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★ 「原告と共に」No39  2022年4月発行 

● コンテンツ

3.11控訴審期日にお話会・記者会見を開催

 新年になってから、裁判上の大きな出来事が2つありました。

 最高裁が東電の上告不受理を決定

 1つは、3月2日に最高裁が生業訴訟、群馬訴訟、千葉訴訟の3訴訟について、一定の判断を示したことです。
 最高裁の判断は、①東電の上告受理申し立てを不受理とし、②国の責任に関しては、それぞれ口頭弁論期日を開く(千葉訴訟が4月15日、群馬訴訟が4月22日、生業訴訟が4月25日)というものでした。
 この決定により、東電の賠償支払義務は確定しましたが、これは賠償額に関しては最高裁は扱わないということであり、賠償額の低い区域外避難者への賠償額引き上げについては各訴訟で頑張るしかないということを意味します。
 国の責任については、4月の口頭弁論を経て夏頃に最終的判断が示される見通しです。注目しましょう。

  
 甲状腺がん患者が東電を提訴

     
 

 もう1つは、1月27日に原発事故で被ばくし小児甲状腺がんになった若者6人が東京電力に対して損害賠償を求め提訴したことです。
 6人とも甲状腺の半分を摘出したが、うち4人は再発し、甲状腺全部を摘出したといいます。彼らは生涯ホルモン剤を飲み続けなければなりません。進学にも就職にも支障が出、結婚や出産にも不安を抱いています。
 もともと小児甲状腺がんは100万人に1~2人という珍しい病気で、国立がんセンターのサイトにも「発生要因のうち、確実なものは若年時(特に小児期)の放射線被ばくです」とあるように、まず被ばくとの関係を疑うのが当たり前です。ところが、県民健康調査検討委員会を率いる御用学者たちは、頑なに原発事故との関連を認めることを拒んでいます。
 原告の一人は、質問もしないのに医者から「君のがんは被ばくが原因ではないからね」と言われたといいます。それほど、政府・福島県・福島県立医大の圧力が滲透しているのでしょう。患者らは自分が甲状腺がんであることすら周囲に隠して生活せざるを得なかったのです。
最近、「過剰診断論」が流布され、県民健康調査の縮小が議論されるという風潮の中で、甲状腺がん患者自身が裁判に立ちあがった意義は極めて大きいものがあります。ぜひ、応援していきましょう。
       
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●控訴審第13回期日報告

      

 原発事故から11回目の3月11日。原発賠償京都訴訟の控訴審第13回口頭弁論が行なわれました。京都訴訟団では、午前中に飛田晋秀写真展・避難者の声パネル展示と避難当時未成年だった原告・避難者のお話し会を、そして閉廷後には記者会見を企画しました。


◆若者お話し会

 会場は大阪中之島図書館の3階にある多目的スペース。広い会場の真ん中に入り口があり、その半分には演壇と机・椅子が設営されており、もう片方の半分のスペースを使って、福島県三春町在住の写真家・飛田晋秀さんが撮り続けている写真と昨年京都市向島で開催されたメモリアル・キャンドルで笑顔つながろう会が展示した避難者の声「失ったもの・得たもの・伝えたいこと」を展示しました。
 11時からのお話し会は、小学校5年生の時に京都に避難し、今は大学3年生の小林茉莉子さんが会場から、また事故当時京都の大学への進学が決まっており、避難した家族と一緒に京都に出てきた明智礼華さんが実家のあるいわき市からリモートで参加し、司会の梅谷さんの質問に交互に答える形で進行しました。

   

◆署名提出行動

 昼食休憩のあと、それまでに参加していた原告と支援者で、大阪高裁の民事第部書記官室に公正判決署名を提出しに行きました。団体署名(29団体)と個人署名(3579筆)を提出し、一人用の署名には裁判官に宛てたメッセージが書かれており、どういう思いで署名をしてくれたのかがわかるので、ぜひ読んで欲しい旨を伝えました。
 そのあと、署名提出行動に参加した原告・支援者はいったん裁判所の外に出て、正門まで入廷行進を行ないました。正門前には報道陣と一緒に多くの支援者が待っていました。
 今回もコロナの影響で、原告席は5席、傍聴席は39席に制限されていましたが、抽選券配布は55枚で、入廷できなかった方は模擬法廷へ行って頂きました。参加した原告は8人で、3人は傍聴席に座ってもらいました。

