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・報告チラシ(表面)はこちら ・報告チラシ(裏面)はこちら ●12月19日 京都訴訟団として2枚目の最高裁要請行動を実施しました! 12月19日に実施した京都訴訟団の最高裁要請行動には、京都から原告8名、弁護士2名、支援者2名、福島から原告2名、東京から原告1名、支援者1名の計16名が参加しました。
集合場所の最高裁西門前には、千葉訴訟、かながわ訴訟、だまっちゃおれん愛知岐阜訴訟、関西訴訟、避難者住宅追い出し訴訟、住まいの権利裁判、6・17最高裁共同行動実行委員会などこれまで繋がりがある団体のほか、最高裁に上告中(係属先は未定)の東電株主代表訴訟からの参加もあり、前回を上回る50名規模でのアピール集会を行なうことができました。2回の6・17最高裁共同行動を経て共闘の輪が広がっているのを感じました。 京都訴訟が係属することが決まった第1小法廷には、先日係属が決まったあぶくま会訴訟を含め9訴訟が係属しています。最初のだまっちゃおれん愛知岐阜訴訟が上告してからすでに1年半が経過しており、そろそろ判断が示される可能性が高まっています。都内の労働組合から送られてきた最高裁宛て署名約7千筆がまだ未提出だったので、京都の署名と合わせて全国連として約1万筆の署名を最高裁に提出しました。 アピール集会では、原告が全員前に並び、一人ひとりが要請行動に参加した思いを語りました。応援に駆けつけてくれた方からもアピールを頂きましたが、いま関係者が注目しているのが避難者住宅追い出し裁判です。原告2人のうち1人について最高裁第2小法廷が上告を受理し来年1月9日に判決を言い渡すと通知してきたのです。上告を受理するということは避難者側に有利な判断が示されるのではないかと期待されています。 昼食休憩をはさみ、14時から最高裁の面談室に入り、田辺弁護士が現地には不参加の原告のものを含む要請文集を担当の町島・主席書記官補佐に手渡したあと、原告11名全員がそれぞれの要請文を読み上げる形で要請を行ないました。最後に、京都訴訟団が集めた3,209筆を含む全国連の署名10,545筆を提出して要請行動を終えました。 最高裁が判断を示す時期は迫っていると思われます。京都訴訟団は今後も他の訴訟団や全国連としての要請行動にも積極的に参加していきますので、最後までご支援をよろしくお願い致します。 ●京都訴訟団による第2回最高裁要請行動のスケジュール ・11:30 西門前に集合・12:00 最高裁前アピール行動開始 ① 「風になりたい」替歌 ② 弁護団から(田辺弁護士) ③ 参加原告から ④ 各訴訟・支援団体から ⑤ 支援する会スタッフから ⑥ 「風になりたい」替歌 ・13:00アピール行動終了 昼食休憩 ・13:50 集合 ・14:00 最高裁要請行動・署名提出(30分) 要請者 弁護団2名・京都原告11名・会スタッフ・各地支援 (合計17名) ・14:30 終了
●原告番号2-1 100ミリシーベルトは国が決めた安全基準ですが、決して人体にとって安全なものではありません。それなのに国は、年間20ミリシーベルトまでの地域は、避難区域を解除してしまいました。一度被爆して、その時に壊れたDNAが修復されていなければ、将来どんな健康影響が出るか分かりません。その為、私たちの体は、これ以上追加の被ばくをするわけにはいきません。被ばくに関する閾値はないのですから、除染したとは言え、原発事故前に比べると、とんでもなく高い土壌汚染の被災地に帰る事は出来ません。 チェルノブイリでは当然避難区域であったところが、日本では避難区域にされていません。チェルノブイリの原発事故を教訓にすると、私が住んでいた郡山市でさえ、避難希望者は避難してもいい地域です。それなのに国は、みなし仮設住宅である公営住宅の無償提供を打ち切りました。チェルノブイリでは沢山の健康被害が出ています。 国が原発事故の責任を認めて、市民の健康意識が高まるよう働きかけて行くことで、将来出るかもしれない健康影響を極力抑えていくことができます。それが被災者だけではなく、色々な意味で少なくとも、日本中の人々のためになります。 裁判官の皆様には、今まさに降りかかっているご自分の問題として捉えていただきたいです。日本の未来を世界の未来を真剣に考えて判決を出して下さいますよう心からお願いいたします。 ●原告番号2-4 私は小学3年生の時に被災しました。 当時9歳だった私は原発事故により避難を余儀なくされ、なんの前触れも無く幸せな生活が一変してしまいました。 突然の出来事だったので父は家族を養う為に1人、福島に残り仕事を続けなくてはいけなくなり、私は仲の良かった友達に何も告げる事も出来ずに引っ越すことになりました。 物心つく前からジャーマンシェパードという大型犬のラインと一緒に暮らしていました。しかし避難先は親族の家だったので大型犬を連れて行くことも出来ませんでした。父が私達が母子避難して2年後に京都市営住宅に避難して来ましたが、勿論、市営住宅は小さい団地なので愛犬を連れてくる事は出来ませんでした。 仕方なくラインを山奥に住んでいる祖父に預けました。それから数ヶ月後、悲しい知らせが届きました。最愛のラインが車に轢かれて亡くなってしまったのです。なぜそんな事になってしまったのか詳しい事は分かりません。でももしかすると、とても頭の良い子だったので「私達と離れ離れになった事が寂しくて会いに来ようとして事故に遭ってしまったのかもしれない」と、そう感じています。 事故から15年近く経った今でも時々夢に見ます。もしあの時事故が起きなければ、避難する必要がなければ、私は、私達は愛する家族を失わずに済んでいたでしょう。