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・報告チラシ(表面)はこちら ・報告チラシ裏面)はこちら ●京都訴訟団による第1回最高裁要請行動のスケジュール ・11:30 西門前に集合 ・12:00 最高裁前アピール行動開始 ① 「風になりたい」替歌 ② 弁護団から(田辺弁護士) ③ 参加原告から ④ 各訴訟・支援団体から ⑤ 支援する会スタッフから ⑥ 「風になりたい」替歌 ・13:00 アピール行動終了 昼食休憩 ・13:50 集合 ・14:00 最高裁要請行動・署名提出(30分) 要請者 弁護団・参加原告9名・各地訴訟、会スタッフ 合計17名 署名提出 ・14:30 終了 ●上告人・上告受理申立人 堀江 みゆき 私たちが住んでいた地域は、原発事故により空間線量が国の定める公衆被ばく限度を超え、土壌が放射線管理区域の規制値を上回る汚染に見舞われました。 自主的避難等対象区域外である会津若松市や宮城県といった、原発から離れた地域においても、放射能汚染は現実に存在しており、それらの汚染による健康被害を不安に感じ、避難を決断したことは、社会通念に照らしても至極当然のことです。 しかし、司法は私たちの切実な声に耳を傾けず、私たちの避難を「相当な理由がない」と一方的に退け、さらには国の責任を否定する不誠実な判断を下しました。私たちはこのような判断に深く失望し、強い憤りを感じています。 2022年6月17日に最高裁で国の責任を否定する判決が出されて以来、全国の地方裁判所や高等裁判所でも、まるでコピーしたかのような、国の責任を否定する判決が相次いでいます。これは、最高裁が司法の責任を事実上放棄し、下級審の判断を誤った方向に導いていることにほかなりません。 最高裁は司法の最後の砦です。 憲法にも定められている通り、すべての裁判官はその良心に従い、独立して職権を行使しなければなりません。 組織に属していようとも、何者にもとらわれることなく、裁判官一人ひとりが自らの良心に従い、それぞれが自らの頭で考えて判断していただきたい。 裁判官としての重大な責務を果たしてくださることを、私たちは強く求めます。 この裁判は、私たち原告だけの問題ではありません。未来を担う子どもたちや、その次の世代、また、同じように原発事故の被害に不安を抱えるすべての人々の希望がかかっています。 どうか、棄却せずに、憲法と良心に基づき、公正で誠実な判断を下してください。 心から要請いたします。 ●上告人・上告受理申立人 福島 敦子 事故から14年経過した現在も続く避難生活、子どもや多くの大人が被る健康被害のリスク、コミュニティの崩壊、生業の喪失など、不可逆的な被害の深刻さはいまだに続いています。最高裁の判決は、これらの被害者の人権や生活再建の権利を実質的に侵害し続けています。 国の責任を認めない判決が、行政による被災者支援特に医療費減免の打ち切りの縮小・住宅政策打ち切りにより区域外避難者をみなし仮設住宅から強制的に追い出し、避難者の命の切り捨てを正当化する口実として最高裁判決が機能している現状があります。司法がその「加担者」となりました。不当判決が出されて以降この最高裁を1,000名を超える人々のヒューマンチェーンは司法の恥の極みです。「司法の独立」「公正な司法」を求める市民の大きな声があることを自覚し、最高裁は国民の負託に応えてほしいのです。 それにはまず、今後の関連訴訟(上告審など)における公正な判断や、国の賠償責任に関する新しい判断枠組みの構築を示していただきたいのです。私たち原告のみならず、法廷外で被害者や支援者の声、訴訟以外の被害回復の取り組みなどに「耳を傾け」、今回の係属した訴訟団の審理を棄却することなく、再度最高裁が判断してください。最高裁の判断こそが、日本の司法の信頼性を決定づけるものです。下級審の判断に事実上の影響力を持つ最高裁の重みは今、ブーメランとなり最高裁の職員全員に返ってきています。 官邸敷地に、汚染土が運び込まれたことは、最高裁判決がもたらした「国の責任の不在」というメッセージが、国による「復興」政策を強引に推し進めるための地盤を固めた事例として位置づけられます。6.17不当判決は、単に賠償責任を否定しただけでなく、国の責任を極小化し、放射性物質に対する国の政策を正当化する強力な根拠を与えてしまいました。国は被害者への補償から免れ、「中間貯蔵施設の早期解消」といったでたらめな政策目標を優先しやすくなりました。除染土の再利用についても「科学的に安全」という間違ったメッセージを、責任を負うことなく強力に打ち出す環境が醸成されました。