◆法廷内で黙とう

 法廷では、最初の型通りのやり取りのあと、突然裁判長が「3時まで休廷します」と宣言し、出て行きました。そこで、弁護団とも相談し、2時46分に田辺弁護士の音頭で黙とうを捧げましたが、被告国・東電の代理人は黙とうもしませんでした。裁判官の突然の退出については、別の事件とブッキングしたのではないかという説とあえてその場に居ない選択をしたのではないかという説がありましたが、真相は不明です。

◆原告意見陳述
 再開された法廷では、原告の川崎さんの意見陳述と森田基彦弁護士による「防潮堤による結果回避」についてのプレゼンが行なわれました。
 川崎さんは、昨年1月に東電が行なった弁論(北茨城市には放射性物質の降下さえなかった)に対して具体的数字で反論し、国による住宅支援打ち切りは子ども被災者支援法や「国内避難に関する指導原則」に反するものであること、いまウクライナの原発への砲撃が世界的に注目されているが、世界一の出力を持つ原発は東電の柏崎刈羽原発であり、そこでの事故の後処理に予算がかさみ、福島第一での津波対策を怠ったことを忘れてはならないことをきっぱりとした口調で陳述しました。

◆「櫛の歯状」に反論

 森田弁護士のプレゼンは、国が2008年の推計に基づいて防潮堤を造ったとしても浸水がある南側と北側だけの「櫛の歯状」になるが、それでは実際に起こった津波を防げず事故は回避できなかったと主張していることへの再反論でした。
 東電に防潮堤の設計を委託された東電設計は「北側と南側だけに防潮堤を設置すると、そこでせき止められた津波が周 囲に流れることになり、…敷地東側からも敷地主要建屋に遡上する」可能性に言及しており、この報告を受けて東電内部資料にも「防潮堤のみでは、原発敷地に10mの壁が必要」と記載されている。
 また東電は、東北大学の今村文彦教授が刑事裁判で「高さ20m均一の防潮堤をつくる必要はない」と答えたのを根拠にしているが、今村教授は別の期日には南側と北側以外の場所にもある程度の高さの防潮堤が必要と違う答えをしているほか、被告国の機関である原子力規制庁から多額の研究費を受領しており、その証言には信用性がない、というのがおおよその骨子です。
 次回期日は6月8日(水)。原告の意見陳述があります。次々回は9月9日(金)。いずれも開廷は14時30分です。

 このあと、会場を中之島図書館に移して記者会見が行なわれました。

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●若者のお話し会

 3月11日に開催された、避難当時未成年だった若者のお話し会(2面参照)でのやり取りの一部を再現しました。
  
      

◆この11年間で印象に残っていることは?

・小林さん(以下、Kさん)…人生の半分以上を京都で過ごしてきた。辛かったよりも、青春のすべてという感じだった。これからの人生を生きる上で核となるものをはぐくんだ11年だった。
・明智さん(以下、Aさん)…公民の授業では「原発はクリーンなエネルギー」と習ったが、ある先生が広島、長崎の原爆の話のあとに、みんなのいる場所の少し離れた所にも原発があると言ってから、子どもの頃から「原発はこわいものなんだ」と思っていて、実際に原発が爆発した時には、津波よりも原発、放射能の方がこわかった。

◆避難した時の気持ちは?

