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★ 「原告と共に」No34 2021年2月発行 

● コンテンツ

緊急事態宣言下の第8回期日  久々の空席もZOOMで交流!
 
 1月14日、原発賠償京都訴訟の控訴審第8回期日が大阪高裁で開催されました。
  前日に大阪・京都・兵庫に対して緊急事態宣言が発令された影響もあり、実際に大阪高裁で抽選券交付に並ばれた支援者(スタッフも含む)は27名。傍聴席36に達せず、全員傍聴となりました。遅れて来られた方もおられ、30名ほどが傍聴しました。原告の出廷も4名と過去最少で、今回は原告も支援者も少ないので入廷行進は行なわず、裁判所前で一緒に記念写真を撮ったあと、裁判所に入りました。

 今回は、事前にお知らせしたとおり、報告集会は取りやめましたが、別会場から模擬法廷として事前に録画したプレゼン動画をZOOM で配信しました。そちらは、現地に来られなかった京都訴訟の原告や関西訴訟、ひろしま訴訟の原告、研究者、支援者の方など約30名がZOOMで参加されて、プレゼン動画を見たあと、プレゼンの内容や現在の生活や思いなどについて交流を持ち、有意義な模擬法廷になりました。

  

 群馬控訴審判決


 1月21日、群馬訴訟の控訴審判決(東京高裁)が出ましたが、国の言い訳をそのまま採用し、国の責任を否認しました。一方で、東電には一審(前橋地裁)判決の約3倍の1億2千万円の支払いを命じました。しかし、この上積み分の大部分は避難指示区域内からの避難者に対するものです。

 区域外避難者が大半を占める京都訴訟では、何としても避難指示区域内外の格差を埋める判決をかちとっていかなければなりません。一層のご支援をお願いします。

 ◆控訴審の日程
 ・第 9回期日 3 月 18 日(木)
 ・第10回期日 6 月 17 日(木)

  いずれも14 時 3 0 分開廷(大阪高裁本庁舎 201 号法廷の予定) 

●原告メッセージ(福島さん)

 寒中お見舞い申し上げます。
 14日は混乱の折、期日の傍聴をしてくださいましたみなさま、支援してくださっているみなさまへ深くお礼申し上げます。原告番号18番です。
 原告側のプレゼン内容は2~3面に掲載されています。私は東電のプレゼンについて付記します。

 原告番号18番は、国・東電から控訴されている原告番号1番さんとともにこの法廷にて名指し(原告番号)で因縁じみた疑義を呈されました。内容は、賠償は返してほしいくらいしている(賠償額はほとんどが避難に要した実費)、当時の南相馬市には4万5千人の避難該当者がいたうち、ほぼ半数の2万人の避難しなかった人がいて(2011年3月25日時点で南相馬市人口は約7万人でしたが、1万人を切る人口しか残っていませんでした)、普通に生活していたし避難したのは特異的というものでした。

 「だまってたら、なかったことにされるぞ」という書を以前飛田晋秀写真展で観ましたが、「避難しなかったら味方にされちまうぞ」という新たな視点と、あの近距離で大変静かすぎる口調で「口」撃された今年1番の期日は、また心新たに、手綱を引き締めて闘わねばならないと思った次第です。実に、たまげました…。

 原発事故から10年。原発推進者という立場の方や、地元に残る方々とももちろん話すこともあります。しかし誰一人、国策と東電さんの利益のために放射線被ばくしてもいい!と言った人を見たことはありません。

 樋口元裁判官は言います。最後は、裁判官の心に響いた方が勝ちます、と。原告の受けた今も続く心身や生活を一変させた被害、苦しみ、落胆、もう忘れたいと思う葛藤…。どれだけ裁判官に届けることができるのか。正念場の一年が始まりました。本年もよろしくお願いします。

                                    原告団共同代表 福島敦子


◆ 年度内に判決を迎える訴訟日程 ◆
 2021年
  2月19日(金) 千葉第1陣訴訟 控訴審判決(東京高裁)
  3月 1日(月) 子ども脱被ばく訴訟判決(福島地裁)

●1/14控訴審第8回期日報告

 原告側のプレゼンは、3本でした。内容は以下のとおり。

◆中間指針は被害の実態を反映していない(井関弁護士)

