葉訴訟に行って来た。千葉訴訟はあまり原告の顔が見えない訴訟だったが、支援団が協力にバックアップし、弁護団も目の色が変わったようになって、控訴審(東京高裁)で勝訴した。その勢いがすごく伝わって、私もパワーをもらって帰って来た。最高裁判決はどうなるかわからないが、控訴審で少しでもいい判決をかちとり、関西やひょうごへ繋いでいきたい。今日は事故当時未成年だった原告の意見陳述があったが、このまま子どもたちに託してはいけない。私たち大人が頑張らないといけない。アメリカ先住民は言った―「地球は未来の子孫から借りているものだ」。私もそう思う。

◆ダマリー国連特別報告者の訪日調査実現について
(S・Mさん)
 避難者の声を国際社会に届ける活動を田辺先生と一緒にやってきた。いろいろな方の力を借りて、やっと訪日日程(9月26日~10月7日)が決まるところまで来た。国連人権理事会がそれぞれの分野の専門家を任命したのが特別報告者で、彼らは公正・中立の立場で避難者を中心に聞き取り調査をする。政府側の話も聞く。それを踏まえて報告書を作成し、国連人権理事会に提出する。特別報告者に私たちの声を聞いてもらえる機会ができたのは喜ばしいが、過去にいったん決まった訪日を政府が中止にした例もあるので、慎重に事を運ぶ必要がある。実際に訪日されるまで見守ってほしい。

(田辺弁護士)
 日程は決まったが、まだリスクがある。①政府に「偏った人物だ」と言わせるようなすきを作ってはいけない。たんたんと訪日を待つのが正しいんだろうと思う。②せっかくいい報告書を作ってもらっても、「事実誤認だ」として政府が無視することがたびたびあった。私たちにできることは、特別報告者からのリクエストに着実に応えることだろう。

 これからの流れとしては、9月に来られて、10月で任期は切れるが、来年6月に報告書が出る。市民側の調査にあたり、市民側がアテンド代、交通費、通訳・翻訳費用などを負担する場合も生じるため、最低でも100万円を集めたい。ぜひ協力をお願いしたい。


 そのあとフリーライターの守田敏也さん、関西訴訟原告団、ひょうご訴訟弁護団、阿武隈会訴訟原告、「福島原発事故による甲状腺被ばくの真相を明らかにする会事務局長の林衛さん(富山大学准教授)から連帯のあいさつを受け、最後に原告団共同代表の萩原ゆきみさんがお礼のあいさつをして閉会しました。

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●最高裁判決(令和4年6月17日)を受けて
 
  田辺保雄弁護士

【はじめに】
 ご存じの通り、4つの訴訟事件(生業、群馬、千葉、えひめ)について最高裁が国の責任を否定する判決を出しました。
 皆さんもその結果に驚き、また、この先の裁判の行く末に悲観的なお気持ちになっておられるのではないでしょうか。

 もちろん、先行する4訴訟弁護団の方向性が間違っていたわけではありません。
 勝って然るべき訴訟でした。それでも、これだけの重大事件について裁判官が躊躇無く国の責任を認めるには、まだ残された何かがあるからです。彼らは、何かに拘っています。それは相次ぐ下級審での国賠棄却判決にも現れていました。

  しかし、私たちは、この最高裁判決で、その「何か」をはっきりと目にすることができたと思います。
 今日は、そのことをご説明したいと思います。

【多数意見の誤り】
 多数意見は、想定津波の評価という事実認識の点でも、規制権限の行使のあり方を定める法令の趣旨の理解という法令解釈の点でも誤りを重ねていました。
 このことは、三浦反対意見(判決文42ページ以下)を読めば分かります。

 まず、事実認識の誤りです。
 多数意見は、一つのモデルによって想定される津波が来るのであって、多少のブレはあっても、基本的にそれ以外は来ないという断定をしていました。
 この点、三浦裁判官は、「(津波の)評価対象地点の各数値が科学的に正確なものと確認することは、原理的に不可能」と指摘しています。

 三浦裁判官の言葉を借りれば、「本件技術基準の適用に当たり、本件敷地の南東側からだけでなく、東側からも津波が遡上する可能性を想定することは、むしろ当然というべき」だったのです。
 また、津波対策の措置を講じることとなれば、年単位の時間がかかることは明白で、その間、想定された危険を放置することは、「万が一にも深刻な災害が起こらないようにするという法令の趣旨に反する」ことだったわけです。