・Kさん…避難すると言われた時、それほど驚きはなかった。何か月か福島に居て、いろいろ活動する母の姿を見ていて、国や周りの大人が言っていることは本当なんだろうかと疑問に思い、このまま居て大丈夫かと不安だったので、京都に行くことに抵抗はなかった。福島では子どもらしい遊びもできず、ストレスを感じていた。京都へ来て、「やっと自由に遊べるんだ」と思った。
・Aさん…4月から京都で新生活をすることが決まっていたので、「避難者なんですか?」と東電からも聞かれた。家族は完全に避難者だし、母は「早く出た方がいい」と言っていた。家族が避難を決断してくれて、私と一緒に避難することを決めてくれたことはありがたかった。誇れる両親だと思っている。

◆嬉しかったこと、辛かったことは?

・Kさん…辛かったことは、放射線被ばくをしたことで健康の心配をしていかなければならないこと、被ばくさえしなければ、そんな心配をすることもなかった。それと、父親と離れて暮らすことになったこと、10年間家族3人で暮らすことはなかったし、父も50歳を過ぎたので、死ぬまでに一緒に暮らすことはないのかな。嬉しかったことは、友だちと趣味(宝塚)、これからの人生を豊かにしてくれるものを得られたと思う。避難しなければ、出会うことはなかった。今の大学も含めて、学習の機会もそうだ。
・Aさん…辛かったことは、自分で見たいと思って福島の惨状を見てきたこと。自分の人生はどうなるんだろうと、今でも心苦しくなる。嬉しかったことは、宝塚や観劇に行ける環境、歴史の残る京都や奈良、滋賀の豊かな自然があったこと。放射能がこわいという気持ちをわかってくれる支援の方がたと出会えたこと。

◆参加者や視聴者に伝えたいことは?

・Kさん…健康被害を心配しながら生きて行く、そういう体験をする子どもたちが出て来て欲しくない。いま私たちにできること、未来に対して何を残していけるのか、自分で考えて動くことが大事だと思う。
・Aさん…原発事故を経験した私たち世代は、背負っていかなければならない立場に立たされた。再び原発事故が起きないように、苦しいことは苦しいと伝えていけたらいいと思っているので、支えてもらえたら嬉しい。

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●記者会見

◆竹沢先生の報告
  今回の記者会見は、最近、京都訴訟に提出された意見書と原告へのインタビューをまとめた『原発事故避難者はどう生きてきたか 被傷性の人類学』(東信堂)という本を出版された竹沢尚一郎先生(国立民族学博物館名誉教授)による避難者の精神的被害に関する報告から始まりました。(報告の要点を事務局の責任でまとめました。)

・京都訴訟原告の精神的苦痛の大きさを証明するためにアンケートを実施したところ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)のハイリスク者の割合が、成人で55.9%、避難当時7~18歳の未成年者で52.2%だった。これは極めて高い数値だ。
・アンケートにより、社会的孤立、経済的困難、身体的異変、人間関係上の困難の順に、PTSDのリスクが高いことがわかった。なかでも社会的孤立を感じている人は、そうでない人に比べて4.29倍リスクが高くなっていた。
・トラウマを経験した全員がPTSDになるわけではない。①社会的支援がない場合、②日常的にストレスにさらされている場合に、なりやすいことが確認されている。先の4つの要因は、資金援助や医療保障などの社会的支援が十分にあれば解消できたはずだ。
・住宅の無償提供で、京都でも国家公務員住宅を中心に一定のコミュニティが形成されていたが、住宅支援の打ち切りにより避難者は孤立を強いられ、PTSDの危険に晒された。

◆原告・避難者の訴え
 そのあと、法廷で意見陳述した川崎さん、午前中のお話し会で「語り部」を務めた二人、そして裁判に参加した原告が一人ずつ訴えたいことや思いを語りました。

◇川崎さん
 事故から11年経って、子どもたちは自立する歳を迎えていて、寂しいなという気持ちが正直あります。放射性物質から子どもを守るために避難したんですが、我が家の場合は長男が戻ってしまって、長男と夫は茨城、次男と長女と私はこちらに居るので、私は長男の成長を見守ることができないまま、もう成人になってしまいましたし、夫は下の娘と次男を見ないまま大きくなってしまったなあと電話でよく話します。避難は継続することができたけれども、家族一緒に過ごす時間を失ってしまったので、もう取り戻せないなという思いがあります。これから子どもたちが自立して、私はどうなるんだろうという思いもあります。人生で一番大切な時間を失くしてしまったというか、そういう空虚な気持ちがあります。東電や国の言い分がまかり通るような、そういう在り方を変えなければ、こういう思いをして終わるのでは嫌だなと思っているので、なんとか変えていくためにこの裁判に勝ちたいという思いを新たにしています。

