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★ 「原告と共に」No35 2021年4月発行 

● コンテンツ

● 控訴審第9回期日は抽選に! 原告2人が意見陳述

 3月18日、原発賠償京都訴訟の控訴審第9回口頭弁論が開かれました。
 緊急事態宣言が解除されたとはいえ、変異ウイルスが増加している中で、「ぜひ傍聴に来てください」という宣伝を控え、抽選になることはあまり期待をしていませんでした。ところが、雲一つない晴天と暖かい気温に誘われたのか、傍聴席35席に対して43名が並ぶという予想外の事態となり、スタッフを含め8名が模擬法廷に回ることになりました。今回出廷した原告は、福島県への帰還者を含め7名でした。
 法廷では、原告を代表して福島敦子さんと萩原ゆきみさんが意見陳述を行ない、そのあと、原告側の3つのプレゼンが行なわれました。

 3月26日には福島地裁いわき支部で、いわき市民訴訟の判決が出ました。判決は、2002年に地震本部が公表した「津波評価」に基づき、国は2009年8月頃までに津波の到来を予見できたと認定。日本原電が約1年半で建屋の水密化工事をしたことを引き合いに出し、規制権限のある国が東電に安全対策を取らせなかったのは違法と判断した。

 これで、国の責任について、地裁段階では8勝7敗、高裁段階では2勝1敗となりました。
 この流れを定着させるために、京都訴訟も頑張っていきますので、ご支援をお願いします。

● 原告意見陳述  原告団共同代表 福島敦子さん

 国と東電は、福島第1原子力発電所の放射性物質流出事故発災から10年経っても謝罪せず、責任を取ることも正しい情報を国民へ開示することもありません。
 水は清き故郷が放射性物質に汚染されたままならば、私は死ぬまで避難者であり続け、福島県と近隣都県に住まう人々の人権の蹂躙は続いていく、ということを陳述します。
 
 2011年4月2日早朝、会津から京都府のシャトルバスに乗せてもらい府庁へ着いた時はもうすっかり夜になっていました。まだ大きく見えるランドセルを背負ってバスから降りる娘2人と、衣類を詰めたゴミ袋を両手に提げ長靴を履いていた私、福島市から来たという単身の女性と浪江町から避難してきた男性の5名はカメラのフラッシュの中、庁舎内へと入っていきました。

 私と娘にとっての京都は、3つ目の避難先でした。庁舎内ではすぐに、「スクリーニング済証」を係の人へ提示し、外部被ばくがない事を証明しなければなりませんでした。
 
 翌日私たち親子が宿泊したのは、京都府が掛け合い好意で泊めさせていただいた三条河原町にある旅館でした。府庁からタクシーで旅館へ向かう間に私の目に飛び込んできたのは、被災地で目の当たりにしてきた灰色に染まったような街の風景とは違い、春の風を感じて軽やかに行き交うパステルカラーの洋服に身を包む人々の姿でした。

 旅館に着いてからも特に外に出ることもなく、窓から震災があったことなどみじんも感じさせない街を見下ろし、長時間取り残されたように感じていました。寂しく、悲しくもあり、もどかしい感情が沸き上がりました。その時、にぎやかしい音が聞こえてきました。「原発を止めろ」と叫ぶ短いながらも活気に満ちたデモ隊でした。ベビーカーを牽く女性の姿もありました。
 私は励まされているような気がして涙が止まりませんでした。
 
 国は、放射性物質の流出事故発災からすぐに住民を放射円状に区域分けして「避難」させました。これにより、道路を挟んで補償金がもらえるかもらえないかと住民が「分断」されていきました。この「分断」は、区域内にとどまらず、後に自主的避難者とよばれる区域外避難者、区域外避難者でも中間指針で認められるエリアの避難者とそれ以外の避難者、福島県内の避難者と県外の避難者、避難者と在住者と複雑に絡み合っていきました。