 原発損害賠償紛争審査会(原賠審)は、原子力損害賠償の紛争について和解仲裁、及び自主的解決のための指針策定を目的に2011年4月11日に設置され、8月5日に中間指針(区域内避難者の賠償基準)を、12月6日には中間指針追補(「自主避難者」の賠償基準)を策定した。

 原賠審は、策定に向けて専門委員として各分野から74名を任命したが、被災者・被害者の精神的被害に関する専門家は1人も任命されなかった。その結果、精神的被害の調査・実態把握はされることなく、交通事故の自賠責基準を参考に慰謝料基準を算定したのである。

 区域内避難者の場合、第1期(最初の6か月)は月額10万円、第2期(次の6か月)は月額5万円、第3期(それ以降)は月額10万円と決められたが、第1期は「避難による不便の慰謝料」、第2期は「避難に慣れて不便が軽度になった」、第3期は「避難継続による将来に対する不安を加味した」と説明している。

 しかし、辻内意見書、成(ソン)意見書、竹沢他意見書によれば、原発事故被災者・避難者のストレス度は、避難による不便や将来への不安だけでなく、被ばくに対する不安、失業や経済的困窮、差別やいじめ、ふるさと喪失、相談できるつながりの喪失なども原因となっており、中間指針はこれらの要因が反映されていない。

 「自主避難者」については、精神的被害実態だけでなく、経済的財産的被害実態についても調査も把握もされないまま、賠償基準が策定された。その慰謝料は妊婦・子ども以外の大人は事故発生当初について8万円とされ、これは「正しい情報が行き渡っていない間の被ばくの不安・恐怖」に対する慰謝料と説明されている。

 しかし、上記意見書によれば、区域外避難者のストレス度は、区域内避難者のそれと遜色なく、ストレスの原因も区域内避難者と基本的に異なるところはない。

 以上のとおり、中間指針は被害実態を踏まえておらず、特に区域外避難者については被害実態と著しく乖離した低い水準となっている。中間指針に拠って慰謝料水準を考えるのではなく、被害実態を踏まえた慰謝料認定を強く求めたい。

 
◆因果関係・原判決の誤りについて(高木野衣弁護士)

 原(一審)判決は、避難の相当性について、低線量被ばくの場合であっても、避難者が放射線に対する恐怖や不安を抱き、その影響を避けるために避難し、それが一般人からみてもやむを得ないものであって社会通念上相当といえる場合は、因果関係が認められると述べている。
 社会通念に基づく規範的判断の根拠になるものはいろいろあるが、最も重要な要素は法規範である国内法である。

 わが国では原子炉等規制法や放射線障害防止法などで年間1ミリシーベルト(以下、mSv)を超える被ばくから公衆を徹底的に保護している。したがって、年間1mSvを超える被ばくを避けるために避難することは相当であるというべきである。

 しかし、原判決は、空間線量が年間1mSvを超える地域からの避難および避難継続の全てが相当であるとは言えないとした。その理由として、低線量被ばくに関する科学的知見が未解明であって、LNT(しきい値なし直線)モデルは科学的に実証されておらず、1mSvの被ばくによる健康影響が明らかでない等を挙げている。

 原判決は、科学を「疫学的に低線量被ばくの健康影響が観察されること」と取り違え、LNTモデル自体が科学的な判断に基づいて認められていることを見落としている。

 人体の各細胞にはその細胞の設計図ともいうべきDNAが収められている。DNAは2本の鎖から成っているが、2本の鎖とも切断されると修復エラーが生じ、細胞に突然変異や染色体異常、細胞死が生じる。こうした細胞損傷のメカニズムからして、放射線リスクにしきい値がないことは正しいと言われている。

 このことは動物実験などからも裏付けられており、ICRP勧告は、放射線による遺伝子および染色体の突然変異の誘発について「関連データの大半は、線量と影響の間の単純な関係に適合する」「(データは)数十ミリグレイの線量まで直線性を示唆しており、数ミリグレイまでの低い線量域でこの単純な比例関係から外れることを示唆するよい理由はない」などと説明している。