この悲しみは私達避難者の感じた苦しみのほんの一部です。避難により本当に数え切れない程の事が変わり、約束された安定した暮らしが、幸せが失われました。どうかお願いです。失わずに済んだはずの尊い命と幸せの事を考えて正しいご判断をお願いいたします。 ●原告番号6-2 原発事故当日、第一子を妊娠中でした。 胎児への影響を心配して、原発事故直前に椎間板ヘルニアの手術をして絶対安静の夫を連れて、埼玉県の親戚の家に避難しました。その後悩みに悩んで関西への自主避難を決めました。 夫と私の夢は、両家の両親の近くで子育てをしたい。 子供には、祖父母の愛情も沢山受けて成長してほしい。 ただそれだけのささやかな夢も、原発事故という突然起きた事故で叶わなくなってしまいました。 子供の健康被害を心配して、自主避難を続けてきました。が、独身時代から頑張ってきた仕事も辞めて、所有していた家や土地も諦め、何より家族や親戚達友人達とのかけがえのない大切な時間を失った14年間。心の中がいつも穴が空いたような、虚しい気持ちが消えません。 子供の健康に何かあれば、原発事故の影響かと今も不安や恐怖心が消えません。 原発事故が無かったら違った人生があったのではないかと今も思ってしまいます。 裁判の結果を聞いても、原発再稼働のニュースを聞いても、福島の原発事故は無かったかのように扱われてるのではないかと悲しさを感じます。 どれだけ先のことになるかわかりませんが、地面に降り注いだ放射性物質が消えたとしても、福島第一原発が収束されたとしても、人生を変えられた人々の人生があったこと、原発事故により亡くなられた人々がいたということ、原発事故により病気に苦しんだ人々がいたこと、その事実がある限り原発事故はなかったことに出来ないです。 どうか私達一人一人の声に耳を傾けて頂き、「無かったことにしない判決」をお願い致します。 ●原告番号7-1 震災当時のいわき市の私の家族構成は夫、私、子供二人、70歳の私の母親の5人家族でした。その後、私と子供二人は京都へ避難、私の母は秋田で一人避難生活、私達夫婦は離婚という最悪な事態になりました。 私は京都で母子家庭になり、必死に子育てと仕事を頑張りました。支援の方の導きもあり、12年福祉の仕事に従事し生活を頑張ってます。 長女は今年結婚し10月に女の子を出産しました。避難当時は福島や関東から避難した小さな子ども達の子守などをしているうちに、将来は幼稚園の先生になりたい夢を持ち願が叶いました。 次女は原発関連のせいで、中3から心の病にかかり、PTSDに今も苦しんでます。 現在も通院をしながら自宅療養し、好きな絵を書き、猫に癒されながら自分のペースで過ごしてます。 原発事故以降秋田に避難したままで離れて暮らしていた私の母は83歳。今年2月京都の私の自宅の近くへ転居してくれ介護サービスを受けながら一人暮らしを頑張ってます。14年ぶりにやっと私のそばに来てくれました。 こんな私達家族の現状を聞いてどう思われますか? もう、普通に暮らしているじゃないか!楽しんで暮らしているじゃないか!良かった良かったって思いますか? それは大間違いです。 私達家族はそれぞれの場所で生活環境を整え、経済的な事、学校、仕事、地域、0からのスタート。この14年を語るには何冊の本も書けるほどのどんなに努力してきたか、どんな事が起きたか想像できますか?理解してくれてますか? なぜ私達が避難しなくてはならなかったか? 原発事故が起きて、大量の放射性物質をばらまいたからですよね? それがどんな影響があるか?食べ物、空気、水、土、海も汚染され健康や命に影響するからですよね?誰だって避難するのは当然ですよね? しかし私達には避難指示も出さず自力の避難。 同じ福島県民同士で怒りの矛先は住民同士になる光景に耐えがたい気持ちを持ちました。 これまで放射性物質は危険なものとして扱われてきたのに、事故を起こした途端手のひらを返したように都合よい言い訳で、福島に住む人々や日本全国民を総被ばくですか? あんな甚大な被害を受けたままで私達は納得がいきませんし、親戚、友人等、住むことを選択せざるを得ない人たちの気持ちを考えると苦しくなります。 予見可能性、規制制限などの理由を付けて国に非がないと言えますか? 被害は明らかであり、東電と共に国策として原発を動かしてきたのですよ。 司法の正しい判断が被害者救済や全国民の健康被害をふやさずにできます。 国に責任があると判決をだせば日本の国策に絡む事になり大変な事態になるからでしょうか?多額の賠償金が動くからでしょうか? 福島第一原発事故を教訓とし二度と原発事故などあってはならず、原発に依存する社会はストップしてほしい。司法が国の過ちをこの裁判を通して示してほしい。 安全で安心して暮らせるためにも司法の勇気ある判決を望みます。 ●原告番号9 原発事故から14年、大阪高裁の不当判決から丸1年が経過しましたが、現時点でも原子力緊急事態宣言は解除されておらず、国際社会においても放射能による被害や健康不安は依然として続いています。 本来であれば、住民が健康不安なく暮らせるよう、正確な情報提供と適切な行政対応を行うのが国の責務であるはずです。 子どもたちの甲状腺がんは、事故後、既に通常の数百倍という極めて異常かつ深刻な発症数となっています。避難指示対象の区別なく、住民の健康を守る適切な対応がとられていたならば、このような発症率にはならなかったはずです。それでも、国に責任がないといえるのでしょうか。 当時高校生であった私の子どもたちも今や我が子を守る親の立場となりましたが、原発事故により抱いた喪失感や理不尽な思いは消えることはありません。 当時高校生だった次女は、高校3年生の夏に避難のため転校を余儀なくされ、「福島の高校を卒業したかった」という、願いが叶わなかった喪失感を30代となった今も持ち続けています。 