 家族の中においてでさえ、避難するかしないかのいさかいの後に離婚するほど深刻になりました。家庭内での被ばくに対する認識の違いにより、理解ある大人が身近にいない子どもたちの発言権は当然のように奪われ福島県内の子どもたちは県外への保養すらままならない状況になりました。自主的避難者の中には、「ただ不安で逃げた」と被告国と東電、親せきや近所の方などから言われ傷ついた人がたくさんいます。

 自主的避難者が後ろ髪惹かれながら後にした町のほとんどは放射性物質が降った以外何も変わっていません。そこから避難し、生活の困難さも加わり「本当に避難してよかったのか」と自責の念に駆られ続けました。2015年を境に避難者へ無償提供されていた住宅は段階的な打ち切りになり、打ち解けることができた避難者たちがまたばらばらに引っ越していきました。そして自ら原発事故で被災した話をしなくなっていきました。
 
 去年、福島県大熊町では、税金20億円をかけて「いちごの栽培施設」がオープンしました。町に戻った人は2020年時点でたったの100人程度。国と福島県は、帰還するかわからない不確定の人のための手厚い公共事業を行いました。いまだに放射線量の高い地域で、被ばく防護の保証もされない住民が栽培したいちごは売れているでしょうか。「復興」のために一生懸命にいちごを栽培する農家さんがいて、万が一、この事業が軌道に乗らなかった場合、国はこう言うでしょう。「風評被害だ」と。
 
 こうして国と東電は、一部の住民に「金」をばらまき、分断させて、だまらせようとしました。自主的避難者に、「国益を害する存在だ」として、非国民のように糾弾し、だまらせようとしました。帰還した人々や在住者に対し、がんばれがんばれと「復興」という苦役を強いて責任を転嫁させ気力、体力を奪いだまらせようとしました。そして先の期日で東電は、原告番号18番に対し、「賠償金を払いすぎた」と言って、賠償金をまだ受け取れていない原告と18番の間に溝を作るべく恣意的なプレゼンを行いました。

 これまでの公害訴訟でも何度となく繰り返された「分断と被害者解体工作」を今回まんまと裁判長の前で披露され、私の心身は大きく震えました。
 
 私たち原告団の半数超がPTSD傾向にあるということは、裁判長はご存じでしょう。
 特に子どもたちの心身は長期的なケアが必要です。この原告団共同代表である私でさえ、心療内科へ行くほどの先の見えない10年を過ごしてきました。
 
 被告である国と東電に一日も早く責任を認めさせ、原発事故収束へ向けた具体的施策の転換を求めてください。何人も被ばくしない権利を守ってください。日本のみならず世界の住民がこの原発事故の被害から救済されるよう、安心して生活できるように判断下さいますように心よりお願い申し上げます。
 
 最後に、裁判長。裁判長の命と私たち原告一人一人の命と向き合い、被告である国と東電を断罪してくださるよう切にお願い申し上げ、私の意見陳述を終わります。

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 ●原告意見陳述 原告団共同代表 萩原ゆきみさん

 
私は事故が起こったとき、郡山市にいて、夫と幼い娘二人と生活していました。私は原発については何も知らない、普通の主婦でしたから、原発事故が起こっても、その重大性はほとんど分かりませんでした。しかし大阪に住む妹夫婦が原発が危ないことを知らせてくれました。私は、夫にもそのことを伝えたのですが、当初、夫は「おおげさだよ」と言っていました。
 
 12日には原発の最初の爆発がありましたが、私には、何が起きているのか理解できず、言い知れぬ大きな不安だけがありました。
 14日のことですが、私は食料の買い出しの行列に外で3時間以上並びましたが、何も買えませんでした。
 そうやって、買い出しの列に並んでいるときに、1週間以内に本震と同じくらいの大きさの余震がかなり高い確率で来るという話しを、同じ行列に並んでいる人から聞きました。
 