 水密化等の措置を講じられた蓋然性を否定した多数意見は、長期評価による津波浸水のあり得る状況や、その当時までの各種知見に基づいて、法令の趣旨や解釈をしていません。
 その姿勢は、「関係者による適切な検討もなされなかった考え方をそのまま前提にするものであり、上記法令の解釈適用を踏まえた合理的な認識等についての考慮を欠くものといわざるを得ない」のです。

【今後、私たちがやるべきこと】
 三浦裁判官が指摘した点を乗り越えて、3人の裁判官が多数意見を構成したことには衝撃を受けますが、このような思考が裁判所内にあることは、これまでの下級審の裁判例からも私たちはよく知っていたのです。

 裁判官は、三浦反対意見に示された正論があることを認識しています。
 それでも、正論を受け入れることに躊躇する裁判官の存在を念頭において、私たちが、見落としていた点を確認し、それを今の大阪高裁の裁判官にも伝えたいと思っています。
 まず、言えることは、法令の趣旨に対する理解の甘さです。

 次には、「想定」に対する強い拘りです。
 法令の解釈については、本来、裁判官の専権です。しかし、多数意見が示した考え方は、2008年当時、東電の現場で理解されていた安全対策とも著しく齟齬する考え方です。
 その意味で、2008年当時、東電の現場やその他の電力会社が、あるべき安全対策をどのように理解していたのかを整理しておくことが必要です。

 また、「想定」については、これまでの弁護団全体の戦略としては、長期評価にスポットをあててきたわけですが、反対に長期評価の理解に裁判官の焦点が合わさってしまって、かえって本件の全貌が見えにくくなっているのではないかと考えられます。
 「想定外」は、決して起こらない事象ではなく、現にお隣の女川原発でも想定外の地震動に見舞われていたのです。

 保安院の当時の担当者が電力会社に想定外への備え(AM「アクシデントマネジメント」)を強く働きかけても、対応が悪かったという状況がありました。
 結局、その担当者が2007年6月に異動すると、AMについては全く保安院と電力の間でも検討が進まなくなってしまいました。

 また、長期評価による想定は、あくまで理論的な推定でしたが、貞観津波の痕跡は、津波堆積物から確認された研究結果ですから、格段に確実性が高かったのです。
 2009年6月の専門家会合で貞観津波が問題となり、保安院もその問題を知ることになりました。
 この流れは、とても大切なことです。

 長期評価だけでなく、AMでも貞観津波でも保安院が動こうとして電力側の反対に抗しきれなかった経過は、国の責任を考える上で、見逃せない事実です。

 私たちは、これまで、最重要ポイントとなる長期評価に焦点を合わせてきましたが、今一度、3.11に至る経過の中で、国が対応を間違え続けてきたことを示し、国の規制権限行使のあり方について裁判官に再考を求めていきたいと思います。

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●原告だより

 恩返しに地域防災活動に注力  星 千春
 
 2011年3月11日、福島県郡山市の自宅で被災しました。6月下旬に1歳になったばかりの長男と実母と私の3人で京都へ避難しました。主人やその他家族は仕事の都合や祖父母の介護もありすぐに移動はできなかったため、まずは息子を優先して動く事となりました。

 避難先は京都市伏見区桃山にある国家公務員宿舎でした。その後同年8月に主人が京都へ避難、翌年には私の兄家族が岡山へ避難、更にもう1人の兄も京都へ避難、祖母の介護をしていた実父も祖母を看取りその後京都へ避難しております。それぞれ世帯は違いますが、家族全員が福島から京都、岡山に避難し今も京都、岡山に居住しております。

 私たちが避難を決めるまで約2ヶ月。その2ヶ月でそれぞれの人生が変わりました。今になって思えば、その後の人生を変えてしまう決断をその2ヶ月で決めたんだなと感慨深いです。でも当時の私はその2ヶ月が長かった。物凄く重く長い2ヶ月でした。

 国家公務員宿舎には約5年お世話になりました。避難後、私たちにとっての次のターニングポイントは2016年12月息子の小学校入学となり入学に合わせての引っ越しとなりました。2020年2月、世界中が混乱し始めた頃にちょうどカフェバー(Cafe&Bar SMILESTAR)の開業を予定しており、すでに物件契約も済み店舗改装も着工しており、4月1日オープンが決まっていました。