◇小林茉莉子さん
 震災当時は10歳という未成年で、いまは成人を迎えました。私の方から伝えたいことですが、今日の裁判を聞いていて、絶対起きてほしくないことですが、仮に世界のどこかで原発が爆発して、放射能が放出された時に、先例となるフクシマ事故で、国に責任を負わせることができなければ、未来の子どもたちや人を苦しめることになると思います。なので、私は原告ではないですけど国に責任を認めさせたい、勝ちたいなあと思います。ひと言で気持ちを申し上げると、これから先、原発事故によって貴重な子ども時代を奪われるような子どもが出て来てほしくないというのが私の願いです。

      

◇明智礼華さん
 国と東京電力とよく言われていますが、東京電力だけの責任のわけがないだろう、国が携わっていないわけがないだろうと思っていて、自分が生まれ育った国を訴えることは悲しいけれども、やはり将来の人たちに同じ思いをしてほしくない。いま放射能によって命を奪われている人たち、苦しい思いをしている人たちに心を寄せたいと思っています。

◇H・Mさん
 今日は3.11、事故から11年ということで、注目してほしい日ではありますが、私としては複雑な気持ちを抱えたままです。福島で一緒に働いていた、私より10歳くらい若い人が岩手県宮古市田老地区で津波により亡くなりました。ずっと赤ちゃんが欲しいと思っていて、ようやく赤ちゃんが生まれて10日間しかママになれなかった。
 その彼女を思うと今でも涙が出る思いです。だから、3月11日は静かに過ごしていました。
 竹沢先生から社会的孤立という話がありましたが、自分のことを振り返ってみた時に、子どもが高校生、大学生になるところで、本当にお金がかかる時期だったので、仕事を選ぶこともできずに、なんとか育てあげなければという思いで働いてきました。京都での生活や仕事に慣れることに必死だったと思います。
 その中で、自分の本音を誰かに言いたいけど、誰にも言えない。家に帰っても、上の娘は社会人でしたが、その子にも本音を言えない。そんな時に「とても孤独だなあ」と感じていたことを思い出します。でも、支援者の方、事務局の方がよく支えてくださったから、いままで頑張ってこられたかなと思います。
 当時どう思っていたのかと子どもたちに訊いても茶化して答えるので、本音を聞けていません。きっと上の娘は心配をかけまいとしてきたと思いますが、小林さんや明智さんのように自分の思いを発信していってくれたらいいなと思いますし、若い人たちに自分の体験や考えたことを伝えていってほしいと思った一日でした。

◇H・Yさん
 午前中は小林さん、明智さんの話を聞き、前向きな姿勢に心を打たれました。そして、これから伝えていきたいという言葉に希望を頂きました。
 福島では三世帯住宅に住んでいました。でも福島の家は処分してしまいました。父が42年くらい経つ家に住んでいます。私たちが避難してから、水道が壊れた、雨漏りがしてる、床が抜けてるって言われて、本当だったら三世帯で百年以上住めるような家だったのに、直してあげる経済力がないと思うととてもつらいです。いろんな事情がありますけども、それでもこうやって歩んでこれたのは、心を寄せてくださる皆さまのお蔭だと感謝しています。