 原爆被爆者の死亡率に関する研究(LSS)の13報(2003年公表)では「固形がんの過剰相対リスクは、0~150mSvの線量範囲においても線量に関して線形であるようだ」とされていたが、14報(2012年公表)では「定型的な線量閾値解析では閾値(いきち)は示されず、ゼロ線量が最良の閾値推定値であった」と断定するに至っている。

 被告側の証人であった佐々木氏(元ICRP委員)も、「LNTをサポートするような研究成果は、実はいろいろある」とし、「ICRPがLNTモデルを放射線防護の体系に採用することは、科学的にもっともらしい」「それなりの正当性がある」と認めている。

 ICRPは、1990年勧告において「年実効線量限度1mSv」を勧告し、その意味を「これを超えれば、個人に対する影響は容認不可と広くみなされるようなレベルの線量」と述べており、ここに勧告の核心がある。

 日本でも、ICRPが勧告した公衆被ばく線量限度を国内法に導入したのだから、本件事故発生当時において「年間1mSvを超えれば個人に対する影響は容認不可」とされる社会的合意ないし社会規範があったといえる。被災地の住民だけが、容認不可とされる被ばくを強いられるべき理由はどこにもない。社会的に許容できない被ばくを回避する行動(避難)は社会的にみて相当ないし合理的な行為である。

 
◆健康に対する権利侵害を考慮すべき(清洲真理弁護士)

 放射線防護法制によって確立されている健康に対する権利への侵害があり、社会権規約(以下、A規約)に基づく健康に対する権利への侵害が考慮されるべきである。

 健康に対する権利は社会権規約(A規約)12条、子どもの権利条約24条等により、国際人権に基礎を置くものであり、日本は締約国として無差別・平等の取り扱いをすべき義務および後退的措置をとってはならない義務を負っている。

 公衆被ばく線量限度は、炉規法、電気事業法、放射性同位元素等規制法(RI法)によって厳格に担保されている。これら放射線防護法制は、健康に対する権利の基準となる。

 炉規法、RI法は「原子力基本法の精神にのっとる」と明記しているが、原子力基本法は「確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康および財産の保護、環境の保全ならびに我が国の安全保障に資することを目的」とすると規定している。電気事業法の目的は「公共の安全を確保し、および環境の保全を図ること」とされており、健康に対する権利には環境権も含まれる。

 年間1mSvという公衆被ばく線量限度が国内法に取り込まれたのは、ICRP1990年勧告を放射線審議会が審議した結果だが、同審議会の設置根拠法である「放射線障害防止の技術的基準に関する法律」は「一般国民の受ける放射線の線量をこれらの者に障害を及ぼすおそれのない線量以下とすること」を基本方針としている。

 原判決は、ICRP勧告は「1mSvを超える被ばくが個人に健康影響を与えるという理由で線量限度を設けているわけではない」と判示しているが、間違いである。公衆の被ばく線量限度を超える被ばくは「障害を及ぼすおそれのある線量」であり、それが「個人に健康影響を与える」から問題なのではなく、それは国民の健康という観点から法的に許容されないのである。

 A規約には、健康に対する権利について「到達可能な最高水準」とされている。年1mSvという公衆被ばく線量限度は「到達可能な最高水準」の健康についての一つの基準を示したものと考えられる。
 被告・国は、塩見訴訟最高裁判決を引用して、A規約はその実現について積極的に政策を推進すべき政治的責任を宣明したものであって、個人に対し即時に具体的権利を付与すべきことを定めたものではないと主張している。

 しかし、塩見事件での国民年金裁定却下処分は、A規約が国内で効力を生じる前の時点でなされたものだった。また、同最高裁判決で問題となったのは障害福祉年金制度に関するものであり、立法府の裁量が大きいと考えられる。本件の健康に対する権利は、国内法で確立しているものであり、立法裁量が問題になる余地はない。

 A規約の規定や内容が法律や憲法の解釈に反映されるべきことを認めた高裁判決もあり、A規約が裁判規範性を有し、A規約に基づく健康に対する権利への侵害が考慮されるべきことは明らかである。