最高裁は、国が法的責任の盾となり、国が被害の実態や住民の不安を軽視して、汚染土の再利用というリスクを伴う政策を強行する土台を作ったといえます。私たち原告は、この一連の動きを「司法の無責任が招いた国民の健康と生活への新たなリスク」とみなします。 実際に、官邸敷地に置かれた汚染土は2012年に東京町田市で測定した土壌の放射性物質のレベルに匹敵します。最高裁判所の判決により、最高裁判所のスタッフ全員が毎日あの頃の放射性物質のレベルに暴露し続けるのです。 最高裁は、「人権の最後の砦」としての責務を果たし、この構造的暴力を終わらせるべきです。 ●原告番号 27-2 このように私たちの思いを直接聞いてくださる時間が与えられた事に感謝します。今日は8人の原告がそれぞれの胸の内を話させていただいています。どうか皆さまにはこの中で最も多く発せられた言葉は何かを知っていただき、胸に留めていただきたいです。 大阪高裁での判決が出た時、今まで私の受けた尋問、私の家族の陳述は一切聞かれていないし、理解されていないのだと知りました。私の人生で一番の落胆した出来事でした。東電や政府、報道は東電の原発事故をかなり過小評価しています。福島の表面上の状況しか見ておらず、核の事故後の深刻な影響は知ろうともしていないです。人間や動植物たち自然への被害をまず知ろうとしてください。そして肉体的・精神的な影響も。傷を受けた人々、特に若者たちの受けた傷、未来への不安はどれほど深刻かを自分自身や家族に置き換えて考える必要があります。 国はお金も口も出して原発を推進してきましたよね。それなのにいざ世界でも類を見ない過酷事故が起きたら、何の責任もないなんて言い切れるわけが無いでしょう。酷すぎる。今までの裁判で、原発事故が起きないような対策をしなかったという証拠を弁護団から沢山出されました。それでも国には責任が無いというのなら私たち一般の人間にもわかるように説明してほしい。 京都地裁での証人尋問で「事故は起きてしまったので、被ばくを了承してもらわないと仕方ない」と被告側の証人が言ったのを私はしっかり覚えています。そうなのであればまずは謝罪してください。そんなに軽々しく無責任な事を平気で言う大人たちの犠牲になってしまった人々の怒りを知ってください。その悔しさを知ってください。 ●原告番号 27-3 大阪高裁での判決を聞いてからずっと、絶望と怒りが混ざった感覚が消えません。私たちが力を振り絞って闘ってきた14年という時間は、一体何だったのでしょうか。なぜ国がすすめてきた原発の責任を、国は全く取らないのでしょうか。 私は2018年の大阪北部地震をきっかけに原発事故のPTSDが酷くなり、今も毎日襲ってくる希死念慮に押し潰されそうになりながら生活しています。私のように事故当時まだ未成年だった世代は、訳もわからないまま被ばくし人生を変えられてしまいました。本来必要のなかった不安を一生背負わされてしまったのです。今も苦しみの中にいる若者や、それでも声を上げ続ける人たちがいることを知ってください。私は人生で最も輝けるはずだった10代、20代を国と東電に奪われました。私の時間を返してくれないのならせめて国には、自分たちがどれだけ大きな罪を犯したのか、その責任を認めて心から謝罪してほしい。そしてもう同じ過ちを繰り返さないでほしい。どんな形だとしても核との安全な共存などあり得ないのです。そのことをもう一度最高裁で訴える権利が私たちにはあります。 最後に最高裁の皆さん。司法までが傾いていっている国で、また原発事故を起こしてもおかしくないこの国で、若い世代はどうやって希望を見出し生きていったら良いのでしょうか。 最高裁の判決をもって教えてください。原発事故の心身の被害は今も続いているということを、どうかその身になって考えてください。放射能の恐怖から逃げる人生は、もう私たちで最後にしてほしいのです。心からお願い申し上げます。 ●原告番号 38 私は、近所に大好きな親戚たちがいた福島県に家族と田舎暮らしをしていました。 しかし、2011年3月、福島第一原発1号機が爆発するのをテレビの生中継で目の当たりにし、まさか自分の人生で原発爆発と直面する日来るとは、悪夢以外何ものでもありませんでした。その時、小学2年生の息子はまだ学校にいて、我が子が被爆するかもしれないと恐怖で気が遠くなりました。 国は、私たち避難者の真の声を聞かず政策を進め、原発事故避難を避難者の自己責任とする方針を続けているため、私は国際社会に出ました。国連人権理事会は私の話を真摯に聞き入れ、国の避難者への対応は人権侵害であると認識されました。国連特別手続きや人権条約機関などから、国は区域内外を区別せず、避難者を救済するよう、何度も勧告が出ています。