◇K・Mさん
 茉莉子の母です。
 3.11は、ここ何年かは神戸の東遊園地で神戸の方と一緒に黙とうして過ごしていました。今年は原発賠償訴訟の期日ということで、裁判に参加をしました。私がなぜ原告になったかというと、私は第3次提訴でしたが、福島では娘が生まれてからほぼ10年間家に居ました、専業主婦で。避難してから、二重生活で大変なのでフルタイムで働き始めました。でも毎日の生活に追われて、疲れていて集会などに出て行く気力もなかったんですね。やっと生活のペースができた時に裁判のことを聞いて、国と東電に謝ってほしいという思いがあって原告になりました。最初は謝ってほしいという憤りから裁判を始めたんですけど、最近は、私たちのように原発事故、他の被災でも同じですが、酷い目にあった人間がちゃんと暮らしていけるように、つらい思いをしないように、私たちは闘っているんだなって思っています。そうだなって強く思うようになったのは、阪神淡路大震災で被災され、被災者生活支援法案のために頑張られた方にいつも励まされていて、私たち桃山に避難した者は赤十字から冷蔵庫とか電子レンジとか生活用品を一式贈られたんですが、それは阪神淡路大震災の時に頑張ってくれた人たちのお蔭でそういう支援を受けることができたんです。
 私たちも、次に何か原発事故や災害の時に私たちみたいにPTSDにならないように生活がすぐに再建できるように、権利をかちとっていかなければいけないと思います。
 最後に、これはおしどりマコさんの受け売りですが、「私の権利を守ることは、あなたの権利を守ること」という言葉を胸にこれから裁判を 闘っていきたいと思います。

◇T・Kさん
 仕事の関係もあって、本当に久しぶりの参加になります。コロナ対応の仕事をしていますが、コロナの感染状況が福島原発事故当時の状況に似たようなところもありまして、相談に来られた住民の方のお話を聞くたびにこちらが切なくなって、できる限りの支援を自分なりにして来たつもりです。
 皆さんには言ってなかったんですけど、2年前から福祉の勉強をしていました。子どもたちが二十歳を過ぎたので、今後の自分の行き方を考えて、早めにできることはしておきたいと思ってのことでした。みんなが仲良くしてくれて、避難者以外に京都の友だちができました。勉強してきたことを福祉の方で生かしていけたらなと思っています。
 今日の裁判を傍聴席から見させてもらって、国と東電の小さな声に「私たち勝ってるじゃん」って、何の根拠もないんですけど、勢いが違うなというのを感じました。今日また皆さんとお会いできたことで、「よしっ、また次のステップ、頑張ろう」という気になりました。
 子どもたちがお話しをするのを見て、頼もしいなって思いました。この子たちが居たから私たちは頑張って来れました。だから、これから声をあげていく子どもたちに大きな責任を負わせるようなことはしたくないので、みなさんも一緒に手伝ってもらえたら嬉しいです。

◇K・Kさん
 私の願いは、事故の責任を取って謝ってもらうことです。
 午前中は家でZOOMで聞いてましたが、(明智さんからの)「なんで支援してくれるのか」という質問に、梅谷さんが「困っている人を放っとけない」と言ったのを聞いて、やっぱ家で見てちゃいけないなと思って、出てきました。
 葛藤して大変な思いをして避難してきたので、入廷行動とか記者会見とか気が重いなと思い、ZOOMで参加しようと思っていたんですけど、来てよかったなと思います。梅谷さんや皆さん、支援してくださる方は本当にありがたいなって思いました。

 このあと予定していた報告集会は時間がなくなり、会場およびZOOMで参加頂いている他訴訟の原告などから連帯の挨拶を受け、閉会しました。記者会見・報告集会には会場約60名、リモート約30名の参加がありました。

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●お話し会・意見陳述・記者会見の感想

 たくさん感想を寄せてもらいました。 いくつか紹介します。

◆若者のお話し会について

・途中からの参加でしたが、お二人とも事故からしっかりとして意志をもって生きてこられたことに感銘を受けました。
・お二人のお話が心にのこりました。当たり前に暮らしていた日常が奪われてしまうことが本当に理不尽だと思います。