また、当時中学生だった次男は、国と東電の誰も責任を取らない状況に憤りを抱き、「そのような前例を決して許してはいけない」と話します。 それぞれ守るべき子どもを抱える立場となり、この原発事故における国の責任を問わない裁判所の在り方について、強い憤りと深い失望を覚えるのと同時に、それでも司法に対する期待を諦めたくないとの思いを強くしています。 私自身は放射能に対する不安を拭い去ることはできません。だからこそ、次世代を生きる子どもたちには、そのような不安を抱かせることなく、安心して暮らせる未来を残したいと切に願っています。 最高裁判所は、人権の最後の砦です。裁判官の皆さんはそれを自覚し、2022年の判決の問題点を明確に是正し、大阪高裁の不当な判断を許すことなく、憲法と良心に基づき、公正で誠実な、未来に誇れる判断を下されることを、心より強く要請いたします。
●原告番号10-2 2011年3月_東日本大震災にて東京電力の福島第一原子力発電所で原子力事故が発生しました。私達は福島県福島市に住んでいましたが、政府からは「直ちに健康に影響を与えるレベルではない」を繰り返すだけで避難指示はなく、妻と子供は被爆という見えない、そして未知の恐怖から自分達を守るために、自主的に避難しました。その後、事故原因や事故範囲が徐々に明らかになるにつれ、自主避難への賠償、事故責任は不明瞭となり、私達は京都で集団訴訟を行いました。地方裁判を経て、高等裁判所の判決で、賠償は受け入れたたものの、国に事故責任は無いとする判決には到底納得できません。 その理由として、福島の原子力事故は国際原子力事象評価尺度において、7段階レベルで最高となる『レベル7』とされています。『レベル7』に分類されている事故は、1986年4月に発生したチェルノブイリ原子力事故と福島の原子力事故の2つのみとなっており、チェルノブイリ原子力事故後に行われた東京サミットにおいて『チェルノブイリ原子力事故の諸影響に関する声明文(仮訳) 1986年5月5日』で、「原子力発電を行っているいずれの国も、自国の原子力施設の設計、製造、運転及び維持管理の安全性について全責任を負っている。」と出されています。つまり、『国家として責任を持つ』を意味しており、日本も同意しての声明であることから、『レベル7』の事故に国の責任がないという判断は間違っていると感じます。 改めて最高裁判所で、国の事故責任について判断してもらいたく要請します。 ●原告番号16-1 2011年3月11日地震が起きなかったら、原発事故が起きなかったらどんなに良かったか、と思わない日はありません。あれから14年も経ってしまい記憶は年々薄れていってしまいますが、悔しい気持ちやむなしい気持ちは忘れることはありません。 原発事故が起きたとき娘はまだ3歳でした。情報が飛び交う中いろいろな不安がありましたが、一番の不安は小さな娘にとって放射能による健康被害があるのか、と言うことでした。全く分からないことだらけのなか、安全と思いたい自分と、ここにいては娘に将来健康被害が出てしまうかもしれないと思う自分がいました。結果的に自主避難を選択しましたが、これが一番良い方法だったのかは、いまだにわかりません。しかし福島に残る選択をした場合、子どもに相当な制限をさせる生活になったと思います。避難指示が出た地域の方々のご苦労は耐え難いものだとは思いますが、自主避難を選択した私たちも失ったものの大きさは計り知れないと思います。 事故から14年足らずで、原子力発電が次々と稼働しています。結局は、安全より経済活動のほうが優先されるのだと思うと、怒りを通り越してあきれ果てます。絶対に安全だといわれていたものが、事故を起こし制御不能になり、いまだに人間が近づくこともできない、それはまともなエネルギーなのでしょうか。放射能は匂いもしませんし見えません。しかし健康被害があると言われています。私も本当のところは、分かっていない部分も多いにあると思います。それでも私は、あのときの事故による放射能被害を恐れています。自分はともかく、小さかった娘に被害が出ないよう毎年、甲状腺の検査を自主的に受け続けております。もし何かあったらどうしようと思うと、やっぱり涙が出てきてしまうのです。 絶対に安全なんてないのです。事故はいつか起きるのです。どんなに安全対策をしても、結局経済を優先させた結果が福島第一原発事故だと思います。 ●原告番号18 原発事故があり、京都の木津川市へ避難してすぐ赤十字社から支援物資が届きました。それらは、原発関連企業のTOSHIBA製でした。 原発事故後、被告国は、法律を改悪し既存のルールを無視し、放射性物質の海洋投棄をしています。「移動しない」「拡散させない」「封じ込める」放射線防護の原則を被告らはいとも簡単に放棄し、賠償も責任も取らずに原発再稼働までもくろんでいます。 2022年6月17日の最高裁不当判決。その担当だった裁判官は、被告らのお友達でした。 母子避難させた原告のお父さんたちは、避難元に残りすくすくと育った子どもたちとのかけがえのない時間は戻ってきません。 障害を持つ家族の避難は、口にしがたい大変さがあります。甲状腺がんを患った原告がいます。病気で亡くなった原告が数名います。 事故当時は、原発の爆発と健康被害を思い、繁盛していた店をたたみ避難するしかありませんでした。ペットも愛する家族も離れ離れになりました。子どもは、友達にさようならも言わずに避難しました。 避難後は、就職、離職を繰り返しました。子ども原告は、遠く離れたお父さんに会えずに精神を患いました。 登校拒否を余儀なくされ、付きっ切りで面倒を見るために母親は仕事を辞め、生活保護を受けざるを得なくなった原告がいます。