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     千葉元最高裁判所判事が最高裁判所に提出した意見書に対する批判書
   
              総合研究大学院大学・国立民族学博物館名誉教授 竹沢尚一郎

● 千葉意見書の位置づけ

 千葉勝美元最高裁判所判事は、令和2年7月22日に、東京電力フォールディングスの訴訟代理人弁護士らの依頼によって作成した意見書を最高裁判所に提出した。この意見書は、仙台高裁判決が示した、区域内避難者に対する中間指針を上回る賠償額の認定を非難するためになされたものであり、区域外避難者が大半を占める原発事故京都訴訟とは直接には関係しない。しかしながら、この意見書は中間指針の「正当性」を補強するために活用される恐れがあるので、その論理の飛躍と脆弱さをここに指摘するものとする。とりわけ同意見書は、国内避難者の精神的および物理的苦痛の認定にあたって国際的な認識水準を大きく下回るレベルのものでしかないことを指摘することは重要であると考えている。以下に、意見書の内容を要約し、それへの反論を記すものとする。

● 千葉意見書の内容

 千葉意見書はかなりの長文であるが、その内容は主に3つの要素からなっている。

 1)福島原発事故の被害者は膨大な数にのぼるので、個々に損害を認定しようとするのではなく、居住区域ごとに一括して賠償額を認定しようとした原子力損害賠償紛争審査会(以下原賠審)の指針は適切である。

 2)原陪審が示した中間指針に基づく賠償額の支払いに関しては、対象となる被害者の96%以上が「納得」し、「被害者から圧倒的に支持され」(2頁)ているので、中間指針等による自主賠償基準は適正なものとして今後も裁判において維持されるべきである。

 3)中間指針等は、「損害額を算定する過程で想定される様々な事象、出来事等を踏まえ、それらを全体的に捉えて精神的苦痛の程度を金額化し」(21頁)たことで、「未曽有の災難に遭遇した被害者の司法的救済として適法なものといえる」(21頁)。それゆえ、被害者の賠償額の算定はそれに沿ってなされるべきであり、それを越える賠償額を認定した仙台高裁の判決は、「損害についての解釈適用を誤り」、「裁量権を逸脱したもの」であり、「違法の評価を免れない」(21頁)。このような「違法な慰謝料増額」(20頁)をおこなった判決が出されると、今後損害賠償請求訴訟が大量に提起される恐れがあるので、最高裁としては「原判決は破棄の上、請求は棄却されるべき」(2頁)である。

● 千葉意見書の批判的検討

 以上のような内容をもつ千葉意見書が、多くの事実誤認および論理飛躍を含んでいることは明らかである。そのことを、上記3点について1点ずつ検討することで示すものとする。

 1)原発事故後に膨大な数の被害者が生じたことを考慮すれば、居住区域ごとに一括して賠償額を認定しようとした原陪審の指針は、被害の実態を軽視する恐れがあるので望ましいとは言えないにせよ、已むを得ないものとして容認されうる。しかし、そのことは,そこで算定された賠償額が適正なものであることをいささかも意味しないことを銘記すべきである。

 2)千葉意見書は、自主賠償基準の対象被害者166万人のうち訴訟にいたった被害者の割合は0.8%、避難指示時対象区域の被害者14万19000人のうち訴訟にいたった被害者の割合は3.15%に過ぎないとして、中間指針に基づく賠償額およびその支払いが被害者に「納得」され、「圧倒的に支持され」(13頁)ていると主張する。しかしながら、訴訟にいたっていないことが、ただちに賠償額に対する「納得」や「支持」を意味するものではないことは言うまでもない。被害者が賠償額等に対して「納得」しているか否かは、彼らに対する調査等を踏まえて論じるべきものであり、それを抜きに、裁判の不在を根拠に被害者が「納得」していると主張することには論理の飛躍ないし誤謬がある。それに加え、福島県の東日本大震災の災害関連死者は2020年3月の時点で2304名が認定されており、この大半が原発事故による避難生活を苦にしての自死ないしストレスによる死亡である。こうした過酷な事実を一顧だにせず、中間指針の適正性のみを主張する千葉意見書は、被害の実態の誤認ないし軽視の傾向があることは明らかである。

 3)千葉意見書は、中間指針による賠償額の認定が、他の類似のケースにおける判例を踏まえ、かつ損害の実態に即した適正なものであるので、それを越える賠償額を認定した仙台高裁の判決は、「損害についての解釈適用を誤」っているがゆえに、「違法の評価を免れない」とする。「違法の評価を免れない」という重大な断定を、元最高裁判事ともあろう人間が軽々しくおこなうことの無神経さは私の理解を超えているが、そのことを抜きにしても、千葉意見書における損害の認定をめぐる議論は脆弱なものである。

 千葉意見書は、被害者が経験している精神的苦痛として以下のものを挙げている。
 ⅰ 緊急避難という日常とかけ離れた場所に心の準備もなく追い込まれたことによる不安、
 ⅱ 安心した避難ができるかわからないという不安、
 ⅲ 避難場所で経験する劣悪な生活条件を経験しつづけることの苦痛、
 ⅳ 避難生活が身体的・心理的負荷を及ぼしかねないという不安、
 ⅴ 避難生活が続くなかで、元の居住地や親戚・知人がどうなっているかわからないことの
   不安、
 ⅵ いつ家に帰れるかわからない不安、
 ⅶ 住民の避難による元の居住地の環境やインフラが破壊されていくことの不安、
 ⅷ 過去にあった住民同士の交流が失われることへの不安(16頁)。