◆原告の意見陳述について

・川崎さんの意見陳述が本当に素晴らしかったと思います。現実の数値にも触れ、国連の勧告、柏崎刈羽原発がチェルノブイリより大きな出力など、裁判官の心にも響いたのではないでしょうか。
・原告の意見陳述は、放射線量の基準値を上回る実態をあげ、市の広報誌で安全を主張していた国、東電に痛撃を与えてくれた。理性的に裁判所に訴えるとともに、家族と分かれての避難の心痛もしっかりと伝えた道理ある主張に、心から拍手を送ります。
・原告の意見陳述に、避難の影響、特に子どもさんたちの子育てに関われなかったことへの無念さは、「原発事故さえなければ!」というだけでなく、補償してもらいようのないことであり、国や東電が起こした罪の大きさをもっと感じてほしいと思う深い陳述でした。

       

◆記者会見について

・竹沢先生の解説がわかりやすく資料の理解が進みました。原告の皆さんのお話に、とても心が動かされました。
・PTSDが社会的孤立、援助の無さでより悪くなることが知れて良かったです。
・コロナ禍のため、久々に参加しました。原告のみなさんの年たっても続くつらい思い、怒りが聞け、支援する思いをあらたにしました。子どもだった方々にしっかりと受け継がれていることにも感動しました。
・3.11という日、みんなで励まし合える集りになったのは、大変大きな節目の機会になったのではないでしょうか。原告のお話に、私も涙しました。
・毎回、原告団の方々が一人ひとり語られるのが本当にすごいなあと思います。
・原告のみなさんそれぞれの思いを込めた発言に感激しています。ZOOMで全国の訴訟団をつないで、各訴訟団から報告・発言される企画がとてもいいです。
・若い人たちの話はとても良かったです。自分も同じくらいの娘がいるのでとても力強いと感心しました。

◆原告への激励メッセージ

・京都地裁の傍聴に参加していましたが、高裁の傍聴には参加できていません。今日、お話しを伺えてよかったです。
・コロナ感染がなかなか収まらない大阪の住民なので、行かない方がいいのかなと迷いながら来ました。直接お話しが聞けてよかったです。
・原告さん同士がとても仲良く一緒にいてとても気分が良かったです。応援しています。
・11年たってもぽっかり穴の空いた気持ち、これからどう生きていくか…という思いをしっかりと受け止め、最後まで、原発のない日本になるまで頑張ります。

◆「公正な判決を求める署名」はまだまだ続けます!
 大阪高裁に第2次署名を提出した翌日の3月12日、京都の円山音楽堂で「バイバイ原発きょうと」が開催されました。原告団が壇上から訴えることになっていたため、支援する会事務局メンバーで入り口前で1人用署名(裁判官宛ての一言メッセージ欄があるもの)を配布しました。原告団の訴えの番になり、萩原さんが今でも続く避難生活に伴う困難について語ったあと小林さんが入り口で配布した署名用紙を出口で回収するのでぜひ協力してほしいと訴えました。
 その結果、200枚近い署名用紙が集まりました。

       

 「公正な判決を求める署名」は結審まで取り組み、期日ごとに大阪高裁に提出します。署名用紙は当会のウェブサイトからダウンロードすることができます。
 ぜひ、ご協力ください。

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●控訴審も大詰め、傍聴と署名集中を!

◆損害立証の現状と課題  
  井関佳法弁護士
  控訴審も大詰めを迎えます。京都訴訟の損害立証について、これまでに出来たこととこれからの課題について考えてみたいと思います。

 1 陳述書と本人尋問
 京都地裁では、全世帯が詳細な陳述書を作成提出し、全世帯の原告本人尋問をやり切りました。生の被害事実こそ損害立証の基本です。原告の経験した生の事実、生の声を裁判所に届けることができました。