被告らはまだ区域内の人の住宅支援をしているが、我々原告らで無償提供住宅に住んでいた原告は、100パーセント住宅を追い出されています。 浜通りの歴史を言えば、二宮尊徳の弟子が開墾の指揮にあたり、多くの肥沃な土壌が生まれました。当時行われた除染エリアは被災地の一部ではありますが、瞬時にそれらの土壌をはがしていき、100年以上かけて醸成する土はなくなりました。代々の屋敷林も切り倒し、娘の学校の大きな欅の木も切り倒しました。しかし、線量は思ったようには下がらなかった。 支援してくれていたNPO法人が、福島県からの助成金がもらえずに解散し、支援が絶えていきます。子どもたちへの放射線教育も正しく伝えていないし、ここまでして、避難者や在住者をあらゆる面で分断させて、情報をコントロールして、目に見えないようにしてきた被告らだが、状況は可視化されてきている事実もあります。 まず、子どもの甲状腺がんや大人のガンが増えています。 裁判長へ。お願い。 私たちの生活が明日も存続するように、二度と私たち国民が原発事故に遭わないようにするには、最高裁が再び判断するしかありません。 ・国と東電に責任があることを認めてほしい。 ・原発賠償京都訴訟全原告へ完全な賠償をしてほしい。 ・低線量被ばくはあります。と認めこれらが認められたのちに、被告らをテーブルにのせて、医療補償、住宅提供、被ばく・土壌汚染の実態調査などを、立法的、行政的な措置で進むませることをしなければならないし、そこが私たちの裁判のゴール地点なのです。 ●原告番号22-1 もう、14年。まだ、14年。あの日から、流れた歳月は、重くもあり、休む間もなく前に進まなければいけない日々です。 まず、私が最高裁まで、結果を求める理由は、ただ一つ。同じ事が2度と起きないようにする為です。 震災、避難を通して、辛かった日々を思い返すと、今でも涙がでます。それは、辛かった時に、辛いと吐き出せず、ただ、家族を守る為に必死だったと、その思いしか残ってないのです。 失ったものを、取り戻したいとは、思いません。ただ、これから、未来を生きる子供達には、このような経験を、絶対させたくないと、強く願います。 見えない危険から、家族や、将来のある子供を守りたいと思うのは、当然の事なのでは、ないでしょうか。その、安全回避の判断を個人に任せて、事故を起こした人たちは、それで、収まったとお思いでしょうか。 原発事故後の、福島県には、避難する権利が全員にありました。責任の追求を強く求め、安全に暮らす権利を脅かされる事のない判断をいただき、未来の子供達にバトンを託したいと、切に願っております。 ●原告番号24-2 2011年の震災時、私は2歳の娘を持つ妊婦でした。2人目の子は3ヶ月後に出産予定で、1月に出来たばかりの新築の家がようやく整い生活が出来る状況になったばかりでした。2歳の娘にはなるべく悪いものを取り入れないよう、出来るだけ添加物や農薬などに気をつけ大事に育て、自宅も化学物質を減らすう漆喰の壁や天然の木材のフローリングにしたりとこだわりのマイホームでした。そんな夢と希望で満ち溢れていた日常の中で、あの地震は起きました。 原発の事故により放出された放射能が心配で、出産まで大きなお腹を抱え娘と近隣に自主避難を繰り返し、6月には長男誕生の喜びの余韻に浸る暇もなくすぐに本格的に避難先を探し、乳飲み子と娘を連れ京都に母子避難することを決めました。新築の家にはたった数カ月しか住むことなく真逆の環境の古い団地に入居し、全く知り合いもいない場所での避難生活は孤独でとても過酷なものでした。主人も新築の家での一人での生活。子供達の成長も見ることが出来ませんでした。 心身共に追い詰められ限界を超えていた矢先、新築の家を売り払い仕事を辞め主人も京都に越してくる決断をしました。その後主人は転職を繰り返しながらなんとか避難生活を続けていましたが、5年近く経つ頃貯金も底をつき福島に戻ることとなりました。 この選択でいいのかと何度も迷いながらも福島で暮らしてきました。14年経ち子供達も成長しましたが、あの時の不安、悲しみ、苦しさは決して忘れることはなくこの先も続きます。もしこの裁判で私達の訴えが通らなければ、なぜあの時妊婦と乳幼児は危険だと報道されたのでしょうか?私達の突然奪われた日常と心身共に受けた大きく深い傷を認めてください。どうか司法として正しい判断をされますよう、期待しています。 ●原告番号27-2 今回もまた、私たちの思いを直接聞いてくださる時間が与えられた事に感謝します。前回私たちから語られた事は、しっかりと受け止めてくださったでしょうか?私たちひとりひとりの訴え、願い、苦しみ、それぞれの思いを知っていただけたのでしょうか?そして国の責任について今一度考えてくださいましたでしょうか? 『国の責任』については『無い』とは絶対に言わせません。『責任』は誰かが無いと言って無くなるものではありません。核を使っているという自覚と義務が、最も求められなければならない原発政策、どんな言い訳も聞き入れる事はできません。起こしてしまった事故について、被害を受けた私たちに、まずは、謝罪を最低限する事が原発を推進してきた国のやるべき事です。 1955年から70年もの間国が推進してきた原発。「平和利用」と「安全確保」のふたつを大前提としていました。 でも2011年に大事故を起こした事は事実です。その時のグダグダの初期対応、それ以前の事故を防ぐ対策についても万全ではなかったのです。想定を超えてしまったという言い訳も、聞き入れる事ができません。核の事故はそれでは済まされません。 まもなく事故から15年になる福島の復興、できないところを知っていますか?この15年の間に壊された人々の暮らしや心を、知っていますか?