 郡山市は中通りですから、津波被害はないのですが、原発がこれ以上何か被害を受ければ、私たちにも命の危険がせまると思いました。
 私は、とても恐怖を感じ、そのことを夫に言うと、夫が「母子で避難する?」と言ってくれたのです。
 私は、夫に大変申し訳ない気持ちでしたが、原発事故が怖かったので、その日のうちに夫に福島空港まで送ってもらいました。
 
 しかし、チケットがとれなかったので、私と娘二人は、その晩を福島空港で過ごすことになりました。
 夫とは、これが今生の別れになるかもしれないと本気で思いましたし、その不安な気持ちは、夫が2年後に京都に避難してきてくれるまでずっと続いていました。
 
 福島空港に行って、初めて、私はマスクをしないと放射性物質を吸って危ないのだということを周りの人たちから教えてもらいました。
 子どもにすぐ着けさせましたが、二人ともまだ年も幼く、注意してもすぐにマスクをとってしまいます。
 私は、子どもがマスクを外す度に、二人の命がどうなるのかと怯えていました。
 
 翌15日、ようやく飛行機に乗り、大阪空港に降り立った時は、命が助かったのだと心底思うと同時に、これから先いつまで避難生活を続けなくてはならないのか、夫と再び一緒に暮らせる日が来るのだろうかと、安心と不安が入り混じった複雑な気持ちでいっぱいでした。
 私は、今でこそ被ばくの恐ろしさを多くの人から学んだり、自分で調べたりしてよく理解しているつもりですが、平成23年当時は、まったく普通の人と同じ程度だったと思います。つまり、被ばくの恐ろしさは、ほとんど知りませんでした。
 ですから、私が、当時感じた恐怖や絶望感は、みな同じだったと思います。
 
 ところが、前回の期日では、東電の代理人が郡山市のようなところの滞在者や避難者には、ほとんど損害はないのだと主張しているのを目の前で見て、耳を疑いました。
 人の命をなんだと思っているのですか。どうか陳述書を読み返してみてください。血の通った人間なら、そんなことが言えるはずもありません。
 
 先日、笑顔もあり一見お元気そうな、ある避難者さんにこんな質問をしてみました。
 「つぎの裁判で発言する内容を考えているのだけど、あなたにとってこの10年どんな10年だった?」
 その方は、「一言では語れないけど・・・本当に頑張った・・」とたった一言もらして、肩を震わせて泣いておられました。私には痛い程にその気持が伝わってきました。
 
 あの東京電力の弁護士さんは、ご自分と幼い家族が福島にいたとしたら、それでも本当に損害が無いと思うのでしょうか。
 私たち原告の陳述書を読めば、当時、福島から避難せざるを得なかった人たち、家族だけを避難させた人たちの気持ちは、一目瞭然です。
 
 そして、これは裁判をしている人だけが、特別に思っていることでも、経験したことでもありません。あの時、福島にいた人は、たとえ避難指示が出ていなくても、同じように苦しい時間を強いられたのです!
 だから、私たちは訴え続けなくてはならないのです。
 裁判官には、このことをよく分かって頂きたいです。

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● 原告側プレゼンの要約
  *事務局の責任でまとめました。
 
◆下山意見書に基づく主張 (森田浩輔弁護士)

・本書面では、一橋大学大学院の下山憲治教授(行政法)の意見書をもとに、原子力安全規制においては「事前警戒・予防」の観点から最新の科学・技術水準に即応した規制が求められ、典型的な警察規制のように「切迫性」は要件とされないことなどを主張する。

・民法では損害賠償責任の要件として、①故意・過失②権利侵害③損害発生の予見可能性④結果回避可能性等が要求されるが、本件では電気事業法40条(技術基準適合命令)に基づく経産大臣の規制権限の発動要件が問題になる。その発動要件とは、「事業用電気工作物が...技術基準に適合していないと認めるとき」であり、福島第一原発が「想定される自然現象(ここでは津波)により原子炉の安全性を損なうおそれがある場合」に当たる。