 そのあと、被告・国も責任論についてプレゼンしましたが、ほとんどがこれまでの主張の繰り返しで、9月30日の生業訴訟控訴審判決(仙台高裁)で退けられたことばかりでした。

 被告・東電は50分も使って、中間指針については区域ごとに最も損害が大きい方に合わせて賠償額を設定したので、大多数の被害者は救済されるはずだと主張。自主的避難等対象区域については、当時の新聞記事を示しながら、どこそこの自治体は安全だと言っていたとか、大半の人は避難せずに生活し続けたなど、あたかも避難する必要もないのに勝手に避難したと印象づけるようなことを喋り続けました。
 そして、裁判官に対しては、個別には実際の損害以上に払っている人もいるので、その点を考慮してほしいと訴えました。

 これに対し、田辺弁護士が発言を求め、東電代理人に2つの点について確認を求めました。1つは、口頭説明資料には「『中間指針等に定める賠償額=類型的に想定しうる最大限の賠償額』とするための仕組み」とか、「各項目で、大多数の被害者の被害を補填する高水準の賠償額が支払われるよう仕組みを構築」と記載されているが、この仕組みを構築した主体は誰なのか。

 もう1つは、「自主的避難等対象区域の住民の大多数について違法な権利侵害が発生していないと考えられる」というのは、誰の考えなのか。東電側の答は、いずれも「東電です」。

 田辺弁護士は、「これまでの主張と違う新たな主張ではないか」と追及し、裁判長が東電に対して「これまでに提出したどの書類のどこに書いてあるのかを整理して提出してください」と命じ、閉廷しました。

  

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●特集 原発事故10年 原告の思い

 東日本大震災・原発事故から丸10年になります。今回は、これまでの思いや10年目にして思うことなど、何でも自由に形式も問わずということで、原告の皆さんへ原稿を募集して書いていただきました。2回に分けて掲載します。
 
●無かったことにはしない(小林 雅子さん)

 昨日、1月17日は阪神淡路大震災が起こって26年目の日でした。私は、縁あって、2013年からほぼ毎年、神戸の東遊園地で開催される『1・17追悼のつどい』に参加しています。今年はコロナのため、紙灯籠作りのお手伝いだけに参加し、午前5時46分の追悼はZOOM参加しました。

 毎年思うのですが、阪神淡路大震災では(他の自然災害もそうですが)『震災があったことを忘れないようにしよう、震災の経験、記憶を語り継ごう、今後の教訓にしよう、記録を残そう』なのに原発事故は『記憶、記録、被害、教訓は「無かったことにしよう」』なんですよね。

 灯籠に書かれている言葉も『ありがとう、笑顔、愛、絆』などなんとなく前向きな言葉が多く並んでいるのですが、3・11で私が思い浮かべる言葉と言えば『怒り、怨み、悲しみ、分断、喪失』とネガティブワードばかりで、毎年灯籠をみながら、1・17と3・11(原発事故)を比べ、モヤモヤした気持ちになってしまいます。

 モヤモヤと同時に『原発事故の記録、記憶、被害、教訓を絶対に忘れないし、語り継ぐ!!』『国、東電、福島県がどんな酷い仕打ちをしたか後生に語り継ぐ!』『原発事故を無かったことにしない、させない』と毎年心に誓います。     

 1月17日と3月11日は、亡くなった方たちを追悼するのと同時に、私の気持ちを奮い起たせる日でもあるのです。 


●エビデンス(齋藤 夕香さん)

 3・11と言えば「東日本大震災」だが、この日は、私の母の誕生日だ。
 あの3・11の2日前、3月9日に、母にプレゼントを買って、通っていた国見の陶芸工房に作品を取りに行ったら、着いたとたんに揺れた。たまたまいた国見は震度4だったが、震源地でかなり揺れ、あの3・11の前震と言われている。

 丸10年が経とうとしているが、3・11が近くなると最近のことみたいに思い出して言葉にでてくるので改めて書こうと思う。

 地震だけじゃなくて、大きな津波もきて、原発も爆発した。
 その爆発によって「放射線量」とか「汚染」とか慣れない言葉を毎日のように聞かされた。
 知識もないし意味もわからなかったが、無視をするわけにはいかなかったのは、震災前と震災後の放射線量が明らかに違って、その数値が子どもたちの将来に影響するかもしれないと理解したからだ。