自然災害とは明らかに違います。デブリひとつ取り出す目安さえ、何度も変更になりどんどん先送りです。事故も収束しておらず、最終の核のゴミの始末の計画も立てられないでいる現実です。それについても、国は責任が無いのですか?それは正直言って、見てみぬふりという事です。無責任の極みです。 どうか最高裁においては現実と事実に基づき国の責任をはっきりさせていただきますようにと、お願いいたします。 ●原告番号27-3 今回再び要請の機会をいただきありがとうございます。前回の要請以降も、原発をどんどん動かしていこうとする政府や地方自治体、電力会社の姿を何度も目の当たりにしました。その度に私は自分の人生をさらに踏み躙られるような思いになります。このような状況でこの訴訟を最高裁で扱ってもらえるのか、公正な裁判を本当にしてもらえるのか非常に不安です。 今まで幾度となくお伝えしてきた通り、私は原発事故によるPTSDのせいで、毎日が苦しくて苦しくてたまりません。なぜ私の人生が国と東電に壊されなければならなかったのか。なぜその責任を国は取らないのか。どうしてまだ原発を推進しようとするのか。どれだけ訴えても伝わっていない気がしてなりません。何度でも自分の口で直接伝える必要があると思い、今日も最高裁に伺いました。 原発事故によるPTSD発症の確率はかなり高いにも関わらず、政府は被害者のケアどころか、原発事故をまるで無かったことのように扱うことで、人々の記憶から薄れていくのを待つことしかしていません。根本的な解決もせず、地震がこんなに多い国でまだ原発を推進しています。PTSDや不安障害で大切なのは、まず不安の原因から距離をおくことです。しかし原発事故の被害の現実からは離れることができません。さらに原発は日本中にあって、たとえ福島から離れてもその危険と不安は一生付き纏ってくるのです。私は苦しい中でも毎日頑張って生きる努力をしています。他の避難者もきっとそうだと思います。でも政府や原発がこのままでは、私たちの生活はいつまでも宙に浮いたままです。政府と東電が心からの謝罪と適切な対応をしなければ、本当の意味での被害者救済はありません。 どうか、今までの裁判で私たちが訴えてきたことを無視しないでください。これ以上原発で苦しむ人を生み出すことは許されません。国の方針に傾かず、最高裁で必ず正当な判決を出していただきたいと切に願っています。どうぞよろしくお願いいたします。 ●原告番号39 福島第一原発事故からこんなにも時間がたったのに、どうして私たちはまだ、こんな苦しい思いを抱え続けなければならないのでしょうか。 あの日から失われた生活、故郷を離れた人々の痛み、未来の不安、心に残った傷… それらは過去ではなく、一人ひとりの今現在のその苦しみです。 それなのに、国はどうしてここまで国の責任に鈍感でいられるのでしょうか。 原発を「国策」として押し進め、安全を保証すると言いながら、本当に守るべき人を守れなかったのは国自身です。 推進も規制も国が握っていたのに、なぜ重大な危険を見過ごしたのか。 なぜ警告を無視したのか。 なぜ、あれほどの被害が出るまで何もしなかったのか。 私は悔しいし、許せないし、涙が出るほど虚しくなることがあります。 事故は「想定外」なんかじゃなかった。 分かっていたはずのリスクを、国は直視しなかった。 その結果、どれだけの人の人生が変わってしまったのか? それを国は、本当に理解しているのでしょうか。 東京電力だけが責任を負えばいい話ではありません。 国が原発を推進し、国が安全神話をつくり、国が監督し、そして国が失敗した。 だからこそ、国にこそ最も重い責任があります。 どうか、この現実から目をそらさないでほしい。 私たちの苦しみと怒りは、単なる「意見」ではありません。 あの事故で人生を変えられた人々の叫びです。 私は国に求めます。 誤りを誤りとして認め、責任を果たし、二度と同じ悲劇を起こさないと胸を張って言える政治をつくってほしい。 これ以上、被害を受けた人たちの気持ちを置き去りにしないでほしい。 私は、避難者の一人として、そして事故の影響を忘れたくない者として、この思いを伝えるために、声を上げ続けます。
●原告番号43-1 小中学生でも理解ができるような、簡単でわかりやすい話をしようと思います。おかしいと思いませんか?何か間違ったことをしたとき、失敗した時、いつも謝るのは責任者です。製品のリコールや職員の不祥事など、記者会見で頭を下げるのは会社の社長、すなわち指示決定を行う責任ある立場の人です。 原子力発電所については、国が政策として決め、国が法律を作り、国が許可を出し、国が監督し、国が規制して、国が主導して行ってきました。つまり指示決定を行った主体は国です。けれどもひとたび事故が起きたら、その責任は一事業者である東京電力に全責任があると裁判所で判断されています。私たちが行っている裁判で、京都地方裁判所では国と東京電力双方の責任が認定されました。ところが次の段階である大阪高等裁判所では国の責任はないと覆されました。全国各地で起きた同様の裁判においても、最高裁判所で国の責任は無い、と判断する判決が続いています。おかしいと思いませんか?階層が上がると、なぜ常識から離れた判断となってしまうのでしょう?小中学生に胸を張って説明できますか? 地震の頻発する日本では、またいつ地震が起き原発に影響が出る事になるか分かりません。責任の所在を明らかにする事は、同様の事故を今後二度と繰り返さないことを目指すための第一歩です。 最高裁判所は文字通り日本の最も尊くて規範となる判断をする所、三権分立の制度によって行政と立法の監視をする役割がある機関です。憲法に沿って、日本国民の生活を守るために正しい判断をするところです。主権者は国民、真に守らなければいけないのは国民です。 