にもかかわらず、住宅支援打ち切りなど、支援とは真逆の政策を強行し続け、国は14年半経った今も責任をとっていません。 2022年最高裁で、国際人権法、及び国内避難民の人権に関する指導原則を無視した判決が出たことが国際社会に伝わっています。この最高裁では国際人権法に遵守した判決が出るか、国連人権理事会は見ています。 日本は国連加盟国です。最高裁で過去、国連条約機関の意見を引用する判決もありました。原発避難を実行した母親たちも、決断しきれなかった母親たちも、原発が爆発したという事実から我が子を守りたいという気持ちは一緒です。どちらも尊重し守ることが国の責任であることは、国際社会では明白です。日本の司法が、市民の人権を守る砦であるよう心から願っています。 (参照) 国籍法違憲大法廷判決(2008) https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-36416.pdf 多数意見(6頁) 「我が国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約及び児童の権利に関する条約にも,児童が出生によっていかなる差別も受けないとする趣旨の規定が存する」 相続分差別違憲大法廷決定(2013) https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-83520.pdf 5頁 「我が国は,昭和54年に「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(昭和54年条約第7号)を,平成6年に「児童の権利に関する条約」(平成6年条約第2号)をそれぞれ批准した。これらの条約には,児童が出生によっていかなる差別 も受けない旨の規定が設けられている。 また,国際連合の関連組織として,前者の条約に基づき自由権規約委員会が,後者の条約に基づき児童の権利委員会が設置されており,これらの委員会は,上記各条約の履行状況等につき,締約国に対し,意見の表明,勧告等をすることができるものとされている。 我が国の嫡出でない子に関する上記各条約の履行状況等については,平成5年に自由権規約委員会が,包括的に嫡出でない子に関する差別的規定の削除を勧告し,その後,上記各委員会が,具体的に本件規定を含む国籍,戸籍及び相続における差別的規定を問題にして,懸念の表明,法改正の勧告等を繰り返してきた。最近でも,平成22年に,児童の権利委員会が,本件規定の存在を懸念する旨の見解を改めて示している。」 条約委員会の意見を根拠に意見としたわけではないが、意見判断を補強する理由の一つとして挙げている。 ●上告人・上告受理申立人 吉野 楓 原発事故は天災ではありません。天災であれ、国家は国民に対する保護義務を負っているのですから、それは確実に果たされなければなりません。まして国の政策で推進されている原発で事故が発生した場合、その影響からの避難を自己責任としてはいけないのではないでしょうか。国策の原発で事故が起きても、国が一切責任を取らない。こんな国の在り方は断じて許されるものではありません。 大阪高裁の「国が規制権限に基づき、津波を防ぐ適切な措置を東電に義務付け、東電が履行していたとしても、同様の事故が発生していた可能性がある」という判決は、国民の生命と財産を保護するための規制権限が意味をなしていない事を如実に表しています。対策のいかんに関わらず、今後原発事故が発生したとして、国は責任を回避できるというお墨付きを与えてよいのでしょうか。 牧判決は、国民の生命や財産はどうでもよいという、憲法・法律違反を堂々と表明する恥ずべきものです。国が国民を保護する義務を放棄してもよいと認め、国民、被災者である私たちの人権は尊重されないのだということを突きつけた、権力の暴力そのものです。権力になびき、権利を救済しない、それは司法の敗北を自ら宣言したにも等しいのです。国民の人権を無視した原発推進計画を次々と打ち立てている国に、未来があるとは思えません。 私は、もう二度と原発事故を経験したくありません。チェルノブイリ法においては国の責任とされている「原発事故後の市民の社会的保護」、そんな最も基本的な部分が守られないまま、安心して暮らせるわけがありません。私はそんな未来に生きたくはありません。過去を救済し、未来を保障する、その第一歩として、本当に遅すぎますが、国の責任を認定してください。憲法と法律に基づき、私の人権を保障してください。 私の人生は原発事故と共にあります。被災した3歳から、現在18歳になるまでの生活すべてが避難生活の延長線上に存在しています。