 そんなの専門家に任せたらとも思うし、今まで興味もなかったことに向き合っても今更だし、考えなければ生きやすいが、軽い気持ちで放射線管理区域について調べたことが、ここまで精神的に追い込まれるとは、夢にも思わなかった。

 私が住んでいた場所は、原発作業員が作業する場所と同等の放射線量なのに、避難指示もなく、管理もされない杜撰な状況のもとで、赤ちゃんまでも、普通に生活させられていた。
 せめてあの時、避難指示を出してくれていたら、ここまで追い込まれることはなかったのにと、何度思ったことか。
 私が生まれた頃から、既に日本には原発が当たり前に沢山あるが、私たちの地域は、原発を立地する説明なんて受けてないから、やっぱりどこか他人事でしかなかった。

 しかし線量を測り出せば、原発なんてあっちゃダメなことは言うまでもない。だからといって、もう原発はあるんだから受け入れて、世話をしていくしかないのかもしれないが、原発を誘致した人達は、これから生まれてくる子どもたちの命までは、なにも考えていなかったのかと思うと落胆する。
 
 当時、「直ちに影響はない」と言われてきたが、それは「後々影響があるのかもしれない」と言っているのと同じで、子育てしてる親からしたら正常でいられるわけがない。
 
 私には4人子どもがいた。
 3・11前は、何事もなく暮らしてた。
 でも、3・11の後は、そうじゃなくなっていた。
 津波はきてないし、家もあるけれど、ただ線量計の音が鳴り、数値を知ることで、心臓がおかしくなりそうな毎日を過ごしていた。

 知ったからには動くしかなく、やっとの思いで子どもたちを連れて福島から京都に避難したが、長女だけは親たちと留まった。家族の考えもバラバラだから仕方がないことだが、精神状態を保つのに必死だった。

 避難しても悔しい思いは続いた。
 長男がバイト先の居酒屋で、常連さんに避難したことを話したら「放射能浴びた顔してるな」と言われた。息子は笑いながらも、その言葉は俺は絶対に忘れないねと言っていた。
 避難が今の今まで続けてこれたのも、家族が理解してくれたからだとは思うが、本来はみんな、こんな思いをしなくてもよかったはずだ。

 原発を誘致してきた国や東電のおかげでバラバラにされた家族、ズタズタにされ傷付いた心、苦しみ、思いを、訴えている国民がしたためている言葉が山程ある。
 なによりそれが、原発事故被害のエビデンスだと言えると思う。

 
●私の10年(高木久美子さん)

 白髪とシワと老眼に格闘の日々。
 バスに乗ってたら妊婦に間違えられたこのお腹。
 若く見えたかしら?太ったからかな?。。。
 鏡の前で自問自答。
 20歳の次女は大爆笑。
 あの日から駆け足で過ぎたこの10年。
 我が姿をみて10年を知る。
 事故さえなければもっと若々しく歳をとってたはず!と。
 我が未来に期待して、若見えマスク作りに精をだす。


●ダイヤモンドダスト(井原 貞子さん)

 原発事故直後、夫と私の両親の四人で夫の故郷京都へ避難したものの、四年後父が他界し悲しみに打ちひしがれました。京都に住むのが私は初めてで、京都の言葉や表現に怯えながら仕事と介護と料理に明け暮れ自分の時間はなくなりました。家庭と親達は何より大切でありました。 

 さて原発事故で忘れられないのは、自宅から玄関を開けた時の眩い光景です。空から降るダイヤモンドダストのような光る粉塵。船引付近から避難した女性も同じものを見たそうです。後に原子炉内側の金属が爆発で粉塵と化したことを知り愕然としました。

 母は郡山に帰りました。固定電話で話すのがやっとの母の無事を今は祈るばかりです。


●つながる力を信じて(川﨑安弥子さん)

 全国各地の避難者とつながり日本政府を動かしたい。。。原発事故から丸10年を迎えるにあたり、何か能動的なことをしたいと考えていた矢先、原告有志で、国連勧告を活かすための本を作ろう!という話が持ち上がり、「これだ!」と飛び付いた。集まったメンバーは、年齢も住んでいる場所も多様で、クリスマスイブも!年末も!年明けも!Zoomミーティングを重ねてきた。完成まであと少し!
 