・本件の最大の争点は、長期評価の津波地震が「原子炉の安全性を損なうおそれのある」津波にあたるか否かである。下山意見書は、国が予見可能であったとすることは福島第一原発が技術基準に適合しておらず、適合命令を発する要件が充足されていたことを意味するとし、千葉地裁の2判決、名古屋地裁判決、山形判決の判断手法は適切ではないと批判する。

・従来の最高裁判例は「規制権限の不行使は、...その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるとき」は国賠法の違法となるというものだが、名古屋判決は、これに次の2つ―①公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反すること②当該公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認めうるような事情があること―の要件を付加し、国賠法の違法には2要件が必要とした。しかし、名古屋地裁が引用した最高裁判決は本件とは事実関係等が全く異なるものであり、規制権限不行使が争われた最高裁判決においては2要件には言及されておらず、不必要な判断定式である。

・また下山意見書は、原発は万が一の事故を防止するために最新の科学・技術水準に即応することが求められており、電気事業法の「技術基準適合」も事前警戒・予防を基本に解釈すべきである。つまり、警察規制は「危険がないのに誤って規制する」ことを避けるべきだが、原発は「危険があるのに誤って規制しない」ことを避ける必要があり、事前警戒・予防の考え方を徹底する必要がある。

・そのため、確立した科学的知見に限定せず、「生成途上の科学的知見」を踏まえて「抽象的危険の段階」でも規制措置を講じるべきで、危険の程度についても「危険の切迫性」を求めることは制度の趣旨に反し、「合理的疑い」がある段階で先取り的に措置を講じる必要がある。

・名古屋判決は、「抽象的な危険」に対しても「適時にかつ適切に」行使されなければならないとしながら、「予見可能性の程度」は高度なものではなく、敷地高を超える津波の到来は「切迫したものではなかった」ことを理由に、津波対策より地震対策を優先する判断は不合理とはいえないとした。これでは、事前警戒・予防の考え方に立つ原子力安全規制の趣旨・目的を達成できないし、住民の生命・身体の保護より東電の経済的利益を優先するものだ。

・名古屋判決は、国の広範な裁量などを理由に、技術基準適合命令を発しなかったことが著しく合理性を欠くとは認められないとしたが、下山意見書は、適合命令発動の要件が満たされる場合に権限不行使や権限行使の著しい遅延を許容するような裁量は原子力法制の趣旨からみて認められないとした。

・一方、どこまで具体的に防護措置を特定して命令を発する必要があるかについては、事前警戒・予防の特徴から可能な範囲で行なえばよく、被害発生を防止ないし低減するために有効と考えられる水密化等の措置を例示すれば十分と例示している。また、原告サイドが結果回避手段をある程度特定している場合には、被告サイドにその手段では回避不能であることを証明させ、それができない場合は結果回避可能と推認すべきと指摘している。

こうした下山意見書の考え方は十分参考にされるべきである。

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◆内部被ばくの危険性(高木野衣弁護士)

・本書面では、これまでに確認されている不溶性放射性物質の拡散状況とその危険性について説明し、ICRP(国際放射線防護委員会)が想定する内部被ばくリスクは過少評価であり、内部被ばくリスクは外部被ばくリスクとは独立して評価しなければならないこと、被告国が内部被ばくを軽視していることを批判する。

・事故後、各地で放出されたセシウム含有球状粒子(セシウムボール)が見つかっており、それが水に溶けない不溶性であり、イオン化せず土壌の鉱物粒子の表面に付着し、土壌や植物などを媒体に移動すること、中にはセシウムを含むケイ酸塩ガラス微粒子も見つかっており、放射能密度が非常に高いことなどが明らかになっている。

・不溶性の放射性微粒子は原発から230キロ離れた地域にまで拡散しており、原告らが事故前に居住していた地域にも拡散したものと考えられる。また、その放射性粒子は不溶性であるが故に、土壌や植物を媒介に環境中を移動し、長期間残存している可能性が高いといえる。