 2 学者意見書
 大阪高裁では学者意見書を提出しました。(1)辻内意見書は、毎年大規模に実施された、PTSD症状を測れるIES‐Rテストを組み込んだ被災者対象アンケート調査結果から、原発避難者のストレス度と要因を明らかにしました。(2)竹沢陳述書分析意見書は、京都訴訟の全原告の陳述書を分析し、原告の被害実態と要因を明らかにしました。(3)竹沢IES‐Rアンケート意見書は、原告全員を対象に実施されたIES‐Rテストを組み込んだアンケート調査結果から、京都訴訟の原告のストレス度と要因を明らかしました。原発避難者・京都訴訟原告の抱える事情は多様ですが、共通する被害の特徴と、深刻さを数値で示して、被害を「見える化」しました。区域外のストレス度が区域内とそん色ないことも明らかになりました。
 3 残された課題
 さて先日、高松高裁判決勉強会で、裁判官が途中から俄然やる気になり、その契機はある原告の意見陳述だったと報告がありました。低い水準の判決が続いている中で、被害に向き合い、被害に見合った判決を書いてもらうためには、裁判官の心を揺り動かすことが必要です。高松訴訟の経験は、とても大切なことを教えてくれました。
 意見書は、被害は深刻で長引いていること、低い賠償水準は被害実態に見合わないことを明らかにしています。あとは、裁判官に被害に見合った判決を書こうと決断してもらうことです。そのためには、満員の傍聴であり、多くの署名であり、そして再度、原告自身の声を届けることだと思います。3月11日の川崎さんの意見陳述、私も胸を打たれました。裁判官にも伝わったはずだと思います。原告・弁護団・支援者の力でやり切りましょう。


◆世論集めて裁判所へ
  共同代表・橋本宏一さん(国民救援会京都府本部事務局長)

 原発事故、大阪高裁での私たちの裁判は、いよいよ終盤戦の大変重要な局面にさしかかりますが、私の所属している国民救援会が支援している裁判事件で今年になって出された判決や決定から裁判所の姿勢を考えてみたいと思います。
    
 1月、名古屋地裁は白龍町マンション暴行でっち上げ事件国賠訴訟で、無罪判決が確定してからも捜査機関がデータベースでDNAや指紋、顔写真を保存しているのを違法と断じ、抹消を命じる判決を出しました。しかし、暴行事件に仕立てた捜査自体の違法、および携帯電話のデータの抹消は認めませんでした。

 2月には、乳腺外科医冤罪事件で最高裁が、東京高裁の有罪判決を破棄し審理を高裁にさし戻す判決を出しました。東京地裁では外科医師のわいせつ行為を証明する証拠もないと極めて明快な判断でしたが、高裁では科捜研の証拠能力を認めて一転有罪としたものでした。弁護団がこれを厳しく批判、審理は地裁で十分尽くされて無罪となった、何故無罪判決としないのか、いまさら何を審理せよというのか、と怒るのは当然です。また岐阜地裁は、大垣市民監視違憲訴訟で、警察の個人情報提供を断罪し賠償を命ずる判決を出しました。一方、公安警察の監視と情報収集、集積の違法性は認めず、個人情報の抹消請求は棄却しました。

 3月には、名古屋高裁が、再審を求めていた名張毒ぶどう酒事件で異議申し立てを棄却する不当決定を出しました。毒物の混入したぶどう酒を呑んだ5人が死亡した事件ですが、そのぶどう酒のビンの蓋の封緘紙は工業用の糊と家庭用の糊と二種類が検出されたことを鑑定で明らかにした新証拠を提出したのですが、完璧な証明ではないという、刑事裁判の原則にも反する不当決定でした。また、同じ3月、大阪地裁は東住吉冤罪国賠事件で、青木恵子さんを放火犯に仕立てた警察の違法捜査を断罪しながら検察の捜査は違法とまでいえないと免罪する判決を出しました。

 これらの判決、決定に通底しているのは、検察など権力を行使する側に極めて甘い態度を示していることです。ですから、私たちの裁判でも、東電や国という権力を相手にしている裁判においても、裁判官の意識のなかにそういう予断がないとはいえません。その予断を排し真に公正な立場に立たせるのが世論の声だと思います。見える形で裁判官を激励するのが署名や傍聴です。終盤戦おおいにがんばりましょう。