 日本政府の線引きによりズタズタに分断された被災者。グローバー勧告を活かすことができれば、再びつながることができるのではないか。日本政府が、原発事故に関する数々の勧告を無視し続けている現状を世間に知らしめ国際社会の土俵に上がらせるために、そして、全国各地に散らばった避難者が、地元に残る被災者が、自らの人権を守るために、訴訟やコミュニティで活用していただける本になってくれたら、、、と願っている。


●消えない喪失感(Y・Aさん)

 あの日からあっという間に10年が経つ。
 10年経っても何も解決していない。
 なのにあの日は人々から忘れ去られていく。
 私たちの心だけが取り残されたままだ。
 この10年、常に付きまとってきた喪失感はいつになったらなくなるのだろうか。


●郡山から京都に避難して10年経過して思うこと(井原 邦泰さん)

 私は、郡山に住む前は埼玉、栃木に住んでおりまして、郡山も合わせますと、30数年車での移動がメインの地域に住んでおりました。故に、余り歩くことがありませんでした。

 しかし、京都での生活は仕事に行くのも、街中へ出るのも、無料の駐車スペース等無いのが普通です。ですのでこちらに来てからは、毎日地下鉄、バスを使うようになり、住まいから駅までの他、1日に最低でも数キロは歩くようになりました。

 あのまま、郡山に住み続けているとあまり歩くことが無く、運動不足で心臓が早く弱っていたでしょう。
 日本の広範囲の土地と食品の放射能汚染は大変腹立たしく、汚染に気を付けないといけなくなったことは頭に来ております。

 しかし、京都に避難した結果、徒歩により健康が維持できるようになったことは、せめても良かったかなと思っております。


●薬膳料理との出会い(水田爽子さん)

 京都に避難に来て今年でもう9年目の冬を迎えることになりました。周りの人の支えがあって今まで頑張ってこられました。

 一昨年4月のある日の深夜、突然激しい回転性のめまいに襲われて、救急車で病院に運ばれました。子供が孤独と不安の中、夜中に避難者仲間のTさんに電話し助けを求めました。Tさんがすぐに病院に駆けつけてくれたので、とても心強かったです。そのあと、病院でいろいろと調べましたが、私の場合のめまいは、どうやら更年期のひとつの症状だったようです。そういえば、いつの間にか子供に背丈を抜かされた私は、目のかすみや肩凝りなど、「老化」を感じることが増えてきました。薬を飲む程でもない不調や薬を飲んでもなかなか治らない、繰り返す不調が多く、身体を根本から治したいと思いました。その為にどうしたら良いか色々調べる中で出会ったのが薬膳でした。

 一昨年8月から、子供が長期留学している間に薬膳を学び始め、昨年の2月に「和漢薬膳師」の資格を取りました。薬膳は3千年前に中国で生まれたものですが、医食同源の思想から初め、中医学の土台部分を学ぶことができました。「季節に合わせた食事を取る」「その人の体質・体調に合った食事を取る」という考え方を学び、なるほど理にかなっているなと思いました。学べば学ぶ程、面白い部分と難しい部分がありましたが、今は少しずつ毎日の食事作りに活かせています。

 また、避難者ママ達の笑顔つながろう会が開催した健康広場で、薬膳スープや薬膳デザートを作ってみたら大好評でした。昨年からはコロナ禍で食事提供等が出来なくなりましたが、「egao letter」通信の「ニコニコキッチン」コーナーで、学んだ薬膳の知識とアレンジしたレシピを皆さんに紹介しました。

 実際に薬膳で身体を整えて、軽くなったり治ったりした症状もあり、煩わしかったことが減ってきているので、これからも勉強を続け、得た知識で少しでも周りの人達が楽に元気に生活できるようになってくれたら嬉しいなと思います。

 今は、大変なご時世ですが、皆様が少しでも健康に過ごせるよう願っております。ずっと応援してくださる皆様には心から感謝しています。これからもよろしくお願い致します。

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