 しかし4月1日に国内初の緊急事態宣言発令により、いったん延期し、宣言解除後の同年6月1日オープンとなりました。新規開業なので補助金や補償金は対象外でした。更にコロナ禍での新規開業という事もあり、当初予定していた営業時間を変更しお昼をメインにしたところ、翌年からの時短営業には非該当とされ、またも補助金、補償金は対象外となりました。

 オープンの時の混乱、補償金の問題、世の中の動き全てが2011年の被災時、避難時と重なりました。しかしその経験があったおかげで現在までやって来れたように思います。あの時より、あの時に比べたらと。しかし勿論安定した収入も確保しなければいけないので、開業前に働いていたヤマト運輸で現在も早朝仕分けで働きながら二足の草鞋でお店をしています。
  お店をオープンしてから、とにかく地域の同業者の皆さんはじめ地域の皆さんが助けてくれました。地域の方が助けてくださりコロナ禍の2年を乗り切れたと思います。11年前京都に避難した際も、今回のコロナ禍も沢山の方々に支えていただきました。

 もし恩返しをできるなら何ができるだろうかと考えた時に、やはり私たちが経験をした事を次世代に繋ぐ事や被災者から支援者となり繋げていく事で恩返しをと思い、地域活動や商店街との繋がりを深めさせていただき、「墨染こども応援団」や「TEAM学防災(まなぼうさい)」を立ち上げ、地域の人と共に活動させていただいており、中でも「TEAM学防災」には力をいれております。災害等に関して子どもの世代に負を残さず知恵を残せるように。

 被災経験のない地域でどう「自分ごと」として災害への意識を高めてもらうか、知ってもらうか、過去から学べる事を未来に活かすためにはどうすべきか。そこに焦点を当てて活動しています。郷に入っては郷に従う。まずは相手を知ること。その相手は必ずしも人が対象ではなく、災害だったり地域だったり。平時だからこそ出来る事、平時だからこそ知れる事、心の備えのために今できることを。福島での出来事も含め先の未来に伝え繋げていけるようにと思います。


●「公正な判決を求める署名」はまだまだ続けます!
 
  提出した署名の累計数 10,000筆を超える!
 
 この間、全国の団体や個人からたくさんの署名を送って頂きましたが、原告と支援スタッフも5/3京都憲法集会などで署名集めを行ないました。今回の提出分と合わせ、大阪高裁に提出した署名の累計は1万筆を超えました。公正判決署名は結審まで続けますので、引き続きご協力をお願いします。
 署名用紙のダウンロードは①、オンライン署名は②のQRコードからどうぞ。③のQRコードから、京都訴訟団の動画がご覧になれます。
 原告たちの生の声を聞いてください!

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●ダマリー氏の訪日調査が決定!

 緊急カンパにご協力ください?

 すでにご存じの方もおられると思いますが、国内避難民の人権に関する国連特別報告者ダマリー氏の訪日調査がついに実現することになりました。ダマリー氏は2018年8月に、原発事故避難者の生活状況を調査するために訪日を要請しましたが、日本政府は正式回答をしないまま3年間にわたって放置して来ました。

 昨年、わが京都原告団が『国際社会から見た福島第一原発事故』という冊子を出版したのをきっか
けに、賛同してくれる団体で「ダマリー氏の訪日調査要請の受け入れを求める要望書」を外務省に提出し、その後有志で「訪日調査を実現する会」(代表・田辺保雄弁護士)を結成し、国会議員への働きかけや外務省との折衝を続けてきた結果、受け入れが正式に決まったものです。

 ダマリー氏に避難者の声を聞いてもらうために、市民側でも費用負担が必要になります。ぜひ、緊急カンパにご協力ください。


国内避難民の人権に関する国連特別報告者
ダマリー氏の訪日調査決定!
2022年9月26日から10月7日

 福島原発事故による国内避難民に関する訪日調査要請が、ダマリー氏から日本政府へ出されてから約4年が経ちます。そして、多くの方々のご尽力によって、やっと訪日の日程が決まりました。

 福島第一原発事故から11年が過ぎましたが、今までも現在も厳しい状況にある避難者の声を、国際社会に直接届ける大切な機会になります。

 特別報告者は、国連人権理事会によって任命された公人で、公的な立場での訪日であるため公平性や独立性を持って、日本政府側と市民側、両方を調査されます。中立な立場で調査を行うため、国内調査中は報道機関の取材、講演などは一切行われません。さまざまな立場の避難者の聞き取りなどが中心になります。その後、特別報告者から国連人権理事会へ正式な訪日調査報告書が提出されます。

 2022年6月


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