どうか最高裁判所の持つ大きな力を、多くの国民の権利と利益を守ることにつながる判断となるように行使されることを強く望み、期待します。 ●原告番号45-1 大阪高裁判決への不服と最高裁への要望 避難によって家族や地域社会が分断され、本来あり得た幸福な生活が閉ざされた苦しみの中に今もあります。子どもの成長に寄り添い、家族としての時間が絶たれて15年が経過します。何人もそれを取り戻すことが出来ない以上、東京電力や国の責任を明確に指摘し、責任を負わせ、教訓とすることで、国と事業者(電力事業者に限らず)の双方に職責を果たす上での緊張感を持たせ、この国の進むべき方向性を改善させてください。最高裁判所には過去の判例を前提とする以上に、常に批判的に再検証を行い、現に発生したこの原発事故という「新しい被害と原因」を真摯に見つめ、未来につながる正しい判断を求めたい。それが三権分立で独立を担保され「憲法の番人」と言われる「最高裁判所の役割」なのです。最高裁判所は主権を有する当事者=国民を守り、この国の未来を切り拓くための良識と善意に基づいた判断を行使するということを、まさにこの裁判において示してください。以下、2点について述べます。 1:避難の相当性の認識 大阪高裁は避難相当性の期限を2011年12月までとしました。しかし2011年12月は国によって「除染関係ガイドライン」が策定された月であり、福島県は2012年1月に初めて除染・放射線講習会を開始したばかり。福島市内で除染が開始されたのは2012年2月~完了2018年3月です。市民の間には空間放射線量への懸念が強く、少なくとも除染期間中は居住や外遊びの不安がぬぐえない状況でした。除染作業によって生活空間の安全化が図られた以上、その開始もされていない2011年12月を「避難の相当性」の基準とした大阪高裁の判断は意味を成しておらず誤りです。放射能汚染によって被る実害を低減すべく巨費を投じて実施された除染作業そのものを否定することにもなります。 最高裁は「国民の健康で文化的な生活を営む権利」を尊重し、牧判決を是正してください。 2:国の責任 文部科学省の地震調査研究推進本部・地震調査委員会は2002年7月31日「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」を発表しました。東京電力は子会社の東電設計に指示し、2008年に津波高15.7mの予測値を認識したものの対策を行いませんでした。実際に東日本大震災に起因して到達した津波高は15mとされ、「長期評価」の正確性が確認されています。この予測に沿う正確な結果を無視することは自己矛盾であり、科学の否定です。 この「長期評価」に基づいて、早急な対応が可能である電源の水密化や移設、予備施設の設置等を行っていれば、無対策時に比べて被害を軽減できた可能性があります。もとより原子力発電所ではフェイルセーフの考え方で幾重にも重なる安全対策が求められています。世界的潮流でも1990年代以降、施設の水密化等の安全対策が進められており、国が承認した「長期評価」や自社内で計算・把握された津波予測データがありながら対策を怠たった責任は極めて重いものです。また、原子力事業は国策であり、建設・運転には国の許認可が必要です。 規制当局である国は原子力事業者を監督する責務があり、国自らが示した「長期評価」を前提に対策を指導・監督し、その効果を確認しなければなりませんでした。原子力事業者と国の双方がその責任を回避し、対策を行わなかったことは原子力事業者と国の共同不法行為責任ないし不法行為責任の競合であり、断じて容認できません。 「長期評価」発表と同時期の2002年8月29日、福島第一原発・福島第二原発・柏崎刈羽原発での自主点検におけるデータの組織的改ざんが29件露呈し、東京電力は原子力保安院によって不正が摘発されました。この不正はGE社員によって2000年に告発されたもので、報告までに2年を要した点について経済産業省から保安院に対する非難が発せられました。また佐藤栄佐久福島県知事(当時)からは情報開示まで2年かかったことに対し「経済産業省の責任は重い」との指摘がありました。プルサーマル計画の凍結(2002年9月2日)や福島県内原発全10基の運転停止措置(2003年)など、東電や規制当局が「データ隠し」以後の対応に追われる中で、「長期評価」に基づく津波対策が疎かにされた可能性も考え得る以上、改めて両者の責任の明確化・認定が果たされなければなりません。 福島県民は当時から一連の「データ隠し問題」や「日常的に多発する軽微な事故」を認知しており、東京電力および規制当局のモラルや運営能力の低さを痛感していました。東日本大震災後の原発事故でも国や東京電力の発表や説明・指示への不信感が強く、自主的な避難行動に移さざるを得なかった一因となっています。 電力会社と規制当局に通ずる責任感の欠如と露呈を恐れる体質の根底には、管理監督する側される側のもたれあい(共通の利益)がありました。国会が設置した検証組織「東日本大震災後の国会事故調査委員会」報告(※)にも同様の指摘があります。「データ隠し」事件当時に真摯な反省を行い、この体質の改善がなされていれば、津波対策等の科学に沿った措置が講じられた可能性があり、それが間に合わなかったことも含めて「人災」の罪は幾重にも重なっています。水面下で続けられてきたこの体質そのものが東日本大震災時の原子力発電所事故を深刻化・甚大化させた「人災」を生んだと言わざるを得ず、東京電力のみならず、厳に国の監督・指導の責任が問われなければなりません。 最高裁においてもこの点に鑑み、本来果たされるべきであった国の責任を明らかに認定してください。 (※)原発事故を検証した「国会事故調査報告書」には次の指摘がある(一部抜粋)。 本事故の根源的原因は「人災」であるが、この「人災」を特定個人の過ちとして処理してしまう限り、問題の本質の解決策とはならず、失った国民の信頼回復は実現できない。これらの背後にあるのは、自らの行動を正当化し、責任回避を最優先に記録を残さない不透明な組織、制度、さらにはそれらを許容する法的な枠組みであった。また関係者に共通していたのは、およそ原子力を扱う者に許されない無知と慢心であり、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする組織依存のマインドセット(思い込み、常識)であった。 当委員会は、事故原因を個々人の資質、能力の問題に帰結させるのではなく、規制される側とする側の「逆転関係」を形成した真因である「組織的、制度的問題」がこのような「人災」を引き起こしたと考える。(提言4、5及び6に対応) 規制当局は原子力の安全に対する監視・監督機能を果たせなかった。専門性の欠如等の理由から規制当局が事業者の虜(とりこ)となり、規制の先送りや事業者の自主対応を許すことで、事業者の利益を図り、同時に自らは直接的責任を回避してきた。規制当局の、推進官庁、事業者からの独立性は形骸化しており、その能力においても専門性においても、また安全への徹底的なこだわりという点においても、国民の安全を守るには程遠いレベルだった。 当委員会では「規制当局は組織の形態あるいは位置付けを変えるだけではなく、その実態の抜本的な転換を行わない限り、国民の安全は守られない。国際的な安全基準に背を向ける内向きの態度を改め、国際社会から信頼される規制機関への脱皮が必要である。また今回の事故を契機に、変化に対応し継続的に自己改革を続けていく姿勢が必要である」と結論付けた(提言5に対応)。 ●原告番号45-3 私は、今までの被曝を、避難生活の中での精神的苦痛を、そしてそれらに対してのお情け程度の補償を許容した覚えはありません。 私は、主権者たる国として、反省と改善なしに物事を繰り返そうとする国の姿勢を認めません。権利救済よりも権利擁護にを尽くす司法の立場を認めません。 私は?中学?の頃まで、?分の受けた傷を「?したことではない」、避難、それに続く?活を「普通のこと」と思い?を?痺させてきました。そうでなければ、この地獄のような現状の中で?きることは困難であったからです。国や司法の、政治的に漂白された声が?きすぎたために、幼い?分はそれらを内?化させられ続けてきたように思います。 しかし、後からよく考えてみると、本来は国が「?変な事故を起こしてしまった、そしてその影響は今も続いている」と?わなければいけないところを、国民個?の??責任に転嫁、矮?化し続けてきた。この責任は?常に重いと思っています。 もう「決断の主体」となれる年齢に成?し、?裁判決を法廷の?の前で聞いた私は、三権分?の崩壊と、この?権に対する暴?を「普通のこと」、「?したことではない」と感じることはこれ以上できません。 国が国策の責任を取らず、司法がそれを質さないのならば、私の未来には、今度は主体として「避難を決断する」可能性が投下されることになります。そのことを想像されていますか。またアイデンティティとしての故郷を曖昧にされるのですか。国が責任を引き受けなかったために、逃げたひと、逃げなかったひとが、それぞれ?分の判断が正解だったのだと?を落ち着かせるため他?を責めざるを得ない状況に、私や友?を巻き込むのですか。避難の根拠を個?に委ねることによって、単なる別離のみならず意?の相違で家族をわかつことになっているという認識はありますか。 この国がしたのはそういうことです。また、司法が不当判決という名のお墨付きによって再び許そうとしていることも。 わたしは国の姿勢を問うているのです。それを許そうという司法の在り?を問うているのです。 私たちの傷を、?したことがないと思えるでしょうか。再び踏みにじろうとしていませんか。あなたたちはこれを許すのか、という問いを、私は最?裁のみなさんにここで?渡したいと思います。 ●原告番号50 今年38歳になりました。2011年から14年経つ今でも京都に避難していた頃の残骸が良くも悪くも見え隠れします。 あの頃も今も裁判に関わるとは思わなかった、ただ思っている事を聴いて欲しかった。 避難理由は放射線の関係。 医療被爆で18Gy、被ったSvの換算値は解らないが「放射線治療の為、けっこう照射したんだね」との主治医師のポロッと発言により、なるほど。髪が抜けた訳だ。当時9歳で女の子でしたのでね、髪が無いのは大問題でした。今更ながらだが、生えてくれて良かった、ありがとう。 前文は本人の実証ですよ。 人体に影響を及ぼす、用途を違えれば人を殺す、そんなエネルギーの扱いがお粗末過ぎやしないかと思う。 先述の医療での活用、電力としての利用等、資源の無い国だから一概に原発無くせとか反対とは言えない。しかし、事故による責任の所在も曖昧にしたままで再稼働を進める姿勢に、憤りを感じる。 2017年に帰った福島で私は、浦島太郎だった。友人達の結婚、転職、近隣との関係、etc…言い出したらキリが無い。 生活の基盤が崩れても、喰って、寝て、働いて…は生きている間続く。休む事は出来るけどその間が休める状態である保証は無い、避難しなければならない状態にあれば尚更だろう。 私は書類の中で生きていない。 大阪高裁の判決後、認容額が振り込まれた。 費やした年月、思考、二重に発生する生活費。 失ったもの.諦めたものの対価が金額でしか表されない事への失望感もあった。 もちろんその額が全てでは無い、実質もっとかかっていると言いたい。やってないから解らないがADRとも違うのだろう。 