物心もつかない頃から原告になりましたが、裁判に関わるようになり、国が国民である自分の人権を守っていないこと、災害大国において許されざる蛮行を野放しにされてきたことを知り、絶望しました。幼少期からのこの心理的、物理的負担は、原発事故の直接的かつ甚大な影響に加え、私の人生に重くのしかかっています。 国家と司法の体たらくによって、本来不必要であった負担を強いられてきた原告について想像してください。司法はその暴力に加担してきたのだという自覚を持ち、その司法にかけて重い責任を果たすよう、心から申し入れます。きちんと提出された証拠を読み込み、弁論の場を開き、正当な判決を書いてください。コピペ判決は許されません。私たち原告は一人一人異なる経験をしており、その全てが聴かれ保証されるべきです。 私たちの声を、憲法、法律を、国の責任を、人権の存在を無視しないでください。司法をみなさんの手で正してください。国の在り方、司法の在り方が問われています。司法が従うべきは司法であり、国家権力ではありません。司法の独立とその誇りを守ってください。私たちに人権があり、国にそれを保護する責任がある限り、私たちは負けません。 ●原告番号 52-1 大阪高裁控訴審にて、私には「避難の相当性がない」という判決が下されました。 理由としては、私が避難したのが2012年1月だったからです。国は、2011年12月16日に「原発事故は収束した」と宣言しました。その後の避難には、「避難の相当性」がないのだそうです。第一審の京都地裁では認められたことが覆されました。私の被害事実が変わったわけではないのに、法律も変わったわけではないのに、なぜ判決が変わったのかと不可解でなりません。 私が、故郷を離れ、誰一人として知る人のいない京都に子ども3人を連れて避難するという決断をし、京都府に住宅支援の申請をしたのが、12月上旬でした。 「なぜ事故後直ちに避難しなかったのか」というのは、夫と子どもたちの同意なしでの避難をためらっていたからです。家族全員そろっての避難を強く望んでいました。 しかし、同意を得るまで待っているべきではないと意を決したのは、東電が原発構内にしか存在していないと言っていたストロンチウムやプルトニウムが、アメリカ軍により自宅近くの高速道路のパーキングで採取されたこと、アメリカのエネルギー省により、2011年10月に「80キロ圏内に1年以上続けて居住してはならない」という勧告が出されたことを知ったからでした。 2011年12月上旬に住宅支援の申請をした後、家族の同意を得、転校の手続きなどを経て、実際に住宅に入居したのが2012年1月下旬でした。京都府が災害救助法に基づき住宅支援を受け入れていたからこそ、避難できました。その受け入れ中の避難であるにもかかわらず、「避難の相当性がない」とはどういうことなのか。避難元の自治体も、避難先の自治体もまだまだ避難者を受け入れていたのに、第一審の京都地裁の裁判官も避難の相当性を認めたのに、なぜ、大阪高裁の裁判官は認めなかったのか。 私は、判決が変わった理由の一つには、岸田政権が原発再稼働に舵を切ったから、司法が「政権」に寄り添う判決を出したのではないかという確信に近い疑念を持っています。 大阪高裁の牧賢二裁判官が「棄却」を連呼した判決日は、三権分立がこの国にないことを身をもって知る日となりました。 大阪高裁判決を糺すために、どうぞ、憲法と良心にのみしたがった最高裁判決を下していただきますよう、心よりお願い申し上げます。 ●上告人・上告受理申立人 萩原ゆきみ 原告番号2-3 裁判所の皆様へ 私は2011年3月14日に母子避難しましたが、大阪で安売りのスーパーで食材を買って食べて、数え切れない程の被ばく症状としか思えない症状が出ました。それは私達が身を寄せた大阪にずっと住んでいた妹の家族も一緒でした。 甲状腺がんの発症者は原発事故前は100万人あたり、1人か2人でした。それなのに今は100万人あたりに直すと中通りでは 25.5人 避難区域の13 市町村 は49.2人が甲状腺癌になっている事になります。 健康診断だけをしていても、癌や様々な病気が増えていくだけです。 そのため、免疫力を高めるための施策を政府に要求していきたいです。何故なら私も含めて被ばく症状を様々な方法で改善していった人々も少なからずいるからです。今は広島長崎の時とは違います。 病気になってから医療費等を要求するよりも、少ない費用で出来ます。福島県も「日本一健康な国民を目指す」と宣言しました。それが被災者の為だけでなく、少なくとも日本中の人々の為になるのだと思います。その為には「国の責任を認められる事が必要不可欠」です。 父が働いていた二本松市の職場では看護婦さん達が口を揃えてこう言っていました。「子ども達が何もしていないのに、毎日普通に鼻血をダラダラ出すんだよ」と。 