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●避難者の住いの権利裁判広がる

 国と東電の加害責任を追及する原発賠償訴訟とは別に、2017年3月末での無償住宅提供打ち切り、2019年3月末での「激変緩和」措置終了後も行き先が決まらず、東京都などの国家公務員宿舎に居住し続けている避難者に住いの権利裁判が広がっています。

◆福島県に損害賠償請求

 3月日、国家公務員宿舎から退去できず、福島県から家賃2倍請求されてきた区域外避難者人が、精神的苦痛に対する損害賠償を求めて東京地裁に集団提訴しました。

 経過を述べると長くなるので、弁護団長の井戸謙一弁護士の言葉を借りますが、「2017年3月末で住宅提供を打ち切られたあと、泣く泣く福島に帰還した人もかなりおられます。帰還できない人は公営住宅に入るか、自分で民間の住宅に移るか、それとも、そこに居座るかしか選択肢がありません。原告のほとんどの方は公営住宅に入る資格すらなく、資格がある方もいくら申し込んでも当たらない。東京や埼玉で民間の住宅に移るといっても、経済力がなければどうしようもありません。国家公務員宿舎に住み続けるしかないのです」。
 そういう人たちに対して福島県はセーフティネット契約(有料で2年間に限り住んでもいい)を提案しました。行く宛のない避難者たちはその契約に応じるしかありませんでした。

 2年経った2019年4月以降、福島県は原告らを「不法占拠者」とみなし、住宅からの退去を求めると同時に損害金として毎月家賃の2倍を払えと催促し、原告らを追いつめました。
 柳原敏夫弁護士は、裁判の争点について「内堀知事の区域外避難者への住宅提供打ち切り決定がいかに避難者の居住権を脅かす人権侵害だったか。…この裁判では、福島県知事の決定、裁量権の行使が適切だったのかを真正面から問う裁判にしたい」と述べています。

       

◆早期結審の動きを跳ね返す

 3月25日、福島県から住宅の明け渡しを請求され、逆に福島県を提訴した原発避難者追い出し裁判の第6回弁論が福島地裁で開かれました。これまで裁判長は実質審理にはいることなく早期結審を示唆していましたが、この日、4月26日に予定されていた弁論を取り消し、福島県には5月までに被告(避難者)の準備書面に対する賛否反論を行なうよう求め、第7回弁論を5月24日に開くことを決めました。

 「原発避難者の住宅追い出しを許さない会」(代表・熊本美彌子さん)の報告によると、早期結審を跳ね返した要因には、①緊急オンライン署名〈福島原発事故による避難者の生存権・居住権を守るため真相解明の道を閉ざさない徹底審理を求めます〉が目標の500人を超える830人を集め、この裁判が社会的に注目されていることを示したこと、②法廷内では国際人権法を軸とした準備書面を作成し、国際法上認められた避難者の居住権について「それは被告の全く独自な解釈」とする福島県の主張を全面的に批判した申ヘボン・青山学院大学法学部教授(国際人権法の権威)の意見書を提出し、申教授を含む6人の証人を申請したこと、があるといいます。
 
 さらに、この間の法廷でのやり取りの過程で、「住宅追い出し」の争点が明らかになりました。それは、災害救助法による無償貸与の適用を受け、合法的に居住していた避難者がなぜ「不法占拠者」の烙印を押され、住いを追い出されなければならなくなったのか、という問題です。当初は一切の主張を避けてきた福島県は2月22日になって、初めて証拠説明書を出してきました。その中で、2015年6月15日の〝新生ふくしま復興推進本部会議〟(議長・内堀知事)で、2017年3月末で無償提供を打ち切ることを決定されたことが明らかになりました。

 被告(避難者)側は、この政策決定の違法性(生存権・居住権に対する人権侵害)を追及していくことになりますが、そのために「許さない会」では、当事者である内堀知事の証人喚問の実現を求める第二次緊急オンライン署名に取り組むことにしています。

 この2つの「避難者の住いの権利裁判」に注目し、ぜひ、ご支援をお願いします。

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 原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会
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