 千葉意見書が被害者の抱える精神的苦痛として理解するものがこれらに尽きることは、同意見書がこれをくり返し述べ(16頁、19頁)、これらの苦痛は中間指針によって十分にカバーされているがゆえに、中間指針による賠償基準は適正であるとする主張の根拠とされている点に明らかである。

 しかしながら、原発事故被害者の苦痛や困難をこのようなかたちで整理することは、事実の軽視ないし歪曲化に他ならず、国際的な認識の水準からして容認されるものではない。世界銀行の上級顧問であったミカエル・チェルネアは、強制移動がもたらす精神的及び物理的苦痛についてつぎのようにまとめている。

 ⅰ 強制移動は人びとの生存基盤としての土地を失わせ、自然的及び人為的な資本を喪失
   させる、
 ⅱ 強制移動は失業や不完全就業をもたらす、
 ⅲ 強制移動は家を喪失させ、これにより集団が共有する文化的空間が失われ、疎外が
   もたらされる
 ⅳ 強制移動は失業か、失業しなくてもより困難な状況を生じさせ、過去の技術やノウハウを
   役に立たなくし、自己評価と社会への信頼を低下させる、
 ⅴ 強制移動にともなう社会的ストレスや心理的トラウマ、病気等により健康状態を悪化
   させる、
 ⅵ 強制移動はしばしば長期的な栄養不良や食料供給の不安定化をもたらす、
 ⅶ 強制移動は元の居住地での公共財(森、水域、放牧地、墓地等)と公共サービスへの
   アクセスを失わせる、
 ⅷ 強制移動は既存の社会的構造を切り裂き、コミュニティを断片化し、社会組織と人間
   関係のパターンを解体し、相互扶助のネットワークを破壊する。これにより
   アイデンティティが喪失され、この喪失は長くつづく1。

 要するに、強制的な移動は各人が長い時間をかけて作り上げた能力や社会関係、自己意識、信頼を根こそぎ喪失させることで、人格全体におよぶ危機と困難を生じさせるというのである。

 チェルネアは世界銀行の上級顧問であったのだから、そのポジションは各国政府に近いものである。その彼でさえ、強制的な移動がこれほど大きな精神的及び物理的苦痛を生じさせることを認めていることと比べるなら、過去に最高裁判事であった千葉氏の意見書が、いかに表層的で、事実の理解力を欠いているかは明らかであろう。

 千葉意見書は、仙台高裁の判決が被害者の損害に対する慰謝料を、①避難を余儀なくされた慰謝料、②避難生活の継続による慰謝料、③故郷の喪失・変容による慰謝料の3つに分けて算定し、それを合算することで「違法な慰謝料増額」を行っていると結論づけているが、そもそも千葉意見書は被害者の精神的及び物理的苦痛を正しく認識することができていないのだから、結論以前にその議論が破綻していることは明らかである。

 もっとも、中間指針の作成の段階では原発事故被害者の精神的及び物理的苦痛に関する実態調査は実施されていなかったのだから、以上のような不理解は、千葉氏の理解能力の欠如によるというより、実態調査の不足によると考えることもできる。

 この点については、この数年のあいだに多くの研究者が原発事故被害者のもとで綿密な実態調査をおこない、中間指針による賠償額の算定が被害の実態を正しく反映していないことを実証するにいたっている2。

 千葉意見書のように中間指針を過度に信頼・評価することで、それを上回る賠償額の算定をおこなった判決を「違法の評価を免れない」と一方的に決めつけるのではなく、現在明らかにされつつある被害の実態を正確に踏まえることで、中間指針そのものを再検討することが不可欠なのである。


1 Cernea, Michael, 1997, “The Risks and Reconstruction Model for Resettling Displaced Populations”. World Development, 25(10)。

2 高橋若菜・小池由佳2018,2019「原発避難生活誌――原発避難者新潟訴訟原告237世帯の陳述書をもととした量的考察」1,2『宇都宮大学国際学部研究論集』46号、47号。辻内琢也2016「原発事故がもたらした精神的被害:構造的暴力による社会的虐待」『科学』86(3)号。辻内琢也・増田和高編2019『福島の医療人類学??原発事故・支援のフィールドワーク』遠見書房。竹沢尚一郎・伊東未来2020「原発事故区域外避難者はどう生きてきたか」『西南学院大学国際文化論集』34(2)号。竹沢尚一郎・伊東未来・大倉弘之「国内避難民としての福島原発事故避難者の精神的苦痛に関する研究」『西南学院大学国際文化論集』35(1)号など。


●竹沢尚一郎さんのプロフィール
 1951年生まれ。フランス社会科学高等研究院博士課程修了。九州大学准教授・教授を経て現職。専門はアフリカ研究(文化人類学、アフリカ史・考古学)。
 日本では各地のまちづくりや有機農業の研究をおこなっている。東日本大震災の後には岩手県沿岸部で支援と研究を実施してきた。
 この分野の著書に、竹沢尚一郎『被災後を生きる:吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』(中央公論新社、2013年、The Aftermath of the 2011 East Japan Earthquake and Tsunami, Lexington Books, 2016)、竹沢尚一郎編『ミュージアムと負の記憶』東信堂、2015年など。2016年春には国立民族学博物館で、企画展示「津波を越えて生きる」を実施した。

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