これが最後の要請になるかもしれないと聞いて、今思う事は下された判決が今とこれからを生きようとする人の意志を否定するものであってはいけないのではないかと。時間が経ち過ぎて、気力も体力も疲弊して、もういいと言わせないでもらいたいと。国では無く、人と向き合って欲しかったと。 願い事みたいになってしまったが、そう思っている 20代、裁判に臨んだ奴の話を聞いて欲しく思います。 ●原告番号51-2 東京電力福島第一原子力発電所事故は、M9.0の地震や津波ではなく、国と東京電力による安全対策の懈怠が生んだ「人災」です。これにより、かけがえのない故郷の自然は破壊され、長期にわたり人が立ち入れない地域が生まれ、多くの家族が分断され、避難生活を余儀なくされるという、甚大な苦痛が今も続いています。 「国と東電の重大な共同不法行為責任」 事故の蓋然性を予見できたにもかかわらず、津波対策をはじめとする安全対策について、原子力発電所の安全を確保するための規制権限を行使し、東電を指導・監督する責務を怠った国の責任は重大です。東電は、加害者であるにもかかわらず、安全対策の不備を軽視し、責任を限定的に捉える「責任逃れ」の姿勢に終始しています。私たちの生活基盤と家族の未来を破壊した加害者として、その責任を正面から認めようとしない態度は、精神的苦痛を一層増幅させました。 「自主避難者への人生の根本的破壊」 幼い子どもの未来を守るため、放射能汚染への恐怖から生活基盤の全てを捨てて移動した自主避難は、人災によって余儀なくされた苦渋の決断です。また、故郷が事故前の姿に戻らない中で、国や東電に促された「帰還」は、「帰還できない苦しみ」と「戻ることへの不安」という究極の二択を強い、人生を翻弄しました。「帰るか、否か」という選択を強いられたこと自体が、原発事故がなければ存在しなかった人生の根本的な破壊であり、これこそが被害の一つです。 最高裁判所におかれましては、国と東電の形式的な主張を排し、私たち被害者が背負わされた人災による人生の根本的な破壊の重みと、避難生活および帰還を巡る精神的・肉体的苦痛の深さを深くご理解いただきたく、切に嘆願いたします。 原子力災害によってかけがえのない日常と未来を奪われた被害者に対し、国と東電の共同不法行為責任を明確に認定し、公正かつ抜本的な救済措置と人権を守る司法こそのご判断を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。 ●原告番号53 最高裁第一小法廷判事の皆様へ 「どんなに安全対策をしても事故は起こった。国の規制権限を行使しても事故は防げなかった。想定外の事故だから、国に責任は無い。」2022年6月17日最高裁判所は、生業、千葉、群馬、愛媛の四訴訟に対し、前代未聞のアホな小学生の言い訳のような、呆れかえるまれにみる酷い判決を言い渡しました。 最高裁判所の前で判決と判決理由を聞いた私は、この国に三権分立は本当に機能しているのだろうか?と義憤に駆られながら帰路につきました。最高裁判決後、下級審での判決は最高裁判決のコピペ判決とでもいうような酷い判決が続いています。 京都地裁において東電、国の責任を認める判決がでていたのにもかかわらず、昨年12月18日、原発賠償京都訴訟に対する大阪高裁第12民事部は、またしても「国に責任は無い」という不当判決を言い渡しました。避難の時期についても2011年12月までと、京都地裁よりも短い期間に区切られてしまいました。2025年の今も「原子力緊急事態」は発令中ですし、廃炉作業中のフクイチの状況も大きな地震、津波が来たら再び大事故に陥る危険性が続いています。12月8日青森県東方沖を震源とする地震では、六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場の燃料プールの水が650?あふれました。大きな地震が起こる度に、原発の心配をし、緊急地震速報が流れる度に2011年3月11日、あの時の恐怖がよみがえり、心臓がバクバクし、涙があふれてきます。原発事故は終わっていないのです。 東京地裁・高裁の隣にある、法務資料展示室には、「大津事件」の資料が展示してあります。当時の大審院長の児島惟謙は、ロシア皇太子を斬りつけた犯人を死刑にするよう政府から圧力を受けながらも、法に基づき無期徒刑を言い渡し政府の干渉を退け司法の独立を守りました。明治時代の話です。憲法に三権分立が明記され、民主主義、法治国家を標榜しているはずの令和の日本はどうでしょうか。 6.17最高裁判決から2ヶ月後、第二小法廷の菅野博之裁判長は東電の代理人を務める大手法律事務所へ天下りし、その後のジャーナリストの調査で、東電、国、最高裁判所の利益相反関係が明らかになりました。これは癒着です。八百長です。 6.17最高裁判決は八百長判決です。スポーツの試合や賭け事で八百長が発覚すると、当事者は社会的制裁を受けます。時には、ちょっと怖い目にあうことだってあります。肩身の狭い思いをしなければなりません。一方、八百長判決を下した最高裁判事の皆さんはどうでしょうか?八百長をしても平然としています。最高裁判所のホールに建つ正義、公平、公正の女神テーミスはきっと嘆いているにちがいありません。 おかしな方向に傾いている女神の天秤を正しく公平、公正な位置へ戻してください。この国の司法の独立、三権分立が機能していることを示してください。最高裁判所の真の権威を取り戻す気があれば、原発事故被害者の訴えを棄却することなどないはずです。 公正な判決を下してください。不正義が行われた6.17判決は最高裁自身で正すようお願いいたします。
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