・再浮遊による二次汚染のリスクも指摘されている。広島大学放射線医科学研究所の大瀧らの研究で、土壌汚染濃度と空間線量率との間の相関関係は意外に低いことがわかった。帝京大学理工学部の飽本は、放射性降下物量は降水量が減少し季節風が強まる冬から春に増加し、逆に降下量が増加し季節風が弱まる夏から秋に減少することを明らかにした。放射性微粒子は、沈着と再浮遊を繰り返しながら原告らの元居住地の空間を循環し続けており、その吸引による被ばくのリスクは今なお存続している。

・そして、内部被ばくの怖いところは、強力な放射線を至近距離から細胞に照射する点にあるが、不溶性放射性微粒子が体内に入った場合、より長期に体内滞留し、不可逆的な影響が継続するという危険性がある。広島で被爆し53年後にがんと診断された者の切除組織からは放射線の飛跡が認められ、長崎で1945年に死亡した人の病理解剖肺の標本からは被爆後65年経った後でも残留放射能が検出され、多数のアルファ線の飛跡が認められた。放射線医学総合研究所の谷研究員らが事故直後の中央制御室で監視業務にあたり被ばく線量が高かった作業員の体内のセシウム量を測定した研究によると、ICRPの想定(800日で99・9%が排泄される)に反して1000日を超えてもセシウムは体内に残存して
いた。

・国が依拠するICRPは、イオン化した放射性物質が体全体を平均して被ばくさせ、半減期に従って体外に排出されることを想定しており、内部被ばく(とりわけ不溶性放射性微粒子による内部被ばく)を過小評価している。不溶性放射性微粒子は浮遊・沈着・再浮遊を繰り返して環境中に長期滞留するため、長期にわたって吸入の危険がある。いったん体内に取り込まれると局所的に被ばくさせるうえ、生物学的半減期を超えて体内にとどまり被ばくさせ続ける。このような特質は、空間線量に基づく外部被ばくの危険性とは独立して評価されなければならず、今なお避難せざるを得ないことを基礎づける一事情である。

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◆東電の主張への反論(白土哲也弁護士)

・東電は前回提出した準備書面で、避難指示等対象区域外の住民にはそもそも「法律上保護される利益」に対する違法な侵害などなかったと言い放った。そして、地域住民に対して精神的損害と生活費増加費用等の合算として支払った金員(大人の場合12万円)について、自主的避難等対象者に生じる可能性がある精神的苦痛を最大限に評価したものであると主張した。すでに支払った一部賠償金についてまで支払う必要がなかったという主張はこれまでになかったものであり、「自白の撤回」として訴訟上許されない。

・本書面では、①避難の社会的相当性は国内に共通して適用される法規範を中心に評価すべきであること②避難元が避難を決断するに足りるだけの汚染状況にあったこと③現実は原発事故前の状況まで復興しているとは言い得ないこと④すべての一審原告に避難の相当性が認められるべきことを明らかにする。

・国内法の規制には、公衆被ばく限度(1ミリシーベルト/年)、放射線管理区域(4万ベクレル/㎡)、クリアランスレベル(6500ベクレル/㎡)などがあり、いずれかの規制値を超える場合は、「容認不可」であり、避難には相当性が認められる。

・土壌汚染は、空間線量(外部被ばく)の原因となるだけでなく、土ぼこりを呼吸したり、食物を通じて摂取したり、また子どもが遊びの中で体内に取り込んだりして内部被ばくの原因になる。だから、人の生命

・身体への悪影響(被ばくリスク)を考えるに際しては、空間線量だけでなく、土壌の放射性物質の量の面からも規制されている。また公衆被ばく限度の評価は、環境省「放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料」が「対外から1ミリシーベルト、体内から1ミリシーベルトを受けたら、合わせて2ミリシーベルトの放射線を受けた、ということができます」と述べるように、人体が受ける放射線の影響は外部
被ばくだけと内部被ばくを合わせて評価しなければならない。原判決が、空間線量とは別に土壌汚染を考慮していないのは重大な誤りである。