原発から今も漏れ出る放射性物質により、被災地の人々は被ばくし続けます。 私はこれからもずっと避難を継続し、これ以上の追加被ばくをしたくありません。 父や母、姉が様々なアレルギーを持っています。その為、福島の家は化学物質を使わない木材で作った床や天井等で作られ、木の香りのする100年住宅でした。2階の広々とした空間には父手作りのブランコもありました。 玄関や広い庭には常に花が咲き乱れ、庭の桜の木は私が生まれた記念に植えられたものでした。福島の有機野菜は、関西のそれとは比べ物にならない位、おいしかったです。 私達は様々な有形無形の財産を失いました。 住宅ローンの返済は父が50代前半に終わる予定でした。 しかし、みなし仮設住宅の無償提供が終わってしまったので、中古住宅を買い直しました。その為、父が75才まで住宅ローンを払い続けなければならなくなりました。 しかも築40年近い雨漏りのする住宅です。関西に引っ越さなければ、色々な意味で幸せな毎日でした。 私達が失ったもの、これから失うかもしれないものは、例えどんなに沢山のお金を積んでも、償えるものではありません。 せめて、原発事故の国の責任を認めてもらい、国から謝罪して欲しいです。 ●代理人 弁護士 田辺保雄 同種事案について御庁第二小法廷は、令和4年6月17日に国に対する請求を認めない判決をしています。 しかし、判決文を検討しても、「結果回避可能性」が、因果関係なのか、それとも違法性を判断する要素なのか、全くわかりません。最高裁判所判例解説も、そのように解説をしています。 重要な判断を示した裁判体が、その判断内容の法的位置付けを明らかにしないというのは、なぜでしょうか。三浦反対意見は、多数意見と好対照で、論旨が非常に明快です。 加えて、当時の第二小法廷裁判長が、判決後まもなく退官し、東京電力と関係のある法律事務所に転身されたと報じられました。 私たちは、このような論理的に不明確で、かつ、公正性に疑義がつくような判決を判例として受け入れることはできません。 第一小法廷におかれましては、令和4年6月17日判決に囚われることなく、公正で独立した判断をお示し頂きたいと要望します。 2025年10月2日 最高裁判所第1小法廷 御中 原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会 事務局長 奥森 祥陽 裁判を受ける権利を守り、公正な審理を求めます 現在、最高裁判所第1小法廷には、京都訴訟を含めて9つの原発賠償訴訟の上告審が係属しています。これらの訴訟は、一審段階では明確に国の責任を認めた判決があるものの、控訴審ではすべて「国の責任」が否認されました。控訴審判決に共通するのは、2022年6月17日に出された最高裁第2小法廷判決(菅野博之裁判長。以下、6・17判決という)をコピペするものとなっています。 6・17判決は、津波の予見可能性については判断せず、「国の規制権限を行使しても事故は防げなかった」と結果回避可能性だけを取り出し、国家賠償法上の違法性はないと結論づけるという誤った判決であり極めて不当なものです。しかも、6・17判決は、裁判官の一致した判断ではなく、三浦裁判官の論理的で一貫性のある反対意見も出されています。さらに、6・17判決は、法曹界をはじめ広範な人々から強く批判されています。司法の独立性と公正性が毀損されており、貴裁判所の「威信」は地に落ちています。貴裁判所が「威信」を取り戻るためには、不当な6・17判決を最高裁判所自らの判断で正すしかありません。 京都訴訟における控訴審判決(2024年12月18日、牧賢二裁判長)では、予見可能性については明確に認めています。貴第1小法廷に係属している各訴訟は、原審でそれぞれに特徴ある立証を行っています。 貴第1小法廷は、日本国憲法第32条に規定されている「裁判を受ける権利」を守るためにも、一連の上告について一括棄却することなく、法と良心に基づいて公正な審理を行い、6・17判決の誤りを最高裁自身の判決で正していただくことを強く求めます。 △ページトップ 原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会 〒612-0066 京都市伏見区桃山羽柴長吉中町55-1 コーポ桃山105号 市民測定所内 Tel:090-1907-9210(上野) Fax:0774-21-1798 E-mail:shien_kyoto@yahoo.co.jp Blog:http://shienkyoto.exblog.jp/ |
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