・多くの一審原告らの避難元の土壌汚染はいずれも放射線管理区域あるいはクリアランスレベルを超えており(容認不可レベルであり)、避難の相当性は明らかだ。

・自主的避難等対象区域外からの避難原告のうち、福島県会津美里町・金山町、県北、北茨城市・つくば市、千葉県柏市・松戸市、栃木県大田原市はいずれも20ミリシーベルト/年を下回るが1ミリシーベルト/年を上回り、市町村による除染実施区域に指定された地域であり、避難の相当性を認めるべきである。

・これ以外に食品の出荷制限もあり、それは北は青森県、西は静岡県や長野県に及んでいる。海産物の出荷制限は昨年解除されたばかりだが、今年2月に福島県沖で獲れたクロソイから基準値を超える放射性物質が検出された。

・一審原告の多くが子育て世代であり、子どもの成育環境を守ることを避難の大きな動機としている。東電は、前回期日において学校の再開をさも平静を取り戻したかの如く示したが、内閣官房参与だった小佐古氏は、国が20ミリシーベルト/年を上限に校庭の利用を認めたことに抗議して辞職した際、「20ミリシーベルト/年の被ばくは、原発の放射線業務従事者でも極めて少ない。この数値を乳児、幼児、小学生に求めるのは受け入れがたい」と訴えた。

・本件事故とそれに起因する生活基盤の破壊は、今なお継続している。

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●記者会見の様子
 
 今回は、通常の報告集会ではなく、記者会見という形で設定しました。会場で参加したのが1社、オンラインで参加したのが4社、ジャーナリストが1名という状況でした。
 田辺弁護士の司会のもと、最初に川中弁護団長のあいさつ、田辺弁護士による京都訴訟の概要と現在の争点などの報告があった後、会場の原告7名とオンラインで1名が一人ずつ自分の思いを語りました。今回、一番参加者の胸を打ったのは、福島に帰還された原告Kさんの話でした。

 福島に住んでいると、裁判をしていることを回りに言えません。「避難した人」という括りに入っています。
 私は2011年に大阪に避難して、2012年から2015年まで京都にいました。商売をたたまざるを得なくなって避難しましたが、こちらの原告のみなさんは母子避難の方が多かったので孤立した気持ちになってしまって...。

 福島に戻って5年になりますが、戻ったら戻ったで、だいたいの人は暖かく迎えてくれたんですが、一部の人からは「落ち着いてから戻ってきた人はいいよね」みたいなことを言われたり、「私も避難したかった」という思いをぶつけられたり、地元の人を刺激する存在に自分がなっていることに苦しみました。

 福島にいなかった5年間の空白。もう一度自分の生活を立て直さなくちゃいけない大変さとか、福島に住み続けていた人たちは一歩一歩助け合って歩いてきたかも知れないけど、私は以前の信頼を取り戻さなくちゃいけなくて、それが本当に大変で。

 福島では、2月13日の地震で、また当時の恐怖や憤りを思い出す人がとても多くて、職場でもおとなしくて原発事故のことなんか言わなかった人が、「いやあ、原発どうなるかと思った」「福島の電気じゃないのに、なんでこんなに悩まなくちゃならないの」って、その人が言いました。「ああ、このおとなしい方もずっとそういう気持ちで福島で暮らしてきたんだね」って思いました。今とにかく、私のメンタルはぼろぼろで、苦しくてたまらない。悔しくて悔しくてたまらないです。

 一審で私に提示されている金額って20万円くらいです。10年で20万円でごまかすなよって。本当に苦しい10年だったんです。

 私が今日出て来られたのは、支援する皆さま方のカンパのお蔭です。支援者のみなさま、弁護士の先生方に感謝しています。そして闘い続けている、京都に住む原告の皆さんにも感謝しています。今後も福島に注目してください。

             +++++        ++++++         +++++

 Kさんの話は、避難したのち帰還された人たちが置かれている厳しい立場が本音で語られていて、感想アンケートに「胸を打たれた」「胸がつまった」と書かれた方が多く居ました。

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